ジョーとキング
中間試験は終わった。
そして苦戦を強いられている真奈美と美奈子がいる。
なんでもかんでも順調にいくと思った矢先、いざやってみると足を引っ張る姉2人がいる。台詞はかなり早い段階から入ったのだが、どうも伸び悩んでいる。
キャラ作りが上手くいっていないせいで、キャラがブレている。
昨日と今日でキャラの芯が全く違うなんてのはよくあることで、レナというキャラがフラフラしている。フラフラしているから、アドリブにも対応できないし、うまい感情表現が出てこない。それにしても、錦町先輩と柴田先輩はすごい。錦町先輩は生まれた時からトオルだったんじゃないかというぐらいにまさにトオルになっている。そもそも自分で書いた創作脚本だから覚えるのも早いんだと言っていたが、出番は一番多いのに苦もなく演じている。火曜と木曜にやっている昼練でも、錦町先輩が「あぁ、キスしてぇ」から台詞を始めると、廊下の外からは笑いもおきる。その笑いにはもちろん下品な笑いも含められているが、それも作戦の内なのだとか。
で、オレの方はと言えば、大道具の作成がクソ忙しい。部長からは
「大道具は〈トマトカレーパン〉に頼っていい。でも甘えるな。監督はそういう所を見ている」
と言われた。パネルの基本的な作り方は教わったし、今までのパネルはある。問題は小道具の量が多いことだ。場面転換も多いが、パネルを入れ替えるような大掛かりなことはできない。小道具をあちこちに配置して、ここが市街地なのか、公園なのか、海なのか、動物園なのかをアピールする。しかし、暗転の度に黒衣がステージに上がると目立ってしまう。講堂は遮光性が低いのだ。
暗転の度に黒衣がステージにあがって配置換えをするのは演劇の世界ではお約束なのだが、そこらへんは演出である錦町先輩の美学があるらしい。とはいえど、その美学も〈トマトカレーパン〉の受け売りらしいのだが。
可能な限り、黒衣がステージ上に上がってドタバタする回数は減らしたい。そのため、小道具の配置を、パネルでしきった裏通路でやることになった。
で、そういう意図もあるので、小道具の数が増えるのだが、その小道具の制作が追いつかない。
しかも当日の操作は1人なので、操作の練習の為にも小道具の作成にいつまでも時間を取られるわけにもいかないのだ。
だがもうすぐ、恵温高校でも体育祭がある。これでも応援練習だとかリレー練習だとかで時間がとられる。これが演劇部に与える効果は大きい。試験はなんとか赤点を取らない程度で潜り抜けられたが、体育祭はどうなるか。だが、体育祭を気にしていられる余裕はない。
残り時間はちょうど1ヶ月。無駄にできる時間は1日もない。
* * *
若いってのはいい事だなぁ。
今日、学年主任が俺に声をかけてきた。
「錦町くんは明らかにオーバーワークじゃないのか」
俺もそう思う。
成績はいいし、模試もいい。
部活動も熱心で、学校行事では中心人物、学外でも演劇をやってる。
非の打ちどころがない優等生だ。
来週に開かれる体育祭では副団長もやってる。
誰がどう見てもオーバーワークだ。
要因は生徒会執行部にもある。
来場者対決なんてやるらしいが、軽音部の連中の成績はそもそもよろしくない。
この前の試験、軽音部の連中は相当に点数を落としてきた。
だが演劇部の2人は相変わらず好調。錦町真奈美も南爪も悪くなかった。愛宕は問題だが。
勉強していない軽音部と勉強もしっかりして成績は申し分ない演劇部、どちらの社会的評価が高いかは言うまでもない。
幸いなことに、錦町は俺のクラスの生徒でもある。
〈トマトカレーパン〉でも嫌でも顔を合わせるんだから、俺と1番接点のある生徒だ。
先週の土曜、〈トマトカレーパン〉で会った時に言ってやった。
「辛かったら、すぐ相談しろ」
「辛いですけど、がんばります」
あいつの前向き発言は嫌いじゃない。
誰がどう見ても働きすぎ、頑張りすぎなのは明白。
でも弱音は吐かない。それに今の錦町には背負っている物がある。
だから手を抜けとは言えない。頑張るなとは絶対に言えない。
手を抜け、頑張るな、無理するなと発言して負けてしまったら、それは助言した俺の責任でもある。
だから学年主任にも「辛いけど、がんばるとは言ってます」と報告しておいた。
この夏の忙しい時期が終われば、本当に嫌でも受験勉強に専念させられる。
少しぐらい無理してでも、高校生活を満喫したいという気持ちはわからなくはない。
「なんかいろいろ話題になっていますねぇ、演劇部」
「そうなのか」
斎藤先生が律儀に報告してきた。
弁当を食い終わったばかりで一息つこうかと言う時間帯、この前までだったらタバコを吸っていたんだろうが、今は禁煙中で、何もすることが無く、仕事はする事がいっぱいだが、休憩時間にまで仕事のことをするわけにいかないっていう安穏とした時間帯だ。
演劇部が話題になっている。そりゃいいことだ。
確かに昨日の稽古は問題なかったし、これなら順調にスケジュールを消化できる。かなり早い段階から通し稽古ができるかもしれない。そうすれば完成度も上がるかもしれない。
本番の最初だけを繰り返し公開するのは、少し前から流行りの手何だと言っていたが、どこの流行りなのかはわからないし、そもそも俺は知らない。下山がいろいろ手引きしたらしい。
「ほら、最初の『あぁ、キスしてぇ』って台詞、なんか使っている生徒たちが増えてきたんですよ。口癖みたいに」
「それはすごいな。ある種の才能だ」
「そうなんですか」
ここからまた俺の講義が始まる。
いい劇の要素の一つに、観客に『自分自身を主役だと思いこませる』『主役に感情移入させる』って物がある。
映画を見たあと、気分が爽快になることはないか?
