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そしてふたりでワルツを【漫画版あり】  作者: あっきコタロウ
外伝(むしろメイン)

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44/76

外伝五   木枯らしの行方

メイン:セバスチャン ジャンル:恋愛



 石畳に不揃いな靴音響く、夜の繁華街。陽気な歌声と明かりが街中に転がって、労働のあとの湧き上がる熱気を具現化したよう。


 そこに点在する大衆酒場の一軒。


 店内で賑やかに音を鳴らしているのは古ぼけた黒塗りのアップライトピアノ。横の小さなステージでは、若い女の歌手がライトを浴びている。

 褐色がかった肌に、ツヤのある短い黒髪。男装とまではいかないが、ボーイッシュな装いをして。ハスキーな声が揺らめかせるのは、異国情緒溢れる不思議なメロディ。



 ステージから少し離れたカウンター席で、黒髪の若者が、隣に座る若者の肩に手をかけてボヤいた。

 

「いいよなぁ。お前のとろろ(ところ)は。優しいご主人さまが無理のない仕事をさせてくれ()。うちのご主人は人使いが荒すぎ()。もうずいぶん長いこと休みをもらってな()

「飲み過ぎでは? 呂律がまわっていませんよ」

 

 たしなめようとした青い瞳の若者の手を跳ね除け、愚痴る若者はグラスを一気に煽り、カウンターに突っ伏した。


「ああ、俺ァもう、執事(フットマン)なんてやめへ、どこらの喫茶のマネージャーにれもなろぉら」

 続けて聞こえはじめたのは豪快な寝息。


 青い瞳の若者は、絡み癖のある友人からやっと開放された、と心配半分安堵半分で胸をなでおろした。店内のBGMは男性の歌声にかわっている。少し休んだら友人を引きずって帰ろうと最後の一杯を楽しんでいると、背中に衝撃。


「わっ」

「ああ、すまないね!」


 今までステージで歌っていた女性にぶつかられたらしい。遠くからだと小さく見えたが、近くに立つとそれなりにしっかりした体格だ。


「何事です?」

 

 女性はずいぶん気が強いらしい。ピン、と、目の前の男に指を突きつける。


「こいつに突き飛ばされたんだよ!」


 ひとりでステージに立つにはこのくらいの度胸がないとやっていけないのかもしれないが、この態度は男の神経を逆撫でするだけだろう。


「こいつとはなんだ! 良い歌だったから一杯おごってやろうって言ってるだけじゃないか」

「そうやって飲ませて、酔っ払ったアタシをホテルに連れ込むつもりなんだろう? その手にはのらないよ!」

 過去にそういう経験があったのか、女性は過剰気味に食って掛かった。


「まあまあ。おふたりとも、落ち着いてください。たしかにとても素敵な歌声でした。こちらの方はそのお気持ちが高じてこのようにお声掛けしてくださったのです。そのような崇高な理念を持ち合わせた紳士が、酔わせてどうこうしようなどという下賤な下心など持ち合わせているはずがありません。そうですね?」


 興奮する男に向けて、若者は微笑んだ。こう持ち上げられてしまっては、男は頷くしか無い。若者はすぐさま女性に向き直り、


「ですからあなたも、素直に一杯だけ奢られてしまえばよろしいのです。とはいえあなたは可憐な女性である。ご不安な気持ちもありましょうから、こちらの紳士様にお代だけ先に支払っていただき、また後日その一杯を頂いてはどうですか。あなたのお好きな時に」

 

 主人について社交の場へ赴くこともある若者にとって、揉め事の仲裁は慣れたもの。貴族の顔を汚さぬように両方を持ち上げ、場をおさめなければならない。歌手と酔っぱらいだって同じ人間。応用次第でどうとでも。


「それでいいわ」

 女が頷くと、男も微妙な空気を残しつつ、素直に従った。バーのマスターに一杯分余分に代金を支払い、男は店を後にした。うまく場がおさまったのを見届け、若者は胸をなでおろす。


