表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

永遠なる幸せを―

作者: 大空コータ

「せんぱーい、おーい、起きてくだーい」


「ん、んん……」


「もう先輩ったら、寝坊助さんなんだから」


 俺の事を先輩と呼ぶそいつは呆れたように言うと、俺にかかっている布団を思い切り引っぺがした。途端に俺の身体を冷気が包み込む。


「寒っ……」


「早くしないと学校、遅れちゃいますよ?」


 俺は無理矢理重たい瞼をこじ開けた。視界には、女の子が一人。綺麗な茶髪をツインテールにした、大きくぱっちりとした眼の少女。覚醒しきっていない脳をどうにかしてフル回転させ、こいつが誰なのか、どうしてここにいるのかを考える。


「ああ……そうか……」


 そうだ、それは昨日の夜の事だった。


 ●●●


「先輩!突然ですけど、ここに泊まってもいいですか?」


 工藤美咲は本当に突然、俺の家にやって来た。走って来たのか息が上がっている。そして、背中には華奢な身体に似合わない大きなリュックサックを背負っている。外は酷い豪雨であり、彼女の身体はびしょ濡れになっていた。


「泊まって……って、どういう事だよ?」


「まあ、それはその……色々とありまして」


 たははー、と工藤は頭を掻く。色々ってなんなんだ、色々って。今は家に誰も入れたくない気分なのだが、流石にこんな豪雨の中で女の子一人を家に帰すわけにはいかない……という事で、俺は工藤をとりあえず家に招き入れる事にした。

 俺は今は一人暮らしをしている。とは言っても、両親が海外出張に行っているだけなので期間限定なのだが。しかしまあ、親の出張時に女の子が転がり込んでくるなんてどこかで聞いたような話も実際にあるものなんだな。


「あの、すみません。シャワー貸してくれませんか?寒くて……」


「あ、ああ。風呂ならあの部屋だから」


「ありがとうございます。あ、服なら持ってきてるんで心配いりません。あ、後、覗かないでくださいよ」


 工藤は一気に捲し立てると、風呂場に駆け込んでいった。完全に勢いに押されてしまっていたが、一体これはどういう事なんだろうか。何故わざわざ俺の家に?

 工藤美咲は俺の高校の後輩である。俺も彼女も文芸部に所属しているのだが、部員数が三人と少なく、工藤は唯一の後輩なのだ。一応、工藤が入って来る前も三人いたのだが……諸事情で入れ違うかのように退部してしまった。工藤はその可愛らしい見た目に似合わぬ結構ハードな作風の小説をよく書いている。それも結末は全てバッドエンドで。いつも元気で明るい、社交的な彼女がそんなものを書くなんて最初は意外に感じていたが……今ではもう慣れてしまっていた。


「ふう、シャワーありがとうございました」


 色々考えている間に工藤はシャワーを浴び終えていた。いつものツインテールは解かれ、ピンクの柔らかそうなパジャマを着込み、ほのかに頬を上気させた姿を俺は直視することが出来なかった。


「で……どうして来たんだよ」


「む、素っ気無いですね。普通は後輩女子がやって来たら嬉しいもんじゃないんですか?」


 まあ確かにそうかもだけど。突然の事態を脳が処理しきれていないのだ。


「そんな事より、どうして来たんだ?家出か?」


「ん~家出とはちょっと違いますかね。もう家にいられなくなった、というか」


「は?」


「追われてるんですよ、私」


「……はい?」


「まあ何というか、命の危機的な?そんな感じなんで。暫くここで匿ってください。宜しくお願いします」


 ただの家出なら別に良かった。でも、追われている、だって?意味が分からない。


「……小説の読みすぎじゃないか?」


「『事実は小説よりも奇なり』ですよ、先輩」


「いや、でも……」


「もう既に両親も拉致監禁されてしまいました。家の周辺は監視が張り巡らされていてとても帰れる状態じゃありません。ここも『彼ら』の手にかかれば気付かれるのも時間の問題でしょうけど……」


「ああ……っと、どうして追われてるんだ?」


 俺は必死に工藤の言葉を脳内で整理しながら尋ねる。冗談だろう、と笑い飛ばしてしまえば簡単だが、どうも彼女の眼は嘘を吐いている時のそれでは無いように見えるのだ。


「それはその……見ちゃったんですよ。見てはいけないものを……」


「それは一体?」


「それを言っちゃったら先輩まで危険な目に晒されてしまいます……」


 既に工藤を匿っている時点で俺も危険な状態になっている気がするが。もしも……この話が本当だとしたら、俺は……。


「……なんで他の人の家に行かなかったんだ?」


 例えば、文芸部のもう一人の部員であり、俺の親友である仮屋とか。そうで無くとも、彼女には何人も女の子の友人がいるはずだ。男の家に泊まるよりは絶対にいいだろう。


「あ~それはその、男の人の方がいざという時に安心じゃないですか」


「なら仮屋でもいいじゃないか」


「仮屋先輩の家は私の家の近くだからダメですよ。それに、何だかあの人頼りないし……下心丸出しだし……追手に捕まる前にキズモノにされてしまいます」


 それは確かに言えている。自分で言っておいてだが、あいつの家に女子なんて泊めてはいけない。


「でも、先輩の家は私の家とは反対方向にあるし、先輩も紳士的だからちょっとは安心かなって」


 ちょっとは、ねぇ。少しその言い方が引っ掛かるが……。流石に今から家を追い出すというのは追っ手がいるという話が本当だろうが嘘だろうが危険だ。


「仕方ない。今日は泊まっていけ。ベッドなら俺の親の寝室のがあるから」


「泊めてくれるんですか!ありがとうございます!」


 工藤はさっきまでの暗く沈んだような表情から一転、ぱあっと明るくなった。と、同時にぐぅと言う鈍い音が響く。


「安心したらお腹空いてきちゃいました……たはは」


「……カップラーメンしか無いけど、いいか?」


「はい、何でも!」


 ●●●


 ……というわけで、俺はこいつをここに泊める事になったのだ。


「誰かに追われているのに学校なんて行くのか?」


「大丈夫ですよ、夜以外はちゃんと人通りの多い場所を通っていればいきなり攫われたり殺されたりはしないはずです」


「よくそんな危険な状況なのに外に出ようと思うよな」


「寧ろここでじっとしてる方が危険ですよ。なるべく人のいる場所にいるべきです」


 そんなものなのだろうか。よっぽどヤバいものを見たんだったら、どこにいようが処分されてしまいそうなものだけど……それこそ俺も小説の読みすぎなのだろうか?