逆にホラー映画を見た後、気分が悪くなったり、夜道が怖くなったりすることはないか?
読書をすると、読者も2~3日はその主人公の感情に引っ張られるって効果が研究されている。STAP細胞なんかと違う、ちゃんと確証も再現実験もできた研究だ。
格闘技イベントがゴールデンタイムで放送された翌日、喧嘩の発生率が高いことに注目したことはないか?あぁすまん、斎藤先生は新任だったな。
数年前まで、地上波で格闘技やってたから、その翌週からはすごいんだよ、喧嘩が。
格闘技見ただけで自分も強くなったように感じる人間ってのはとっても多いんだ。
もっと簡単な例えなら、ジャッキー・チェンやブルース・リーの映画を見たあと、あのポーズをとって、部屋の蛍光灯の紐をサンドバック代わりにしてシャドーボクシングってのは、男なら誰でも一度はやることなんだよ。
だが、読者や視聴者の感情を引っ張る事が出来るのは、しっかりと感情移入ができた作品だけだ。観客を感情移入させることができるってのは、ある種の才能であり、いい劇の証拠でもある。
決め台詞を毎週のように繰り返すのは今も昔もテレビではよくやってる手だ。
『倍返しだ』とか『宇宙キター』とか『貴様らに名乗る名はない』とかな。
その台詞を視聴者も言わせるようになったら、意識的にしろ無意識化にしろ、その作品が浸透してるって証拠だ。
そういう風に、劇中の台詞をしゃべってくれるってことは、役者にとってはとてもありがたいんだよ。以上、講義おわり。
「じゃあ、『キスしてぇ』ってセリフが流行っているのは、良い事なのですね」
もしかしたら、下山が昼練習を公開するように指示したのって、これを狙っての事なのか?
あの先輩はよくわからんことに頭が回るからな。
「部活の雰囲気はどうだ?」
「雰囲気は問題ないですけど、美奈子ちゃんが伸び悩んでるみたいです」
「この場ではその名前はやめろ」
もう斎藤先生も、女池を美奈子と呼ぶのに慣れてきたようだ。
だがあの子は真奈美だ。
俺は最初から多重人格には懐疑的だ。
だが演劇の世界に長くいれば、多重人格なんじゃないのかってぐらいにキャラが変わる奴は何人もいる。
「キャラづくりがうまくいかないみたいですね」
「アイツは、丁寧にキャラづくりさせるような奴じゃないだろ?