「では、私はこれで」

 立ち上がって友人を揺り起こそうした矢先、若者の肩にかかる、褐色の指。


「もう帰るの? 一杯だけつきあってよ」

 彼女は若者の返事を待つことなく椅子を引く。嫌とは言わせないつもりらしい。

 

「さっきはありがとう。実はちょっと困ってたの。アンタ、名前は?」

「セバスチャンと申します」

「いかにも紳士みたいな名前。笑っちゃう」


 名前を笑われたのは人生で初めて。よくある名前じゃないか。セバスチャンは曖昧にニコリ。


「アンタはアタシをずいぶん丁寧に扱ってくれるんだね」

「と、言いますと?」

「なんていうか……さっき、まるで自分がどっかのお嬢さんになったみたいな気分だった。アタシって気が強いから、ああやって守ってもらうことってあんまり無いんだ。だから新鮮だった。どうしてアタシを助けたの?」


「たまたま、でしょうか。自分でもよく分かりません」

「正直だね」

 

 歌手は呵呵と頬を赤くし、グラスの酒を飲み干した。


「明日の昼、時間があったら一緒に劇場へ行こう。面白そうなのがやってるんだ」

「劇場ですか」

「中央通りの、噴水の前にあるホテルに来て。受付で”ミヤコを呼んで”って言えばいいようにしておく。待ってるからね」


 またも返事を聞かずに席を離れた歌手。

 残されたセバスチャンは明日の予定を思い起こす。昼、観劇ができるほど時間をあけられるだろうか? 奥様の臨月が近いから、万事に備える為に少々人手を増やしたところなのは都合が良い。あれこれめぐる考えのなかに、断りの選択肢が無いことに気づいたのは、帰宅した後のこと。







 翌日、なぜか大喜びした奥様に快く送り出されたセバスチャンは、約束のホテルへとやって来た。

 外は曇天ながら、雨の気配は無し。本格的に寒くなる一歩手前。とても短い、過ごしやすい気候の時期。


「待たせたね」


 心地よい、ハスキーで朗らかな声に振り返り、セバスチャンは息をのんだ。


 昨夜はずいぶんボーイッシュな服装をしていた彼女が、今日はご婦人らしく自らを飾り立てて。薄闇に彩られたバーのライトとは違い、自然に照らされた彼女は、淡い黄色のワンピースに負けないくらい明るい。まるで別人のよう。


「変かい? 劇場へ行くから、おしゃれしてみたんだ」

「とてもお似合いです。驚くほどに魅力的だ」

「ありがとう。素直に受け取っておくよ。じゃ、行こうか。ついて来て」




 劇場では、悲劇的なオペラが上演されていた。

 物語の結末にて、主人公は夢を追うため、愛する人の前から去る決断をする。去り際に主人公が満足そうな表情を浮かべるシーンでは、隣から盛大に鼻をすする音がきこえてきて、セバスチャンはそっと胸ポケットからハンカチを取り出した。

 

 ここ最近のオペラ業界は新鋭作家が次々に台頭し、物語などあってないようなクラシックから一転、思わず話の筋にのめりこんでしまうようなドラマティカルな演目が増えたらしい。歌以外の台詞も多く、そういうものはミュージカルと呼ぶのだ、と上演後に彼女は喜々として語った。


「ずいぶんお詳しいんですね。私はこういったものを観る機会が少なくて」

「アタシ、いろんな国の音楽に興味があるんだ。巡業して、いろんな国でいろんな音楽に触れて、それで、将来はどこかの国に自分の店を出したい。そこで世界中の音楽を歌いたい。この国に来てからまだ日が浅いんだけど、ここはとても良い国だね。いろんな国の文化がひとつになってる印象。面白い国だ。今日はどうもありがとう。楽しかったよ。今度はディナーへ行こうよ。休日の夜またホテルへ迎えにきて」


 汚れたハンカチを握って、彼女は手を振りまた消えてしまう。

 まるで嵐のような女性。帰路にて、セバスチャンは自然と頬が緩むのを覚えた。




 それから何度か逢瀬を重ね、二人は順調に関係を紡いだ。

 

