《漆》
(何所の部屋? 人の気配、まるで感じない…)
静まり返ったシャトルの室内を、一部屋ずつ開けて確認する回るレン。
輸送などを主目的とする【ミグラテール号】の部屋数は旅客機ほど多くはない。
だが真っ直ぐな通路、直線三〇〇メートルの左右にはそれぞれ五枚、つまり一〇部屋ある事になる。
普段、足を使わず瞬間移動で動くことが多いレンにとって、この距離を走るのはなかなかに辛い物がある。
案の定、三部屋目にして既に息が上がってしまう。
「ふぅ…、ふぅ…」
(圧倒的スタミナ不足…。ランニング、始めよう…)
「『超人』タルモノ、怠惰デハイカンナ」
「ッ⁉」
殺気を感じ、レンはその場にしゃがむ。
直後、彼女の顔があった位置を黒い拳が通過した。
「ホウ? 柔軟性ハアルヨウダ」
「どうもッ‼」
レンは逆立ちするように足を振り上げ、自分を見下ろす大男の首目掛けて蹴りを入れた。
普通なら延髄への衝撃で脳震盪を引き起こす攻撃だ。
しかし大男は全く動じず、レンの足首を掴んで持ち上げる。
強烈な握力にレンは口元を歪ませながらも、掴まれていない方の足で、今度は顔面目掛けて蹴りをみまう。
それも少しでもダメージが通るようにと、カカトに体重を乗せてだ。
が、大男は変わらず、痛みを感じている素振りすら見せない。
「モット鍛エテオクベキダッタナ…、軽スギルゾッ!」
大男はレンの足を掴んだままを、彼女を盛大に床へ叩きつけた。
背中と後頭部を強かに打ち付けたレンは横隔膜が麻痺し、肺が上手く動かず呼吸ができない。
「ワープデハ抜ケ出セナイダロウ? 君ノ能力ヲ見越シテ、通路ハ徹底的ニ掃除サセテ貰ッタカラナ。入レ替ワル物体ガ無ケレバ、能力ハ発揮デキマイ」
「‥ゲホッ、ゲホッ…。な、無いなら、作る!」
確かにトレーニング不足は否めないが、レンとて曲がりなりにも『超人』。
そう簡単には負けるつもりはない。
レンは息苦しさに耐えてズボンのポケットに手を突っ込むと、何かを周囲にバラ撒いた。
床に音を立てて散らばったそれらは、コインだ。
レン自身、能力の弱点を十分理解している。
もっと言えば、ワープする途中に人や壁などの障害物があるとそこで止まってしまうし、体重以上の物体との入れ替わりも負担が大きく完了できない。
一度にまとまった量を持ち運べて、尚且つ自分よりは軽いけど風などで転がっていかない物体となればコインが一番なのだ。
レンは早速、大男の頭上に弾いたコインと入れ替わり、両足で力いっぱい大男の頭を踏み抜く。
女の脚力とは言え、プラスで全体重をかければ結構な衝撃だ。
事実、大男が前のめりに態勢を崩す。
(止まっちゃ駄目、畳み掛ける‼)
今度は大男の左側にワープして全身を使ったショルダータックル、大男を床に叩きつけると足払いで大男を仰向けに倒した。
更にコインを三枚手に取り、一枚放り投げては、空中から腹部目掛けた飛び膝蹴りという行動を三回も繰り返す。
「…俺ガ相手デ無ケレバ、勝テテイタカモナ」
「ッ、グゥッ!」
四度目のワープをして落下してくるレンの顔面を、大男の巨大な手が鷲掴みにする。
視野を奪われたレンはワープを封じられてしまい、抜け出せずにもがく。
「ヌゥンッ!」
大男の手を外そうと両手を挙げた所為で無防備になったレンの腹部に、大男は容赦なく拳を叩き込む。
今日一番の、いや人生で一番の衝撃と激痛に、レンは膝から崩れ落ちる。
床に突っ伏し、立ち上がることが出来ない。
「君ノ敗因ハ、スタミナトパワーダ。精進シテ、次回ノ教訓トスル事ダナ」
「‥確かに、彼女は『超人』にしては非力な方だ」
「ッ!」
動けなくなったレンを見ていた大男の顎を狙って、何者かの掌底が勢い良く突き上げてくる。
大男は間一髪のところで身を引いてそれを避けるが、それを放ったであろう人物の姿が見当たらない。
