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真奈美と愛宕

    大丈夫。君ならできるよ。君ならできる。


    *        *        *


「大丈夫、あたしが主役をやれば、全部うまくいくよ」

 あたしは教卓のクラス委員と黒板の前で背中を向けている書記にむけて言った。

 挙手して発言しているのに、あたしを見る人は誰もいない。

 クラスのみんなに顔がない。

 今は秋のウキウキフェスティバルで、我等5年5組がどういう出し物をするかを決める会議だったはずだ。

 クラスの先生には目も鼻も口もなかった。

 出し物は劇をやることになったのに、演題も出演者もスタッフも何も決まっていない。

 そもそも劇をやりたいといって多数決で投票した人は誰も役者に立候補しない。

 お化け屋敷とダンスフロア、腕相撲トーナメントに投票した人なら仕方ない。

 だけど劇をやりたいと投票した人は17人もいる。

 その中からも何の意見もアイデアも出ない。

 無言のまますでに5分経過して、クラス委員がどうしようもなくなって、名簿順で全員に当てているけど、あたしの前の人まで「わかりません」「まだ考えてません」しか言わない。

 だからあたしがやると提案した。

 主演も脚本も演出も私がやる。

 あとは脇役とほんの少しのサポートがいれば、なんとか劇の形は整う。

 ウキウキフェスティバルの開始時間は9時30分から午後2時30分の5時間。

 45分の劇をインターバル15分でやるとして、5回公演。

 最悪、主役を全部あたしがやるとして、脇役とサポートは公演ごとに変更するとして、33人クラスで私を抜けば32人、それを5で割ると、だいたい6人。

 受付と客席案内を兼用するとして1人、音響効果や照明操作は兼用できるだろうか、いや照明といっても暗転と明転があるだけで、スイッチ操作をするだけだろうし、音響なんて凝ったものを用意できるかどうかもわからない。できてCDの再生と停止するぐらい。

 だとしたら受付も客席案内も照明操作も音響も全て1人でやるとして、役者は最大で4人。

 あたしとミナコでメインをやるとして、他の4人には大した演技ができるとは思っていない、実質1人芝居ということになる。

 それにそった脚本をあたしが作らないといけない。

 他の4人に多くを求めないにしても、台本は早めに用意しないとセリフを覚えられない。

 本番まで1カ月。なるべくなら1週間で仕上げたい。

 原稿用紙で用意するのは、読みづらくなるから、お父さんのパソコンを借りて作らなければならない。お父さんのPCが使えるのは、お父さんが帰ってくるまでの短い時間。

 帰ってくる時間は、残業の具合によって時間が異なるけど、毎日定時で帰ってくるとして、家につくのが午後6時半。有給や体調不良、リストラや脱サラは考慮しないこととする。

 こっちは5年生になって6時間目やクラブ活動もあるので帰宅時間も遅くなるし、習い事もあるし、稽古もある。そうすると水曜日と金曜日、土日は作業できない。

 だとしたら、月曜日と火曜日と木曜日の3日間、それも帰宅後、わずか1時間半から2時間、合計すると4時間半から6時間で45分の台本を仕上げなければならない、そっちのほうが問題だ。あたしはまだタイピングがそれほど速くない。

 いやいや、そんなことはどうでもいい。今のこの葬式の最中か、冷蔵庫の中みたいな暗くて冷たい不毛な会議をさっさと終わらせることだ。残り時間は少ない。今時の小学生は議題に明確な結論が出ていなくても放課時間になれば解散してしまう。

 そうすると次の会議は来週になってしまう。1時間目の前に行われる朝の会の時間では短すぎる。今日の15分を無駄にすることは、このあと1週間を無駄にすることになる。

「大丈夫だよ、脚本も、演出も、主役もあたしがやるから、みんなはそんなにがんばらなくても大丈夫よ」

 あたしはまた声を高める。

 クラスのみんなには顔がない。

 先生には目も鼻も口も耳もない。

「あたしとミナコでメインをやれば、2人だけでもなんとかなるよ」

 あたしは本当のことを言う。

 誰も何もやらない劇なら、あたしとミナコがいる。

「ねぇ、マナミちゃん」

 顔のないクラスメートが言う。

「1人で全部やるなんて無理だよ。もうちょっとみんなでやる方法も考えようよ」

「みんなの出し物なんだから、みんなでやった方がいいよ」

 1人が語ると、挙手もせずに2人目が話し出す。

 彼女もまた顔がない。

「でも、ほら、誰も意見を言わないし」

「それはまだ、みんな考えがまとまっていないからだよ」

「でも、今日決まらなければ、また一週間まつことになるんだよ」

「まだ1カ月あるんだから、来週決まっても3週間あるよ」

「それで劇をやるなんて大変よ」

「じゃあさ、劇なんてやめればいいじゃん。誰も何もやらないなら、何もできない」

 顔のない男子が声を荒らげる。このタイミングで『そもそも論』をけしかけてくるとは。

「そうだよ、多数決で劇になったのも、消去法じゃないか」

 別の顔がない男が得意げに語る。

 お化け屋敷に避けたのは、6年生もお化け屋敷をやるのを聞いてネタのバッティングを危惧したから。5年生と6年生が同じ出し物をやったら、企画力では5年生に勝ち目はない。

 ダンスフロアにしなかったのは、ディスコやクラブをやっても、集客能力を見込めないから。

 腕相撲トーナメントにしなかったのは、1日かけてトーナメントをやって、来場者を最長5時間も拘束すると、他のクラスも見て回りたい児童が敬遠するから。

 まったく―――消去法―――なんて単語を使えば、こちらが委縮するとでも思ったか。

 顔のない男子たちがキャンキャンと吠えだす。

「多数決をやりなおして、最初から決めなおせばいいだろ」

「劇にこだわらなくていい」

 とうとう、劇に投票した17人の中からも反逆者が出た。

 1人が離反すれば、亀裂が入ったダムが決壊するより早く2人目が造反し、3人目が裏切り、4人目がブルータスになる。

「じゃあ、なんのためにこのクラス会議をしたの?」

「決まらなかったらしょうがないじゃない」

 結局、みんなこうだ。誰かがやってくれるだろう、誰かが何かしてくれるだろう、そうやってこのクラスは秋まで来てしまった。

 劇から別の企画になっても、すぐまた何も意見がでずに時間だけを浪費する。運動会も合唱発表会の時もそうだった。

「なんで、また最初からやるなんて言うのよ」

「それにさ……」

 黒い顔の男が言う。彼の顔は、首から上が黒よりも黒い暗黒色だった。

「マナミが全部やるってことには異論はねぇよ。だけど、いい加減、ミナコだとかって脳内キャラだされるの、気持ち悪いんだ」

「ミナコはあたしの中にいるの!あたしの双子なの」

「そんな厨二病設定、誰も信じねぇよ」

「いいかげん、お前の妄想につきあうの、ウザいんだよ」

「キモいんだよ、多重人格だとかなんだか」

「演劇の時ばっか張り切っちゃってさ、バカじゃないの?」

 顔のないクラスメートたちは私を取り囲んで、嘲笑し、罵倒する。

 気持ち悪い、妄想、ウザい、キモい、バカ――――

 黒い顔の男はあたしにトドメを刺さんと決定的な一言を言う。

「もうお前みたいな痛い奴と関わりたくないんだよ」

 痛い奴、痛い奴、痛い奴、痛い奴、

 同じ言葉があたしの頭の中をグルグル回り、とうとうあたしの涙腺は決壊した。

 突然泣きだしたあたしを、また彼らはこう罵った。

「泣けばいいと思って、これだから女は嫌だよな」

「なによ、『これだから女は嫌』って」

「ホラ、真奈美ちゃんが悪いだけで女子全部が悪いことになっちゃうじゃない」

「謝ってよ、真奈美ちゃん!」

「謝れよ!」

 今まで黙っていた女子もあたしの攻撃に加わる。男子はさらに攻撃の手を強める。

 そして、あたしはあたしの頭の中にいたミナコとお別れをした。


    *        *        *


 月日は百代の過客として、行きかう年もまた旅人なりと、松尾芭蕉は「おくのほそ道」の序文で述べているが、まだ人生を15年しか経験していない私――女池真奈美にとっては、時間というのは本当にゆっくりゆっくり流れていく物で、来ては去り、去っては来るなどというジェットコースターみたいな物ではなかった。

 あぁ、もう15歳じゃなくて、16歳になっちゃったから16年か。

長かった長かった幼稚園時代が終わり、長かった長かった小学校6年間が終わり、同じく長かった長かった中学校時代が先月ようやく終わり、今日これからは長い長い高校生である。中学での成績はそれなりに良かったが、それもけしてトップクラスというわけでもなく、県内トップの進学校からかなりランクを落として、地区内で3~4番目の進学校に安全圏で合格し、今日は晴れてここ県立恵温高校の新入生入学式に参加するためにやってきたわけである。

 県内の高校で唯一のセーラー服に袖を通し、タイは曲がっていないか何度も何度も鏡の前で確認した。スカートを初日から3センチあげて、裾をヒラリヒラリとひるがえして、新品のバスの定期を常連ぶった顔で運転手に見せつけながら降車し、待ち構えていた先輩方の勧誘のビラを丁寧に断りながら敷地に入り、壁を蔦が覆った古そうな……ゲフンゲフン――訂正、貫録のある校舎に入って、真新しい白いシューズに履き替え、階段を上って割り当てられた教室に向かう。また私は少女から大人の女への階段を一歩登ったのだと思う。少なくとも私は今日から、女子中学生ではなく、JK――女子高生なのだ。もはや小学生の頃のあたしとは全くの別人だ。幼稚園でお姫様役をやってから、舞台がなんとなく好きになり、クラスや委員会で寸劇――たとえば月1回の全校朝礼での啓蒙活動の一環とか、卒業生を送る会の出し物だとか、とにかくそういう劇をやるときだけはとても張り切った。それが高じて、子供タレント向けのWS――ワークショップに通い、何度か舞台にも立ったが、ただそれだけ……。

 大人のお客さんが高いチケット代を払って見に来る大きな舞台やミュージカルにも出た。今となってはそれも恥ずかしい過去にしてしまいたい、消してしまいたい過去でもあるが、ただあの頃の私にとっては演劇だとかお芝居は生きる喜びだった。小学5年のウキウキフェスティバルの出し物を決める会議があったあの日までは。小学校5年生の時に、自分の中にいる別のキャラクターという痛い設定に、クラスメートから「もうついていけない」と言われたのを機に、私は私の中にいるキャラクターとは別れを告げ、舞台から降り、劇だのなんだのに騒がなくなり、演劇への興味も薄れて行った。所属していた劇団の友達からは退団を惜しむ声もあったが、それも1ヶ月もあればおさまった。演劇に興味をなくして劇団を去る子供は多い。まして、当時の劇団は、大手までとはいかなくともそれなりの団員数がいたし、専属のタレントもいた。私が辞めても変わりはたくさんいた。私よりもうまい子もかわいい子もたくさんいた。

 辞めるまでの慰留は激しかったが、1度辞めてからは手紙も電話もこなかった。

 だから私はあっさりと演劇を辞められた。

 最初はそれでも演劇をあきらめきれない時期もあった。だが、劇団から離れて定期的に舞台を踏む経験を失い、演劇以外の新しい刺激を見つけると、自然と興味も離れていった。

 何よりも、毎日も会うような学校のクラスメートに「痛い奴」だとか「うざい」だとかは思われたくない。いや、今まで思われていたという事の方がショックだった。

 「痛い奴」と思われる事と、演劇を続けるという事を天秤にかけた時、〈あたし〉は迷うことなく演劇を捨てた。それでよかったのだ。

 むしろ、痛いキャラ設定を世間一般の『厨二病』の定義とされる中学2年生になる前に指摘されて、小学校5年のうちに赤っ恥をかいておいて良かったのだ。

 キャラ設定が痛すぎたが為に、恥を人よりも早くかいた私は、その分、早熟だった。

 設定を振り回すこともなくなったし、性格も活発な部類からまじめな部類にシフトしていった。アニメや漫画やドラマを見ても、それを虚構だと捉えることができた。すぐに感化されて設定を真似したりもしなくなった。

