異聞十 ゲツトマ冒険記( 自慢の特産品 編)
※メイン:ゲツトマ ジャンル:特産品
どんよりとした曇り空に、じわりと汗が滲む気温。
ジメジメとした空気が鼻の奥に絡む湿地帯、歩く男の機嫌は最低値。
漂い続ける仄かな青臭さに、不機嫌を振りまく男――トーマスは顔をしかめた。
クァンタムポケットで形成したブーツとマントのおかげで身が汚れることは無いにしても、ねちょりねちょりと一歩ごとにまとわりつく泥土で足が重く、不快感は募るばかり。
苛立ちのままにしばらく進むと、緩やかな流れの川にさしかかる。この川が、次の目的地への目印。地図によればこの先に、小さな国がひとつあるらしい。
流れに沿って歩き続ければ、やっと予定通りに門がひとつ見えてきた。水気を含む土に沈み込まぬよう、足早に門へ向かう。
「ようこそいらっしゃいました。この国へ来られるのは初めてですか?」
「ええ」
「ではこちらをどうぞ。国内の地図です。宿屋の場所はそこに書いてありますが……空きはあったかなあ? まぁ、なければ適当な民家にでも泊まってください」
どこか気の抜けたような案内で地図を手渡された後、門を抜けて。
その先に存在するのは、自然の長閑さと人の活気が混在する泥まみれの国だった。
国の風景は、門の外と代わり映えしない自然そのまま。
地図によれば外から続く緩やかな流れの川が国の中央を縦に走り、そのまま国外まで突き抜けている。
川によって左右のふたつに分かれた国土は、一定の間隔でこまめに渡された木橋によって繋がれ、行き来できるようになっている。
一見して、人間が生活するにはあまり適していなさそうな地形。
しかしながら行き交う人の数は思いの外多く、それなりの賑わいを見せている。
土泥をものともせず歩く老若男女の姿。切り崩されたばかりの古木。古い民家らしき家屋の合間を縫って点在する新造ロッジ。
いたるところで新古が綯い交ぜになった独特の空気は、この国が現在進行形で発展途上にあると示す。
途上国。
今のトーマスにとって、良いとも悪いとも言い難い。
感情と理論を天秤にかけながらまずは宿を探す。
宿へ続く道も、当然のように泥濘んでいる。
大小の水たまりがあらゆる場所で口をあけていて、乾いた地面が見当たらない。嫌というほど踏みしめてきた泥土とまだ付き合わなければならない事に辟易する。
一方で、こんな土地にも関わらず人が集まるには必ず理由がある。
門から見えた新造のロッジは、最近この国に移り住む人間が多いことの証。ろくに整備もされていない地で泥に塗れてでも、定住を考えるほどの魅力とは一体何か。
鉱石や油田のような大きな資源が出土する場所が近くにあるとすれば、そこから得られる利益は環境の不便さを補って有り余るかもしれない。
うまくすれば一気に経済大国として成長も可能だ。
快を取りすぐに去るべきか、利の追求にとどまるべきか。
そんなことを考えながら、湿地平原であるこの国のなかで唯一の高台を登る。
やや急な坂道を滑り落ちぬよう登り切れば、民家よりもいくらか大きな建物に到着。
地図に照らし合わせてみると、どうやらここが宿のようだ。
入り口のドアをあけてすぐ、ロビーは喧騒で溢れていた。宿はかなり繁盛しているらしい。入国門の案内が呟いていたとおり、満室であってもおかしくはない。
トーマスはまっすぐに受付へ向かいカウンター越しに声をかける。
「宿泊を」
「あぁ、運が良い。ちょうど今、部屋が空いたところですよ。どのくらい滞在されます?」
「とりあえずは一晩」
「えっ一晩!?」
「何か問題でも?」
そんなに驚くことだろうか。と、トーマスが不審な目を向けると、宿の主人らしき受付の男は慌てたように手を振り、
「いえ、問題は無いですが。いやね、最近のお客さんはみんなこの国に自宅を構えるつもりでいらっしゃるんで。家が出来るまでの仮住まいとして部屋を取られるので、長期のご予定ばかりなんですよ。今、部屋があいたのも、あそこに居る彼らの自宅が完成してここを出ることになったからでして」
指された方向を横目で見やれば、家族らしき三人組が小規模な集団に囲まれていた。
家族構成は、精悍でたくましい体つきをした男、浅く日焼けした女、ふたりの子どもであろう少年。
家族を囲う集団も似たような二人組や三人組。
同じような境遇でこの宿に長期滞在し、顔見知りとなった者たちだろう。
いずれの人物も若く、余生をのんびりと過ごすためにというよりは、これからの未来に夢を抱きこの国へ、という印象を受ける。
やはりこの国には、利益を産む何かがある。
「今夜は完成パーティがあるから、お客さんも参加したらどうですか? タダで料理を出すよ」