 あるときはボートに乗った。彼女がオールを貸してというので手渡すと、力加減が難しいらしく、同じ場所でぐるぐる回転することになった。彼女は楽しんでいたみたいだし、ひっくり返らなかっただけ良かったと思うことにした。


 またあるときは珍しい植物の展示を見に行った。この国では見られない花にセバスチャンが感心していると、彼女が得意気に解説を入れたりもした。巡業で訪れた国で見たことのある花らしかった。


 有名な画家の個展を見に行ったこともある。ふたりとも絵画にあまり詳しくなく、抽象画を見ても何がなんやらさっぱり。このデートは失敗だったかもしれないが、ふたりでいると楽しくて、それだけで満足できた。


 デートの終わりはいつも彼女の「楽しかったよ。次はこの日に会おう」という台詞で締められる。

 最初は戸惑ったセバスチャンも、必ず次の約束につながることに、いつしか安心感を覚えていた。



 そうしてカレンダーを数枚捲った頃。


 セバスチャンの仕える屋敷に待望の第一子が誕生した。鈍い金色の瞳をした、とても利発そうな男児。その日はお屋敷中が上へ下へ右へ左へ、てんやわんやの大騒ぎ。


 この日はじめて、セバスチャンは彼女との約束をすっぽかした。


 その後も奥様の産後の肥立ちが良くなく、なかなか自由時間が確保できず。

 少し落ち着いて、彼がやっと日常を思い出しだした頃には、湖に薄く氷が張る季節になっていた。


 セバスチャンは、じゃっかんの後ろめたさを感じつつ、彼女に詫びるべく滞在先のホテルへ。


 しかしてそこに、彼女は居た。


 呼び出して第一声、怒鳴られることを覚悟していたセバスチャンは拍子抜け。


 彼女があまりにもかわらぬ様子で、

「久しぶりだね! もう会ってくれないのかと思ってたよ」

 などと笑ったから。


「申し訳ございません。お屋敷で、ちょっといろいろありまして」

「いいのいいの。最後に顔が見れて良かったよ」

「最後、とは?」

「アタシ、明日この国を発つんだ」

「そんな急な……!」


 あまりに突然な話。

 驚きで止まった思考が働きはじめると、湧いてくるのは悲しみよりも、ジワジワとした怒り。思い返してみると、この人はいつだって……。


「あなたはいつもそうだ。私の都合や気持ちなどお構いなしになんでも決めてしまう」

「ごめんね」


 彼女は、ただ笑って謝るだけ。彼女にとって自分は、その程度のものだったのだろうか。遊ばれていただけなのだろうか。



 いつの間にか――好きになっていた自分が悪いのだろうか。



「じゃあさ、アタシと一緒に来て、って言ったら、アンタは来てくれるのかい?」

「……それは」


 はじめて。

 はじめて彼女から意志を問われたのに。

 それがこんな質問だなどと。


「あまりにも、意地が悪すぎませんか」

「ごめんね」


 彼女は続けざまに、


「結局さ、決まってたことなんだよ。はじめから。アタシは夢を諦めたくないし、アンタはアンタでやるべきことがあるだろう? だから、意志なんて関係なかったのさ」

「それならどうして! どうして近づいたりしたのです。はじめから分かっていたなら、こんな辛い思いをせずに済んだかもしれないのに」

「だからごめんねって」


 三度謝まった彼女がポケットから取り出したのは、いつか渡したままだったハンカチ。

 セバスチャンの手にそれを握らせて、


「アタシの身勝手だったって思ってる。けど、嬉しかったんだ。はじめて出会ったとき、あのバーで、アタシのことをお嬢さんみたいに扱ってくれたでしょう? だからなんだか、少し、人恋しくなっちゃった」


 彼女の表情は、まるで晴れの日に降る雨のようだ。


「本当は寒くなる前にこの国を発ちたかったんだけど、どうしても最後に顔を見たくなって、ダラダラと長居し続けちゃった。寒中の旅は厳しいって、理解していたのにね」

「それなら、暖かくなるまでこの国に居ても」

 