 

 適当にトーストと目玉焼きを平らげた後、俺達は二人で並んで学校に行った。ほとんど同年代の女の子と二人で朝飯を食べるというのは少し新鮮だったが……二人で登校、というのは別に新鮮味を感じるものでもなかった。というか、そんな事よりも俺は周りの注意に気を取られていた。


「んぱーい……せんぱーい?聞いてます?」


「……え、何?」


「もう、ちゃんと聞いてくださいよ」


「お前、よく狙われてるってのにそんなお気楽にいられるな」

 

 もしかしたらやっぱり昨日の話は嘘だったんじゃ……?という思いが心の中を渦巻く。実際はただの家出で出鱈目な物語をでっち上げて俺の家に泊まりにきたとか。追っ手というのも単純に彼女の両親の事だったり……


「あ、また聞いてない!」


 どうやら工藤はまた何か話しかけていたらしい。まあとりあえず本当か嘘か決めるにはまだ時期尚早というものだ。もう少し工藤の様子を見極める必要が……。


「……あ」


 丁度校門に辿り着いた時に、あまり会いたくない人に鉢合わせしてしまった。美しいロングの黒髪の少女、栗木理香。言ってしまうと、俺の元カノってヤツだ。そして、元文芸部員の一人。俺と別れたのと同時に退部してしまったのだ。


「あっ、栗木先輩、おはようございます」


 そんな事を気にもせずに工藤は栗木に元気に挨拶をする。確か工藤も俺と栗木が付き合っていて、そして別れた事を知っている筈なのだが配慮などは全くするつもりが無いらしい。


「おはよう、工藤さん」


 栗木は薄く微笑んで返す。そして、自然と視線は工藤の隣にいる俺の方に向く。


「……おはよう」


「ああ……お、おはよう」


 酷くぎこちない挨拶になってしまった気がする。だが、栗木はそんなことを気にも留めずにさっさと艶やかな黒髪を靡かせて行ってしまった。


「……先輩、もしかしてまだ引きずってるんですか?」


「お前には関係無いだろ」


「関係無い事ないです。同じ部の部員なんですし」


「……あいつはもう部を退()めた。だからやっぱり関係無いだろ」


「ああ見えて、栗木先輩も結構引きずってたりするんですよ?」


「聞いたのか?」


「ああ~……女の勘ってヤツですね」


「んだよそれ」


 俺と彼女が別れた理由。結局二人は合わなかったのだ。単純な事だ。三年も続いただけマシと言えよう。

 中二の時だっただろうか。告白は栗木からだった。栗木は学年トップクラスに良い顔立ちであり、成績も優秀。俺は当然承諾した。高校に上がるまではうまくやっていた。しかし、高校に上がると少しずつ、少しずつ何かが崩れていった。

 栗木はやたらと俺に依存していた。両親とそりが合わなくなっていたらしい。健全な付き合いを続けていたが、彼女は俺の身体を幾度も求めてきた。最初は俺もそれに応えていた。でも、それは最早高校生の付き合いの範疇を超えていた。疲れていたんだ、俺も。周りは俺達をバカップルか何かだと思っていたようだが、そんなものではなかった。

 別れの言葉は俺から告げた。当然、栗木は泣きじゃくりながら凄まじい剣幕で否定した。いつも穏やかな彼女からは想像もできない姿に狼狽するが、何とかして彼女を落ち着かせ、数時間の説得の末にやっと別れる決断をしてくれたのだ。

 別れた次の日に彼女は文系部を退めた。あれだけ俺を求めていた栗木の事だ、そう簡単に俺から離れてくれるか不安だったが……意外にも彼女はすんなりと俺と関わらなくなった。クラスも部も違えばほとんど顔を合わせる機会も無く、たまに会えば挨拶はするが……それ以上は何も無かった。


「工藤、お前部活行くのか」


「うーん、どうしましょうかね。あんまり帰りが遅くなると危ないから……」


 確かに最終下校時間まで部活をしていたらすっかり空も暗くなってしまっているだろう。かと言って、いつも部活で出している文集の〆切も迫っている。あんまりサボってしまうと〆切に間に合なくなってしまう。


「だったら俺の家で部活しないか?小説書くぐらいなら家でも普通に出来るだろうし」


「あ、確かにそれもそうですよね。仮屋先輩も誘いましょうよ」


「でもそれだと同棲してる事がバレるんじゃ……」


「? 何か不都合でも?」


「いや、あいつの事だから絶対色々尋ねてきたり……周りに言いふらしたりしそうだし」


「あー……それもそうですね。じゃあ二人でやりましょ」


 という事で、俺達は家に戻って各々執筆中の小説を書き始めた。普段は少し騒がしい工藤も執筆活動中は没頭して無口になる。その集中力から物凄い勢いで作品を輩出し、文集での作品掲載率は工藤がダントツで高いのだ。俺は少し集中力に欠けるところがあるので素直にその集中力が羨ましい。

 

