閑話十二 ももまるアウトブレイク
メイン:ももまる ジャンル:アウトブレイク
まる。まる。まる。
大きいまるのなかに、小さいまる。まるをみっつ描いて、三角を描いたら、お顔になるから、とっても可愛い。
せかいじゅうももいろのまる。みんなしあわせ。ももいろのまる。
*
ある晴れた暖かい日。マリクは半休を得て、街へと買い物に出ていた。
セバスチャンに頼まれた備品と、屋敷に置いておく保存食。カミィのおやつと、庭に撒く肥料。特筆すべきことは特に無い、普通のいち日。
両手に紙袋を抱えて大通り。噴水のヘリに腰掛けしばしの休憩。ワゴンで売られるハムサンドとカップジュースを購入し、ホッとひといき。
行き交うひとの顔をぼーっと眺めていた最中のこと。
目の前を歩いていた男の頭が、「ボン!」と爆発音を響かせ白煙を吐いた。
「は!?」
人間の頭が突然爆発した。ありえない。
だが、もっとありえない事象を目の当たりにし、マリクの顎関節は驚愕でガクガクと音を立てる。
煙が消え去ったとき。男の頭は、別のものに変化していた。
たった今まで男の頭だった部分に今ついているもの。
それは、ももいろのまる。
その名の通り、ももいろで丸いかたちに、少しかたちの崩れた丸い目と、記号化された猫のようなくちがついたキャラクター。
本来は絵本のなかのキャラクターで、現実にはぬいぐるみやキャラクターグッズとしてしか存在しないはずの、命の無いいきもの。
体を持たず、頭だけでポヨポヨ(またはにゅるにゅる)移動するイメージのキャラクターだが、今はガッツリ体が生えている。
男のものだった体が。
「何……が、起きた!?」
脳内を整理する時間も与えられぬうち、ボン! ボン! と次々に周囲で白煙が巻き起こる。
ここに居ては、いけない!
ハムサンドはかじりかけだが、荷物になるから置いていく。飲みかけのカップジュースは落としてこぼしたが気にしない。
買い物した紙袋だけはしっかりと両手に抱えて。
いっこくもはやく、ここではないどこかへ。マリクは即座に立ち上がり、駆け出した。
大通りからいっぽん逸れた裏通りにはいり、誰かの敷地のプランターを飛び越えて、ゴミ捨場の袋を蹴飛ばし、ひび割れた石畳を踏み砕く。
ひたすらに、風下へ。理由なんてない。本能的に!
とにかく距離を、と大通りからできるだけ遠くまで駆けて街外れ。
無人の住宅がまばらにあらわれはじめ、懐かしさをはらんだ砂埃が風に舞うところ。
スラムのいりぐちあたりまで来て、マリクは横腹を押さえてしゃがみ込んだ。
「はぁ、はぁ。クソッ」
いったい何が起こっている? 誰のせいでこんなことに?
考えるまでもない。間違いなく、雇い主の仕業に決まっている。
出かける前にカミィが歌っていたオリジナルソングがマリクの脳内でエンドレスループ。
”まる。まる。まる。
大きいまるのなかに、小さいまる。まるをみっつ描いて、三角を描いたら、お顔になるから、とっても可愛い。
せかいじゅうももいろのまる。みんなしあわせ。ももいろのまる……”
「せかいじゅうももいろのまる……」
「あれ? ボス? こんなとこで何してんスか?」
嫌な想像をしてマリクが眉間に皺を寄せていると、フラと眼の前にあらわれたのは、ヘラとだらしなく口元を緩ませた元部下。人呼んで、ボコ。
「ってーことは、スラムは無事か。やっぱ風下に逃げて正解だ」
「ってーことって、どーゆーことスか? 今から駄菓子屋行くんスけどいっしょ行きます?」
「それどころじゃねーんだよ。街が大変なことんなってる」
「大変? 何がスか?」
実際に見てないと信じられないだろうが、と前置きしてマリクは語る。マリク自身ですら未だに白昼夢を見ていたのではないかと疑うような、つい先ほど起きたばかりの大事件。
「や、やべー……」
「俺もそう思う。屋敷で働いて無かったら、どう考えても頭がヤバイやつだと思うはずだ。だが嘘じゃねえ。たしかに街では」
「違うッスよ! ボスのことは疑って無いッス。状況がやべーって」
「ボコ、お前」
信じてくれるのか。
マリクが問いかければ、「あたまえッスよ」と真剣な眼差しが返ってくる。
街では人間が次々と変化し異形に成り果てるなか、元部下は変わらずにいる。ボコは今も昔も、良くも悪くも、根っから素直な男。
「ボスが可愛いお花育ててるだけでじゅうぶんやべーんで慣れました!」
「ボコ、お前」
それは別にヤバく無いだろ。
