外伝一 獣はいかにして弾丸となりしか(2)
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「赤い髪……して、其奴は我らと同じ忍び装束を纏っていたと?」
屋敷で町人から事情聴取をするのは、それとよく似た黒衣の男。
「はい、頭領様。不格好ながら装束を纏った子どもでございました。赤い髪の他に、やはり瞳も赤く」
「報告、ご苦労であった」
町人が去った屋敷のなか、眉間に皺を寄せる男の前に広がる巻物。そこには、ある伝承が綴られている。
【あかきにほひの髪と瞳を持ちし鬼、世の理を崩壊さす】
「あかきにほひ」とは、「あかるい色」のことである。
この国に生きる人は全員が黒い髪に黒い瞳。
茶や金の色をした髪や、青、緑、などの瞳を持つ外国からの来訪者を鬼に例え、気をつけろという意味の伝承だった。
決して人口が多いわけではない閉塞的な島国において、外からもたらされる病原菌は脅威。
抗体を持っていなければ、次々と感染し、下手をすると人種が滅んでしまうということもあたりまえに起こりえる。
遠い昔に、それに近しい危機に襲われたのだろう。
この迷信めいた警告は、大きな力を持って、今でも多くの人に信じられている。
そうして、この島国はもうずいぶんと長い間、外との交流を絶って独自の生活を守ってきた。
貿易や文化交流を望む者、はたまたただの漂流者など、訪れるありとあらゆる外国船や乗員を、問答無用で破壊、殺害することで、災いが起こるのを避けてきたのだ。
異分子は、駆逐せねばならない。
頭領は、口をすぼめて空気をはく。忍びの、招集の合図。
忍び。それは、この国の治安保持のために尽力する職業。明るくは政治から、暗くは罪人の処刑まで。ありとあらゆる国家的任務をこなす。
またたくまに、板張りの部屋を埋め尽くす黒衣の数々。
「山を狩る。鬼が出た」
「山ですか? 海ではなく?」
普段、鬼が出るのは決まって海から。
上陸されぬよう、発見次第その場で素早く片付けるのが常である。
山のほうまで侵入を許してしまったとは、相手はよほどの手練かと忍び達は息をのんだ。
「うむ。実は、まだ我が一介の忍びであった頃、数百の鬼が一気に押し寄せたことがあり。ほとんどはその場で片付けたが、ひとりの女鬼が我らの目をかいくぐり山へ入ってしまったことがあったのだ。すぐさま追いかけて片付けたが、その者は大きな腹をしておった。親が死ねば子も生を受けることはなかろうと、死体を野に返したのだが。何かの要因で子はうまれ、密かに育っていたらしい。今回出た鬼はおそらくその鬼の子ではなかろうか、と我は考えておる。なぜ今になって山から降りてきたのか……謎は多いがとにかく災いのもとは絶たねばならん。即刻全員山へ」
「ハッ」
夜に紛れて、黒い人波が山をおおう。
いつもと違うピリピリした空気に、獣達が騒がしく鳴いた。
*
帰り着いたそれの土産を味わっている最中。獣の騒がしい声と正体不明の小さな地鳴りに気づき、山犬達は頭を上げた。
『何か来る』
三匹の山犬は、唸り声を上げてウロウロと巣のなかを周回。
それは岩穴の奥に潜み、小太刀を胸に抱いて入り口を凝視。念のため、鉤爪と面も装備し、戦闘態勢。
少しして、ふたりの人間が現れた。
「ここは山犬の巣のようだ。気が立って唸っている。さっさと他へ行こう」
「しかしこの岩穴、奥が深い。真っ暗で見えないが、もしや洞窟になっていたらどこかへつながっているやも。念のため確認しよう」
人間が明かりを差し入れて、岩穴の奥、それが抜いた刀が反射。
「見たか」
「ああ。間違いない。鬼だ」
『殺気! よくわからないけれど、彼ら、やる気のようよ。気をつけて』
『やってやる。僕達の生活を壊すつもりなら』
「ガアア!」