「では、そうしよう」
詳しい情報が入手できる良い機会だ。
トーマスが頷くと、宿の主人は「じゃあ夜にまた」と部屋のキーを渡して奥へと戻っていった。
あてがわれた部屋で、シャワーを済ませた後。
日はまだ高く、パーティまでには余裕がある。その間にもう少し国のなかを観察しておくかと窓の外へ目をやると、水滴が一滴落ちてきた。
タイミング悪く、雨が降りはじめたらしい。
トーマスは外に出るのが億劫になり、気だるく目を閉じた。
静かに雨が止むのを待つことしばらく。雨足はとどまる気配を見せず。それどころか次第に強くなってゆき、結局そのまま日は落ちて。
パーティの開始を告げる案内が届いた頃には、豪雨と呼んで差し支えないほどに変わっていた。
バケツをひっくり返したような雨音が屋外で鳴り響くなか。
トーマスが宿のホールに立ったときには、すでに数十の人間がテーブルに着いていた。
「家の完成、おめでとう! 乾杯!」
外の騒音に負けぬ大声で宿の主人が音頭を取れば、参加者達は次々にグラスを合わせて歓談をはじめる。
「みんな、お祝いありがとう。ぜひ近々、遊びに来てくれ」
「ああ、そうさせてもらうよ。うちももうすぐ完成だ。もう八割ほどは出来てるんだ。次に宿を出るのはきっと俺達だ」
「良いわねえ。私達のところはまだ三割くらいなの。もうしばらくここでお世話になる予定よ」
似たような境遇らしき宿の客達は皆、自宅の完成を心待ちにしている様子。
それぞれの状況を張り合うように報告しあう。
そんな会話が一区切りついたところで、ふと、彼らの矛先は見慣れぬ新参者へ。
「そういえば、あなたは今日からこの宿に部屋をとられたんですよね。この国へは、やはりアレが目当てで?」
来た。と、トーマスは柔らかく微笑んだ。
彼らの言う”アレ”こそが、この国の資源に違いない。
「いえ、僕はたまたま通りがかっただけで。アレとは一体何なのですか?」
「ビーバーですよ」
「ビーバー?」
さしものトーマスも、この答えは予想していなかった。そのまま聞き返せば、宿の主人が神妙な面持ちで口を開く。
「ええ。今、この国に大きな転機が訪れているんです」
曰く。
それなりに長い歴史を持つこの国は、少し前まで存亡の機に立たされていたらしい。
文献によれば、かつてこの地は豊かな土壌の平原地帯だったという。水源があり、緑があり、寒暖差は少なく、とても暮らしやすい場所だったとか。
そんな場所があれば、開拓されるのは必然。いつしか人が住み、国が出来、人口が増え。
ところが。
人の手が入りすぎたせいか、はたまた自然の気まぐれか。
気候の変動が起こり、青かった空は常にどんよりとした曇り空へ。数年ものあいだ雨が降り続き、辺り一帯が湿地へと変わり果てた。
地盤は緩み、食物も減り、周囲の生態系までもが乱れてしまうと、体力のある者は土地から去る。そうしてだんだんと国は廃れてゆき、残ったのはこの地にこだわりをもつわずかな老人のみ。
そんな折に発見されたのが、ビーバーである。
「国を縦に走る川はご覧になったでしょう?」
「ええ」
「あの川の上流に、ビーバーが居るんです。ビーバーの毛皮の有用性についてはご存知ですか?」
トーマスはビーバーという動物の実物を見たことは無い。過去に図鑑で少々の知識を得た程度。図鑑には軽く生態について書かれていただけで、毛皮の有用性には触れられていなかった。
それをそのまま伝えると、宿の主人は大げさに頷いて、
「そうですか。毛皮については私どももつい最近発見したところなのです。実はビーバーの毛皮は非常に高い撥水性と保温性を持ち合わせておりまして」
「生態を考えればさもありなんですね」
ビーバーは水辺に生息する動物だ。天敵を避けるためあまり岸に上がることはないということを考えれば、毛皮に撥水性と保温性があるのは正しい進化と言えるだろう。
「試しにと加工してみれば、これが非常に良い具合で。いちどは寂れてしまったこの国ですが、再び交易が営めるようになり。さらにはビーバー産業の噂を聞きつけた若い人達も訪れるようになって」
「そういうことでしたか」
この国に溢れる古さと新しさの混じった空気。わざわざ暮らしにくい湿地が選ばれる理由。
全てはビーバーという特産品の発見によるもの。
謎が解けた。トーマスは笑顔を崩さぬまま、脳内ではシビアにこの国の進む先をシミュレートする。
まず、ビーバーを人工的に繁殖させ生体数を増やす。同時に加工品の生産効率をあげ、貿易を安定させる。新たな加工技術を開発し、毛皮以外も使えるようには出来れば特産品の種類も増やせるはず。