ボコは、良くも悪くも、根っから素直な男。
「あとデコのシャツもいつもヤバイッス」
「そうか? 普通のプリントシャツだろ」
「プリントされてる柄がヤバイっしょ! なんでブロッコリーとフラミンゴが光の中心で柔軟体操してるシャツを平気で着」
と、突然ボコの目が大きく見開かれた。震える指で、ボコはマリクの背後を指差す。
「ちょ、嘘でしょ……? デ、デコ……?」
「え……?」
振り返ったマリクの視界にうつったもの。
それは、ブロッコリーとフラミンゴが光の中心で柔軟体操してるシャツを着たももいろのまる。略してシャツまる。
「ああ。俺だ」
シャツまるが首を縦に振る。そのくちからは、まごうことなきデコの声。
「デコッ……お前もやられちまったってのか」
「やられた? 何をです?」
「頭だよ!」
「俺の頭が異常みたいな言いかたはやめてくださいボス」
「鏡見てないのか!?」
「鏡?」
マリクはポケットから、誕生日にセバスチャンにもらった懐中時計を取り出し、蓋の裏についた小さな鏡をシャツまるに向ける。
「ん?」
シャツまるはしばらくいろんな角度で鏡を覗き込んでから、不思議そうに首をかしげた。
「何が言いたいんですか? いつもの俺ですけど」
「頭のなかも異常になってんじゃん!」
飛び退って悲鳴をあげるボコの腕を引き、マリクは走り出す。
「に、逃げるぞボコ!」
「了解!」
逃走を先導するのはマリク。
街もスラムも安全でないとなれば、いっそリスクを覚悟して屋敷へ戻るのが最善と判断。屋敷は事態の元凶であろう場所だが、だからこそ収束させる手もあるはずだ。
そのためには一旦街へ戻り、大通りをまっすぐ突っ切るのが早いだろう。落ち着いた場所で車を捕まえられれば屋敷へ戻れる。
大通りを目指してひた走り、近くまで来て一時停止。ひとつ逸れた裏通りから噴水のある広場を覗いてみたところ、事態はいちおう落ち着きはしたらしい。ボン! ボン! という爆発音も、今はもう聞こえない。
ただし、すでに変わってしまったひとびとはそのまま。
ももいろのまるの頭部をつけたまま、ウロウロゆっくり歩き回っている。
「とりあえず煙はおさまってるようだが……」
「生き残ってるひとっているんスかね?」
「わからん」
「それよりボス、俺、腹が減ってるんですが食べ物を持っていませんか?」
「ああ。それならこの紙袋のなかに……ってうぉおお!」
追ってきている気配は無かったのに、いつのまにやらマリクの隣に立つシャツまる。マリクとボコはかなり本気で走って肩で息をしているというのに、シャツまるといえば、息ひとつ切らさず無表情(・꒳・)にふたりを見つめて。
「そのなかに、たべもの、あるんですか」
シャツまるはマリクへと手を伸ばす。抑揚の無い無感情な声色はあまりに不気味。
もともと表情が読みづらいのがデコの持ち味ではあったが、シャツまるに変貌してからはさらに何を考えているのか分からない。
「やる! やるからこっち来んな……! ほら、あっちだ!」
慌てて紙袋に手を突っ込んで引っ張り出したカミィ用のプリンキャンディを、マリクは全力で広場へと放り投げた。
「たべもの」
シャツまるはモヨっと向きを変え、空高く舞うひとつぶのキャンディへと向かってゆく。
ポトリ、と地面にキャンディが落ちた刹那。
その音を聞いてか、周囲のももまる頭の人間達がにわかに騒々しく声をあげはじめた。
「たべもの」「あそこ、たべもの、ある」「たべもの、もってる」
キャンディを拾いあげたシャツまるの周囲をかこむ、ももまる頭達。
マリクとボコは息を飲みその様子を見守る。デコがももまる頭達の気を引いているあいだに、なんとか大通りを走り抜けることができるかもしれない。という打算を胸に。
「たべもの」「どこにあった」「ほしい」
ももまる頭達に問いかけられ、シャツまるはゆっくりと腕をあげ、マリクとボコが潜む路地を指さした。
「あそこ」
「クソッ、裏切りやがった!」
「やっぱもうアレはデコじゃないんスよ!」
「しゃあねえ、突っ切るぞ!」
「たべもの」「たべもの」と無機質な合掌が追いかけてくるなか、ボコとマリクはふたたび走る。
「ボス! キャンディまだあるっスか!?」
「ある!」
「撒いて! 撒いて!」
「言われなくとも!」
追手の気を散らすため、マリクは左右にキャンディを散らしながら走る。
キャンディはまた買える(と、思う)が、命はひとつ!