 身長も他より早く伸びたし、勉強も特段努力しなくてもそれなりに良くできた、落ち着きもあった――と自己分析しているつもり……。

 でもそういう自己分析も、熱くなっている自分を冷静な自分をみつめているみたいな、多重人格キャラとかを妄想しているようで痛い。

 でももう私は小学校の時みたいに、ミナコだとか脳内キャラを口に出すのは辞めたし、小学5年の冬公演を最後に舞台には立っていないし、ワークショップにも行っていない、お芝居みたいなことは何もしていない。

 中学は女子バレー部に入って、地区大会や県大会とはずっと無縁だったが、それでもそれなりにがんばってきたつもりだし、3年の夏の大会に負けて引退が決まった時は、人前で悲しんだりもした。委員会もうまく適当にやって、委員長も経験して、最後の総会では拍手で見送られた。

 男から告白も4回か5回されたが、好みのタイプじゃなかったから断った。せめてイケボだったらまだ考えたのだが、声が美しくなかった。声が美しくない男には興味がない。

 女からも何度か告白されたが、私はレズではない、残念ながら。告白された回数も数えていない。たとえその少女がゴスロリだろうと、ボーイッシュだろうと、マニッシュな服装が好みだろうと、私には女を犯して喜ぶ趣味はない。

 人から見れば青春まっさかりだろう。うらやむかどうかは人それぞれだろうが。

 まぁ男だろうと女だろうと告白された回数は武勇伝みたいなもんだけど、あまり正直に答えると回数が多いだけで高飛車な奴だと思われる。かといって全く告白されたことがないと嘘を言えば、かわいい顔して性格はどんだけヤバイんだと勘繰られても、それはそれで嫌だ。あぁ、自分で自分をかわいい顔って分析してるのは、それもそれでそれなりに自意識過剰なんだろうか。まぁ、私も自分が絶世の美女だとは思ってはいない。まぁ、オナチューの中では「中の上」か「上の下」ぐらいは言っていたと思う。それも自意識過剰なんだろうか?教室に入り、まばらな席を見渡す。みんな初めての顔。誰かが隠すこともなくこっちをみながら「背ぇたけぇ」とつぶやく。

 この自意識過剰な優越感をもたらしているのは、ほとんどがこの身長のせいだ。169センチ、高校に入学するばかりの女子の中では高い方だ。いや正確には、この数値も去年の春の検討診断で計測した数値だから、ここ1年で伸びているかもしれない。体重はあまり増えていてほしくないな。黒板には座席表がすでに張られていた。自分の席を確認し、まわれ右してそこへ向かう。途中すれ違う女子には挨拶。男子には声をかけられないかぎりスルー。同じ中学出身者がクラスにいないから、早くお友達をつくらないとボッチになるな。そんなことを考えながら、私は、新しい学校と新しいクラスに面通しをして、諸々のイベントをクリヤーしつつ、そしてついに、入学式を迎えた。


    *        *        *


 祇園少女のカネの声、諸行無常の響きありだったか、誰が言ったのか知らんが、祇園少女のなんとやらってのは、この世の全ての物は絶えず変化していって、どんなものにでも終わりがある意味らしい。だったら、今日始まったばかりの高校生活も、さっさと終わりにしてほしいものだ。さっさと大学生になって1人暮らしをして遊びたい。何の因果かはわからんが、義務教育中の中学校はともかく、義務教育が終わった高校でも、また姉ちゃんと同じ高校に通うことになるとは思わなかった。

 姉ちゃんと別の高校に行きたいが為に、オレなりに必死に勉強もしたし、なんだったら私立だとか公立の工業科だとか商業科とかを受けて普通科を避けようとは思ったのだが、年子で同学年に姉弟がいる平均的な収入の我が家にとっては、片方だけでも私立に行かせるような金の余裕はなかったということだ。誕生日がたった1日遅ければ、俺は次の学年の最年長者になれたのだが、こればかりは仕方ない。それに4月1日は一年の内でもっとも子供がたくさん生まれる日らしい。そんなことはどうでもいい。

 勉学に強い意欲がなかったオレには、そもそもとして工業科や商業科に進学したいという積極的な目的や意思みたいなものはなかったし、普通科に行く姉ちゃんとは別の高校に行きたいという消極的理由のただそれだけで高校進学を考えるのは、自分の人生を棒に振るようなものだと進路指導の熱血教師とクラス担任の筋肉バカにこっぴどく叱られた。姉ちゃんと離れる為の努力なら進んでやるが、勉強については強い意欲はない。そんな矛盾した思考の結果がどの程度のものなのか、みんななら想像がつくだろう?

 姉ちゃんは恵温高校か、もうワンランク上の南高校を受験するのはわかっていたが、残念ながらオレには姉以上の学力もなく、よって恵温高校より上の南高校やそれ以上の高校は無し、国立などは論外。恵温高校から1ランクを落とすとなると、今度は片道2時間以上かかる辺境の西高校になる。家のそばにある東高校は立地もいいが、ランクは2つ落ちる。学力を自在にコントールするような器用なまねはできるわけはなく、姉ちゃんが本格的に恵温高校を目的に定めたころに、東高校に目標を変えると言ったら、親も教師もが盛大に反対してきて、オレの意思など全くないかのように第一希望は無理やりに恵温高校普通科にさせられた。

 まあ、それでも恵温高校が嫌いというわけではないと、どっちかというと好きな部類に入るし、ぶっちゃけと言うと一番行きたかった高校だ。姉ちゃんの第1希望であったということを除けば、何の問題もない最高の高校だった。姉ちゃんと進学先が別々なら、それこそ恵温高校は天国になっただろうし、さっさと高校生活が終わればいいなんて幻想も抱かなくて済む。3年間をフル活用したいと思っていただろう。恵温高校は一応、進学校だし、頭がいい部類の生徒がいく高校だとは思われてる。何より校風が自由だ。今日は入学式だと言うのに、ギターケースを背負って学校に向かっている生徒をチラホラみかける。在校生の登校時間は新入生よりずっと早いから、今この時間に登校しているのは新1年生だけのはずだ。つまり入学式早々にギターケースを持って登校することが許されているということだ。素晴らしい。恵温高校には普通科しかない。もとは商業科や衛生看護科などもあったらしいし、遠い昔は女子高だったらしい。今も音楽科などないし、音楽やギターに特化したカリキュラムが組まれているわけではない。あくまで普通科だ。普通科が8クラス。

 まあ、8クラスもあるのだから、偶然姉ちゃんと同じクラスになるようなことは確率8分の1、別のクラスになる率の方が高いのだから、せめてそうなってほしい――。

 ――などと願いながら入学後のイベントをこなしていたら、あっという間に釘を刺された。

 クラス分けでなんとか姉と離れられた、それは良いが、入学式直後の服装チェックにて早々に学年主任が雷を落とした。

「うちの学校は、自由な高校ではありません!」

 学年主任のツルっぱげ親父は、口から一兆度の火球を吐き出さん勢いでこう告げた。こいつは無重力ペンシル弾を撃ち込んでも爆発しそうにない。

 恵温高校はここ数年、自由な校風であるとの認識が県内で広がっているが、けっしてそのようなことはない。推薦入試でなぜ恵温高校に進みたいのかと聞いて「自由な校風」という単語を言った受験生はどんなに成績がよくても不合格にしている、とのエピソードをいくつか語った後、服装を崩さず、汚い言葉遣いをせず、夜遊びをせず、ケータイやスマホでアホなことをせず、勉学や部活動に励み、大学受験に控えなさいと。

 せっかく高校受験が終わったのに、入学式のその日のうちに大学受験をせかされるとは思っていなかった。せいぜい高2の秋以降に考え始めればいいのだと思っていたのだが、今週末までに進路資料室に行って自分の成績に見合った進学希望先を第1希望から第5希望まで書けとのこと。ようやく勉強をしなくていい時期になったと思った瞬間に、また勉強するようにと言われた。夢を砕かれた。恵温高校に入ったら、しばらくは遊べると思ったのに――。はたまたそんなことを考えながら、生徒会主催の新入生歓迎会に参加したところ、さきほどのゼットン学年主任の言葉を180度否定する、驚天動地の一言が響いた。

「お前らが来るのを待っていたZE!」

 その絶叫の後に、スピーカーからオレの五臓六腑を振動させる爆音が響きだした。

 ――ロッケンロール!

 ステージの幕が左右に割れ、生徒会長がギター片手に歌いだした。

どうやら校歌のアレンジらしい。

 ベースには左利きの長い黒髪の女子が、ドラムにはいかついガテン系の男が、キーボードには金髪の男が、サングラスにピンバッジのついたキャップをスケベかぶりしてるDJらしき小柄の男が、リズムに合わせて体を小刻みに震えだす。

 初めて味わう、鼓膜を突き破るような大音量。耳が痛い。鼓膜が痛い。耳の奥の脳が痛い。3日は耳が聞こえなくなりそうだ。

 ドラムのスティックはそのままオレの腹を殴っているように感じるし、ボーカルはオレの耳元で怒鳴っているとしか思えない。強烈な爆音。強烈な初体験。

 そしてロックアレンジした到底校歌とは思えない曲を3番まで歌い終えると、自己紹介が始まった。

「俺たちが、恵温高校生徒会執行部役員デェース!」

 最後は、DEATH、と発音したつもりなんだろうか。

「センコーの言うことなんて、気にすんな!」

 それがオレ――女池愛宕の高校生活の第1日目の出来事だった。


    *        *        *


 私、女池真奈美は高校生活1日目からこの学校の現状に嘆いていた。もっと下調べしてから志望高校を選べばよかった。生徒会のメンバーが〈バンド〉を組んでいるならまだ百歩譲って問題ないとして、そのメンバーで校歌をアレンジして体育館のステージで演奏して新入生を迎えるとは……。

「恵温高校での青春とは、つまり〈バンド〉を組むことだ!」

 頭の悪そうな生徒会長は言った。

「だから、おまえら!〈バンド〉を組め!」

 それから彼らは〈バンド〉がいかに青春で、ロックが青春かを長々と語り、〈バンド〉を組まない奴はどれだけ青春を無駄にしているのかをご教授してくださいましやがりました。

 今日、この瞬間をもって、私は『青春』って言葉が嫌いになった。

「〈バンド〉以外は全部クソだ!軽音以外は全部クソだ!○○ック!」

 信じられない。別に〈バンド〉を組むことが悪いとは思っていない。

 しかし〈バンド〉以外の青春は存在しないかのような言い草は、良識ある高校生の発言だとは思えない。しかも、その発言をしたのが生徒会長。信じられない。

 あれが軽音部の部活動紹介だったらまだ理解もできるが、あれは新入生歓迎の生徒会長挨拶なのである。

 本当に信じられない。

 わざとらしく溜め息をつきたくなる。いや、つかないけど。

 とりあえず、生徒会主催の新入生歓迎会は終わり、クラスに戻った。

 1年3組。新しい学び舎、新しい教室、新しいクラスメート。

 騒がしい入学式やら新入生歓迎会で忘れていたが、私はまだ誰ともしゃべっていない。

 オナチューはみんな別のクラス。他校に知り合いもいない。

 クラス担任のおじいちゃんが自己紹介をした後、副担任の斎藤先生の紹介があり、そして恒例のクラス全体の自己紹介が始まった。名簿順。メで始まる私は、かなり後ろの方だ。

「アダチトモヒロ、趣味はバレーボールです。男子バレー部に入る予定です。よろしくお願いします」

「イケガミカズキです。カミヤマ中学から来ました。化学とか物理とかコンピューター関係の部活に入るつもりです」

「ウスタダイスケ、ヒガシイシヤマから来ました。野球部に入って甲子園を目指します」

「エンドウシズクです。中学では吹奏楽部をやってましたが、恵温では軽音部に入りたいです。ギターを買いました」

 あぁ、あーゆー部活にあこがれる子もいるんだ。趣味が合わないなぁ。

「マツハマ中出身、オオタニケンゴウ。ただの人間に興味ありません、この中に、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、今すぐ私のところに来なさい。以上」

 痛い。こいつは痛い。有名アニメから自己紹介文をパクってきたようだが、知ってる人はニヤニヤ笑ってるし、知らない人はキョトンとしてる。とりあえずオオタニには近づかないようにしておこう。

「カトウユミコです、趣味は寝ることです」

 短い自己紹介だな。ガツガツした自己アピールしたくないのかどうかわからんが、こういう人もいるんだ。

 いや、待て、私はなんて自己紹介しよう。入りたい部活?今のところない?アピールポイント?とりあえず、出身の中学だけ言って、中学では女子バレー部に入っていた事だけを言おうか。でもそれをアピールすると、恵温でも女子バレーをやらされそうになるかもしれない。バレーなんてもうまっぴらだ。身長があるって理由だけで勧誘されたが、私みたいな性格の子にはアタッカーは無理だ。24時間年中無休みたいな、朝昼晩とただ練習量が多いだけで強くもなんともない部活なんて嫌だ、大嫌いだ。もうちょっとおしとやかな高校生活がおくりたい。幸い、恵温高校の女バレは強豪ではない。だから女子バレーはもうやらない。いや、強豪校だろうと弱小高だろうと女子バレーはやらない。もう決めてある。じゃあ、どうしよう。出身中学だけ言おうか、あとは趣味?――趣味?趣味って何さ?せいぜいお父さんとお母さんが借りてきたレンタルBDとか、コレクション棚にあるBDとかマンガとか推理小説とかラノベをダラダラみる程度だ。――趣味?