「腹減ってきたな」


 気付けばもう午後七時を回っていた。そろそろ晩飯時だろう。俺は集中している工藤の邪魔をしないようにカップラーメンを作りに行こうとした。


「あっ、ちょっと待ってください」


「え?」


「もしかしてまたカップラーメン食べるつもりですか?」


「まあ、そのつもりだけど」


「ダメですよ!もしかしていつもカップラーメン食べてるんですか?」


「いや……たまにはカップ焼きそばとかにするけど」


「ダメダメ!そんなんじゃ栄養に悪いですよ。私が作ってあげますから!」


 そう言うと、工藤は執筆を切り上げてリュックサックからピンク色のフリフリエプロンを取り出して身につける。そして勝手に冷蔵庫を開いて中身を探り出す。


「ふむ、これぐらい材料があればそれなりの物が作れますよ」


「お前が料理作れるとは意外だな」


「失礼ですね。私だって女の子なんだから自炊ぐらいできます」


「へぇ……そいつは楽しみだな」


 工藤は適当に材料を取り出すと早速調理を始める。確かに調理の手際は見た感じなかなか良い。

 そういえば……栗木はそんなに料理が上手くなかったっけ。付き合い始めた頃に弁当を作ってくれたのだが……それはもう美味しくなかった。その反応がショックだったのか、栗木は料理の猛練習をし、高校に上がった頃には随分と美味しくなっていたっけか。彼女は俺に褒められて嬉しくなったのか、昼の弁当だけでなく、朝飯も晩飯も作って家に届けてくるようになった。いらないと言っても。酷い時には食べ物に睡眠薬か何かを仕込まれて寝ている時に色々された事もあって……


「できましたよー」


 なんて思い出したくない思い出の螺旋を断ち切ったのは工藤の一声だった。いつの間にか飯が出来上がっていたらしい。食卓に着くと、色々料理が並べられた。ご飯、味噌汁、野菜炒め……どれも良い匂いがするし彩も良く、美味しそうだ。


「いただきます」


 問題は味だ。俺は野菜炒めを一口、口に運ぶ。


「……美味い」


「本当ですか!?」


「ああ、美味い。母さんの作る料理よりも美味いかもしれない」


「えへへ、光栄です」


 工藤は照れたようににへらと笑う。俺はふと、その姿をかわいいと思ってしまった。

 俺は人を自分から好きになった事は無い。栗木の時も、告白したのは彼女からだ。承諾したのも別に好きだったからじゃない。それから好きというのが何なのかいまいち分からないまま彼女に依存され、ますます分からなくなってしまった。行為の時、彼女はしきりに俺に「好き」だの「愛してる」だのと喘ぎながら言っていた。でも……俺は言わなかった。最初の頃こそ興奮していたかもしれない。でも、繰り返すうちに何の感情も持たなくなっていた。

 だから今、工藤に対して抱いた感情は何だったのか、よく分からない。果たして『かわいい』だけだったのか?と。


「あの、先輩?早く食べないと冷めますよ?」


「あ、ああ。そうだな」


「なんか色々考えすぎじゃないですか?悩みあるんだったら、私で良ければ聞きますよ?」


 工藤は心配そうに俺の顔を覗き込む。俺はそれを直視出来ず、慌てて目を逸らした。


「もしかして……私のこと、ですか?」


「え?」


「私のことでそんなに悩んでくれているんですか?」


「……いや、こっちの話だ」


 工藤だって(彼女曰く)追われている身なのだ。明るく振る舞って見せているが、本当は空元気で内心怯えているのかもしれない。だとしたら、これ以上彼女に何か抱え込ませるわけにはいかない。


「……優しいんですね」


「そんなこと無いさ……」


 俺はどうしようもなく情けない奴なだけなんだ。


 それから暫く、俺達の同棲生活は続いた。朝は工藤に起こされ、二人で登校し、家で部活をし、工藤の手料理を食べ……。彼女は泊まらせてくれているから、と洗濯などの家事もしてくれた。もう少しガサツな性格だと勝手に思い込んでいたがどれもしっかりとこなしていた。最初は二人とも不安が表情に現れていたが、次第にそれも消えていった。何より、俺は彼女と過ごす時間を楽しいと感じていた。彼女との談笑も、毎晩の美味しいご飯も、時々見せる意外な表情も、全てが俺の楽しみになっていて。あの時抱いた感情も少しずつ膨らんできていた。


「折角ですし、ちょっと遊びに行きませんか?」


 土曜日、工藤の一声でショッピングモールに買い物しにいく事にした。あそこは人も多いし安全だろうと工藤が言うので俺も納得して出かけることにした。別に俺は何か買うつもりは無いが、女子にとって買い物は大事な事だ……と栗木から聞いたことがある。ここは素直に一緒に行ってやるべきだろう。


「この服どうですか?似合いますか?」


「ああ、似合ってると思う」


「ほんとですか!?じゃあ、これ買いますね」


 工藤は服を持ってレジに駆けていった。既に俺の両手は工藤の買った服だったりアクセサリーだったりが入った袋で塞がれている。普通なら買い物に付き合わされるのなんて御免被りたいが、不思議とこの日は苦痛じゃなかった。それどころか楽しかったんだ。やはり、この俺の今の感情は……


