《参》
「‥とまぁ、ご覧の有様じゃて」
学園の教頭を務める老人が結びの言葉を口にすると、室内の照明が点灯。
モニターに映し出されていたBOTからの中継映像が消えるな否や【職員会議室】に集められた各学年担当の教員たちの口からは、次々にため息や小言が漏れた。
それも無理はない。
本来の生徒たちは、日夜平和の為に活躍する、様々な銀河系から集められた精鋭だというのに、現状は目にあまる堕落ぶりだ。
「いやはや、なんとも…。由々しき事態ですなぁ」
テーブルに置かれたペットボトルのお茶を手に取り、まったく困ってなさそうに笑うのは八年生以上のクラスを担当するふくよかな男性教師。
いかなる困難を前にしても常に笑顔を崩さず、極めて穏やかな性格の持ち主で、恰幅がよい体つきからホテイ先生というあだ名で生徒たちから親しまれている。
本人も「いやはや、福の神様のようで良いですなぁ」と気に入っており、いつの間にか同僚たちからも本名よりそちらで呼ぶ事が多くなっていた。
「何を呑気な…。茶なんぞしばいてる場合じゃねぇだろがホテイさんよぉ⁈ あんな体たらくで『超人』が勤まるか!」
一方テーブルをバンバン叩き、激しい口調で怒りを露にする女性の名は グリード・クラテル。
四~七年生までの担当教師で、容姿端麗でモデル顔負けの高身長と大変な美女…、なのだが、如何せん口が非常に悪くやや難ある人物だ。
『話していると心が折れる』と、ホテイとは対照的に生徒達から避けられている。
「ま、まぁまぁ、クラテルさん、先ずは落ち着いて…。テーブルが割れちゃいますよ」
そんな彼女をなだめているのは、隣に座る一、三年生担当 駒鳥 雲母。
教職員の中では一番の若手で、男性ながら華奢な体つき。
身長はこの場に居る誰よりも低い。
外部の訪問者が来ると、よく生徒と間違えられる程だ。
気さくな性格と歳も割と近いことから、友達感覚で接する事が出来ると生徒(特に女子)からの人気が高い。
「たまには良いと思いますけど? 休み前のテストに関しても結果は上々。幸いにして補修や追試が必要な生徒も居なかった訳で、あ痛たたたッ⁉」
駒鳥がしゃべっている最中に「テメェはアホか!」とクラテルが彼の頬をつねる。
「実力な訳ねぇだろが‼ テスト内容が直前に流出してたんだよ! 見てみろコレ!」
クラテルは入室時から大事そうに抱えていた大きくて分厚い封筒を、テーブルの上にバンッと叩き付けた。
その拍子に飛び出した中身は何の事はない、ルーズリーフ式ノートのちぎれたページ束なのだが、その実、内容は連休前に各学科で行われた学力テストの問題と回答が網羅されているではないか。
ホテイは「これはこれは…」と束を手に取り、自身が教える世界史の部分を確認。
まるで感心したかのように笑った。
「確かに、先だって作成した内容と瓜二つですなぁ」
「えぇ⁈」
駒鳥はホテイから受け取った束を世話しなくめくり、ヒリヒリ痛む頬を摩りながら驚愕する。
「うわぁ、一言一句に至るまで本当にそのまんまじゃないですかコレ⁉」
「ったく…、毎度毎度、問題を盗み取る技術ばかり身に付けやがって…」
困惑と呆れを含む声で、両手で顔を覆ったクラテルは天を仰いだ。
「‥百歩譲ってよぉ、流出したのは私たちの管理不足が原因。出題内容や回答を足がかりに『知識』としてちゃんと身につけんなら、まだマシって話だ。でも大抵は一夜漬け。やる事やったら、どいつもコイツもコロッと忘れやがる。何の為のテストって話だよ…」
覆っていた両手を外したクラテルの目には、うっすらと涙が溜まっていた。
「…そもそも学生とか以前によぉ、私たちは『超人』だろ? 宇宙のゴミ共が、いつ何時攻めて来ても民間人を護れる様に、常にベストコンディションを維持すんのが当たり前じゃねぇのか? 授業内容だって、引いては自分たちの身を護ることに繋がる内容だってのに…。コッチは工夫してやってんだぞ!」
震えを含んだ声で鼻をすするクラテル。
そう彼女は所謂、感情が高ぶると涙を堪えられなくなる性分。
口は悪いが『超人』という立場を重んじる気持ちは誰にも負けていないし、決して生徒たちの事を嫌っている訳でもない。
むしろ周囲からの好感度が高い駒鳥やホテイから『どうすれば生徒と仲良くなれるか?』と相談するほどに生徒たちの事を思っている。