目論見通りに追手の数は徐々に減っているが、比例して紙袋のなかのキャンディの数も心許なくなってゆく。
節約しながら撒き走っても、大通りの終点まではまだ少し距離がある……というところで。
「もうキャンディが無い」
「そんな……ヤべー」
ももまる頭達は見た目に反して足がはやい。スラムを駆け回りそれなりに体力のあるボコとマリク以上。
ぽよんぽよんと頭を左右に揺らしながら、背筋と指先はピンと伸ばし、アスリートのようなフォームとスピードでぐんぐん風を切り追ってくる。
「あっ、あっ、追いつかれる!」
「ボコ!」
マリクが伸ばした手は勢い良く空を切り。
足元から崩れ落ちるボコ。群がるももまる頭が覆いかぶさり積み重なって。
「ボスーーー! た、たすけ」
ボン!
ももまる頭達の中心で爆発音がした。
「すまん、ボコ。けど、これで!」
目の前には、ついに車。
マリクの車ではない。だが幸いにして、無人でキーがついたまま。理由は推して知るべし。
滑り込むように乗り込んでドアをロックすると、一瞬の差でももまる頭達が追いついて、悔しげに、諦め悪くウィンドウをバンバンと叩く。
エンジンをかけ、シフトレバーをドライブに。たったそれだけのあいだにも、ももまる頭は増えてゆく。
ウィンドウの外はすでにももいろの顔だらけ。バックミラーを覗けば左右に震えるももいろが映り、前を向いてもボンネットに乗りあげるももいろで。
バンバン、ぽよよ。バンバン、ふるる。叩かれるガラスと揺れるももいろ頭。
「たべもの」「たべもの」「ボスー!」「たべもの」
飢える無機質な輪唱を振り切って、マリクは思いきりアクセルを踏んだ。
最高速度で屋敷まで帰り、事態の元凶であろう主人の書斎へ一直線。
「おい! また変なもんつくっただろ!」
「何のこと?」
ノックなんぞ誰がするかと勢いよくドアをあければ、振り返る顔はなんと……。
「お前もか!!」
なんということか。まさか主人までももいろのまる。これはさすがのマリクも予想外。
「マリク、たべものある?」
驚愕に立ち惚けるマリクの服の裾をツンとひっぱるのは、少しちいさなももいろのまる。
もちろん胴体はにんげんで、頭部だけが変化している。おそらく元はこの屋敷の奥様であっただろうももまる頭。
「お前らふたりとも……どういうことなんだよ……街も……スラムも……みんな……」
「カミィちゃんが希望したから。僕は夫としてそれを叶える義務がある」
ももまる主人の返答は、いつもどおり。ただ顔が違うだけ。
「マリク、どうしてももいろのまるじゃないの? ももいろのまるのほうがかわいいよ」
「大丈夫だよカミィちゃん。すぐにマリクくんも僕達と同じにしてあげるからね」
「やめろ! みんなを元に戻せ! お前らも!」
「どうして?」
どうして? いったいどうしてだろうか? なぜ、元に戻したかったのだろうか?
「頭がももいろのまるになって、何か不都合がある?」
ももまる主人の質問に、なんとか反論しようとマリクはくちを開くも、息すらできずに詰まってしまう。
なんとかここまで帰り着くための苦労を思い出し、
「危険だろうが! あいつら、襲ってきたんだぞ!」
「まだ変化してない人物にだけ反応するようになってるから大丈夫。仲間になれば普段とかわらない生活ができるようになるよ」
頭部がももいろのまるでも言葉は通じる。運動も食事も問題なく、柔軟で傷もつきにくい。
服装やアクセサリーで個人の個性を主張することも可能であり、顔の美醜にとらわれずに相性の良いパートナーの発見もできる。生殖に関係する人体部分は変化しておらず、種の存続が危ういということもない。
ももまる頭の主人はそう語り、再度問いかけた。
「何か不都合がある?」
「……無い。けどなんか嫌だろ! 説明はできねーけど」
「僕は別に嫌じゃないし、カミィちゃんはこれを望んでる。それがいちばん、大事なことなんだよ」
「や、やめ……」
敵わない。いつだって。マリクはこの主人に逆らって勝利を収めたことがない。
今もまた――。
*
まる。まる。まる。
大きいまるのなかに、小さいまる。まるをみっつ描いて、三角を描いたら、お顔になるから、とっても可愛い。
せかいじゅうももいろのまる。みんなしあわせ。ももいろのまる。
「たべもの、ほしい」
「ぷりんたべたい」
「ぷりん、つくる」
どこか遠いところにある世界。ようこそ、ここは平和なオフィーリア。毎日ゆっくり寝て起きて、おいしい食べ物をおなかいっぱいたべて暮らすももいろのまるが住むところ。
みんなしあわせ。
みんなしあわせ。
ももいろのまる。
閑話十二 END
■アウトブレイク(あうとぶれいく、outbreak)とは、ある限定された領域(国、村、病院内など)の中で、一定期間に予想以上の頻度で疾病が発生することである。一般的に感染症に対して用いる。集団発生やエピデミック(epidemic)と呼ばれることもある。
引用元:看護roo!用語辞典
https://www.kango-roo.com/word/11820