貿易が安定してきたら、国内を区画整備して旅行客を呼び込むことも可能だ。土産物屋を並べて生産物を販売すれば、国の利益を伸ばせる。ビーバー自体を国のシンボルとしキャラクター化して小物を造ったり、イベントを開催するのも良いだろう。
静かにビーバー大国への道筋を思考していると、外の雨がさらに強さを増した。ドウドウと、滝のように激しく地を強く打つ音がホール中に響く。
「それにしてもすごい雨だ」
「ああ……家が心配だな。ちょっと様子を見に行くか」
「それじゃあ俺達も一緒に行くよ」
「私達も行くわ」
パーティの参加者達が揃って席を立ち、今夜はこれにて解散という運びに。
客達は口々に家の心配をしながら雨具を手に外へと出てゆき、ホールに残ったのは宿の主人とトーマスのふたりきり。
「今日のような降り方は珍しいのですか?」
この雨のなか、わざわざ様子を見に行かなければならないほどなのか。トーマスが尋ねると、主人は「いえいえ」と首を振り、
「毎日こうとまでは言いませんが、珍しいことはありませんよ。新築のマイホームが気になる気持ちは分からなくもないですがね。ところですみませんが、私もちょっと丘の下にある畑の様子を見てきます。畑は家と違って弱いもんですから。お客さんは、どうします?」
「僕は部屋へ戻ります」
「わかりました。少しのあいだひとりでここに残ってもらうことになりますが、しばらくしたら戻りますので」
そう言って、宿の主人はそそくさと外出の支度をしはじめた。
その背を見送ることなく、トーマスも部屋へ戻り早々にベッドに潜り込む。決して質が良いとは言えない硬いベッドは案の定寝心地が悪く、途切れぬ雨の音も耳障り。
なかなか寝付けず、寝返りを打つにも飽きてきた頃。
ドオオン! と、鼓膜を裂くような音がした。
「ゲツエイ!」
急ぎ影に呼びかければ、直ぐ側に紅い忍びが現れる。
「お前、夜目が利くな? 窓の外は視えるか?」
しばしの沈黙。
整備が行き届かず、街灯も設置されていない闇夜。加えて視界を濁らせる豪雨。夜間行動が得意なゲツエイとはいえ、流石に無謀かと思いきや。
ゲツエイから返されたのは、頷き。
「よし。危険があれば知らせろ」
指示を出し、トーマスは揺れをともなう轟音で軋む窓枠から離れて部屋の中央へ。警戒しつつ、ガタつくテーブルに腰を預ける。
異常な感覚を持つゲツエイはさておき、トーマスの視力は常人の範疇を超えない。土地勘の無い場所で、暗闇のなかむやみに動くのは得策ではない。
ひとまず身の安全を最優先でその場に待機する。何が起こったのか確認するのは夜が明けて視界が明瞭になってから。
途中で揺れと音が止み、雨音が消えても暗闇が薄れるまでは焦らずに。
微かに朝日が差し始めてから、トーマスはやっと腰をあげ、窓を開いた。
長く憂鬱な夜、明けてもまだ薄暗い外の景色。
そこに広がるのは、暴力的な自然現象だった。
「フラッシュフラッドか」
見える範囲の全てが、淀む濁流に覆われて。
木か、木材か。石か、レンガか。布か、服か。生物か、死体か。
形を失った物々が、もはや自然か人工物かの判断も出来ないくらいに入り混じり流れてゆく。
この状況では、戻らなかった宿の主人や宿泊客だけではなく、国に居た者は全滅だろう。
今まさに滅びゆく国家を高台から見下ろしながら、トーマスは眼下の光景の原因を考える。
過去に無いほどの最大雨量ならまだしも、「昨夜程度の雨ならば珍しくは無い」と宿の主人は言っていた。
稀にあることだったなら、なぜ水害の対策がされていなかったのか。
それは、”これまでは対策しなくても問題無かったから”だ。
過去に読んだ図鑑の記載通りなら、ビーバーは木の枝等を集めて川にダムを形成し、そこに巣をつくる習性がある。これまでは降水量が多くても、ビーバーのダムのおかげで水害に遭わずに暮らしてこれたのだろう。
ところが、乱獲によりビーバーの個体が減少してしまった。それによりダムの強度が落ちてついには崩壊し、鉄砲水が起きた。
夜中に鳴り響いた轟音は、ダムが崩壊した瞬間の音。
水が引くまでもうしばらくここに足止めされる。
トーマスは面倒に頭痛を覚えながら部屋を出て、キッチンへ足を運ぶことにした。
目論見通りいくつかの保存食を確保したあと、なんの気無しに隣の倉庫部屋へ目をやれば、防寒具にちょうど良さそうな上着が数枚。
部屋へ戻って食料や毛布を整えたあと、再び窓の外を見る。宿から出るには、いったいどのくらい時間がかかるだろうか。
沈んでしまった国を空虚に睥睨し、トーマスは人の愚かさにため息をついた。
両肩に、暖かくしなやかなビーバーの上着を羽織りながら。
異聞十 END