 彼女は目を伏せて首を横に振る。

 どこまでも、どこまでも思い通りにならない人。


「ここらが潮時だよ。だけど、店を持つならこの国にするって決めた。いつかまた、きっと、会えるよ。そのときにはもう、お互いすっかりかわってしまっているかもしれないけど。アタシのこと、ときどきでいいから思い出してね」

「忘れません。絶対に」

「嬉しいよ。ありがとう」



 そうして彼女は姿を消した。

 綺麗に折りたたまれたハンカチを広げると、紫色の小さな花の刺しゅうが咲いていた。

 忘れたくても忘れられない。セバスチャンはハンカチをそっと胸ポケットへしまい込んだ。




***



 それからたくさんの時間が過ぎて。


 ある日の吾妻邸にて、セバスチャンはマリクに買い物を頼み、ひとり作業室(パントリー)で食器を磨く。

 そこへやってきたのは、代がわりした主人と奥様。


「ねぇねぇジュンイチくん、これはなぁに?」

「これはプラムだね。カミィちゃんの好きな薔薇科の植物だよ。花言葉は甘い生活」

「わぁ~。食べたぁい」

「そうだね。あとで食べよう。ちゃんと皮をむいてからね。カミィちゃんはすぐに洋服を汚しちゃうから」

「汚さないよぉ」

「汚すよ。僕は汚したっていいと思うけどね」


 彼らがなにゆえここまでやってきたのか、セバスチャンの知るところではない。おおむね、壁紙や骨董品に描かれた花や木の実の種類をたずねてまわる奥様に、主人が付き合っているのだろうと推測。


「ねぇねぇ、じゃあこれはなぁに?」

「オンシジューム。一緒に踊ってって意味があるよ。僕達にピッタリだね。クリーム色の花はバニラの香りがするよ」

「わぁ~。食べたぁい」

「そうだね。あとで食べよう。食用花(エディブルフラワー)ではないけど食べようと思えば食べられる。ついでに言うとシザンサスって花も一緒に踊ろうっていう花言葉で」

「ねぇねぇ、このお花は?」


 ジュンイチの言葉を遮ってカミィが指したのは、セバスチャンのハンカチに咲く紫の花。


「これは多分、ミヤマヨメナだね。ミヤコワスレとも言うよ。花言葉はまた会う日までとか短い恋とか」


 銀器を磨くセバスチャンは手を止めた。


 この花にそんな意味があったなんて。彼女は本当に全て分かっていたということか。「また会う日まで」。その「また」が来ないまま、自分はもう老いはじめている。きっと彼女も、同じように。どこかの国に落ち着いて幸せにしているのか、それとも、まだ夢を置い続けているのだろうか。


 物思いに耽っていると、両手に紙袋をかかえ、マリクが帰還。


「ただいま戻りまし……おい、お前らここで何やってんだ」

「ジュンイチくん、あれはなぁに?」

「あれはオダマキだね。花言葉は愚か者」

「何の話だ! 邪魔だから用がねえならどっか行ってろ!」


 マリクが主人夫婦を追い払うと、室内は銀と陶器と紙袋の音に支配され。


「頼まれたもんはだいたい揃えました。ろうそくだけちょっと足りなかったんで、今度届けさせます。あ、噴水の大通りからちょっと外れた路地んとこ、ずっと空き家だったとこに何か店ができるみてーですよ。えらいファンキーなババ……あー、婦人、がオーナーで」



 ドキリ、と。強く胸が脈打った。

 


「すげー派手に飾り付けてあって。紫色の小さい花が」



 勘違いかもしれない。全然違うかもしれない。けれど、もしかしたら。


 セバスチャンは勢い良く立ち上がった。


「ちょっと用事を思い出しました。出かけてきます。あとのことは頼みます」

「え、ちょ!!」


 


 長いあいだ、模範的な執事で居続けた。望んだ通りの有能な部下も出来た。そろそろ少しくらいハメを外しても許されるだろう。


 確認して、そして、もしも。彼女だったなら。

 今度こそは、こちらから意志を問うてやろうと思うのだ。もう振り回されるだけではなくなったところを、見せてさしあげよう。


 紳士はハンカチを握りしめ、力強く口角をあげた。



外伝五END

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