閑話十一 カレー味のうんこ
メイン:ジュンイチ/マリク ジャンル:無意味(無価値)
吾妻邸。ジュンイチの書斎。
カミィとジュンイチは今日も楽しげに向き合って、はたから見れば何の意味も無さそうな会話を繰り返す。
「ジュンイチくん。ぽっぽー、なんでしょう?」
「蒸気機関車の汽笛の擬音?」
「鳩さんでした。ぶっぶー。次ね」
「ぶっぶーは車のクラクション音?」
「違うよ。ぶっぶーは、ぶっぶーのぶっぶー」
「あぁごめん。次の出題がぶっぶーではなく不正解の擬音だったんだね。ちなみに、カミィちゃんは車のクラクション音は何と表現するの?」
「それはぶっぶー」
「同じだね」
ふむ。とジュンイチは相槌を打ち、目の前の床に置いたメモ用紙にペンを走らせる。
「同音異義語がある出題の場合、複数を正答とするのではなく、出題時にカミィちゃんが想像しているものをピンポイントで当てる必要がある。例:ぽっぽー、ぶっぶー。これらは回答の選択肢は多くないが、今後、パン、ピン、等より難度の高い出題が予想される」
ぶつぶつと小声で呟くジュンイチの前で、カミィは近くのおもちゃ箱から画用紙とクレヨンを取り出した。
絨毯にうずくまるように、同じポーズで頭を突き合わせるふたり。大小の鏡合わせはしばらく続き、先に頭をあげたのは、カミィ。
「できた。ジュンイチくん、これはなんでしょう?」
掲げられた画用紙に描かれているのは、虹色をした不定形。何を描いても虹色にしてしまうカミィの絵では、色での判断はナンセンス。ならばこの問題で回答の緒となるのはその形状。うねうねとした曲線でえがきだされた物体を見て、ジュンイチがまず発想したのは。
「アメーバだ」
「ぶっぶー。雲でした。でもわたアメにも似てるねぇ。雲っておいしいかなぁ」
「雲の成分は水だから、水の味だと思うよ」
「お水かぁ。甘いといいなぁ。食べたいなぁ」
「じゃあつくってあげるよ。キッチンへ行こう」
「わぁい。あ、ねぇねぇ、トントン、なんでしょう?」
「それは――」
***
「ってな会話をよ、延々と飽きもせず、ここんとこずっとやってんだよ。あのふたり」
スラムの安酒場で、マリクはうんざりと固い椅子に背を預けた。
向かいに座るのはもちろんいつもの二人組。かつてのマリクの両腕、デコとボコ。久しぶりに揃った三人衆は現在、のんべんだらりの真っ最中。
三人が合流してから、結構な時間が経っている。デコもボコもマリクも、それぞれ顔色はほんのり赤い。
「そのクイズ何かあれッスね。カレー味のうんこか、うんこ味のカレーかみたいな」
「ボコ、俺はカレー味のうんこかうんこ味のカレーなら、うんこ味のカレーのほうが良いと思う」
「どっちも嫌だろバカ」
カレー味のうんこは華麗に流し、マリクは「はぁーっ」と大きくため息。
「ったく、あいつらと来たら。朝から晩までずーーーっと同じやりとりしててよ」
その様子に、デコとボコはチラとお互いを覗き見た。心と心でコンタクト。”今日はハズレの日”。
「うーんこれはボス、相当溜まってるッスね」
普段、とくに悪酔いするわけでもないマリク。けれど、時々。本当に時々、絡み酒になることがある。
長くなるのを覚悟して、ボコは両手にしっかりと鳥串を握りしめた。ついでに全員分の酒のおかわりも注文。追加三杯でもっかい乾杯。
「まーまー。飲んで食って元気出すッス。お姫様とボスのボスっていつもそんな感じじゃないスか。気にすんなってボスも前言ってなかったっけ?」
「あーそうだよ。言ったよ。気にしなきゃいいのはわかってんだよ。だからって掃除んときも飯んときも、廊下ですれ違うだけのときにまで聞かされ続けてっとさすがに気が狂いそうになってくんぞ」
毎日毎日わけわかんねーことばっかしやがってチクショーが。と、マリクは大ジョッキをひと息に煽る。
あのときはああだ、このときはこうだ。積もり積もった日々の鬱憤。大から小まで、息継ぎもなく。