先に動いたのは山犬。
人間が岩穴へ踏み入る前に飛び出して襲いかかる。
一匹が足を狙い、相手がそれを避けると時間差でもう一匹が追撃。獲物が態勢を崩せば、岩穴のなかから一気に距離を詰めたそれが、心臓を正確に一刺し。寸分狂い無いいつものチームワーク。
「犬め。思ったより、やる!」
人間は距離を取り、木々のなかへ後退。
それが追跡、飛んで背中から鉤爪で刺し抉る。
刹那、それのからだに起こる異変。
町で人間を殺したときの感覚が蘇る。肉が、血が、自らを包み込み。まとわりつく衣類が温かく擦れ、動けば動くほど、快感が増し。
興奮で呼吸が荒くなる。ハアハアと口で酸素を取り込みながら、刀と鉤爪を刺しては抜き、刺しては抜き。
ぷるぷるしたつややかな内蔵をむき出しにし、握りつぶし、放り投げ。笑いがこみ上げるのを抑えきれない。
胸を切り開き、肋骨をへし折り、肺を握りつぶし血管を引き抜いて、残った心臓を片手で掴み、一口。
噛みちぎりながら、それは果てた。
『おい。おいってば! 何やってんだ。聞こえてるのか?』
兄弟達の心配そうな声で、それはだんだんと意識を取り戻した。何も考えられないほどだった快感の余韻が引いていく。
『ごめんね……蜘蛛に聞いたわ。あの人間達、お前を狙ってきたのね。私の判断ミスだわ。人間の世界になど降ろさず、ずっと山で暮らさせればよかった』
そう言って、岩穴から母犬が咥えてきたのはひとつの包み。
『お前が人間と暮らすと言ったら持たせようと思っていたものだよ。干した肉と、裏の泉の水が入っている。お前はこれを持って、山でもない、町でもないどこか遠くへお逃げ。あの人間達はきっとまた来るよ。夜明け……いえ、今すぐにでも。仲間を引き連れて、お前を探しにくるよ』
母犬の忠告に呼応して、それの服のなかからぴょんと蜘蛛が飛び出した。
『そのとおり! 人間達、一箇所に集まって、みんなでここへもう一度向かってる! え? どうしてわかるのかって? オイラ達蜘蛛には、独自の情報"網"というか、"ネット"ワークというか、そういうのがあって、世界中どこにいても連絡しあえるんだな!』
得意気に言い終わると、蜘蛛は再び服のなかへ潜って、
『オイラ、どこへでもついていくよ』
小さくくぐもった声が聞こえて、それっきり静かになった。
『さあ、急いで山の裏側へ。あの辺りは大きな木が多いわ。この前の嵐で倒れた木がいくつかあるはずよ。見つけたら海に降ろして。それに乗って海を渡りなさい』
最後に囁かれる、『ごめんね』。
三匹の遠吠えに見送られ、それは木々のあいだを飛翔。
*
『お腹すいたな! あいつ食うか?』
グルグルと鳴る腹を押さえ、それは物陰に潜む。
色とりどりの花が行儀よく咲き乱れ、光を反射して飛び上がる水が輝く場所に、それは迷いこんでいた。
海を渡り、辿り着いた先。
見たこと無いものばかりで埋め尽くされた世界。
水に浮かぶ大きな塊に、土ではない地面、素早く動く四角い石。
まずは腹ごしらえ、と、人間をひとり殺したら、どこからともなくたくさんの人間が現れて追いかけられた。
遠くから大きな音が鳴ったかと思うと、からだに熱い痛みがはしり、腕を少しだけ怪我した。
何がなんだか分からないうちに、命からがら逃げ出して、辿り着いたのがこの場所。
『人間は鈍いから、気配を消せば近づいても気づかれない。あいつさらって、森で食べような!』
背をむけている人間の頭には、太陽の光を受けて輝く柔らかそうな髪。それが故郷の山からよく見上げていた月と同じ色。
群れを思い出す。母犬と、兄弟と、よく、月に吠えた。
ここにあるのは、月。
ならば、この人間は、群れの一部。
蜘蛛の言う通り気配を消して、それは新しい群れの背後へ歩み寄った。
外伝一 END(本編 ☆リインカーネーションへ)