 どうしよう、何て言おう?オオタニみたいにボケるか。名前の後にブイってでかい声でピースサインしようか。グラビティブラスト発射とか言っちゃおうか。ダメだ、このアニメは古すぎる、生まれる前だ、でも好きなアニメだからどうしようもない、お父さんの一番すきなアニメだし、私も好きだ、ガンダムよりこっちの方が好きだ、だが今日はやめよう。流行りのアニメ?やばい今期は流行りのアニメも見てないし、受験もあったから去年からドラマもバラエティー見てないし、去年の流行語大賞もわからない。どうしようどうしよう。とりあえず、読書って言っておけばいいのか。好きな建築家は中村青司ですって言おうか?いや、そんなギャグだれもわからないし、わかったらわかったで、そいつに目をつけられる。ああしまった、オオタニの次の次からずっと聞いてない。っていうか、オオタニの次の女の子の名前なんだっけ?オオタニのイメージが強すぎる。何もかもオオタニが悪い。軽くパニりながら、また自己紹介を聞く方に意識を集中させた。

 そうしたら、あっという間に私の前の子にまで回ってきていた。

「付属中卒、ミナミヅメ・アスカです。ミナミヅメは、東西南北の南に、爪は、三本爪の爪と書きます。字面が似ているので、『かぼちゃ』って間違える人が多いですが、かぼちゃは漢字で爪じゃなくて、瓜って書きます。中学でのあだ名は『かぼちゃん』でした。ここでも、『かぼちゃん』でいいので、気軽に声をかけてください」

 南爪さん、体は少し太いけど、なかなか綺麗な声をしている。

 そして、私の番になる。私は覚悟を決める。素直に言えば良いんだ。

「女池真奈美です。中学では女子バレーをやっていましたが、ここでは何か新しいことを始めたいと思っています。あと、7組に弟がいますが、双子ではありません、1年近く離れた年子です。弟とも仲良くしてあげてください、以上です」

 それだけで終わった。まぁ、いい。最初の関門は突破した。再び聞く方に集中する。

 明日は課題テストと持ち物検査、そして大清掃。恵温高校は始業式の後に大清掃があるらしい。本来は今日のはずだが、事情があって新入生歓迎会と入れ替わりになったらしい。

 まぁいいや。明後日以降は健康診断とオリエンテーションと授業選択や部活動紹介、あとは顔写真撮影、来週からはようやく授業だ。


    *        *        *


 昼休み、かぼちゃんはすぐに私に声をかけてきた。

「はじめまして、女池さん。ねぇ、どこの部活入る?選択授業はどうする?」

「よろしくね、かぼちゃん。どうしようか迷ってる。とりあえず、月曜の放課後にある部活動紹介をみてみて、体験入部しながら決めようと思ってるんだけど……、体育会系は無理かな。もう」

「そうなんだ、私も文化系にしようと思ってるけど、軽音部だけは無理。あのノリにはついていけない」

「私も」

 やっぱり、同じ感覚の人はいるんだな。でも軽音部志望の子は多い。

 恵温高校で一番大所帯は軽音部だ。別に伝統校でもなんでもないんだけど、名前からきてるシャレだろうか。けいおん高校のけいおん部。とりあえず人数だけはとても多い。そこらへんも部活動紹介で聞いてみよう。

「女池さん、お弁当はどうしてるの?」

「明日からは持ってくるつもりなんだけど、とりあえず今日は校内でどういうのが売ってるかチェックしようと思って何も持ってきてない」

「じゃあ、私も一緒に行ってもいい?女池さん」

「うん、いいよ。それから、私の事は真奈美でいいよ。苗字で呼ばれるの、あんま慣れてないんだ。さんづけもしなくていいよ」

「うん、よろしくね、真奈美ちゃん」

 今までは弟がいたからなぁ。ま、今でもいるけど、クラスは遠く離れてるから関係ないし。それにしても、初日から名簿の前の子と交流できたのは大きい。これでしばらくは孤立しなくて済みそうだ。ボッチ飯は避けたい。

 2人で渡り廊下まで来てみた。パン屋と弁当屋とコンビニが出張販売をしていると聞いたが、すごい人だかりだ。

 北校舎と南校舎を1階と2階で繋ぐ連絡通路。通称『渡り廊下』北校舎側にはパン屋が来ていて、大量の人だかり。連絡通路の真ん中には弁当屋。これも通れないくらいの人だかり。ごはん大盛りが無料サービスらしい。しかしこっちは男子しかいない。それを通り過ぎて、北側校舎にいくと、こっちは自販機が一台、そしてコンビニの出張販売でカップ麺を売っている。こちらは人だかりもなく、みんな一列に丁寧に並んでいる。見たところ定価販売だ。弁当屋は大盛り無料サービスをしているのにこっちが定価なら、それは弁当屋に流れるわな。ただ種類は豊富だ。ちゃんとポットもあってお湯ももらえるようだ。割り箸一膳10円の紙が貼られている。割り箸も金を取るのか。普通のコンビニなら無料でもらえるのに。これはショックだ。

「カップ麺はすぐ買えそうだね」

「そう、でも、少し人が減ってからパン屋を見てみる」

「私もそうする」

「明日からはお弁当を持ってきた方がよさそう。毎日買ってると、お金がかかりそう」

「でも、あたしんち、お母さんが作ってくれないから早起きして自分で作らなきゃならないのよね~」

「え~大変だねぇ」

 そんな会話をしながら、南校舎を2階から1階へ降りようとした時だった。

 黒い長身の人影が……

 いや、マントを羽織った2人組が立っている。

「――――元朝より大晦日まで御手に入れまする此の薬は、昔、珍の国の唐人、外郎と云う人が――」

 呪文をつぶやいている。

――知っている。

――――私は、この2人が、何を売っているか知っている

――――私は、この後、何という言葉が続くかも知っている

――――我が朝に来たり、帝へ参内の折から此の薬を深く込め置き、用うる時は一粒ずつ冠の隙間より取り出だす――――

 かぼちゃんはなるべく視線を合わせないようにして、2人の前を通り過ぎた。私もそれに続いた。

「何やってるんだろうね、あの2人……」

「あの2人は外郎を売ってるんだよ」

「え?ウイローを売ってる?あの2人もお店の人なの?」

「や、違う、その……、外郎売ってのは、その、お菓子じゃなくて薬で……それも売ってるんじゃなくて、売る練習というかなんと言うか……呪文みたいなもんだよ。早口言葉の」

「へ~。真奈美ちゃんって物知りだね」

 私は無言になる。余計なことを言わなければ良かった。そう、あれは呪文だ。

 あの呪文は昔を思い出す。5年も経ったけど、今でも空で言える。

 でも、私はもう関わらない。演劇にも舞台にも関わらないと決めた。

 だが、私は気付くべきだった。

 この時、不用意に外郎と言った事を、黒マントの2人は聞き洩らさなかったようだ。


    *        *        *


 オレは少し、ガッカリしていた。部活動の種類についてである。

 高校生になり、それも自由な校風で知られる恵温高校に入ったのだから、それはそれは複雑怪奇で何をやっているのかわからない、謎の部活動が自由無秩序にいっぱい乱立させているものだと思っていた。

 が、今日の部活動紹介のリストを見てみると、普通の部活動しかない。

 変な部活が何もないのだ。これは相当にガッカリだ。少林寺拳法部とかテコンドー部とかセパタクロー部とかカバディ部とか、薙刀部とか相撲部とかアーチェリーとかビームライフル部とかフェンシングとかホッケーとかカヌーとかボートとかヨットもないのだ。個人的には自転車部ってのに期待していたのだが、自転車部もなかった。これは残念すぎる。高校総体には競技として存在してるのに。まあ、メジャーなラグビー部もないし、軽音が強いところだから、体育会系はそんなに熱心じゃないのかもしれん。

 文化系も名前を見る限り似たりよったり、どこにでもある部活動ばかり。SOS団も古典部も壁新聞部も現代視覚文化研究会もジャージ部も隣人部も仮面ライダー部もスケット団もかるた部もホスト部もてさぐり部もGJ部もない。まあそんな冗談はさておき、天文部さえもない。別に天悶部である必要はないが、天文部がないとは……。物理や化学系の部活もない。文化系もそんなに活発ではないようだ。

 オレの想像していたアニメ系青春の謳歌はズタズタに現実と言う名のかぎづめでひきさかれていた。アニメ的青春、ラノベ的青春、マンガ的青春、特撮的青春は今のところ、何も期待できなくなった。自由は校風ときいたのに、何もオレの思い通りになりそうにない。つまり、自由とはなんでも思い通りになるわけではないという事か。

 オレ――女池愛宕はたった今、何か大事なことを悟った気がする。

 まあいい、これから発表が始まる。聞いてみれば、少しぐらいおもしろい部活があるかもしれない。


 まずは体育会系が始まった。

 陸上、水泳、体操、卓球、この4つが男女混合らしく、次は男女別のバレー、バスケ、バドミントン、ハンドボール、テニス。それから野球とソフトボールの順で発表が続いた。サッカーと水球は男子しかない。そして格闘技系が柔道、剣道、空手。それに弓道。馬術。

 珍しいのは馬術部と女子ハンドボール部ぐらいか。馬術部は、有名私立の推薦を取るのに一番近道なんだとアピールしていた。これはさっそくできたばかりのクラスメートから聞いた情報なのだが、青学の指定校推薦枠をもう何年も連続してとっているのがサッカー部らしい。だから1人しか枠のない青学の指定校推薦枠を取るにはサッカー部にはいるしかないらしいが、サッカー部はちゃんと釘をさしていた。

「指定校枠がほしいからサッカー部に入るような真似はしないで下さい。サッカー部が例年、指定校枠をとっているのは、結果を残しているからです」とのこと。

 他の団体がみんなカモンカモン人手不足だから来てくれと言っているのに、1団体だけそういうオーラを出していなかった。

 それにしても男子バレー部はギャグなのか。選手5人でマネージャー5人。公式戦に出れませんって。ただ5人ならわかるが、マネージャーが5人って。サッカーのマネージャーより多いじゃないか。体育会系で一番笑ったのは男バレだったな。

 体育会系の23団体の発表が終わり、最後に今年の体育会系部長会代表は男子バドミントンの柴崎という3年生が代表をやっていることが紹介された。

 最初に説明があったが、体育会系部長会と文化系部長会ってのがそれぞれあるらしく、各部長からの立候補と全生徒による選挙で決まるらしいが、これもできたばかりのクラスメートからの情報だが、文化系はここ数年、軽音部の部長=生徒会長が兼任するのが伝統なんだとか。


