四十二話 一月十二日 その二
一月十二日 その二
「もしもし?」浅利は、かけた電話の相手方に呼びかけた。
「はい?葛西ですけど。どちら様?」
「浅利だけど」
ああ、と葛西は声を漏らすと、嬉しそうに声を弾ませながら「久しぶり」と言った。教習所で会った、あの柄の悪い葛西だ。
「かけてきてくれるとは思ってなかったよ。君、クールだしさ」
「訊きたいことがあるんだけど」浅利はさっそく本題に入ろうとした。
「訊きたいこと?俺に訊きたいってことは、やばいことだな?」
「うん。葛西君」そう名前を呼んで、葛西でよかったかな、と心配になる「薬の話、詳しい?」
「薬?薬剤師じゃないから、難しいことは知らねえけど、もしかしてそっち系の薬?」
「うん。そう」
葛西は驚いたように息を吐き、間を置いた。そしてまた言う。
「浅利がそんなことに興味持つとはな。何?薬欲しいの?大麻とか、もしかして、覚せい剤?覚せい剤はやめた方がいいと思うけどな」
「そうじゃない。欲しいんじゃなくて、訊きたいの。その話を。そういう薬のことなら、詳しいんでしょ?」
「ああ。そっちなら何でも答えられると思うぜ。で、何を訊きたいんだ?」
「今から症状を言うから、それに当てはまる薬のことを教えて欲しいんだ」
「わかった。聞くよ」
浅利は東が言っていた、周りの景色が綺麗だとか、浅利の顔が変に見えるとか、立花とかいう人間の顔がたくさんみえるとかいったことを伝えた。ふらふらしながら歩いていたり、突然笑い出したりすることも伝えた。すると、葛西は言った。
「LSDだな、そりゃあ。間違いない」
「LSD?」
聞いたことはあった。昔大流行して、禁止薬物に指定されたものだった気がする。
「その薬はたしかホフマンとかいう博士が作り出したんだよ。なんだか忘れたが、その構成される物質名とか他の何かとかいろいろなものの頭文字を取ってLSDって名づけられたらしい」
いろいろ、とか忘れた、という言葉で胡散臭さを匂わせるが、浅利は黙って聞いた。
「無味無臭で、投与して一、二時間後に効果が現れる、強い幻覚剤だよ。少ない分量で効果が出る。投与された奴は酒に酔ったみたいになって、周りの景色が鮮やかな万華鏡みたいに見えたり、音が映像になって見えたりするんだ」
「危険な…薬なの?」浅利は恐る恐る言った。
「いや、禁断症状もほとんどないし、中毒性もないって言われてる。脳にも影響を残さないから、かなり安全なドラッグだろうな」
安全。その言葉は眉唾ものだったが、とりあえず浅利はほっとした。東が廃人になってしまうようなことはないようだ。
「でもな」葛西は続ける。「それを使って、いい感じの時はいいんだけど、気分が落ち込んでいる時に服用したりすると、バッドトリップになる可能性がある」
「バッドトリップ?」
「落ち込んだ精神状態が幻覚に影響するんだよ。恐ろしいものが見えたり、ドアが吹っ飛んでくるように見えたり、それは悲惨なもんだ」
「その逆がグッドトリップってこと?」
「そう。その映像を芸術にしたサイケデリックって言われるものもあるな」
「へえ」サイケデリックという言葉を知っていたが、それを意味するということは初耳だった。
「グッドトリップになってるなら、そんなに危険な薬じゃないんだけどな。でも幻覚を見て道路に飛び出して交通事故にあったり、アメリカではLSDを使って若者を洗脳して、犯罪を犯させたっていう男も出た。使いようによっては危険っちゃ危険かな」
東はなぜそのような薬物に手を染めたのだろう。その薬の出所はどこなのだ。
「そういえば、LSDといえば、うちの組長のお子さんが大量に持ち出していったな。皆止めたんだけど、頑固でさ」
「その人、どういう人?今何歳ぐらい?」
「浅利と同じくらいじゃないかな。大学生だよ」
大学内で、LSDが蔓延しているという可能性もありうる。浅利は身近な恐怖に閉口した。
「ところでさ、浅利の大学ってどこだよ」
LSDが蔓延していることを葛西も感づいたのかと思い、大学名を告げた。
「やっぱり」葛西は浮かれた口調だった。「俺、その近くに住んでるんだよね」
何か嫌な予感がして「いろいろありがとう。それじゃ、切るね」と言った。
「待った待った、今度一緒に食事でも…」
浅利は電話を切った。
LSD。また悩みの種が増えた。この話は誰にもしない方がいいと思った。薬のことを興味ありげに話せばおかしい人物だと思われかねない。
浅利は自室の天上を眺めると「どうなってるの」と独りごちた。




