外伝四 かくて、狼は漸う王となり(1)
メイン:スラム組 ジャンル:シリアス
金貸しとしてやや軌道にのりはじめた頃。
マリクとデコの元に、ボコがやってきたときの話。
雨が降っていた。
大気中に舞う砂を包み込んで降り注ぐスラムの雨は、じっとりとまとわりつく重さ。だが、夕刻の大通りは雨だろうが晴れだろうが、なんなら嵐だろうが関係なくごちゃごちゃと騒がしい。
頭に響く喧騒にまみれた通りから少し離れ、一本の路地に入ると、辺りは途端に静かになる。路地には不揃いな形の家々がひっそりと立ち並び、最奥には壊れかけのバスケットゴールが置かれた小さい空き地と、薄暗い壁に歪んだ木のドアが嵌まる家があった。
家のなかでは、数人の若者がカードゲームで賭けに興じている。わいわいと子供のように弾んだ声を響かせて楽しげに。ときおり小さな諍いで怒声が飛び交うのもご愛嬌。
そんな部下達を背に、マリクは黙々と金を数えていた。
テーブルに紙幣とコインを束にして並べていく。
ゼロからはじめた金貸し事業は、概ね順調だ。
今、マリクの傍には、補佐としてよく働く心根の優しい大男と、騒がしいけれども慕ってくれる数名の若者が居る。
「お前らお疲れ。今日はもう仕事無いから、帰っていいぞ」
午前の取り立て分の計算を終え、マリクは待機させていた若者達へ声をかけた。
「了解。お疲れっすー」
飲みに行こうか、人と会おうか。半休の予定を語らい出ていく若者達を見送って。彼らの声が遠のいたあと、
「じゃあ俺も帰ります。お疲れ様でした」
と補佐役のスキンヘッドの大男が立ち上がったとき。
バタン! と。
突き破るような勢いで、外からドアが開かれた。
「お願いします。助けてください!」
やって来たのは知らない青年。そのままどさりと膝をつく。傘もささずに来たのだろう。全身は濡れそぼり、そこらじゅう泥まみれ。
だが、それよりも。
びしょ濡れの彼が肩から降ろした小柄な少年に、マリクと補佐は目を奪われた。
横たえられた少年はボロ雑巾よりもひどい有様。
誰かに殴られでもしたのか、頬ははちきれそうに膨れあがり、目元や口元は切れ、前歯も一本無くなっている。渇ききらない血と泥が混じり、顔や洋服の首元は汚れて、服を捲くるとからだも痣だらけ。腕や足もところどころ腫れている。変な方向に曲がっていないのは幸いか。
「おい、意識あるか?」
マリクは屈んで、少年の痛々しい頬をはたいた。
「オレ……生きてるッスか……?」
うっすら開いたまぶたから覗くのは、焦点の定まらない虚ろな瞳。
「とりあえずな」
「あは、えへへ」
少年は頬をひきつらせ力なく声を漏らし、正真正銘意識を失った。
「何がおもしれーんだか」
連れてきた青年はといえば、外に向かって濡れたシャツを絞っている。
「おい、お前」
マリクは無防備な青年の尻を蹴りつけて、自分より少し背の高い彼を睨め上げた。
「説明しろ。お前は何者だ。こいつは何だ。なんでここに連れてきた?」
「俺達、逃げてきたんです。なんでもしますから、仲間に入れてください」
「追われてるんじゃねーだろうな?」
「それは大丈夫っす」
相手の落ち着きを見るに、どうやら嘘ではなさそうだ。黙って先を促す。
「俺達、この辺をナワバリにしてる少年窃盗団のメンバーだったんですけど」
マリクは、ああ、とひとつだけ相槌を打った。その窃盗団ならよく知っている。 何かしらの事情で親の庇護を受けられず、自分の食い扶持を自分で稼がなければならないガキの集団だ。
そこにあるのは、あたりまえな社会の縮図。似たような境遇のガキが集まっても、全員の仲間意識が強まるわけではなく。振りかざされるのは、シビアな力関係。年齢が上だったり体格が良かったりという者が強く、幼いヤツや虚弱なヤツは分け前少なく、タダ働きもザラ。頭が良いとか何らかの一芸に秀でていればチャンスがあるが、そうでなければ、他に稼ぎ口を見つけるまで苦い汁をすするしかない。
「俺は親居ないから自分が食うためなんすけど、そいつは親父に言われてそこで働いてて」
床に転がっている少年をさして、青年は言った。
産み落とされるだけ落とされて、あとはどうにでもなれと放置されることは、スラムの下層世帯ではよくあること。マリクだってそのクチだ。
そしてそれと同様に、ただ、"親だから"というだけの理由でガキを"使う"おとなが居るのも、特別珍しいことではなく。この少年はそっちのタイプか、という感想を抱くだけ。
「そいつの場合、団からの分け前は親父が全部持ってっちまうんですけど、そいつ自身があんまりいろいろと上手くねーから、稼ぎが少ねーって普段から暴力うけてたみたいで。今日は特にひどかったのか、俺がたまたま通りかかったとき、こいつは親父に本当に殺されちまいそうだった。だから連れて逃げてきたんです」
一度も目を逸らすことなく見つめてくる青年は、窃盗団のなかでは搾取される側だったんだろう。足元で横たわる少年も言わずもがな。背は低く全体的に華奢で小さいし、とうてい頭も良さそうには見えない。だからうまく稼げず、父親にドヤされた。
「事情はわかった。けど、すぐには信用できねえ。とりあえずは試用期間だ。お前らがちゃんと働くかどうか見せてもらう」
「ありがとうございます! 精一杯頑張ります!」
青年が頭を下げる横で、補佐の男が口を開いた。まだ意識がない少年を指す。