    *        *        *


 体育会系の発表が終わり、これから文化系が始まる。

 私はどこに入ろうか。かるた部がないのが残念だった。それ以外にも、魅力的な部活は今のところは存在していない。どうしても入りたい部活がなかったら、自分で作ってしまおうか。

 探偵部とか古典部は無理でも、推理小説同好会とか。でもそれだと文芸部があるか。ちょっと文芸部を注目しておこう。まずは書道部、茶道部、華道部と日本の伝統文化系が3つ連なった。そして吹奏楽部、美術部、写真部、放送部。

 美術部のOBに、今をときめくスーパーOBがいるということが高らかに紹介されたが、現役の人たちがどういう活動をしているのか全くわからない。

 そして目的の文芸部だが、ちょっと期待外れだった。活動は年に1回、恵温祭にあわせて部誌を発行するだけ。日々の活動は読書をすること。それだけか。もうちょっとクリエイティブだったら良かったのだが。それに部員をみた感じ、あれは活字というかマンガ好きな部類の子たちの気がする。読んでいる本のジャンルによっては大外れかもしれない。

 仮入部の時に行ってみて、ジャンルだけでも確認してこようかな。

 BLマンガばかりだったらちょっと遠慮しよう。ラノベ専門だったらどうしようか……。

 新本格物がメインだったらよろこんで入るんだけどなぁ。やはり自分で部活を作ってしまおうか。屋上部とか。

 次の発表は演劇部。この前、外郎を売っていた2人かな。ここはいいや。絶対に行かない。私はもう2度と演劇はやらない。やらないぞ。

 と、思っていた私の心を、小さな一言が大きく揺さぶりをかけた。


「あぁ、ロミオ!あなたはどうしてロミオなの?」


 ――――心臓が止まるかと思った。

 その直後に脈拍は大きく乱れ、血圧は一気に上昇した。

ざわついた体育館でもはっきりと聞き取れる声量。だがマイクは使っていない、地声だ。

 体育館がせまいわけじゃないのに。この前のバンドのアンプとスピーカーを通した爆音とは違う澄んだ声。それになんて感情表現が豊かなんだろう。

恋する女性の喜びと悲しみ、悩みをたった1セリに凝縮している。

 今のセリフはあまりにも有名なシェークスピアの「ロミオとジュリエット」

 演劇に興味ない人でも知っている。

「私はキャピュレットの娘、あなたはモンタギューの息子。

 どうして私たちは出会ってしまったの?

 どうして愛し合ってしまったの?」

 愛という単語に下品な笑いで反応する同級生。うるさい、わずらわしい。黙って聞いていてほしい。邪魔だ。

「黙って、もっと聞いてみようか、それとも声をかけたものか」

 今度はもっと太い声。しかし、この声帯は女性のもの。男役の女性なのか。

 まだ2人は姿を見せていない。ステージ袖からしゃべっている――――。

 ステージ袖からこんなにはっきりとした声が出せるのか?

「わたくしにとっての敵は、あなたの名前だけ」

 ここでジュリエットが下手から登場した。服装は制服のまま。案外小柄だ。150センチもない。ここでもまた下品な笑いが起きる。あぁ、演劇を見ない人にとって、演劇は何をやっても笑いの種なのだ。それが演劇なのだ。それが私の夢中になっていた世界。まじめにやればまじめにやるほど滑稽に見える。

 真剣に見てくれない演劇は空しい。誰も見ていない演劇ほど空しいものはない。

 私が小学校の時にやった舞台も、観客はこんな感じで笑いながら見ていたのだろうか。

 胃がキュッとしまる。

「お言葉通り頂戴いたしましょう。ただ一言、僕を恋人と呼んでください。さすれば新しく生まれ変わったも同然、今日からはもう、ロミオではなくなります」

 絶妙な間を持って、ロミオも上手から登場する。男役の女子。背が高い。女子としては高いはず。私と同じぐらいだろうか。いやもっとあるかもしれない。さっきの女子バレーの部員や女子バスケ部の部員の平均よりも高いはず。もしかしたらエースと同じぐらいかもしれない。

 バレリーナのようなスラッと伸びた脚、小さく引き締めた胸、ボーイッシュなベリーショートの髪、整った横顔、美しく伸びた手、指先まで意識された動作、大きく開いた口、どのワンショットでも絵になる姿。

 誰がどう見ても女性なのに、誰がどう見ても男性を演じているとわかる。

 ロミオのセリフで、2人のやり取りが終わった。どちらかというジュリエットのセリフが長く、ロミオが短かったが、やはり2分の部活動紹介ではこれぐらいしか見れないのか。

 このロミオはもっと見ていたい。

「私たち演劇部は去年までは部員が8人でしたが、先月、3年生6人が卒業して、私たち2人だけです。役者だけでなく、裏方も募集します。仮入部期間は月曜日から金曜日まで毎日4時30分まで部室にいます。部室は生徒自治棟、2階の一番奥の部屋です。興味があるという人は、部室まで来てください」

 2人はステージを降りた。最後までマイクは使わなかった。メモもみなかった。

 その後の英語部、家庭科部の発表をうつろで曖昧なまま聞いた。軽音部は紹介されないまま、同好会と設立準備中の部活動の紹介に入った。


    *        *        *


 そして文化系もほぼ終わり、残すは軽音部だけとなったが、ここで一旦、同好会と設立準備中の部活動の紹介に入った。今のところ、オレを魅了する部活動はない。

 同好会は3つだけ。あっという間に終わった。コンピューター同好会とマンガ同好会、ソーシャルゲーム制作部準備会。それにしてもよくわからない。こっちの部員数は謎だ。コンピューター同好会は部員数14人、マンガ同好会は1人、ソーシャルゲーム制作部準備会は5人いる。恵温高校では部活動は所属員が5人以上、4人以下だと部活動ではなく同好会扱いになるらしいが、2団体はすでにそれを超えている。というか、それだったらさっきの男子バレーなんかはギリギリだが、空手はすでに4人しかいない。演劇部も2人だ。人数の定義は曖昧なのか?4月末に4人以下だと降格で、引退による減少は問われないのか?それともそれぞれに大人の事情があるのか?部活と同好会の違いが本当によくわからない。で、同好会の紹介が終わると、司会が

「大変お待たせ致しました」

 と思惑げな発言をする。あぁ、予想していたけど、やはりそうくるのか。

 手際よく、暗幕が引かれ、太陽光が遮断され、体育館の電気がきえる。視界全体が暗くなり、唯一見える避難誘導にも、脚立をもってきた生徒の手によって布がかぶせられ、本物の闇が訪れる。たった今、地震が起きたり、火災がおきたらどうするつもりなのだろうか。

 そして、2日前に味わったばかりの爆音。いかついギターの音とドラムの音が響き始めた。2度目となるともう慣れるし、2度目にして、もうお約束なのだとわかってしまった。

 軽音部の紹介だ。もしかしたら、この〈バンド〉演奏は体育祭や文化祭ごとに聞かされるのだろうか。終業式や始業式にもありそうだな。テストが終わった瞬間にライブをしそうな奴らだ。

 体育座りで座ってた奴らが何人か立ち上がり、その場で手を振り上げだす。楽しい奴らには楽しいのだろうが、興味がない人間にとっては苦痛だ。

 1曲で終わればいいのに、3曲もオリジナル曲を披露し、ドヤ顔の部長=生徒会長がマイクを手に取り叫んだ。

「お前ら全員!軽音に入れ!他の部活は全部ぶっつぶしてやる!」

 イエー、と盛り上がる何割かの人間と、そのノリについていけない奴らとの何割かで、好対照な反応をしめした。

 オレはまた少し、軽音部が嫌いになった。好きな人にとっては最高のストレス発散になるだろうが、嫌いな人にとっては拷問だ。

 最後にゼットン学年主任が、仮入部期間について説明し、後日行われる心電図とレントゲン撮影の結果が出るまでは、ランニングや激しい運動は禁止とのお達しが出た。

 さて、どこに入るかな。

 こういう時にアニメやラノベだったら、廃部寸前の部活動から強引な勧誘を受けたり、暴走系の美少女から新しい部活動を作るのを手伝うように仕組まれたりするもんだが、そういうストーリーには期待しない方がいいだろうな――――。


 いや、忘れていた。姉ちゃんだ。

 姉ちゃんが強引に新しい部活動を作るとかなんとかでオレを引っ張るかもしれない。

 それにアレか、廃部寸前の演劇部に入って、また演劇をやりたいみたいな事を言い出すとか……、いや、それはないか。姉ちゃんはもう2度と演劇はやらないはずだ。

 逆を言えば、演劇部に入れば、姉ちゃんとバッティングする可能性は絶対にないはず。

 まあ、他におもしろい部活もあるかもしれないし、ちゃんと見ておこう。

 演劇部は最終手段だ。とにかく姉ちゃんから逃げなくては。

何に巻き込まれるかわからない。それを断るには、アレだ。早く、入りたい部活動を決めなければならない。オレは少し焦っていた。


    *        *        *


 誘いの声はすぐに来た。

 かぼちゃんは最初から演劇部に入るつもりだったらしく、仮入部に誘ってきた。明日はまっさきに演劇部に行こうと言う。確かに演劇部は気になるが、入部するつもりはない。

 なんでもつい先月に公開された映画「幕が上がる」をもう3回は見たとか。恐るべきリピート率だ。映画で演劇をやってみたいと思う人が増えることは業界にとってはいいことかもしれないが、私にはどうでもいい。私は演劇部には入らない。

 今度の公演があれば、見に行きたい、それぐらいのつもりだった。まぁ、かぼちゃんが入りたいというのなら、私に止める権利はない。

 翌日の放課後、部活見学と仮入部期間の初日、さっそく生徒自治棟に行く事となった。正直、気のりはしないが、まぁしょうがない。どちらにしても1年生は必ずどこかの部活動に入らなくてはならない。

 演劇部かぁ。裏方だったらいいかなぁ。照明とか大道具とか音響とか。っていうか、8人ならわかるが、2人で舞台をやるってどうやるんだろう。職員室前を通り過ぎ、校舎の東側へ向かう。

 それにしても、東側入り口は「東側入り口・下駄箱」となっているのに、西側は「西側入り口・靴箱」となっているのは、なんでだろう。靴箱と下駄箱。似ているようで違う。これも日常の謎なのかなぁ。北村先生とか米澤先生とかが解いてくれないだろうか。

東側入り口から講堂へ向かう途中、一本折れた道を行く。

 生徒自治棟。

 昔の生徒会執行部が並々ならぬ努力と成果で学校側から自治権を奪った。学生運動時代ではなく、平成に入ってからの出来事らしく、なんでも年間の補導者数や退学者数、国立大学への合格者数で教員側と賭けを行って、それに勝利しての自治権確立だったようで、国立大学に受かった3年生たち当事者は恩恵を受けられないにもかかわらず、必死に頑張ったと聞いている。だからお前らは感謝しろよということらしい。はいはい、感謝感謝。

 長い念願と多くの生徒の悲願だったらしいが、今、それもとうに忘れ去られ、生徒が管理するのが当たり前という状況にもなっている。

 部屋の配分や棟内の規則はすべて生徒会が運営することになっており、一斉清掃でも対象範囲にはなっていないかわりに、生徒会執行部主催の大清掃がある。部室の損傷や備品の消耗は生徒会会費から払うことになっている。

 ここは先生たちが管理するのではなく、あくまで生徒が自主的に管理することになっている。体育会系はグランドにあるクラブハウスにそれぞれ部室を割り当ててあり、こちらは先生たちの管轄になる。文化系の部活はほとんどがこちらの生徒自治棟に入っているので生徒会で管理することになる。

 ここで、まとめておこう。生徒会とは、全校生徒が入会する自治団体で、恵温高校生徒は全員、生徒会の会員である。そして生徒会執行部というのが、全校生徒の代表であり、委員会や部活動を統括する役割をもつ。俗に生徒会と言われるときは執行部のことをさすのが多いらしく、誤用して使っている在校生もとても多い。生徒会執行部は部活と同じ扱いで、生徒会執行部に入れば部活には入らなくて済むらしいが、ここ数年は、軽音部と生徒会執行部の兼部率が高く、生徒会執行部の役員だけでなく、平の生徒会執行部員も全員が軽音部との兼部らしい。ここら辺はとても曖昧に放置されている。だから今も、生徒会執行部室の前を通ったが、そこからドラムの音が聞こえてきた。