「何してるの?」


 突然、後ろから声をかけられた。俺以外の人に話しかけたという可能性を普通は考えるかもしれないが、この声の主からしてそれは流石に無理があった。


「栗木……」


「理香、ってもう呼んでくれないんだね」


 振り向くと、そこには俺のかつての彼女だった女の子がいた。顔からは表情という表情が一切読み取れなかった。


「工藤さんとお買い物?」


「どうしてそれを」


「……さっき見たの。一緒にいたとこ」


「ああ、そう……」


 俺は彼女の顔から目を離し、空を見上げた。彼女は顔こそこちらの方を向いていたが、目の焦点は合っていなかった。

 しかし何なんだ。いつも俺を見ても別に話しかけたりしてこなかったというのに。


「ちょっと話したくなって、ダメかな?」


「いやでも……」


 彼女の柔らかな語尾、されど有無を言わさぬ口調に気圧されていると、服を買い終えた工藤が俺の元に駆けてきた。


「お待たせしまし……あれ、栗木先輩?」


「ちょうど良かった。工藤さん、ちょっと彼、借りていいかな」


「……まあ、いいですけど」


 工藤は不満そうに、されどあっさり承諾した。


「じゃあ、私ちょっとそこら辺で買い物してるんで」


「うん、すぐ済むから。ありがとう」


 工藤から目を離すのは少し心配だったが、この人混みなら問題ないだろう。俺は栗木に先導されて近くのカフェに入った。


「何の用だ?」


 俺は頼んだカフェオレを一気に飲み干してから尋ねた。別れて以来ほとんど関わっていなかったというのにこんな場を設けての話。俺には、大体彼女がこれから何を話し始めるつもりなのか、大体の見当がついていた。


「別れてから……もう少しで一年経つのかな」


「そう、だな」


「私さ、あれから色々考えて……あなたに依存しすぎてたかなって思って。悪かったと思ってる」


 彼女は少しだけ薄く笑った。しかし相変わらず、目に光は宿っていないようであった。


「それでその……お互い冷静になれたと思うし、さ。私達もう一度やり直せないかな?」


 ああ、やっぱりだ。彼女は俺と縒りを戻そうとしている。実は薄々こんな日が来るんじゃないかと思っていた。だからそれに対する俺の答えも既に決めていた。


「……ごめん、無理だ」


「……」


「やっぱお前、まだ依存してるよ。一年別れててもまだ俺と縒りを戻そうとしている、それがその証拠だ。だからやっぱりダメだ」


「……そ」


 彼女はまるで、最初から俺の答えなんて分かっていたかのように短く呟くと席を立った。彼女の表情は……どこかさっきと違って生気を取り戻したような、そんな気がした。


「じゃあ……さようなら」


 もしかしたら、彼女は別に俺と縒りを戻すつもりなど無かったのかもしれない。ただ単に、はっきりとけじめを付けたかったという事か。


「……そうか」


 何だか、俺もどこか心のどこかがすっきりしたような、そんな気がした。


 夕焼け空の下、俺と工藤は大量の袋を抱えて帰路についていた。荷物は重たいが、心は軽い。工藤もツインテールをぴょこぴょこ跳ねさせていてご機嫌そうだった。


「いっぱい買っちゃいましたねー先輩」


「ほんとだよ、金大丈夫なのか?」


「あ~それ思い出させないでくださいよ~。あっ、ていうより栗木先輩と何話してたんですか?」


「ああ、別に何でもない。ちょっと昔の話をしただけだ」


「ふーん、そうですか。まあいいですよっ」


 彼女の笑顔に釣られ、俺も笑う。そして、けじめをつける事が出来た今なら、あの気持ちが分かる。あの言葉が言える。


「なあ、工藤」


「はい?」


 俺は立ち止まり、彼女の名前を呼ぶ。彼女も数歩歩いた後に立ち止まって振り返った。


「……工藤」


「なんです?」


「好きだ」


「……えっ」


「俺は、工藤の事が好きだ」

 

 俺は思いを告げた。工藤は暫く呆気に取られていたが、やがて頬が真っ赤に染まっていった。そして俺から目を逸らし俯いてしまった。


「お、おい、工藤?」


「私も……」


「え?」


「私も……好きです」


 そう、俺に聞こえるか聞こえないかの声でそう呟いた。彼女は耳まで真っ赤にしていて、俺まで酷く恥ずかしくなってきてしまった。


「そっ……か」


 そして、ようやく工藤は顔を上げたかと思うと、顔を真っ赤に染めたままパタパタと駆けてきて……背伸びをして唇を重ねた。


「あ……」


「……たはは」


 ああ、恋ってこういうのを言うんだな。好き同士で一緒になれる事。このどうしようもなく幸せな気持ち。あの時には味わえなかった事が。


「手、繋いじゃいましょうか」


「……ああ」


 俺は右手を塞いでいた荷物を左手に移し、同じように左手の荷物を右手に移し替えてお互いの手を握った。彼女の小さな手はとても柔らかく、温かかった。


「……」


「あれ、お前泣いてるのか?」


「う、うるさいですよっ。そういう事言うもんじゃないです」


「わ、悪い」


 工藤は、両目からぽろぽろと大粒の涙を落としていた。ハンカチを渡してやりたかったが、生憎両手が塞がっていてポケットから取り出す事が出来なかった。


「私……もう、幸せになっていいんですよね」


「……?」


「私、普通の女の子になれますかね、先輩となら……」


「……お前を狙う奴らからは、俺が守ってみせるよ」


「……ごめんなさい……」


「なんで謝るんだよ?」


「私は……いえ、何でもないです。さ、帰りましょ」


 翌朝。


「おはようございます」


「ん、ああ……おはよう」


 朝日と『彼女』の声で目が覚める。穏やかな朝だ。隣には俺の好きな人がいる。


「たはは……なんか恥ずかしいですね」


「あ、ああ、そうだな」


 如何にも、な雰囲気にはなっているが別に疚しい事はまだ何もしていない。ただ一緒に寝ただけである。


「じゃ、私は朝ご飯作りますね」


「ああ、頼むよ」


 彼女は薄く頬を赤らめてパタパタとキッチンに向かっていった。その時、ピコンとどこからか音が聞こえる。音の鳴る方には工藤のスマホが置かれていた。とすると、さっきのは通知音だろうか。