ただ日々の言動とこの熱くなりやすい性格、そしてすぐに泣いてしまう点も相まって、気持ちとは裏腹に生徒たちからは面倒くさがられてしまうのだ。
「クラテル先生、まぁ涙をお拭きなさい。貴女が生徒たちの為に頑張っておるのは、ワシも含めてココに居る皆、良ぉ~く解っとりますよて」
シクシクと泣くクラテルを慰め、教頭は慣れた様子でティッシュ箱を差し出す。
クラテルは「伝わらない愛情に何の意味があるってんだよぉ‼」と悪態を吐きつつ、大量のティッシュを顔に押し当てた。
「‥クラテルの言う事も尤もだ」
ここで漸く口を開いたのが、室内で最も(筋肉的な意味で)大きく、背も高い落ち着き払った男性教師。
緑色の短髪に、頭からつま先まで赤い肌、口に収まりきらずに飛び出した上下の牙と、見るからに常人とは思えない巨体を無理やり椅子に収めている彼の名は、現二年生専属担当 アンガード=フェルサッシュ・ライエン。
その見た目と、異常なまでに鍛え上げられた筋骨隆々の肉体が、ニホン古来より伝わる妖怪の『鬼』を想起させるので『オニガミ』と生徒たちから畏怖されている。
ただ同時に、生徒一人ひとりと誠実に、そして対等に接する姿勢は大きな信頼も置かれていた。
「愛情が伝わらない事がですか? ライエンさんが愛を語るとは、意外」
「ライエン殿は『愛情』より『根性』ですからなぁ」
駒鳥とホテイのやや茶化しの入った反応に、オニガミは「ソコじゃない」と呆れ半分で否定した。
「長すぎた休みの所為で、今の連中は完全に腑抜けている。俺が民間人なら『超人』として信頼出来ないと言わざるをえん。とはいえ無論、コマドリのいう事も一理ある。気を張りすぎて精神的に疲弊してしまい、いざという時に本来の実力を発揮できない様では元も子もない。問題は…」
「『そのバランスをどうやって取らせるか』って所ですよね」
オニガミの言わんとする事を理解し、駒鳥はペンで額を軽く叩きながら思案する。
「……偉そうに語ってけどよぉ…」
と、ココでやや調子を取り戻したクラテルがオニガミに噛み付いた。
「テメェの生活指導がしっかりしてないから、こういう事になってんじゃねぇのか? 今見てた映像は、一体誰の担当クラスだ? 騒ぎ起こしてた、時翔 一郎たちの担任は誰だ?えぇライエンさんよぉ?」
「グゥッ…」
クラテルの厳しい指摘にオニガミは低い唸りを発し、眉をひそめて掛けていたフチなしの丸眼鏡を外した。
先程までモニターに映し出されていたのは、学園内でも特に問題視されているクラス。
即ち、オニガミの担当する【二年生クラス】だ。
「流石のライエン殿でも、昨今の若手の指導には苦慮しておりますなぁ?」
「解ってくれるか、ホテイよ…」
オニガミは腕を組み、背もたれに身を預ける。
膨張した前腕筋肉や胸筋で、無理やり留めてあるシャツのボタンが悲鳴を上げた。
「しかし、理事たちの真意は何なんですかね? わざわざ担当を替えさせてまで今の二年生をライエンさんに任せるなんて」
「それが解れば苦労せん…」
駒鳥の疑問は、オニガミが一番知りたい所だった。
オニガミは学園創設時からの古株であり『超人』としての活動歴はこの場に居る誰よりも長い。
実力は自他共に認める、世界でも数少ない『Sクラス』。
その能力を買われて彼が長年指導を任されて来たのは基本的に『超人』として成熟間近の八年生以上(下級クラスでも四年生より上)だった。
ところが去年の春の事、オニガミは何故か新入生――即ち、現二年生たちの専属担当教師に任命されたのだ。
それも学園の最高責任者である理事長と、園長から直々にだ。
初めての経験にこの一年、紆余曲折ありつつも何とか落第や退学者を一人も出さずに全員を進級させることには成功した。
だが今後も、まだまだ未熟な生徒たちを果たして正しく導き、育て上げる事が出来るのか、オニガミは内心不安であった。
二年生たち一人ひとりの能力は決して低い訳ではない。
我が強く一癖も二癖もある生徒たちだが、寧ろ近年稀に見る優秀な人材が揃っていて、将来的には間違いなく世界を担う『超人』になるだろうと、オニガミは自信を持って喧伝できる。
ただ、これは最近の若手に共通して言える事だが『心・技・体』のなかでも『心』に当たる部分が、どうにも伝わっていない節がある。
「若者がピンと来ていないのも無理はあるまいて」
教頭は「よっこいしょ」と立ち上がり、会議室の今時にしては珍しい手動ブラインドを一つずつ上げていく。