ある時、フッと降りてくるはずさ」
「???」
しまった、この先生は演劇初心者なんだった。まだ講義の時間は続くことになった。
キャラを役者に入れる方法は、「構築型」と「憑依型」に分けられると思ってる。
構築型ってのは練習を積み重ねて、自分という体を、心を、演じるキャラクターに合わせて行く方法だ。
逆に憑依型ってのは、自分の体や心に、フッとキャラクターが降りてくるような役者だ。代表的な役者だと声優の林原めぐみは典型的な憑依型の声優だ。彼女自身もよく「キャラが降りてくる」という発言をする。最近の役者では松山ケンイチ、藤原竜也なんかが名前が挙がるな。
役者にも構築型が得意な役者と憑依型が得意な役者もいるし、普段は構築型だが、ある時フッと憑依型になっちまう役者もいる。
例えば、読み合わせの段階で、とても出来のいい台本なんかを読むと、感動してそのままキャラが降りてくるなんてこともある。だから構築型の役者に憑依ができないってわけでもない。
それから、役者の分類ってのはこの2種類だけってわけじゃないぞ。
この他にも裏や表、シャドーやトゥルース、個性派だとかいろいろ要素がある。
構築型を「努力型」って表現する有識者もいる。
演劇には決まって絶対こうだ、って正解はないからな。全く逆の事を主張する奴もいるし、それも間違いじゃない。
例えば、堺雅人が憑依型なのか構築型なのかは識者でも意見が割れている。
だがそれも本人にとってはどうでもいい事なのかもしれない。
ちなみに今の話は全部、ワークショップの受け売りだ。
「じゃあ、話を戻して、真奈美ちゃんはどうすればいいと思いますか?」
「ある日当然、レナになるさ、心配ない」
「そういうものなんですか?」
「そんなもんだ」
今度こそ本当に俺の講義は終わった。
「明日の昼練、練習開始を遅らせて、1度机を廊下に出して、最初のパートを全部見せるらしいですよ。今は廊下から眺めている生徒が多いですけど、明日は廊下じゃなく、教室内にも招くらしいです」
「よく考えたもんだな」
明日の昼休み、弁当食わないで数学講義室に行ってみるか。
* * *
オレにとっては、うれしい誤算だった。
クラスの中で、どうやらオレが、日曜大工が趣味なんだとの誤解が広まってしまった。
毎日のように演劇部の為にとんかんとんかんしていれば仕方ない。
そんな噂を否定し切らないうちに、クラスの女子からお願いされてしまった。
「愛宕くん、お願い、体育祭の大パネル、作るの手伝って」
恵温高校の体育祭は3部門で争われる。
純粋な種目の点数だけを数値化した競技部門。
普段の応援や午後の応援合戦の出来を競うパフォーマンス部門。
各軍団の団旗と全長20mパネルに描かれたイラストの出来を競うパネル部門。
ちなみに過去、2部門で1位をとった軍団はいるらしいが、3部門で1位を取った軍団はいないらしい。だが3部門で全部2位をとった軍団が十数年前にいて、さらに全部門で最下位という記録もあったらしい。
このパネル部門の進捗がよろしくないようだ。
演劇部の方に支障がでない程度でならと了承し、かわいいクラスメート女子とおしゃべりできるならまあいいかなと思い、放課後に約束の場所へ行ったら、待ち受けていたのは、かわいい女の子ではなく、屈強な体育会系の3年男子だった。
「この野郎!てめぇは錦町さんと〈倫敦夜曲〉行ったのか!チクショ~~!」
この先輩たちはしゃべりながらでも手を動かすのが早い。進捗が遅れていたはずのパネル制作は5日巻いて終了した。どうやら2年3年でも女子が男子を誘ったらしい。
ここでオレの失敗があった。
パネルの土台を作成中に先輩たちに演劇部についていろいろ聞かれ、答えていたら、つい口が滑って、演劇部がウルトラ怪獣の着ぐるみを隠しもっていることがバラしてしまった。
「カイジュー使おうぜ!」
「体育祭でカイジューが登場したら、最強だ!」
ザクとバルタンとシャドームーンを見て興奮しない男は男じゃないとはうちの親父の言葉だが、バルタンではなくともカイジューならなんでも興奮するようだ。
しかしこれはまずいことになった。写メ厳禁と言われているのだ。
体育祭なんかで使ったら、写メもカメラも取られ放題だ。
だが、噂が広まるのは早い。
演劇部が着ぐるみをもっていることは、もはや軍団中に知れ渡っていた。
もうどうしようもなくなって、下山監督に泣きついた。
「そんなんなら、本物を参考にして、自分らで作っちまえばいいねっか。本物じゃなくて、本物を参考にした自作のものを使えや。それなら問題ねぇよ。コスプレだもん」
その一声で軍団が動いた。
我等1年7組が所属する紫連合のイメージキャラは「ティラノサウルス」だったのだが、この1件で体育祭5日前にして、ティラノがティラノっぽいウルトラ怪獣に変更になり、さらにもう1匹怪獣を追加する事に変更になった。