「ボス、こいつはどうしますか」
「お前、面倒みてやれ。明日の朝また全員ここに来い」
「了解しました」
家から出ていく三人の背を見送ったあと。
「厄介なことにならなきゃいーけどな」
マリクはテーブルの札束を、嫌な予感と一緒に金庫へ閉じ込めた。
そして翌朝。
「おっはようございまッス!」
「うるせー!」
耳をつんざくような大声で、マリクはソファから飛び起きた。
入り口近くに満面の笑みで立つボロボロの少年の後ろで、補佐の男が申し訳なさそうに小さく会釈。
「いやー、助けてくれて感謝ッス! 昨日はマジで死ぬかと思った!」
「めちゃくちゃ元気あるじゃねーか」
「寝たらマシになったッス!」
「頭の悪い小型犬拾った気持ちになりました」
補佐の男が呟いたのを、マリクは意図的に聞き流した。
「ところで、オレをここまで連れてきてくれたのって誰ッスか? 昨日親父に殴られてからあんまり記憶無くて」
「あ? そういや名前聞き忘れたけど、お前心当たりねぇのか? 仲良かった奴とか」
「んー。無いんスよねー」
と、「おはようございます!」とまた明るい声がして、あらわれたのは噂の青年。
「目がさめたのか! 調子はどうだ?」
青年は少年の姿を認めると、親しげに歩み寄る。
「えっ? あっ!? アンタがオレをここまで運んでくれたの? なんで?」
少年にとって、助けてくれたのは予想外の人物だった様子。小動物のように目を丸くする。
「ははっ! 何言ってんだよ当たり前だろ! 俺達、親友じゃんか! お前のピンチをほっとけるわけ無いだろ!」
「そうだっけ? まあなんにせよ有り難いッス!」
礼をして、少年は笑顔を見せた。あまり深く考えるタチでは無いらしい。なるほど、なんともカモにしやすそうだ。窃盗団での彼の位置がどのようなものだったか、想像に難くない。
マリクが眉をひそめて補佐を見ると、彼もやや訝しんだ様子。
そのうちにひとり、ふたりと部下が集まり、全員が揃ったところで、マリクは新入りを皆に紹介した。
「今日から働くことんなったふたりだ。よろしくしてやってくれ」
頭を下げる少年と、そのややうしろに立つ補佐を見て、誰かが言った。
「補佐デカイし新入り小せえし、ふたり並ぶとデコボコでおもしれーですね」
言われてみればたしかにデコボコ。しかも補佐は少年の世話役ときている。マリクも思わずふきだし、
「よし。お前らのあだ名は今日からデコとボコだ」
と冗談を飛ばせば、若者達はますます盛り上がり早速「デコボココンビ!」などと囃し立て。
補佐は相変わらず無表情でその場に突っ立ち、ボコとなった少年は、
「なごやかムードッスか? あはは。笑うと肋骨痛えやあははは」
と、歓迎の雰囲気を楽しんでいるよう。
その日は新入りふたりを見学につけ、いつものように金を貸した者達の元をまわった。
素直に返す者、感謝までしてくる者もあれば、頑なに反抗する者も。そういう者達には容赦なく家探しや脅し、暴力などできっちりと取り立てる。
やっていることの悪どさに新入りふたりは最初尻込みしていたが、「借りたもんは返すのが当たり前だろ」という組織の信条を理解し、夕方、帰る頃には何も言わなくなっていた。
全ての回収が終わったあと仲間を帰してから、マリクは残らせた新入りふたりに目を向ける。
「どうだ? やれそうか?」
「いけます」
青年は即答。
「多分大丈夫ッス!」
一拍置いて、ボコも頷いた。本当に大丈夫かと心配になるような笑顔で。
「俺が指導します」
一緒に残ったデコがさっそくフォロー。この様子だと、ふたりは本当に良いコンビになるかもしれない。
そのとき、新入りの青年が一本の酒瓶を掲げた。
「あのー、ボス。せっかくお近づきになれたんで、よかったらこれ皆であけませんか?」
「わっ! いいッスね! 飲もう飲もう。グラスどこッスか!?」
「あ!? 何勝手に」
「もう開けちゃいました! いいでしょ、一杯だけ!」
断る暇も無くあっという間にグラスに酒が注がれ、アルコールの香りが鼻腔を刺激して。働いたあとの酒がうまいことはこの場にいる全員が知っている。
となれば。
「開けちまったもんは仕方ねーな。一杯だけなら」
「やった! いただきまーす!」
「かんぱーい」
グラスを打ち合わせる音が宴会開始を知らせ、からだを熱くさせる液体が喉を駆け抜ける。
「うめー! もう一杯!」
最初の一杯を一気に飲み干したボコの顔はすでに真っ赤。昨日死にかけるほどの怪我をしていたというのに酒など飲んで平気なのだろうかと、見ているほうが心配になる。
それでも本人は「あはは。やべー全身めっちゃ痛え!」とふざけながらも笑顔を崩さない。もしかしたら、痛みに慣れてしまっているのかもしれない。昨日見たボコのからだに、細かな古傷もいくつか残っていたことを、マリクは思い出した。
とりとめのない会話にほろ酔いを乗せて少々。グラスはそろそろ空になる。
飲み終わったら解散だと告げようとして。
突如、視界が揺らいだ。
激しい立ちくらみがしたときのような、世界がひっくり返る感覚。
「何だ!?」
同時にどさりと目の前でデコとボコが倒れ、ただひとり、新入りの青年だけが平気そうな顔をして立ち上がる。
「クソ。何か盛りやがったなてめえ」
自身に起きた異変を理解したところで、マリクの意識も――暗転。