「……ん?」


 見ようとは思っていなかった。しかし、画面に表示されていた一文が俺の目に自然と飛び込んできた。


 栗木先輩『依頼を途中放棄するなんて、赦さないから」


「依頼……?」


 通知は栗木からのものであったようだ。しかしこれはどういう意味だ?依頼?放棄?いや、そもそも何で栗木と工藤が連絡を取り合っているんだ。と訝しんでいると再び通知が来た。


 栗木先輩『貴方が何を言おうと、続きは私がやるから」


「続き……ってなんだよ?」


 どこか嫌な予感がした。もしかしたら……工藤が追われているのと栗木には何か関係が?いやまさか……しかし……などと思案していると、突然玄関のチャイムが鳴った。


「誰だこんな朝早くから」


 宅配を頼んだ覚えは無い。という事はこのチャイムは……?嫌な汗が噴き出す中、俺は玄関へと向かい、覗き穴で扉の向こうを確認する。


「誰もいない……?」


 俺は恐る恐る扉を開けると、そこにはやや大きめのダンボールが一個置かれていた。もしかして爆弾じゃあないだろうか。だとしたら、マズい。ここの場所がバレてしまっている?なら、逃げないと。彼女を守らないといけない。それが俺の使命だ。

 俺は扉を閉めると、ダンボールを持って少しばかり離れた場所に行き、早まる鼓動と呼吸を抑えながらゆっくりとガムテープを剥がし……開けた。


「あ……?」


 中には爆弾は入っていなかった。代わりに、二つの球体が収められていた。それはあまりにも現実感に乏しくて数秒はそれが何なのか判別出来なかった。


「う……うわああああああああああ」


 それが何なのか気付いた時には、俺は腰を抜かして情けなく叫んでいた。そこに入っていたのは、二つの生首。それも、男性と女性のが一つずつ。白目をむき、断面からは血を垂れ流していた。


「先輩、どうしたんですか!?」


 俺の叫び声を聞きつけた工藤が玄関から顔を出す。「来るな」そう叫ぼうとしたが、声が喉に引っ掛かって出てこない。


「何ですか、このダンボール……!?」


 工藤はその中身を見てしまい、叫び声すら出せないまま、両手で顔を覆い、膝から崩れ落ちた。


「こ、これっ……これ……わ、私の……ママと、パパ……」


 薄々、そうではないかと感じていた。だから見せたくなかった。


「い、いやあ……」


 工藤は大粒の涙を流しながら何度も「ママ……パパ……」と呟いていた。俺は何とかして立ち上がると、ダンボールの蓋を閉じてから工藤の身体を強く抱き締めた。


「大丈夫、俺がいるから。大丈夫だ」


「何で?どうして?どうしてこんな……?もう終わるんじゃなかったの……?」


「落ち着け工藤」


 俺は諭すように、でも力強く言う。そして彼女の身体の震えを止めるように強く抱き締め続けた。


「……逃げよう」


「……うん……」


 ようやく彼女の震えが止まった後に、俺は静かに言った。それから、俺達は必要最低限の荷物をまとめて家を飛び出した。行く先なんて決まっていない。とにかく人通りの多い場所に紛れ込むんだ。


「ど、どこまで行くんですか?」


「とりあえずショッピングセンターかどこか……人目の多い場所だ」


「でも、人が多いと……色んな人に見られてるみたいで……怖いです……」


「……だったら……!」


 俺達はひたすら走って、大型ショッピングセンターの中の女子トイレの個室に二人で閉じこもる事にした。女子トイレに、しかも個室に二人きりで入るのには少し抵抗があったが、今は四の五の言ってられない。ここなら流石にバレない……はずだ。個室の鍵を閉め、扉にもたれかかったまま俺は必死に呼吸を整える。


「先輩、大丈夫ですか?」


「あ、ああ……全然、大丈夫だ。それよりお前すごいな、あんだけ走ったのに息上がらないのか」


「ああ、それはまあ……体力はある方ですし」


 体力がある方とは言え、女の子に圧倒的に体力で負けていることに軽くショックを受ける。これで俺が守ってやるだなんてよく言えたものだ。


「そ、そんな事より……」


「ん?」


 工藤は何やら頬を紅くし、妙にもじもじしている。俺を上目遣いで見つめ「た、たはは……」と恥ずかしさを隠すかのように笑う。


「も、もしかして」


「その……もしかしてです」


「……参ったな」


 たとえ恋人同士になったからといっても彼女の用を足すところを見ていい道理は無い。というか待てよ、別に俺はここにいなくてもいいんじゃないか?そもそも追われているのは彼女なわけだし。工藤を個室に置いて俺はトイレの入り口で見張っていればいい。


「じゃあ、俺出とくよ」


「ダ、ダメです!」


 工藤は慌てて俺の腕を掴む。その握力はやけに強く、全く腕を動かせなくなってしまった。


「ど、どうして」


「それはその……私を匿っていたわけだから、先輩だって狙われているはずです。だから、出たら危険ですよ」


「でも……」


「別に……先輩に見られるぐらい平気ですし。命とどっちが大事かなんて、分かるでしょう?」


「……いや、別に見たりしないから……」


 俺は便器の逆方向、つまり扉の方を向いて目を瞑る。それと同時に後ろから衣擦れの音が聞こえる。……脱いだのだろうか。


「あ、あの……出来れば、耳も塞いでくれると……嬉しいです」


「あ、ああ、そうだな」


 俺は指を耳に突っ込む。うん、これで何も聞こえない。決してチョロチョロとかいう水音なんて聞こえてない。


「ふぅ、終わりましたよ、先輩」


「あ、ああ」


 水を流す音が聞こえると、俺は耳に突っ込んでいた指を引っこ抜いて工藤の方を向き直した。彼女の頬は未だに赤みを帯びていた。


「本当に聞いてないですよね?」


「そ、そりゃあ勿論」


「ふーん……ま、いいですけど」


 それから俺達は何時間もトイレの個室で過ごした。ずっと同じ場所にいると怪しまれるだろうから、数十分ごとに場所を変えて、だが。結局午後五時までは隠れ続けることに成功した。