そこから3年男子の先輩方は、軍団の2年男子と1年男子も巻き込んで、5日でスーツをコピーするという一大プロジェクトが発動してしまった。
手先が器用な生徒を総動員して自作着ぐるみの制作を始動させる。さらには紫連合以外の生徒からも「手伝いたい」という声が寄せられ、卒業したOBをも巻き込んで盛大にどんちゃん騒ぎを始めた。
当事者のオレは、普通だったら、絶対に完成しない、たった5日で精巧な着ぐるみなんて完成できっこない、と思っていた。
まあそれでも、前日の夜か、最悪は当日の朝までに上半身だけでも完成していれば、下半身は誤魔化せるかな、ぐらいの気持ちでいた。
「絶対に完成させよう」と言葉で言いながら心の中では、絶対に完成しない、と諦めていた。
「なぁ、ジョーって呼んでいいよな?」
先輩に突然、変なあだ名をつけられた。
「なぜジョーなんです?」
「あの着ぐるみ、入るのはお前だろ?」
「はい」
「キングなジョーを操縦するパイロットは、当然ジョーだろ」
つまりゲイナーとキングなゲイナーとか、キタンとキングなキタンとかと同じで、オレがジョーで、オレが入る気ぐるみはキングなジョーらしい。
そしてオレの新しいあだ名は一瞬で浸透した。本名より浸透している。
翌日には、近くにすむOBのガレージと、模型店の貸しブースとの2班に分かれて作業が開始され、さらには恵温高校が誇る最新OSの入った新作ノートPCを拝借し、そこでCADデータをいじる連中が結成され、さらに材料集めの為にチャリで市内を走りまわるグループやらなんやらいろいろできてきた。ホームセンターで買ったプラ板やらプラダンが多すぎて、免許とりたてのOBを呼んでレンタルの軽トラを出してもらった。
着ぐるみのボディは段ボールの切り貼りなんて代物じゃなく、プラ板から切り出し、山もりのパテ、積層プラ板加工が駆使され、さらに至るところにゴッドハンド、熟練モデラーのやすり掛け、塗装にはエアブラシと大容量コンプレッサーを導入、さらさらに本格的なバキュームフォームやCAD、3Dプリンタ、レーザーカッター、旋盤、マシニングセンターを駆使したキングは、変形分離はできないものの、前日の予行練習直前に全パーツが完成し、内部にLEDを仕込んで発光するギミックも入れられた。組み合わせた際は見事な完成度で、制作陣の度肝を抜いた。
さらに、ザウルス3世には、演劇部の公演で使う大蛇を流用し、首から先だけが延々と延びるように改良された。その長さ、なんと40メートル。
この時、オレは絶対に完成しないと高をくくっていたのに、大勢の協力があることでそれが覆るという事実を、身をもって知った。屈強な男たちはわずか4日で2体のキングを再現してしまった。前日の最終練習には堂々のセーフ。
それだけではない。
「演劇部の仕事、後回しにしたんだろ?すまなかったな。
だったら、体育祭が終わったら、今回の礼で、俺たちも手伝ってやるよ」
キング作成は25人ぐらいのチームだったが、その内3人が遅れた分の演劇部の仕事を手伝うことを約束してくれた。こんなにうれしい事はない。人と人の繋がりが人類を進化に導く。もしもこの事実をシャア・アズナブルが気づいていたなら、彼は地球寒冷化作戦なんて実行しなかっただろう。
人類の持つ可能性を感じながら、オレは本番を迎えた。
キングが登場した時の観客席からの大歓声はしばらく忘れられそうにない。
オレたちが作った着ぐるみで、今日一番の歓声が上がった。
――鳥肌が立った。
ザウルス3世も好評だった。テレビかなんかで良く見るあの中国の龍の舞を、ウルトラ怪獣でやる姿はシュールかと思ったが、かなりのインパクトがあった。派手だし、思ったよりダイナミックになる。それにキングとも絡める。だけど団長は「やっぱナースの方が良かったな」とダメだししていた。一理ある。
大成功だった。
体育祭では、パフォーマンス部門で1位を獲得し、審査員特別賞も転がりこんだ。
3年生の先輩たちは泣いていた。男も女も泣いていた。なんで泣いているのかわからない。
素直にそう聞いた。
「なんで泣いてるんすか」
「ジョーも、もう2年経てばわかる」
名前も知らない3年の先輩たちから囲まれ、「ありがとう」「ありがとう」と抱きしめられた。
オレは先輩たちにかわいがってもらっていたんだと初めて気づいた。
最初は体育祭も嫌々だった。でも終わってみると、こんなに楽しい経験をしたのは初めてだった。今から来年の体育祭が楽しみだ。
ただ、思い残したこともある。
キングとザウルス3世に集中し過ぎたせいで、自称、文化祭女と言われている柴田先輩とチア姿の錦町先輩のパフォーマンスを目に収められなかった事だ。