愚痴とともにだんだんと下がりゆく銀髪は雪崩のようで。最後はテーブルに頭突きでゴン。
「でも、仕事やめよーとは思わないんスよね? そんなにイラつくならやめちゃえばいーのに。なんでやめないんスか? スラム戻ってくんのが嫌でも、やめて他の仕事しても良いっしょ」
「そういや……そうだな」
マリクは顔を上げ、ボコが珍しく出した建設的な意見へ目を向けた。
考えてみれば、吾妻の屋敷で働くようになって以降、主人夫婦の行動に怒鳴り声をあげない日がどれだけあっただろうか。両手で足りるくらいしか無いような気がする。
散々に文句をいい散らかしておきながら、”仕事をやめよう”と思ったことがいちども無いのは、なぜだろう。
振り回されることに喜びを見出している? 否。自分にはそんな癖は無い。
給与が多いから? おそらく否。多いことは否定しないが、多けりゃ何でも良いというわけでもない。
カミィの指輪の借りはもうとっくに返したし、ジュンイチに特段恩義があるわけでなし。
むしろあのふたりには、間違いなく迷惑をかけられている。自信満々に胸を張って言える状況にもかかわらず、なぜ世話役で居続けることが嫌にならないのか?
その理由は。
「……なんでだろうな?」
アルコールを摂取した不明瞭な思考では、納得の行く結論にはたどり着けず。
「まぁ……何の仕事したって結局気に食わねえことはあんだろうし。仕事の話はもうやめだ」
「ええー。ボスが最初に仕事の愚痴言い出したんスよ」
非効率に唸っていても仕方ない。
口を尖らせるボコを「あぁ!?」と睨んで黙らせて、マリクは無理やり話題を変えた。
「それより、なんか気が紛れるような話とか無いのかよ?」
「無茶振りしていくぅ。デコなんかある?」
気だるげにテーブルに顎を乗せるボコからバトンタッチ。飛び火で振られたデコはうーんと唸り、
「気が紛れるようなことですか。えっと、俺は最近、壁を眺めるのにハマってます」
「壁!? なんで!?」
「壁を見てると、落ち着いて嫌なことを忘れられて、気が紛れます」
「デコだいじょーぶ? なんかボスよりストレスたまってそー……。あ、だからハゲてんの?」
「スキンヘッドはハゲじゃない。ストレスってわけじゃなくて、それが俺にとっての休み方っていうか」
「分かるような、分からねーような」
デコの時間の使い方は、マリクとボコにはいまいちピンと来ず。ふたりは怪訝な表情で、揃って首を傾けた。
「分からなくても良いんです。例えばですが、ボスが趣味で菜園をはじめるって聞いたとき、俺はすごく、利益重視でボスらしい趣味だなと思いました。でもそういう忙しいのは、俺の性には合ってなくて」
だからときどき、壁を眺めるのだとデコは言う。
マリクからすれば、一石で二鳥でも三鳥でも得られたほうが良いに決まっているのだが。
「そういうもんか」
「はい」
「まーまー。むずかしー話は置いといて。もっと気が紛れること思い出したッス。そーいえばオレ、おもろいもん持ってるんスよ。遊びましょー」
少し膨らんだパーカーのポケットへ、ボコが無造作に手を突っ込んだ。パッと取り出したのは、手のひらに収まる程度の小さな紙箱。
箱をあけると、赤青黄色の三色のカードがバラバラとテーブルに飛び散って。
「なんだこれ。カードゲーム?」
「そーそー。最近流行ってんスよ」
ボコ曰く、ルールは簡単。
三色のカードにはそれぞれ役割がついており、赤はお題カード、青と黄色は選択肢カードになっている。
ゲームの参加者はお題カードに書かれたテーマにそって、青と黄色に書かれた答えから自分の考えに近い方を選ぶだけ、というシンプルな二択ゲーム。
二択を選んだあとは、同じ回答を選んだ相手と共感するも良し、別の回答を選んだ相手と話し合うも良し。
プレイヤー同士の会話のきっかけをつくるコミュニケーションゲームらしい。
「初対面の相手とか、普段あんま絡まない相手と集まるときに盛り上がるやつだっつって超お役立ちらしッスよ。飲み会とか親戚の集まりとかそーゆーんでひっぱりダコ的な」