 ちなみに軽音部には入ったが、生徒会執行部とは兼部しない生徒もいるらしいが、そいつらは部活内カーストで下位になるらしい。

「とりあえず、1階から3階も見て回ろうか。どういう雰囲気だか知りたいし」

 それに異論はなかった。

 増築に増築を重ね、今は3階建てになっているL字型校舎の生徒自治棟、1階は生徒会執行部室が手前にあり、他は全部文化系の部室だ。隣に写真部、英語部があり、家庭科部、書道部の兼用部室がある。家庭科部はほとんど家庭科室か服飾室を使うし、書道部は美術準備室を使うらしい。ほとんど物置になっていた。道具が雑然と並んでいる。ひとつの教室をロッカーで仕切っていた。

 2階は、吹奏楽部と美術部の兼用部室、文芸部とマンガ同好会の兼用部室、茶道と華道の兼用部室、一番奥に演劇部と放送部。ただ、吹奏学部は音楽室を使っているし、美術部も美術室を使っている。なのでこちらは備品管理に使われるはずなのだが、どうみても吹奏楽部では使わないようなギターやらアンプやらが重ねられている。大方、軽音部が使っているのだろう。すれ違う生徒もみな部活見学のための1年生らしいが、部室の中はどこも閑散としている。ゴミも散らかっているし、掃除が行き届いているとはとても思えない。

 そして3階は、コンピ研とソーシャルゲーの兼用部室が一番手前にあり、あとの3教室は全室軽音部の部室になっている。1階と2階がうす暗く、活気がなかったのに対して、3階は喧騒に包まれている。このフロアだけは廊下まで物がはみ出ている。高価な照明器具やケーブルが廊下に無造作におかれ、乱雑無秩序に散らばっている。まっすぐ歩くこともできないし、1人ずつしか歩けないからすれ違う事もできない。スピーカーを椅子にして座っている奴もいる。こういう奴は舞台監督とか小屋付きスタッフに殴られればいいのに。

 付近の住民から苦情が来たとかで、録音スタジオと同等レベルの防音設備を完備し、防音壁を開けなければ音が漏れることがない。それが3部屋もあり、録音もできる。あぁ、ここを使って殺人事件をすれば面白いトリックができるかもな、と呑気に考えていた。それぐらいの興味しかわかない。廊下に置かれたロッカーには色とりどりのステッカーが貼られ、中にはサインが書かれたものもあるが、誰のサインかはわからない。廊下の隅にはドラムが何台も置かれ、曲がると今度は割れた真空管が散乱している。誰か片付けろよ。女子トイレには「ドラッグ禁止、タバコ禁止」と書かれた張り紙の下に手書きで「ばれなきゃOK」と落書きされている。

 乱雑な音にもみくちゃにされながら、ようやく最奥の階段までたどり着いた。上は屋上につながっているが、野球に興じているのだろうか、どうみても野球部には見えないピンクヘッドがグローブ片手に屋上へ上がっていく。下へ降りる踊り場には麻雀卓が置いてあった。一体、何に使うのだろうか。いや、何に使うのかは分かっているが。こうも堂々と置かれていると無法地帯なのだなと痛感する。とてもこの雰囲気は好きになれない。

 3階から階段を使って2階に降り、先ほどは素通りした演劇部の部室の前に立つ。中が覗けないほどパネルがたくさんおいてあり、人形が道をふさいでいる。だが廊下はロッカーがあるだけで綺麗だ。

「なんだろうね、この三角の道具」

「人形っていうんだよ。パネルを立てる為に、パネルの奥に置くんだ」

「へぇ~。真奈美ちゃん、物知りだねぇ~」

 しまった、また昔の知識を語ってしまった。それに『人形』は(にんぎょう)と読む劇団と(ひとかた)と読む劇団とそれぞれある、こっちがどう呼んでいるか確認してなかった。

 すると、部室のドアが乱暴に開かれた。

「貴様、今、にんぎょうと申したか!」

「!!」

 鬼の形相でロミオが現れた。やはり背が高い、私より高い。自分より背の高い女子に普段から会うことがない私にとっては、それだけでも萎縮してしまう。それなのに鬼の形相なものだから、傍から見れば酷くおびえていたに違いない。

「貴様、経験者か!ひとかどの者か!」

 どうやら今のロミオはロミオではなく、時代劇らしい。『ひとかど』って何だ?

「経験者は歓迎する!無論、初心者も歓迎する!このままでは御家断絶にござる!

世間で物笑いに晒されまする。一度潰れた面目は二度と立ちませぬゆえ」

 この人はいつまでも時代劇口調で通す気だ。

「すいません、入部希望ではないんですけど、新歓の『ロミオとジュリエット』が素晴らしかったので、次の公演とかがあったら、見に行きたいんですけど……」

 相手の面目をつぶさぬ程度にやんわりと断りを入れる。いざ本番が近くなって来て、行く気がそがれたら行かなければいいだけの話である。

「次の公演の予定は決まってないよ」

 後ろから小さい子が出てくる。ジュリエットだ。小さい。かわいい。

「今、にんぎょうって言ったのは、どちら?」

「真奈美ちゃんです」

 かぼちゃんにおびえた様子は見られない。普通だったら、こんな長身の女性が大声かつ時代劇口調でしゃべっていればおびえるに違いない。

「あら?あなた、この前、外郎売の時にすれ違った子じゃない。外郎売とか人形を知っているってことは、あなた経験者ね」

 何て事だ、聞かれていたとは。

「……まぁ、昔、ちょっとだけ?」

 しどろもどろ答える。

「昔ってことは、中学では3年間やってなかったの?」

 ロミオが普通の口調で聞いてくる。

「ないです。中学では女子バレーを。役者は、小学校の時に、ちょっとだけ。子役で」

「バレーって、バレエダンス?それともバレーボール?」

「バレーボールの方です」

「小学校の時に子役?」

「はい」

 言わなきゃ良かっただろうか?

「良かったら教えて。名前は?」

「女池真奈美です」

 その時、ロミオが手を叩いて、私を指さした。初対面で人を指さすとは。

「女池マナミナ!」

 その言葉を、私は軽い困惑の中で聞いた。それは小学校時代の劇団での私のあだ名。偽物の多重人格。それを押しつけた痛い痛い過去の厨二秒設定。一番触れられたくない過去。

 しかし、それを知っているという事は……?初対面ではなかった?

「え?先輩は?」

「劇団〈シクラメン〉で一緒だった錦町(にしきまち)朱路(あかり)

 思い出した。私と同じく子役で出演していた2個上の先輩。そうだった、近隣市町村から役者が集まっているということは、恵温高校にも関係者が紛れていても不思議ではなかった。失敗した。

「よっしゃ、経験者1名ゲット!」

 早くも入部することになってしまったらしいが、それは待て、違う。

「待ってください、先輩。再会できたことはうれしいですけど、入部は待って下さい。他の部活も見たいんです」

「でも、女子バレーはもうやりたくないんでしょ?部活見学初日の開始10分で部室に来るんだもん。女子バレーを続けるなら、そっちに行くよね、普通」

 心を見透かされているようだ。

「いえ、でも、私は、もう」

 言葉が出てこない。

「私はもう、演劇はやらないんです」

 それ以上の言葉は必要ない。

「失礼します。また客として来るかもしれません」

 踵を返して、逃げようとしたその時、

「おやおや、かわいらしいお嬢ちゃん、何を泣いているんだね?」

――――唐突に始まった、意味不明の会話。

――――いや、これはセリフだ。

――――忘れもしない。

――――あの時のセリフだ。

 私は動く事ができない。足が金縛りにあったようだ。

 忘れもしない。次のセリフもはっきりと覚えている。

 だけど、私は言わない。もう演劇はやらないんだ。

 だが、動くことはできない。

「もしかして迷子かな?それとも遠回りしておうちに帰るのかな?」

 ――――捨てられたの――

 でも言わない、絶対に。演劇はしない。

 もう絶対に演劇はしない。だからセリフも言わない。

「そのセリフは覚えてますけど、私はもう、演劇はやらないんです」

 錦町先輩の方を振り返る。軽く放心している。

「そう……なんだ」

 少し残念そうだ。

「じゃあ、今日はどうしてここに?」

「かぼちゃんの付き添いです。かぼちゃんは興味あるみたいだったし」

 正直にいえば、私も興味がなかったわけでもない。

「かぼちゃんって言うのは、あなた?」

 ジュリエットは質問する動作、細動すべてが美しい。

「はい。南爪明日香です。かぼちゃんって呼ばれてます」

 本当にかぼちゃみたいな笑顔を見せてからかぼちゃんは礼をした。

「とりあえーず、マナちゃん、ひさしぶりの再開だし。今日ヒマ?お茶を奢るから、4時半まで付き合って。そこからティータイムを始めましょう。入部するかどうかはそれからでいいわ。お茶一杯奢っただけで絶対入部しろだなんて言わないからさ」

 そういって錦町先輩のペースに乗せられてしまった。


    *        *        *


 校舎内で新人勧誘の阿鼻叫喚が繰り広げられているのに引き換え、体育館内は平常運転もいいところだった。男女のバレー部と男女のバスケ部がそれぞれ4分の1ずつ体育館を分割して使用しており、見学したい1年生は2階ギャラリーから見るように言われた。

 ステージの反対側から2階に上がると、2階にもそこそこ大きな床面積があることがわかったが、こちらは乱雑にトレーニング機器が放置されている。手入れもされているダンベルキャリアがあれば、奥の方で「使用禁止」と紙の貼られた錆びついたアスレチックジム用品。そんなものたちがグチャグチャに放置されている。ここを整理するだけで使えるようになる部活は増えるだろうにな。

 体育館2階部分の両サイドに伸びる通路には1年生が群がり、真剣な者、冷やかしの者も含めて、1階を見降ろし眺めている。

 オレはどうしようか。中学は無理やり体育会系に入れられたが、本性は文化系である。高校ではどうしようか。また体育会系にしようか。

 というのも、コンピュータ関係の部活が存在せず、同好会が2つある程度なのだが、部活と同好会の違いがよくわからないというのが、正直な理由だ。

 数あるアニメ、ラノベ、小説の中で、部活にはいって青春を謳歌したキャラは数多くいれど、同好会に入るのは極めてレアなケースである。部員が足りないから勧誘という王道を行えるという特権はあるが、別に勧誘がやりたくて同好会に入るわけではない。

 しかし、アニメ、ラノベ、特撮にどっぷりハマったオレに残されたのは、やはりサブカル的ヲタ系部活しかないのか、しかし現在そういった部活が存在しない、どうすればいいんだと自問自答、自問他答、他問自答、連れまわしあぁぁぁぁぁっぁ!