「そろそろ、泊まる場所を探さなきゃな」


「そうですね……でも……」


 そう、俺達二人が泊まれる場所なんて果たしてどこにいるのだろう。知り合いの家に泊まるのも考えたが……知り合いを危険に巻き込むわけにはいかない。ならばどこかの親切な人に頼む?いや、下手したらそいつが悪人である可能性は否定できない。ならホテル?いや、そんな所に泊まっていたら金がもたない……


「待てよ」


 そうだ、ホテルだ。それも普通のホテルではない、ラブホテルだ。あそこならそこまで金をかけずに泊まることが出来るだろう。そんな場所に泊まるのは少々抵抗があるが、こんな時にウダウダ言ってられない。


「……よし行くぞ、工藤」


「行くって、どこに?」


「……ラブホだ」


「ラブホって……えぇっ!?」


 工藤は混乱しているようだったが、今は気にしてられない。俺は工藤の手を握ると、個室の扉を勢いよく開けて駆け出した。

 ラブホ街まではそこまで時間がかからなかった。とりあえず一番安そうな場所を選んで中に入る。しかし、入ったはいいがラブホの使い方なんて知らない。どうすればいいのか悩んでいると、工藤が光るパネルの前に行くと何やら色々操作をし始めて……鍵を持ってこちらに戻ってきた。


「さ、入りましょ。先輩」


「お、お前、ラブホの使い方知ってるのか」


「えっ、あ、いや、別にそんな、違いますよ、別に男の人とここに来たことなんて無いですから!」


 工藤は手をバタバタさせて早口で否定する。その姿がどこか微笑ましくて……ははっと笑い声が漏れた。大丈夫だ、彼女となら逃げ切れる……俺はそう感じた。

 部屋に入る。何だか目に悪そうな色の壁紙に包まれており、部屋の中央には大きなベッドが置かれていた。後目立つ物と言えば液晶テレビぐらいだろうか。

 それにしても、別に何かするつもりがある訳でも無いのに場所が場所なだけに妙に緊張してしまう。ああ、とりあえず汗を流したい。走ってきたせいで身体中が汗でびしょびしょなのだ。そう考えて俺が浴槽に水を貯め始めた間に、工藤はベッドに腰をかける。


「先輩、テレビでも見ましょうか」


「ああ、そうだな、そうしよう」


 俺も彼女の隣に腰掛け、自然と手を絡ませる。テレビを着けるとドラマをやっていた。恋愛モノだろうか。正直、こういうドラマにはあまり興味が無い。それは工藤も同じだったようで別のチャンネルに変えようとすると……場面が変わり、唐突にベッドシーンが始まった。

 な、なんなんだ……このベタな展開は。昔見た漫画にドラマのベッドシーンに触発されたカップルも同様にベッドインするといった展開を見たことがある。手汗がみるみる溢れてきて、繋がれた二人の手は少しずつ

蒸れてくる。


「せ、先輩……」


 工藤も工藤だ。なんでそんな切なそうな目で、上気したした顔で見つめてくるんだ。


「お、俺、風呂入るから」


 俺はベッドから立ち上がり、半ば逃げるように風呂に駆け込んだ。いや待て、これじゃあまるで『そういう事』の準備をしているみたいじゃないか。俺は慌てて頭に浮かんだそんな考えをふるい落とし、シャワーを浴び始めた。風呂場は結構広い。やはり二人一緒に入る為……なのだろうか。


「先輩……」


「えっ!?」


 慌てて後ろを振り向くと、そこには扉越しに工藤のと思わしき影があった。


「ど、どうしたんだよ!?」


「それはその……一人だと……怖くて……」


 言われてハッとなる。そうだ、俺は今彼女を一人にしてはいけないんだ。たとえ同じ室内にいようとも、決して目を離しちゃいけない。俺は脳内に渦巻く煩悩を何とかして取り払う。


「あの、それで……一緒に入っても、いいですか」


「……ああ」


「……ありがとう、ございます」


 カチャリ……と扉の開く音が聞こえ、それと同時に一糸まとわぬ姿の工藤が入ってきた。とは言え、一応タオルで見えてはならない場所は隠されているが(ちなみに俺も工藤が入ってくる一瞬の間に下半身にタオルを巻いた)。


「その……恥ずかしい……」


「あ、ああ、ごめん」


 うっかり俺は彼女の身体に見蕩れてしまっていた事に気付いて、慌てて目を背ける。しかし、ちらりと見えてしまっていたのだが……服の上からは分からなかったが意外と大きいのかもしれない。

 俺はとにかく彼女を意識しないように、無我夢中で髪を洗い流し、次に身体を洗おうと思っていた時。


「背中、洗います」


「ああ……ありがとう」


 工藤はタオルを俺から受け取ると、ゆっくりと力強く背中を洗い始めた。人に洗って貰った経験が無いからか、どこかくすぐったさを感じる。


「大きいんですね」


「はっ!?な、何が!?」


「え、背中……ですけど」


 工藤はきょとんとして言うが、すぐに意味に気付いたようでボッと顔が赤くなってしまった。というか、なんだか今日はずっと赤面していないか?


