真奈美とレナ
「真奈美さん、俺と付き合って下さい」
突然、2年生から告白されてしまった。
愛宕が体育祭の関係で手伝った件の見返りで演劇部を手伝ってくれた3人の内の1人。
名前はなんだっけ?ジョジョとか悟空とか黒子とか花道とかそんなのだったような気がする。
何の前触れもなかったので、驚いたというのが正直な感想だった。
遊びに行ったこともなければ、ケータイの番号も知らない、っていうか、私は名前がわからない。だけど名前を覚えていないのは失礼だと思ったので、それは言わないでおこう。
「私なんかと付き合ってどうしたいんですか?」
その後、彼は用意されていたような素晴らしい回答を披露した。
君と幸せになりたい、お互いに尊敬しあいたい、君と一緒にいたい。
っていうか絶対に用意してきた台詞だろう。
昨日の夜から考えてきたんだろうか?それとも今日の授業中に考えてきたんだろうか。
だが、心に響かない。40点。
というか場所が悪い。
屋上だとか2人きりの教室だとか夜の公園だとかなら分かるが、部室。しかもここは、私たち演劇部の部室。他に誰もいないのが幸いだが、マネキンのカトリーヌが見ている。
そもそも、私はこの先輩の事を良く知らないし、先輩だって私の事を良く知らないはずだ。
美奈子に会ったこともない。美奈子がでてきた時の私たちを知らないで、付き合ってほしいって言うのは、私の半分も知らないで付き合ってほしいというのと同義だろう。
なんかだんだん腹が立ってきた。
男の人に告白されるのは初めてだっていうのに、こんな人と。
台詞を用意してきたのは、まだいい。自分なりにがんばったのだろう。
美奈子の事を知らないのもしかたない。私がまわりに隠しているのは確かだ。
だが1回か2回しゃべったことがある程度で告白なんてちゃんちゃらおかしいわ。
なんで付き合いたいかと聞かれて優等生じみた答えをしてきたが、ぜんぜん響かない。
何がしたいのか?
「先輩が何を言いたいか、よくわからないです」
なぜだか知らないが私は今、怒っている。
「きれいごとだけですか?先輩にとって恋愛とか付き合うことって、その程度のものですか?」
「キスしたいとかハグしたいとか剥ぎたいとかセックスしたいって言えませんか?
むしろそっちが目当てですか?
でも私は先輩とはキスしたいとも、セックスしたいとも思ってないです」
「っていうか、生理的に無理です。引っ込んでてください」
「2度と私に近寄らないで下さい」
怒りにまかせて全部ぶちまけた。
――――ふっと我に返る。
今、意識が飛んだ。
言いかけた。
怒りにまかせて言いかけた。なんと言うべきなのかも、私にはわかった。
台詞が降りてきた。
でも、まだ言ってはいない。言っちゃいけない。
「先輩が何を言いたいか、よくわからないです。
告白してくれたことはうれしいですけど、私は今、演劇に集中したいですし、彼氏がほしいとも思っていません。応援してくれたり、手伝ってくれるのはうれしいですけど……。
すいません、無理です」
謝ってしまった。
心の中では、「生理的に無理です」と思っていたのに。
その後、この先輩はあきらめたらしく、そちらもすぐに謝ってきた。
すぐに謝るぐらいなら最初から言わなければいいのに。
そしてそそくさと部室を出て行った。
まぁ、あのなんちゃらって先輩やら他の先輩たちのおかげで、大道具も小道具も完成したから、手伝いはもういらない。本当は本番でも操作を手伝ってほしかったっていうのもあるが、部活内で色恋沙汰を展開されては困るし、私もこれから気まずくなるから、このまま来なくもいいか。でも本番は見に来てほしい。中身はどんな人でも、恵温高校生徒であれば清き一票は逃がしたくない。
両側をパネルと人形の山が埋め尽くしたホコリっぽい部室。
整理されてはいるけれども、物が多すぎて窮屈すぎる。
人ひとりがようやく通れるぐらいの細いスペース、片足分しかない隙間を進む。
積まれたパネルの上に乗り、窓際にもどかしい気持ちで、ひざでじりじりとにじり寄って近づく。大切な備品だけど、今は邪魔だ。
照明をつけても暗い室内を分け入り、ほとんど開けることのない窓に手をかける。
何ヶ月も動かしていなかったからか、重くなっていて片手では動かない。
窓際のストーブに片足を乗っけて、両手に力をかけたら、勢いよく開いた。
ブワッと籠った重たい空気が外に逃げて行く。冷たい空気が部屋の中へ流れて行く。
窓を開けただけで、部屋が明るくなった気がする。カーテンなんてかかってなかったのに。
窓の外からは体育会系の勇ましいランニングの音と、プール開きしたばかりのプールで水泳部が水を跳ねて泳ぐ音、吹奏楽部のパート練習。バラバラな音。綺麗で乱雑な音が入ってくる。
目を下すと、ベランダには吸い殻の山。多分、上の軽音部のだな。1本ぐらい私が吸ったのを捨てても、全部軽音部のせいにできそうだな。でも、それだと全部私が吸ったことにさせられちゃいそうだ。
なんだろう。こういう時の気持ちをうまく表現する語彙力がない。
一言で言うならタバコ吸いたい。
いや、本当は吸いたいとは思っていないのかもしれない。
ただ、なんかわからないモヤモヤした感情がある。
初めて告白された。
でもうれしくない。
先輩に対して、言いかけてしまったあの怒りの感情は何?