 ただ本能的に「もう体育会系はこりごりだ」という思いもある。

 汗臭いというだけじゃない。あの運動労力が自分には理解できないし、パワハラ的な上下関係というのも理解できないのだ。だからといって、体育会系の連中を小馬鹿になどしてはいないが、自分は敬遠したい。体育の授業も嫌いではないが、スポーツはたまの息抜きにやるのがいいのであって、毎日毎日何時間もやるものではないというのがオレの持論だ。

 どうやら体育館は校舎側にあたる北側が男子、グラウンド側にあたる南側が女子という感じでわけられているようだ。男子側にいる女子はマネージャーだろうか、それにしても女子が多い。そういえば男子バレー部は部員5人に対してマネージャー5人の合計10人だったか。

 ギャラリーの行き止まりまで来てしまった。ここから先は男子更衣室らしい。一度引き返して反対側を見てみようかとまわれ左する。一度通った道を戻って、今度は南側ギャラリーを進む。途中で気付いたが、こっちは女子の部活だけなので、見て回る必要はなかったか。だが途中まで来てしまったので最後まで行くことにしよう。下を見下ろす女子にまじって、あきらかにかわいい女の子を探っている男子連中がスマホの無シャッター音ソフト――通称盗撮ソフトを起動している。しかし練習中の女子部員はまじめなので盗撮などどこ吹く風、好きなだけ撮るがいいさとオーラを発している。盗撮犯の背中を通り過ぎる。また突き当りまで行った、ここから先は女子更衣室、乙女の花園、薔薇の館だ。ここに入るのはやめた方がよかろう。また回れ右して戻ろうかとした時だ。

「愛宕くん」

 誰かに呼ばれた。姉の声ではない。

 誰だろうか。

 振り返ると、こっちを向いている女子の一団がある。その中に、同じ中学出身のワタナベさんがいた。多分、ワタナベさんだと思う。自信がない。そもそも下の名前は知らないし、ワタナベさんが渡辺なのか渡部なのかも知らない。なんとなく、姉ちゃんと同じ女子バレー部だったことぐらいは覚えている。

「ねぇ愛宕くん、お姉さんって、女バレ入るの?」

 そうかほぼ面識ないのに声をかけてきた理由はそれか。

「多分入らないと思う。中学みたいに24時間365日営業で、練習量と拘束時間だけ長くて、それで弱い部活は嫌だって、言ってた」

「あの子、そんなこと言ってたんだ」

 しまった、失言だったか。お前らは弱いんだと面と向かって言ってしまった様なものだ。

 年子の姉弟ってのは辛い。姉の評価で弟の評価も振り回される。姉が嫌われれば弟も嫌われる、これ常識。知り合いに兄妹の年子はいないが、そいつらはどうだったのか、今度機会があれば徹底的に討論してみたい。

「確かに、背が高いってだけで勧誘しちゃった私たちも悪いんだけどさ……」

 そしてここからワタナベさんの独り語りが始まった。

 独り語りは最後まで聞くのがヲタの情けである。

「バレーってさ、残酷なスポーツじゃん。身長が物を言うの。どんなすばしっこくて、ジャンプ力があって、運動量もあって、器用で、技術があって、精神力もあって、人並み外れた努力をしてても、身長がなければ、勝てないの。

 酷いよね、ボクシングや柔道では体重別で階級を分けているのに、バレーやバスケットでは身長別に階級はわけてくれないんだよ?

 安っぽいバレーマンガだと背の低い主人公が運動量で背の高いライバルを圧倒するなんて展開よくあるけど、あれ全部ウソだからね。

 身長ってさ、努力じゃどうしようもないじゃん?

 生まれた段階で背が高いか低いか決まってくるわけでしょ?

 だからさ、どんなにバレー好きでも、生まれた瞬間に強いか弱いか決まるのよ。

 でもさ、チームの中に最低一人でも長身のアタッカーがいれば、自分では点をとれなくても勝つことはできるかもしれないわけよ。

 うちらの中学はさ、真奈美以外全員150センチ以下だったのよ。真奈美はズバ抜けてたから、中1の入学式直後に女バレと女バスで勧誘合戦だったんだ。

 で、真奈美はさ、女バレに入ってくれた。練習もサボらなかったし、喧嘩もしなかったけど、積極性にかけるっていうか、攻撃的じゃなかったのよね。

 負けることをなんとも思ってなかったの。勝てなくてもいいって思ってたんだと思う。

 だから、練習だけはちゃんと出て、言われた最低限の練習だけはして、試合でも与えられた役目は一生懸命やって。

 でもさ、先生や監督には優秀なアタッカーに見えたかもしれないけど、こっちからは不満たらたらでさ。相手からはポーカーフェイスなんて言われたけど、チームメイトにも笑顔を見せた事ないし、悔しいって顔を見せたことないの。っていうか、悔しいって思ったことがなかったんだと思う。

 アタックでもさ、いつも全力じゃなくて、全力な振りをしてわざと失敗することとかよくやってたんだ、アイツ。失敗する練習をしてたんだもん。

 唯一の得点源の長身アタッカーが失敗しようとしてた、勝とうとしてなかったら、絶対勝てないじゃん。もっと攻撃的になれ、とは何度も言ってきたけど、最後の最後まで変わらなかったんだ、アイツ。

 でさ、3年の最後の大会も全然いいところまで行けずに負けてさ、負けて引退が決まったの。

 まぁ、勝って引退できる奴らなんて本当一握りなんだけどさ。

 で、負けてさ、3年生引退ってなってさ、なのにさ、アイツ、泣きもしないの。みんな泣いてるのに。きっと勝って引退でも泣かなかっただろうし。

みんな泣くぐらい必死こいて練習して、必死にアイツにボールをあげていたのに、アイツはなんとも思ってなかったの。

 元々そういう攻撃的じゃない性格の子を背が高いってだけで勧誘したうちらも悪いかもしれないけど、それって酷すぎじゃん。

 だったらその身長あたしらに寄越せよ、股から下を切断してあたしらにくれよ、って本気で思ったわ。おまえみたいなナニ考えてるかわからなくて、勝っても負けても能面ヅラしてる奴なんかチームのお荷物なんだよ、って。

 でもアイツがいなきゃ得点とれないしさ。

 だからアイツ、みんなから嫌われてたんだ。勧誘したのもうちらだし、そういうことには責任感じてるし、それにみんな大人だから直接は言わないし、いじめとか喧嘩とかそういうのもしないんだけど、1人だけ勝つこと放棄してその結果勝てなかったから、それって自業自得じゃね?

 うちらはみんな真奈美以外さ、高校離れ離れになってもバレーだけは続けるだろうけど、真奈美にはもうバレーやってもらいたくないわけよ。背が高いだけでバレーやってさ、勝とうとしないでさ、それって背が低くてバレーやってるうちらへの冒涜じゃん?

 で、もし高校いってさ、真奈美がバレーやってさ、泣くようになって、笑うようになって、悔しくてもっともっと練習するようになってさ、強くなったり、勝つようになったらさ、それもそれでむかつくじゃん。中学の時は勝てなかったくせに、勝とうとしなかったくせに、高校でだけは勝とうとするのかよって。だからアイツにはもうバレーやってほしくないんだ」

 やっぱり姉ちゃん、嫌われてたんだな。

「で、高校はいったら、離れられると思ったのに、よりにもよって同じ恵温じゃん?

愛宕君さぁ、なんでアイツが恵温選んだか知ってる?」

 知らない。それは本当に知らない。

「真奈美ってさ、背が高いくせに目立つのが嫌なのよ。だからテストとかでもさ、本当はもっと点数とれるのに、わざと間違えて点数落として、トップになるのを拒んできたの。

 だから本当はさ、恵温じゃなくて、県外とか県高とか狙えたはずなんだよね。でもさ、県外とか県高とか進学するとさ、目立っちゃうじゃん、頭いいって。だから、わざと目立たないように点数とレベル調整して恵温に入ったんだよ」

 そうだろうか。それもあるかもしれない。でも、もしかしたら……。

「それもあるかもしれないですけど、もっと違う可能性もあると思います」

「何?」

「姉ちゃん、なるべく同チューの奴らに会いたくなかったんだと思います。

 恵温ってオレらの住んでるところから遠いじゃないですか。だから毎年進学する奴は3人もいないし。今年は偶然多かったですけど。姉ちゃん、小5のウキウキウェスティバルの時から人が変わったんで、小5より前からの知り合いからなるべく離れたかったんだと思います」

「遠いから恵温選んだ?

 うん、あるかもね、アイツなら。

 あたしはクラスずっと違ったから小5より前の真奈美って知らないんだけど……

 そっか、そんなこと気にしてるんだ……」

 姉ちゃんにとっては『そんなこと』ではないんだが。

「うん、ごめんね、長々と愚痴っちゃって。それに姉貴の悪口って気持ちいいもんじゃないよね」

「いいですよ、オレも姉ちゃんの事は嫌いですし」

「そっか、そうなんだ。それからさ、愛宕くん」

「はい?」

「同じ学年なんだから、タメ口でいいじゃん?敬語うざいよ」

「オレ、4月1日生まれで、生まれたの遅いんで」

「4月1日って一番早いんじゃないの?」

「いや、一番遅いんです。だからこの学年の中で、一番遅くに生まれたんです」

「――バカじゃねぇの?

 早生まれだからって、早く生まれた奴に敬語つかう必要もないだろ?だったら4月生まれはみんな偉そうにしていいのか?違うだろ?」

「まぁ、うちは年子で4月生まれと翌年の4月生まれなんで、特殊なんですよ」

「めんどくせーな、お前の家」

「すいません」

 こういうのが嫌だったから、オレも姉ちゃんと学校は離れたかったんだ。

「じゃあさ、あたしのことはタメでいいから、次からはタメで呼べよ」

「了解っす」

「了解とか言うの、ヲタくさくて、なんか嫌だ」

「ヲタ臭いのはしょうがないっす。ヲタなんで」

「あーわかったわかった。ところで、あたしの名前、覚えてるよな?」

「ワタナベさんですよね?」

「渡辺亜紀な。6組なんでよろしく。多分、女バレに入るわ」

「よろしくおなしゃす」

「愛宕くんはどこ入る?」

「ヲタ系か、なければ陸上とか水泳とか体操とか」

「あぁ、そっち系か。じゃあ見学真っ最中じゃん。悪かったな、呼びとめて」

「いやかまわんっす。それからワタナベさん」

「なんぞ?」

「こっちもくん付けじゃなくて、呼び捨てでアタゴでいいっす」

「嫌だ、呼び捨てにするのは彼氏だけって決めてるんだ。今、あたしらラブラブだから」

「了解っす」

 なんだ。フラグだと思ったのに、彼氏もちかよ。リア充爆発しろ。


    *        *        *


「というわけで、演劇やろーぜ」

 4人でテーブルを囲み、熱い紅茶を一口飲むと、錦町部長は開口一番こう言った。もちろん予測済みだったのだが。

 4時半までは2人の発声と基礎練を横で見つつ、部室で待機するだけだったが、通り過ぎる同じ1年生の視線が痛かった。あいつらはみんな、私も演劇部に入るんだと思い込んでやがるな。店内を見渡す。パン屋にしては広い店内、まばらな客と、閉店作業の準備をしている店員。ベーカリー〈倫敦夜曲〉――難しい字を書くが、これで(ろんどんやきょく)と読む。

 市内に3店舗をもつ人気のパン屋で、パン屋としては他店を圧倒する駐車場を備えており、土日には交通整備の為に警備員も配置される。とにかくパンの種類が豊富でおいしいことに定評があり、市外からわざわざ車で来店する客も後を絶たない。

 恵温高校からはそんなに離れていない。高校から図書館へ向かう道の途中に市営野球場がある。その野球場の前の信号を左折する。高校から1キロも離れていない。ちんたら歩いても20分もしないで付く距離だ。

 入学してから4日間、毎日バスの窓からは見ていたが、実際に入ったのは初めて。錦町先輩によると、朝や昼は平日でも人が多すぎてとてもゆっくりできる雰囲気ではないが、閉店1時間前のこの時間は人もまばらでゆっくりできるのだという。この店で唯一テイクアウトできない隠れメニュー『クラブハウスサンド』を2人前注文し、紅茶も一緒に購入した。全部奢りらしいが、タダより高いものはない。気を緩めないように気をつけよう。

「かぼちゃんは入部として、マナもやってくれるでしょ?」

「いや、私はもう、演劇はやらないです」

「どうして?あんなに好きだったのに?」

 それを言われると辛い。確かにあの頃は演劇や舞台がとても好きだった。なんでこんなに嫌いになったのかは、正直なところよくわかっていない。多分、あのウキウキフェスティバルの時のせいだ。こういう尋問は得意じゃない。昔のことを知っている人に再会するとは誤算だった。

 だけど、私はもう多重人格じゃない。

 厨二病じゃない。

 だからもう演劇なんかやらないんだ。

「マナはいいとしても、ミナはどう思ってるの?」

 やはり、その名前が出てくるのか。

「先輩、その……、かぼちゃんや他の先輩もいるので、その名前は出さないでもらっていいですか」

 その言葉を、事情を知らない2人はどう理解しただろうか。私に名前を語るのもためらわれる兄弟がいるとか、死んだ双子の妹がいるとかそんな風に勘違いされただろうか。

 残念ながらミナとは、私が小学校の時に作りだした架空の多重人格設定である。

 演劇をやるときだけミナは私=マナの体と入れ替わるという、なんともなんとも痛々しい設定。それでずっと演劇をやってきたのだが、今となっては小学校時代の出来事は本当に黒歴史として封印したい過去だ。