「へ、変なこと言わないで……」


「わ、悪かったよ」


 それから身体を洗い流して二人で背中合わせに湯船に浸かる。何だか、妙にぎこちないが……付き合い始めて二日なんだしこんなものなのだろう。確か栗木と付き合い始めた時もこんなものだったろう。いや、今は栗木のことなんて関係ない。こんな状況で昔の彼女の事を思い出すなんて……


 栗木先輩『依頼を途中放棄するなんて、赦さないから」

 栗木先輩『貴方が何を言おうと、続きは私がやるから」


 ふと、朝に見たメッセージを思い出した。結局あれは何だったのだろうか、と工藤に尋ねようと思ったが……やめておいた。勝手にスマホを覗いたなんて言ったらなんて言われるか分かったもんじゃない。


「もうそろそろ出ようか」


「そうですね」


 大した会話も無く、俺達は風呂を上がった。そして再び適当にテレビを見始める。今度は事故が起きないようにバラエティ番組だ。工藤はさほど面白くなさそうにぼーっと画面を眺めていた。俺も同様だった。

 と、工藤はいきなりテレビの電源を切り、俺の手を強く握ってこちらを見つめてきた。風呂上がりだからだろうか、肌がやけに艶っぽく、色っぽく感じた。今までは元気な後輩としてしか見ていなかったから色気なんて一つも感じた事も無かったのだが……。


「ど、どうしたんだよ」


「先輩、本当にごめんなさい。私がいらない事をしたばっかりに、こんな……」


「そんなこといつまでも言ってたって仕方ないだろ?過ぎた事はどうしようも無いって。だからさ、そうやって考えるのはもうやめよう。な?」


「……やっぱり、先輩って優しいですね」


「そうか?優しいなんて言われた事無かったけど……」


「ううん、優しいですよ。そんな所が、私は好きですから」


 工藤は真っ直ぐこちらを見つめて、微笑んだ。俺も、好きだ。彼女がこうやって俺を好きでいてくれるから。


「それにさ、あの時に工藤が俺の家に転がり込んでこなければ、まだ俺達はただの先輩後輩の関係でしか無かったんだ」


「あは、確かにそうですね」


 二人一緒に笑った。とんでもなく危険な状況だ。でも、それがどこか幸せに感じている自分がいた。


「なあ、工藤」


「何ですか?先輩」


「無事に逃げ切ろう。そして、逃げ終えたらちゃんと恋人らしく、付き合おう」


「……はい、絶対に。絶対に終わらせてみせますから」


 彼女は強く、俺の手を握った。応えるように、俺は彼女の華奢な身体を抱く。


「先輩、私、先輩と繋がっていたい。じゃないと、離れていっちゃいそうで……怖いんです……」


「工藤……」


「……恋人になったんですから、下の名前で呼んでください」


「……ああ、美咲」


「……嬉しい」


 工藤は震える声で呟いて、俺の胸に顔を埋める。絶対に離してはいけない。この小さく、柔らかく、温かい身体を。


「ねえ、私、先輩をいっぱい感じていたい。だから……ね?」


「……ああ、分かった」


 そして俺はゆっくりと美咲をベッドの上に押し倒す。


「……先輩、私を……愛して……」


 俺はしっかりと彼女の瞳を見つめて頷いた。今度は、ちゃんと愛せるはずだ。そうして、俺は美咲のパジャマのボタンに手を掛けた―。


 夢を見ていた。俺と美咲と……そして二人の子供と幸せな家庭を築いている夢……。それは酷くリアリティがあって、でも酷く現実味を帯びていないような気もして。そして気が付けばその泡沫の夢は、記憶の端から消え去っていた。


「……美咲?」


 目覚めると、隣にいるはずの美咲は、いなくなっていた。俺は飛び起き、慌てて服を着てラブホを飛び出した。


「美咲ー!!どこだ!!返事しろ美咲ー!!」


 俺は叫びながら駆け出した。どこにいるんだよ。なんで勝手に俺の前からいなくなってんだよ。ずっと繋がっているって、逃げ切ったら二人でちゃんと付き合おうって言ったじゃないか。


「ふざけんな!!」


 俺は肺が壊れそうになるまで、ひたすらに走り……果たして俺は美咲を見つけた。人通りのまるで無い細い路地に、栗木と対峙している美咲を。


「美咲ー!!」


「せ、先輩!?何で!?」


 それはこっちの台詞だ。何で美咲がこんな場所に、しかも栗木と一緒にいるんだよ。


「あら、昨夜はお楽しみだった?」


 栗木は口の端を釣り上げて言う。しかし目には一切の感情が籠っているようには見えなかった。


「何の話だ」


「とぼけないでよ、ラブホテルに男女が入ってやる事なんて一つだけでしょう」


 栗木は冷たい声音で吐き捨てるように言う。そして、俺は栗木が肩に提げていたバッグから取り出した物を見て、凍り付いた。


「な、なんだよそれ」


「見て分かるでしょ?包丁よ」


 何でこいつは包丁なんて持ってるんだ?何をするつもりだ?思考が追いつかない。というか何で俺達がラブホに居た事を知られている?


「何で場所がバレているのか、知りたい?」


「え……」


「ふふ、あなたの考えている事なんてすぐに分かっちゃうんだから」


 寒気がする。栗木がようやく見せた笑顔は、あまりにも冷たいものだったのだ。


「あなたと私が付き合ってる時、実はスマホにGPSを付けておいたの。気付かなかったでしょ?」


「嘘……だろ?」


「だからあなたがどこに逃げようが、ずっと居場所は分かってたんだから」


「なんて女なの……」


 俺の思っていた事を美咲が代弁する。しかし、栗木はそんなこと気にも留めないように喋り続けた。


「その言葉、そっくりそのままお返しするわ、工藤さん。標的を好きになって依頼放棄だなんて、殺し屋失格よ。高い金払ったのが馬鹿みたい」


「や、やめて!」


「あは、あはは。もしかしてまだ言ってなかったの?そうだよね、好きな人には自分が血も涙もない殺人鬼だなんてバレたくないものねえ」


「言わないで……!」


 美咲の目は激しい憎悪の炎に満ちていた。しかし、そんな事よりも。美咲が……殺し屋だって?血も涙もない殺人鬼?そして……俺が標的?意味が分からない。何の話をしているんだ?