「『精神性』という物は経験に基づいて形成されて行くものじゃい。しかしワシやライエンが若かった黎明期と違って、最近は『超人』が出動するまでもなく警察だけで解決する案件が増えてきとる。平和な今日日に、緊張感を持てと言うのは酷という物じゃて」
窓の外は雲ひとつない晴天。
花粉症が猛威を振るった時期も終わり、心地よい陽気で出歩く人々も多く、学園に程近い公園で大はしゃぎする子供達の金切り声が窓越しにも聞こえていた。
空には《飛行魔術【フライトラン】》で浮く自転車にまたがった郵便配達員が、鳥の群れを誘導するかのようにのんびりと飛んでいる。
トラブルの気配すら感じられない、極めて平和な放課後の昼下がりに『超人』の必要性は確かに感じられなかった。
「……ま、コレばかりは、地道に説いていくしかないでしょうなぁ。なに、ライエン殿一人に任せるつもりもありませんよ。これは我々教師陣、一丸となって取り組むべき事ですからなぁ」
ホテイは男ながらにウィンクしてみせると、流出問題集をトントンと机で整えて封筒にしまい直し、おもむろに口元へと近づけた。
…かと思えば、なんと大口を開けて封筒を食べ始めたのだ。
それはもうハンバーガーかサンドイッチでも食べるかの如く、バリバリと音を立てて。
「‥う~ん、最近の再生紙は味の質が落ちましたなぁ。しかしながら、インク原料は【キング王国】のナッツやイチゴが使われている様で悪くないですなぁ」
「あ! テメェ、ホテイ⁉ 何勝手に食ってやがる! それが無きゃ、流出の犯人探しが出来なくなんだぞ!」
「いやはや、過ぎた事は水に流してしまうに限りますなぁ、ほっほっほっ」
クラテルが止めるのも聞かず、ホテイは問題集を瞬く間に食べ尽くしてお茶で飲み下し、更には空のペットボトルも小さく丸めて飲み込んでしまった。
朗らかに笑い続けるホテイと、彼を激しく揺さぶるクラテルを無視して、オニガミは「兎にも角にも…」と身を乗り出した。
「今の状態からは脱する様に指導を考えねば成らん。恥を忍んで聞きたいのだが、何か良い案はあるだろうか?」
『あるぜ? うってつけの名案』
突然、どこからとも無く女性の声が室内に響く。
だがこの場にいる唯一の女性であるクラテルの物ではない。
「その声は…」
オニガミの声を合図に、突如、会議室の何も無かった筈の壁に大きな扉が出現。
教師陣全員が襟を正して立ち上がると、開いた扉から出てきたのは、やたらツバの大きな黒の三角帽に黒のロングコートをまとい、大きなトランクを持った女性だった。
歳は二十歳前後、いっても三十代と見受けられる。
「理事長、ご無沙汰しております」
「おうライエン、お疲れさん。…ん? 園長はどうした?」
「何時もの『釣り』ですわい」
トランクを受け取った教頭がそう言うと、彼女は「だと思った!」と女性らしからぬ調子でゲラゲラと笑った。
「珍しいじゃねぇか、理事長。普段は余程の事でもない限り、滅多に来ないってのによ」
「相変わらず口が悪いなぁクラテルは? オレは元教え子の悲痛な嘆きには、真っ先に駆けつける慈愛の持ち主だぜ?」
「でしたらもう少し出勤して、溜まっている書類を片付けて欲しい物ですなぁ?」
クラテルとホテイの姑じみた小言を「ハッハッハッ」と笑ってスルーした理事長は、身近な椅子にドカリと足を広げて座る。
そして帽子を脱いで瑠璃色の髪を手グシで軽く整えつつ、みんなにも座るよう促した。
「それで理事、『名案』というのは?」
少しワクワクした様子の駒鳥から早速訊ねられると、理事長はマントの内側から用紙を二枚取り出してオニガミの前に並べて見せる。
一枚は、オニガミが現在担当している二年生のクラス名簿。
もう一枚は、少し前までオニガミが指導していた今の五年生の名簿だった。
二年生の一部生徒には赤ペン、五年生には黒ペンでそれぞれ印がつけられている。
「要は経験を積ませたいんだろ? だったらその『機会』を作ってやりゃいい」
「と、言いますと?」
「この印の付いている生徒+αで、二年、五年それぞれの選抜チームを作って召集をかけろ。…ただし、二年生たちにはバレないように」
前髪で顔の左を隠した理事長は、まだ幼さの残る顔で悪戯っぽく笑う。
編成確定の印の付いた生徒には、イチローやヒカル、その友人であるアマミ、カミヤの四人も含まれていた。