 おそらく、私の心中を錦町先輩は、察しているはずだ。この先輩だって、そういうのが鈍いわけじゃない。沈黙の空気が流れてきたところで、注文したクラブハウスサンドが運ばれてきた。量が多い。2人前ということだったが、女性4人だったら食べきれないかもしれない。これを食べたら夕飯は食べられない。

「遠慮せず食べてね。私たちも遠慮しないから」

 いただきますと手を合わせる。山もりのサンドイッチはすでに香ばしい香りを辺りにまき散らしている。ひとつ手に取る。色とりどりの野菜、キャベツ、ピーマン、オリーブ、トマト、オニオン、ポテトサラダ、それからベーコン、チーズ、エビ、アボカド、タマゴ、ほんのちょっとだけど鶏肉も混ざってる。嗅覚だけでなく、視覚も魅了してくる。一口食べてみる。おいしい。温かい。ホットサンドみたいに程よく温められていて、チーズもとろけるし、野菜はシャキシャキ、ベーコンの肉汁も噛めば噛むほどあふれてくる、味付けはマヨネーズにタルタル、マスタード、ケチャップ、もっと使ってあるかもしれないが、とにかくたくさん使われている。紅茶もおいしい。うん、こんな素敵なパン屋がそばにあっただけでも、恵温高校に入学したのは正解だった。今度は学校帰りに買って行ってあげよう。お父さんもお母さんもパン好きだから喜ぶに違いない。

「クラブハウスサンドは午後3時からの限定メニューでね。その日余った食材を使ってるの。だから日によって味は違うし、たまに大外れもあるの」

「一度だけ、カレーライスとカツをサンドしたカツカレーサンドみたいなのも入ってた。あの味は強烈だった」

 1個食べ終わって、すぐに2個目を手に取る。半熟玉子をはさんだみたいなサンド。一口かみしめる。半熟の黄身が肉汁のようにあふれてくる。うまい。この黄身単体でジョッキで飲みたいぐらいだ。某デブタレントなら「まいう~」と叫んでいるに違いない。

「そういえば、自己紹介がまだだったわよね」

 ジュリエットが紅茶の手をとめて言う。たしかにジュリエットの本名は知らない。

「私、柴田夏陽。演劇部では副部長をやってるの。よろしくね、女池さん、かぼちゃん」

「「よろしくお願いします」」

 2人で改めてあいさつするが、よくよく考えたら、私はまだ入部するとは言っていない。

「マナちゃんは知ってると思うけど、かぼちゃんははじめましてよね。さっき、部室前でちょっと話したけど、改めて自己紹介するね。私は錦町朱路。演劇部の部長。よろしくね、かぼちゃん」

「よろしくお願いします」

 また一杯、紅茶を口にふくむ。

「それじゃあ、1年生の2人も簡単に自己紹介してもらっていいかな」

「はい、1年3組の南爪明日香です。ミナミヅメは東西南北の南に、ツメは三本爪の爪ですが、字面が似ているのでよくカボチャと間違えられます。あだ名はそこから来ています。どうぞ気軽にかぼちゃんって読んでください」

 そこで2人はにこやかに笑う。

「確かに瓜と爪って見分け付きにくいわよね。南瓜と南爪はややこしいかもね」

 楽しそうだ。名前の紹介ひとつで、こんな場を温められるのも天性なんだろうか。

「じゃあ、最後はマナちゃんね」

「あぁ、はい」

 まだ入部するつもりはないと一言付け加えるのは野暮なのだろうか。

「まだ入部するって決めたわけじゃないですけど、1年3組、女池真奈美です。よろしくお願いします」

「よろしく、マナちゃん」

 これで4人の自己紹介は終わったことになる。

「マナちゃんはアカリと一緒の劇団だったの?」

「そうよ、劇団〈シクラメン〉ってところで子役をやってたの。もう劇団はなくなっちゃったけどね」

 そうだったのか。あの劇団はなくなったのか。自分が辞めた後は何も気にとめてなかった。あの頃のメンバーはみんなどこにいるんだろう。元気にしてるんだろうか。

「マナちゃんも公演も結構出たよね。私が覚えてるだけで6つぐらいあるんだけど」

 そんなにあっただろうか。正直覚えていない。あの時はミナがやっていたから、私の方はそれほどしっかり記憶しているわけじゃない。

「中でも好評だったのが、あれよ。『ねここねこ物語』で捨てられたばかりの子猫の幼少期やったでしょう」

 なんとなつかしい。

「あぁ、やりましたね、そんな役」

「すごかったのよ、マナちゃん。泣きながら登場する役だったんだけど、本当に泣いて現れたの。感情移入がすごかったのよ」

 ちがう、錦町先輩は誤解している。あれは本当に怖くて泣いたんだ。満員のステージにたつことが怖くて泣いていたんだ。その時、舞台監督のおじさんにやさしく慰めてもらわなかったら、ステージに立つことだってできなかったかもしれない。あれは演技の涙じゃなく、本物の涙だったんだ。

「あの役はね、1人の人物をシーンごとに3人の役者で交代して演じて、最後に成長した自分と、昔の自分と対面するみたいなシーンがあったの。ま、舞台のお約束よね。

 でね、捨てられた直後の子猫役をミナちゃん、捨てられて3年経ったころを私、捨てられて10年経った頃をもう1人、当時大学生だった人が演じたのよ。みんな雰囲気がそっくりだったから、役者が交代しても、そんなに不自然じゃなかったわ」

 そうだ、思い出した。私と錦町先輩は同じ役をやったんだ。確かに傍からみれば、私たち2人は似ているのだろう。今でも身長も近いし、方向性は似ているのだと思う。ただ私の方が胸は小さいのに、胸の大きい先輩の方が男役に似合いそうだなぁ。なんでだろう。

「劇団〈シクラメン〉って何回ぐらい公演やってたの?会場とかは?」

 ティーカップを口にあてたまま、柴田先輩が錦町部長に聞いた。

「公演回数は3ヶ月に1回とか、4ヶ月に1回とか、年5~6回ペースだったかな。大所帯だったから、劇団を2組に分けて、ローテーションで公演してたし。会場は、20人で一杯になる演劇小屋から、県民会館の大ホールまで、幅広くやってたよ」

「じゃあ、真奈美ちゃんも県民会館の大ホールの経験があるの?」

 柴田先輩が前のめりで聞いてくる。違った、クラブハウスサンドを取っただけだった。

「うん、真奈美ちゃんもあるよね。私と一緒にでたもん」

「はい、『ねここねこ物語』は県民会館でしたし、他にも何度か」

「いいなぁ、県民会館」

 この小さな先輩はクラブハウスサンドを口に咥えて、足をバタバタさせている。

「すごいんですか?県民会館って」

「普通はできないよね、県民会館の大ステージって」

 何も知らないかぼちゃんに食べる手を止めて説明する。バタバタさせていた足は閉じた。

「演劇で使える大会場って、県内だと川沿いに集中してるの。ホラ、南高校のそばに橋があるでしょ。あそこを渡るとさ、いろいろ建ってるじゃない。

 橋沿いの四角い白と灰色の中間のネズミ色みたいな色した建物。あれが音文――音楽文化会館。それの隣が、市民芸術文化会館、略して芸文。さらにその隣に、音文と同じような色をした四角い建物があるんだけど、それが県民会館。こっちの略し方は、県民とか、会館とかいろいろあるけど人によってバラバラで、誤解を生まない為に、県民会館って正式名称で言ってるの。その隣は市民体育館と陸上競技場があるの。

 今いった5つが市内、県内の興行の中心地ね。大体演劇やっている人が憧れるのは、音文、芸文、県民会館の3つ。演劇の全国大会予選は、発表会とか学習会って言うんだけど、それの県予選は、音文でやるのよ」

 その後はスポーツとコンサート関係の施設の説明をしばらく続けた。市民体育館ではプロレスやボクシングの試合が行われていることや、サッカーや野球のゲームなら、4万5千人入る会場がスポーツ公園内に2つあること。そこを野外ライブ仕様にすれば6万人がはいること。6万人がはいる会場が市内にあるとは知らなかった。この柴田先輩っていうのは、施設の情報に詳しいようだ。

「こういう会場のことをね、演劇用語では『箱』っていうの。大きい会場は『大箱』とも言われていてね、私はまだ、大箱での演技経験ないから、2人に嫉妬しちゃう」

 そうか、柴田先輩はないのか。あそこは怖い。できればもう立ちたくない。

「夢だよね、音文とか芸文とか県民会館に立つのは」

 錦町先輩にとっても夢なのか。なんとなくわかる。

 一度立ってもまた立ちたい。今度はこのメンバーで立ちたい。

 演劇やってるとそういうのはどんどん湧いてくる。

 自分では怖いと思いながらも、また立ちたいという相反する気持ちも理解できる。

「そういうわけで、舞台やろーぜ」

 どういうわけだ。

 でも私はもう演劇はやらないと決めた。

「演劇部はいいぞ。知らない自分に会える、知らない自分を作れる。何もなかったステージや舞台に全く別の世界を築ける。何ヶ月、何年も練習して、ストレスと緊張を公演日までどんどん高めていって、そして本番を迎え、全力を出し切った時の解放感。そして、1週間か2週間は骨を休めるけど、3週間もするとまた舞台がやりたくてやりたくてしょうがなくなってくる。そしていばらの道を歩み続けることになる。それだけじゃない。他の人の演技も気になってきて、有名な俳優、女優、声優の演技が気になってくる。だからドラマや映画、アニメの見方も変わってくる。それもおもしろい方向に。だから生の舞台や公開したばかりの映画がたくさんたくさん見たくなる。俳優だけじゃなくて、脚本や演出も気になるようになる。アニメだって、声優だけに過剰反応するヲタは多いけど、演技をやってくると、制作会社、監督、演出や脚本、さらには原画や動画にまで注意を払うようになる。最新のアニメだけじゃなく、古き良き昭和の時代、特に70年代、80年代アニメ辺りもおもしろくなってくる。もちろん、90年代、00年代もおもしろいんだけど。

 特撮だってそうよ。あーゆーのは子供騙しだと思って、小学校高学年や中学生になると見るのをやめる人がいるけど、ストーリーも重要だけど、殺陣や気ぐるみとかスーツアクターとかスタントマンの一挙手一投足を見てると、それだけで3回はリピートできるぐらいに濃厚なのよ。それを毎週欠かさず日曜日の朝に30分も放送しているなんて、普通に考えたらおかしいことだわ。どんだけハイペースで濃厚な撮影スケジュールしてるのよ。きっと潤沢なスポンサー資金があるに違いない。ところで今週の仮面ライダーみた?みてないの?おもしろいよ、あれ。いかん、話がそれたから戻すけど――――

 そしてどんなスーツアクターやスタントマンが出てくるのかも気になる。

だからアニメでも映画でもドラマでもなんでも、エンドロールが終わるまでがひとつの作品になる。エンドロールに知っている人がいるだけで大興奮するわ。これは個人的な意見だけど、エンドロールが終わる前に席を立つ奴の意味がわかんない。邪魔だから明るくなるまで立つなと言いたい。でなければ端で見ろと小一時間問い詰めたいわ。ま、そんな感じで、舞台をやってるのと、やってないのとでは、映画やドラマの楽しみ方も全く変わってくるの。だからさ、舞台やろーぜ」

 長い。マシンガントーク。この先輩、美人なのにガッカリだ。

「いや、先輩。私はもう、演劇はやらないんです」

「それはさっきも聞いたけど、本音を聞きたいんだよね。演劇、本当にやめちゃったの?またやりたくない?私なんか、3ヶ月に1度は舞台に立ってないと発狂しておかしくなっちゃう」