「知らないんだったら私が説明してあげる。工藤さんはね、私が大金払って雇った殺し屋なの。勿論、あなたを殺す為に」


 殺す?なんで?


「それは勿論、他の女の手であなたを穢されないようにするため。工藤さんはあなたを監視するために私たちと同じ高校に入学し、同じ部活に入った。他の女の手に染まりそうになったらすぐに殺せるように」


 なんだよ、じゃあ、あのいつも明るかった美咲は……全て作り物だったってのか?


「そう、上手く擬態してたものよ。流石、凄腕の殺し屋ね」


 なら、何で誰とも付き合っていない俺の元に美咲を送り込んだ?


「それは、我慢できなくなったから。あなたを、私だけのものにしたかったから。それも、殺してでも、ね」


 ……前から栗木は少しおかしいと思っていた。でも……ここまで狂っているだなんて思ってもみなかった。俺は油断すればがちがちと震えだしそうな口を何とかして抑える。


「とりあえず数日は適当な作り話をでっち上げてからあなたの家に泊まらせて、本当に他の女の形跡がどこにもないか確認させて……さっさと始末してもらうつもりだった。料理に毒でも混ぜて、ね。でも、そいつは……依頼を放棄した」


 栗木は包丁の先を美咲の方に向ける。栗木の目に、ようやく何かが宿るのが見えた。それは、殺意の炎。明らかに、俺達を殺さんとする目であった。


「工藤……あんたは私が最も恐れていたことをやった。だから、殺す」


 栗木は、そう冷たく言い放つと包丁を構えて勢いよく駆け出す。そして、自然と俺の身体も動いていた。ほとんど無意識に、俺は美咲の前に立ち塞がっていて。


「ぐ……!」


「先輩!!」


 腹が酷く熱い。見下ろすと、俺の腹部には包丁が差し込まれていて。それが抜かれると途端に熱さは痛みへ変貌した。血が噴き出て、止まらない。


「邪魔!邪魔!死んで!死ね!いやっ、死なないで……!好き……!大好き!だから!死ね!」


 俺の腹には何度も何度も何度も包丁が突き刺されていた。段々と痛みすら感じなくなり、栗木の狂気に満ちた叫び声も、美咲の悲鳴も次第に耳から遠ざかっていく。

 ああ、俺は死ぬのか。でも、これで良いんだ。好きな人を守れたんだから、これで……。

 

「先輩……いや、ダメ!死んじゃいや!!」


 俺が死んで、悲しんでくれる人がいる。それだけで、その事実だけが俺には幸せに感じられたんだ。


 俺が最期に見たのは、何かを叫びながら栗木の腹にナイフを突き立てる美咲と、血を噴き出しながら地面に倒れる栗木。そして、返り血で汚れた手で俺を抱きかかえ……泣きながら、必死に、何度も俺の名前を叫ぶ美咲の姿だった。


 ●●●


 私は殺し屋だった。幼い頃に両親に見捨てられた私は……一人で生き延びる為に、いつの間にか殺しの道を選んでいた。どうしてこれを選んだのか。昔の話だから覚えてないけど……とりあえずこれでちゃんと生活できるだけの金は得ることができた。確かに、私は血も涙もない殺人鬼だったかもしれない。

 でも、私は彼と出会えて変わった。私は、普通の女の子になりたかった。今まで殺しでしか必要とされてなかったけど、ちゃんと等身大の自分を受け入れてくれる人が欲しかった。だから、先輩に告白された時、私、本当に嬉しかったんだよ?

 あの後、私は先輩に自分の過去を全て曝け出した。本当は言いたくなかった。でも、やっぱりこれから付き合っていく上で……隠し事なんてしたくなかったから。

 そしたら先輩、何も言わないで私の事受け入れてくれたよね。こんなどうしようもない女を、先輩は赦してくれた。もしかしたら永遠に私たちは何かから逃げ続けて生きていかないといけないのかもしれない。先輩の、普通のカップルとして過ごすっていう夢は叶えられないかもしれないけどさ。でも、やっぱり先輩ならそれも笑って赦してくれるんだよね。本当に優しいから……そして、私はその優しい所が大好きだから。


「先輩、晩御飯できましたよ!」


 私は料理の盛られた皿を彼の元に運ぶ。


「はい、あ~ん」


 私は彼の口に料理を運ぶ。彼はにこりと笑ってくれた気がする。美味しかったのかな?だったら嬉しいな。

 ご飯を食べ終えた彼は、すっかり動かなくなってしまった。寝ちゃったのかな?だったら膝枕してあげなきゃね。彼は私の膝枕が大好きらしいから。

 私は彼の軽い身体を抱いて床に寝かせ、膝の上に頭を乗せる。いつまでも眺めていたい、かわいい寝顔。そう、私はこれからずっと彼の寝顔を眺めていられるんだ。これも恋人の特権だよね。


「……先輩、ずっと一緒ですからね」


 私は彼に囁きかける。……何だか、私も眠くなってきちゃったな。彼と一緒に寝たら、何故だかいつも幸せな夢を見られるんだ。私と彼と、そして今、私のお腹の中にいる子供と三人で幸せな家庭を築いている夢。どうしようもなく幸せな夢。幸せ過ぎて、起きた時にはいつも涙が止まらなくなっちゃう。なんでだろうね?

 

「それじゃあ、おやすみなさい……先輩」


 私はゆっくりと目を閉じた。いつまでも、この幸せな夢が続くことを願って。

某作品に影響されまくってますが、後悔はしていない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