「ふーん」
「ボス、キョーミなさそー」
マリクにとって、デコとボコは昔から仲間として過ごしてきた相手。気心しれたメンバーで、今更初対面用の遊びをやって何になる。
くだらない、と一笑に付すマリクに「いやいやいや」とボコは手を振り、
「これ、仲良いヤツ同士でやってもおもろいみたいっスよ。相手の新たな面が知れる的な?」
「別にお前らの新たな面なんか知りたかねえよ」
「まぁそう言わずに。いっかいやってみよッス。面白かったら今度合コンするとき持ってくんで」
「お前、ハナからそれが目的だろ」
「んなこと無い……とは言わねーけど! せっかく買ったのにいつ使えるかわかんないままじゃもったいねーし! 付き合ってくださいッス!」
マリクとデコを実験台にする気満々なボコは、「オレお題役やるんで」と、そそくさとカードを手にとった。
はじめてしまえばこっちの勝ちだとばかりに、高々とカードを掲げて読みあげる。
「えーっと、コンコンという擬音から連想するものは?」
「えっ」
お題を聞いて、マリクの口から思わず漏れたのは驚きの息。
「待て。このお題と回答って」
まさか。と、テーブルに並んだ選択肢カードに恐る恐る視線を落とせば、案の定。
選択肢カードには、どこか見覚えのある単語がふたつ。
「選択肢は、きつねと、ノック、ッスね。オレ的にはノックかなー。デコは?」
「咳かと思ったが選択肢に無い。少し考えさせてくれ。期限は三日くらいで良いか?」
「いやもっと気楽にやって!?」
息が合ってるんだかズレてるんだか形容しがたいデコボコのやりとりも、マリクの耳には右から左。それよりも、今すぐ確かめたいことがある。
「ちょっとその箱見せろボコ」
マリクはボコの手からカードのパッケージを奪い取り、裏側の製造販売元を確認して細く唸った。
「やっぱりか」
箱の裏にあったのは、予想通りすぎて声も出ない”吾妻”という印字。
あらゆることに抜け目ないマリクの主人は、どうやら日常の遊びすら利益に変えているらしい。
マリクが散々、”意味が無い”と思い込んでいたジュンイチとカミィのやりとり。それが彼の手にかかれば、こうしてたしかな価値を持つ。
聞かされ続けたやりとりを腹立たしく思っていたはずなのに。じわじわと気持ちが収まってゆくことに気がついて、マリクの口からフッと笑みがこぼれた。
「ああ。なんかわかったかも。こーゆーとこなんだな」
「何笑ってんスか?」
「いや、別に」
散々に振り回されたとしても、どうしてか決別する気が起こらない理由。彼らのことが、嫌いになれない理由。
認めてしまうのはどこかこそばゆく、できれば否定したいけれど。
「ちょっと似てんだよな……」
デコのように休息そのものに価値を見出す人間もいれば、ボコのように刹那的な快楽を重んじる人間もいて、また、自分のように利益を追求したい人間もいる。
そんな多様な考えに溢れた世の中で、一石二鳥をつくりだすジュンイチの考え方は、マリクと近しい部類のもの。
性格は全然違うはずなのに。不都合を押し付けられてしまうのに。価値観に共感ができる相手だから、心の底からは憎みきれず。
スラムで堕落に流される人間達を、マリクは心底嫌いだった。だからあの場所から飛び出した。
それに比べて今の主人は、性格に難はあれども、多少は尊敬に値する……と言わざるを得ないのかもしれない。
「こういうとこは正直すげーわ」
想像もしない刺激的な出来事が毎日訪れる今の居場所。明日からもまた、いろいろな意味で驚かされることだろう。
面倒も、怒りも、ときどきのささやかな幸福も。
世の中の全てのことがらに、もしかしたら意味も価値も無いのかもしれない。ならば、自らの手で与えてゆけば良い。
意味も価値も、自分で見出すもの。いくらでも作り出すことが出来る。
暗に示された気がして、やはりほんの少しの悔しさを覚えながらも、マリクは目の前の選択肢に手を伸ばした。
閑話十一 END