「故に、それを補う俺がいる‼」
今度は背後から声がして、大男は腰に、まるで車でもぶつかったかの様な強い衝撃を受けて吹っ飛ばされる。
宙を舞いながら大男が確認すると、果たしてそこには、先ほど姿を消したキャプテンの姿があった。
キャプテンはレンを通路脇に避難させると、立ち上がろうとする大男に再接近。
こめかみ部分に強烈な一打を叩き込む。
「何ッ…ダト…」
大男は腰に『痛み』を感じた事や、頭に受けた掌底フックによる『目眩』に驚き呻く。
「レンの連打が効かない所を鑑みるに、貴様は筋肉に受ける打撃に対しての耐性があると見た! ならば『内側に響く』俺の掌底打ちならばどうだ! 内臓や骨は鍛えられまい!」
「クッ…、良イ読ミダッ‼」
大男は両腕を交差させて攻撃を防ぎつつ立て膝体勢になると、向かってくるキャプテンへ突進の反撃に出た。
ところが大男の目前にして、再びキャプテンが姿を消えた。
だが外で見た時とは違い、大男はキャプテンの消失マジックのタネを知る。
大男の眼下、レンのバラ撒いたコインよりもさらに小さな人影が一つ。
目を凝らすとそれは、驚く程小さくなったキャプテンの姿だった。
これこそが《リトルビッグマン》と呼ばれるキャプテンの異能《自分を任意のサイズに縮小する能力》だ。
大男がちょうど真上に来た所で、キャプテンは元のサイズに戻りながら大男の鳩尾へ掌底アッパー。
大男の体が天井に叩きつけられた。
さらにキャプテンは落下してくる大男の全身を次々打ち抜いていく。
ラッシュは止まらず、完全にはサンドバック状態だ。
「『パル』とは、互いの弱さを知り、補い合う存在! あぁそうとも、レン一人は弱いだろ。だが、俺たち二人は、強い‼」
「‥見事ナ、チームダ」
漸く床に着地出来た大男は、跪いてキャプテンを見据える。
キャプテンは「喝ッ!」と叫び、今日初めて握り拳を作ると、男の顔面へと全力で振り抜いた。
大男の口にしていた鉄マスクが砕けちり、大男は両膝をついた状態でビタンッと仰向けに倒れ、そのまま動かなくなった。
「‥ひ、ヒデ、勝った?」
壁に縋りながら何とか立ち上がったレンの問いに、キャプテンは背を向けたままサムズアップサインを作る。
その背中から漂う闘気は、まさしく『超人』その物だった。
「ピッピーッ! 勝負アリ!」
突如、通路内に響く笛の音にキャプテンたちはビクッとする。
音のした方、すなわち通路の一番奥にあるコクピットの扉が開いており、その前に白衣を着た女性が笛を咥えて立っていた。
彼女の頭には、一対の兎耳がピンッとそびえている。
女性はスキップするような足取りで二人に近付くと、肩からタスキがけしていた容器から、真っ白なタオルとスポーツ飲料のペットボトルをそれぞれ手渡し「お疲れ様でした」とニコニコしている。
「え、えーと、貴女はぁ?」
キャプテンが混乱していると、彼の足元から「彼女が人質だっタ、ライアー・ラゴス氏だヨ」と男の声がする。
その声の主は、今しがたキャプテンたちと死闘をしていた大男の、素の声だった。
「ま、まだ意識がッ⁈」
レンが思わず身構えるが、大男は片手だけを上げて「安心してクレ、もう動けんヨ」と答えた。
ラゴス氏は大男にも、キャプテンたちにした様に労いの言葉をかけ、氷の入った袋を彼に手渡す。
大男はそれを痛む顔面に当て、気持ちよさそうに吐息を漏らした。
「ラゴスさん、貴女は捕まってたのでは…」
「……訳が、解らない…」
ますます困惑する二人の様子に、大男は苦笑しながら少し上体を起こしフードを脱ぐ。
戦闘で腫れあがった大男の顔は、どう見ても動物の『黒牛』。
頭にはかなり立派な角が左右に二本生えている。
彼が何者なのか、キャプテンたちには直ぐに解った。