第十六話 ☆昼下がりの嵐と幻※
国の政策はまだ変わらない。
税によって国民の懐はだんだん寒くなりつつある。それと反比例して、気温は徐々に高まりつつある初夏のこと。
ヘルトゥはホテルの部屋を引き払い、スラムで出会った女性の家に少し前から世話になっていた。
女性の家、と言っても家の主はもう老齢。
腰を痛めて立ち往生していたところを、たまたま通りがかったヘルトゥが助けたのが縁という、いたって健全なお付き合い。
女性の夫はすでに亡く、男手があると助かるとして、滞在は歓待された。
停滞する空気をときどき突風が攫っていく、晴れた日の午後。
ヘルトゥが散歩から戻ると、家のどまんなかで、見慣れないコートがたなびいていた。
「金が返せないたぁどういうことだ」
コートの主が足蹴にしているのはモスグリーンのローテーブル。
床には乱雑に割れた食器が白、黒、赤とまばらに飛び散って騒がしい。
「おいおい、乱暴はよさないか」
「あ? なんだお前」
慌てて止めに入ると、コートの主の青年は振り返り、今にも噛みつかん勢いで牙を剥く。逆立つ銀髪、飢えた獣か狂犬か。
「私の名前はセルゲレン・ヘルトゥ。ちょっとした縁で、こちらの家にしばらく前から厄介になっているんだ」
「金が無いだと言いながら、こんな得体の知れない奴囲ってんのかよ! そんなことする余裕あるなら働けよババア!」
ヘルトゥが差し出した右手は流されて、青年は標的を老婆にチェンジ。
「まあまあ。君、少し落ち着きたまえ。奥さん、一体これはどういうことなんです?」
荒れ狂う嵐は押え込むのも一苦労。イライラと部屋のなかをいったりきたり。
老婆は縮こまり、決まりが悪そうに蚊の鳴く声で、
「税が高くなったせいで内職の仕事が減って、生活費が足りなくなったので少し前にお金をマリクさんに借りたんです」
「今日が返済の期限だ。きっちり返ってくるまで帰らねえ」
マリクという青年は今度は壁を殴る。殴ってコインが出るならいくらでも殴ればいいが、残念ながら落ちるのは砂粒だけ。
「ふむ、ではマリク君」
「なんだよ」
「こうしよう。私が彼女の借金を代わりに返す。それでどうだい?」
提案すると、はじかれたように、老婆の白い目玉がくるくる回転。
「そんな! そこまでしていただくわけには」
「そうは言ってもね。こんな場面を見てしまっては、無視などできないよ。それに、お世話になっているお礼も兼ねているんだから気にしないでいい。マリク君もそれでいいかい?」
「俺は金が返ってくりゃ文句はねえよ」
「それじゃ交渉成立だ」
息巻く銀狼への餌としてヘルトゥが懐から取り出したのは、光り輝く一枚のコイン。丸い縁取りのなかで、腹をすかせた虎のシンボルが装飾の檻にとらわれている。
「純金か」
「あいにく現金は持ちあわせていないのだが、それを換金すればそこそこの金額になるだろう。ところで」
さて、ここからがヘルトゥのターン。
城で賭けた結果はまだ見えず、降りるにはまだ早い。ならばカードを追加するのみ。テーブルを指で叩く。
「君が首から下げている指輪。『カミィに祝福を』と彫られているね。カミィというのはこの国の后の名前だろう? 何か関係があるのかい?」
「うるせーな。俺が何持ってようがお前に関係ねーだろ」
「失礼。確かに私に直接は関係ないね。彼女がいかに辛い目にあっていようと」
「何? どういうことだ」
ブラフをしかけると、狼は予想以上の食いつきをみせた。望まれるまま手札をオープン。城で見た光景を伝える。
「はっきりと本人から聞いたわけではないが……あの様子だとおそらく、王から不当な扱いを受けているんじゃないかと、私の目には映ったね」
「クソっ!」
聞き終わるが早いか、マリクは家から飛び出した。
ヒットで引いたカードはどうやらジャック。トリックスターに期待しよう。
「ありがとうございます。ヘルトゥさん。ここまでしていただけるなんて、なんとお礼を言っていいか」
借金取りが出て行って、老婆の表情にも明るさが戻り。
「気にしないでください。お役に立てて光栄です。どうも長いあいだお世話になりました」
「出ていくおつもりなんですか? いつまでも居てくださって結構なのに」
「申し訳ないが、もう決めたことですから」
質素な家、儲けはじゅうぶん頂いた。次はどこへ行こうか。ゲームの結果が見えるまで、どこかで歌でも歌おうか。
嵐は去って、幻は発ち消える。