あれは私じゃない。
普段だったら、私はあんな汚い口は利かない。
付き合うってなんだろう。
毎日メールすること?
デートすること?
キスすること?
ハグすること?
セックスすること?
たとえなんだとしても、あの先輩とキスしたいとか、セックスしたいとか、今の私には思えない。
(誰とならキスしてもいいかな……?)
ふっと、錦町先輩の顔が浮かんだ。
違う、これはトオルの顔だ。
――私はトオルとキスしたい。
そう思った。
――私はトオルとキスしたい。
「ダメだ。トオルとキスするのは、わたしだ」
――あなたは誰?
「わたしはレナ。あんたもよく知っているでしょう」
――レナ?あなたは台本の中のキャラクターでしょう?
「そんなことはない、わたしはちゃんといる。あなたが演じるんじゃなく、わたしはちゃんとここにいる」
「真奈美もトオルとキスしたいの?」
「でもダメ、トオルとキスするのはわたし」
――あぁごめんなさい。
――そうね、彼氏を取っちゃダメだもんね。トオルはレナの彼氏だからね。
「わかればいいよ」
「あんたもいつか、いい彼氏ができるよ」
「だから、その時までさ、待てばいいよ」
「誰でもいいから付き合うってのはやめな」
「さっきのアイツはダメだ」
――そうか、さっきの言葉はレナの言葉だったのね。
「わたしはトオルじゃなきゃダメだからトオルと付き合っているんだ」
――あぁ、そうなの。
――ありがとう、レナ。
――レナ、がんばろうね、私たち。
「がんばらなくなってなんとかなるよ、わたしたちなら」
「そうだよ、美奈子も応援するよ」
――美奈子もいたの?
「うん、レナちゃん、はじめまして。あたしは美奈子」
――私は真奈美。
「これからよろしくね、レナちゃん」
ふっと我に返る。
レナが私の体に降りてきた。
はじめて告白された?
違う、中学時代に何度か告白されている。
だけど、はじめて告白されたと思った?
はじめて告白されたのは、真奈美じゃなくて、レナの方。
さっきの私は、真奈美でも美奈子でもなかった。
トオルは、レナから告ったからノーカウント。
今、私の体には、私と、美奈子と、レナがいる。
私の体には、2人分の遺伝子が流れている。
だったらレナは?
そんなことは関係ない。
昔の私だったらそういうことを気にしていただろうけど、私の中には美奈子とレナがいるんだ。それでいい。それだけでいい。美奈子とレナの存在はオカルトなのだ。
今ならすごい演技ができる気がする。
ちがう、演技をするんじゃない。
ただレナになって素直に気持ちを吐きだせばいいだけだ。
台本なんかいらない。
ただトオルの気持ちに素直に答えればいいだけ。
でもあいつは少し優柔不断だからなぁ。
「真奈美ちゃん、ここにいる?」
あっ、優柔不断が来た。
違う、錦町先輩だ。
「大丈夫だった?あいつに変な事されなかった」
「大丈夫です。ってか、なんで知ってるんですか」
「あいつが『ふられた~』って言ってきたの。私、告白するなんて知らなかったから驚いてさ」
「そうなんですか」
ふった、ふられた、こくった、こくられたを他人に報告するなよ、デリカシーのない奴だな。
「あいつね、そこそこ有名で、入学してからもう20人ぐらいに告って振られてるの。
でね、同じ時期に1人だけとかならわかるけど、同じ時期に2~3人に告白したり、女の子の返事待ちの間にも別の子に告白してたりとかして、とりあえず女の敵って事で3年女子の間では有名なのよ」
それは知らなかった。
「ごめんね、真奈美ちゃんにも教えておけばよかったね。気をつけてねって」
「大丈夫ですよ、変な事はされてないですし、彼のおかげで大道具は終わりましたし」
「そこは私も感謝してるんだけどね」
「ところで、彼、本名なんて名前でしたっけ?」
「山蔦ケンツロウって名前よ」
残念、ケンシロウじゃなくて、ケンツロウだった。まぁどうでもいいや。