 それはわかる。でも本音も建前も演劇はもうやらないと言っている。

 もう痛い子だとは思われたくない。やんわりとした断り方では、断りきれない。

 目の前の3人を傷つけるかもしれないけど、言っておこう。

「もう、痛い子だと思われたくないんです」

 言っちゃった。もう引き返せない。全部言っちゃおう。

「確かに私は演劇が大好きでしたけど、演劇を好きな私を周りがどう見ていたかはわかりません。両親や弟は別にいいとして、クラスメートは、私は舞台の時だけ張り切る痛い子なんだと思っていたはずです。私はクラスメートにそんな風に思われてまで、舞台をやりたいとは思いません。私は普通の子でいいんです。目立たなくてもいいんです。地味で控え目で、それでいいんです。もう目立ちたくないんです。痛い子だと思われたくないんです」

 少し沈黙が流れる。空気を読めば良かったか。

 だがしかし、一時の空気で高校3年を決めるわけにはいかない。

「ま、それなら仕方ないけど」

 あらら意外。すぐに錦町先輩が折れた。ちょっと気分を害したかな。まぁしかたない。

「じゃあ、どの部に行くの?」

「まだ考えてないです。とりあえず、4月15日までフルに部活見学して、いいところがあったら、そこに行きます」

「そう。もしもいいところがなかったら、うちに来て。別に役者じゃなくてもいいわ。うちは猫の手も借りたいぐらいの状況だから」

 それを無下に断ることもできない。しかたないか。まぁ他に行くところがなければね。

「ただ、入学仕立てで入りたい部活を決めてないってことだけど、この恵温高校でどういう生活を送りたいっていう明確なビジョンはあるの?」

「ビジョンですか?」

 どういう事を言ってるんだろう。

「恵温に入る時、恵温でどんな事をやろうと思って入学した?たとえば、部活でこんなことしたいとか、どんな大学に入りたいとか、素敵な彼氏とデートしたいとか」

 そう言われてもなぁ。

「特にないですけど……」

 本当にないのだから仕方ない。

「なぜ恵温を選んだの?入れるギリギリを選んだ?」

「いや、恵温はどちらかというと安全圏で、上の方に冒険して落ちるよりは、安全圏を取っておいた方がいいかな、と」

 正直に答えるしかない。

「恵温に憧れた理由は?制服がかわいいとか?」

「いや、別に。制服で選んだわけじゃないですし」

 確かに恵温の制服はかわいいが、制服で学校を選ぶほど女子をしてるわけじゃない。

「恵温が安全圏なら、南だって8割受かるでしょう?なんでわざわざ遠い方を選ぶかよくわからない」

 なんか説教くさくなってきたなぁ。別に南でも良かったんだけど……。

 愛宕の第1志望が恵温だから、弟と同じ高校に行きたかった?それは違うなぁ。

「ま、もう受験をやり直すことはできないから、それはどうでもいいけどさ」

 小皿にとった最後のクラブハウスサンドを食べつくす。まだ大皿には半分以上残っている。

「はっきり言ってアレだけど、恵温高校ってつまんないからね」

 はぁ?

「それは南だろうとどこだろうと同じだけどさ。高校って、明確なビジョンがないとつまらないのよ」

「はぁ」

 はぁとしか答えらない。この先輩が何を言わんとしているのかがわからない。

「マナちゃんさぁ、中学ってどうだった?長かった?短かった?楽しかった?楽しくなかった?」

「中学ですか?」

 楽しかったに決まってる。

「長かったですけど、楽しかったです」

「そう。高校は長いと思う?短いと思う?」

「同じぐらい長いんじゃないでしょうか」

「中学はどんな感じで楽しかった?」

「え……?」

 本気で説教ぽくなってきた。いくら知った仲とはいえ、他人の中学時代の思い出にケチをつける気か?紅茶をまた飲む。ダージリンの香りはイライラをおさえるらしいが、私のイライラは高まっていく。

「友達とお茶したり、教室でだべったり、修学旅行で東京に行ったり、そういうのが楽しかったです」

「そう」

 先輩のカップの紅茶はなくなった。

「高校ってさ、ただ無意味に時間を送っていたら、ただただ長すぎるツマラナイ日々を延々と繰り返すだけなのね。それは中学も同じだけどさ」

 何を言わんとしているのか、わからない。長くなるだけならやめてほしい。

「今からでも間に合うから、目標決めて行動しときな。ダラダラやってたら、つまらないだけで3年終わって、どこにも受からずに2浪して専門学校とかあり得るからね」

「そういう先輩多いしね。同輩でも多そうだけど」

 そうなのか。先生も、東大京大早慶が3年に1人ぐらいいて、MARCHと、関関同立がちらほら、メインは日東駒専だが、それよりは下は、それより下しかない。

「進路指導の先生が言ってたけど、下の方はみんな専門学校が志望になるの。で、その専門学校の志望先はね、毎年の流行りで決まるんだって」

 なるほど。あぁ、いけない、いけない、声に出さなくて良かった。なるほどって言葉は年上に使っちゃダメなんだった。

「獣医がモデルのドラマが流行った後は、ペットブリーダー専門学校、アパレル系ドラマの後は服飾関係、調理師を扱ったドラマの年は調理師専門学校が多いんだって。でもね、カリスマ美容師ブームの時に理容美容専門学校に専門学校志望の生徒の8割が行ったけど、それで美容師の資格をとって実際に美容師として3年以上働いた人が1割もいなかったって。みんな途中でやめたり、また別の専門学校通ったりしてて、時間を無駄にして、遠回りしてる人が多いんだってさ」

 かぼちゃんがそうなんですかと相槌をうつ。私は微動だにせず話を聞く。

「恵温ってさ、自由な高校って言われてるけど、それは本当でね、中途半端に自由なの。勉強してなくても怒られないし、居眠りしてても怒られないの。だから怒られないまま、3年過ごしちゃうのよ。何もしてなくても、8割出席してて、テスト35点以下さえ取らないでさえいれば、卒業できちゃうのよ。でもさ、そんな人が良い大学とか普通の大学に行けると思う?それにさ、そんな高校生活って楽しい?」

 どうだろう、私は楽しいとは思えない。

「極端な話を言うとさ、青春してないじゃん」

 青春ねぇ。そういうのは興味ないかな。それに今時、青春なんて単語を使うのは、現役高校生を遠く眺めてるステレオタイプのおっさんたちだけかなと思っていたが、本物の高校生が青春とか言いだすと恥ずかしく思えてくる。まぁ、私が青春って言葉を嫌いになったのは、ここの生徒会長のせいなんだが。

「じゃあ、青春とは何か」

 青春談義を続けるつもりか。

「野球部なら甲子園を目指す、これが青春。

 ラグビー部なら花園を目指す、これが青春。

 サッカーなら国立競技場を目指す、これが青春。

 吹奏楽部なら普門館を目指す、これが青春。

 では演劇部なら、全国高等学校演劇大会!そして春季全国高等学校演劇研究大会!これに出場する、これが青春」

「トップを目指すだけが青春じゃないと思うけど……」

 錦町部長のご高説に対して、ようやく副部長が横やりを入れてくれた。

「朝日に向かってバカヤローと叫ぶ、これも青春。

 告って振られて夜の海に飛び込む、これも青春。

 観覧車の中でドキドキファーストキス、これも青春。

 自転車に2人乗りして道交法違反で補導、これも青春!

 バイクでガードレールに突っ込んで死んぢまう、これも青春!」

「最後2つ違うよ」

 今度は錦町部長が茶々を入れる。この2人は仲がいいなぁ。

「でさ、普通の青春とかもあるよ。例えば……」

 部長がゴホンと咳払いする。まさかここで演技を始める気か!

「教室でだべる!それも青春!

 放課後に〈倫敦夜曲〉でお茶をする!それも青春!

 修学旅行で東京に行く!それも青春!」

 声が演技モードだ。周りの視線が気になる。テーブルには誰もいないけど、店内にはまだちらほらお客さんがいるのに。

「はい、というわけで、その青春、3項目の内2項目すでに達成!おめでとー!

 そして、恵温高校の卒業旅行は京都なの。残念!」

 このテンションについていけない。

「ま、2つは達成できてるわね。そして3つ目は絶対に達成できないわね」

「私は思うの。入学4日で達成できる青春もいいけど、達成できるかできないかって目標は必要だと思うの」

 まぁそういうのは先生たちに耳にタコができるほど聞かされている。

「はっきり言うとね、マナちゃん。あなたは典型的な無気力生徒だわ」

 ズバリ言うもんで、そんなに腹立たしいわけでもない。

「あなたは多分、冒険をすればもっと偏差値の高い高校にも行けた。特にやりたい部活もなく、明確な目標設定はしていない。そういう子は今までこの恵温高校にたくさん入ってきた。そしてそういう子はみんな無気力で授業を始め、数か月でここ恵温高校がつまらなくなってくる!

 あなたみたいな子は頭が良かった分、この高校のレベルに満足できなくなってくる。授業がバカらしくなってくる!周りの生徒のレベルが耐えきれなくなってくる。学校が退屈になってくる。勉強に身が入らなくなってくる。そして大学受験を失敗する!それに比べたら、とにかく他はなんでもいいけど、軽音部に入りたい、そういう人の方がよっぽど良い!あなたは多分、軽音部に入ろうとしている生徒はバカだとか趣味が悪いって思ってるだろうけど、向こうの方がよっぽど目的意識が高い!」

 うーん、入りたい部活がないってだけでこれだけ言われるとは思ってなかった。

「昔、ある先生が言いました。学校ってのはツマラナイ場所なんです。じゃあ、ツマラナイなら、どうしたらいいか!自分でおもしろくするしかありません!」

「その通りですね」

 うんうんとかぼちゃんと副部長はうなづいている。そうか、重要なことなのかなぁ。

 私は自分が無気力だとも思ってないし、目的なく学校生活を送っているとは思っていない。でも気力に満ち満ちているとも思っていない。

明確な目標設定なんてその内、大学受験ですぐに設定されるだろうし。

 しかし、ここまで言われるとちょっと悔しい。言い返してやろう。

「じゃあ、先輩たちの目的は全国高等学校演劇大会に出場することなんですか」

「違うわよ」

 否定、早い。

「じゃあ、なんですか?」

「私は――」

 錦町先輩が腕を組み、大きく深呼吸して、間を溜める。

「W大の文系に合格。そしてW大でW演劇に入り浸る!

 かつ、高校3年の夏公演まで、部活の公演は皆勤で出る。

 模試で学年1位を取る。

 これが私の目標」

 へー、W大志望なのか。この先輩。バカではないんだ。バカっぽいのに。

「マナちゃん!いま、私がW大志望って聞いて、意外に思ったんでしょ!

 見た目、バカなのになーって思ったでしょ!」

「いや、思ってないっす」

 思ってたけど。まぁ目指すだけならバカでもできるか。

「アカリはね、見た目はバカだけど、成績はいいのよ、模試は弱いけど」

 説明する柴田先輩に、次はトップをとる、と返した後、またクラブハウスサンドを小皿にとる。どれだけ食べる気だ。

「模試は理系と文系で分かれてるんだけど、アカリは文系模試で学内だと2位が定着なの。だから部活以外だと『万年2位』とか『2位』って呼ばれてるのよ」

 サンドを頬張りながらまた「余計なことは言わなくていい」と言っている、のだと思う。モゴモゴうなっているだけにしか聞こえない。

 ティーポットにお茶がなくなったのを見計らって、柴田先輩が席を立つ。お湯を足しに行ったようだ。女子力の高い先輩だ。どちらかと言うと、錦町先輩より、柴田先輩についていきたい。いや、演劇部に入るって決めたわけじゃないけど。

「ナツヒだってね、成績いいのよ。入学当初は悪かったんだけど、なんか1年の文化祭おわったころから、すごく上がりだしたの」

「そうなんですか」

「入った当時はなんでこんな成績悪い子が恵温高校に入れたんだろうって、不思議に思えたぐらいなんだけどね」

「何?私の悪口を言ってたの?」

 ちょうどよくティーポットを乗せた銀トレイをもった柴田先輩が戻ってきた。

「ナツヒの目標は何なの?高校での目標」

「私もほとんど同じよ。T工大に現役合格。

 舞台は皆勤で出るし、体育祭と文化祭も全部やる。

 でも恵温って、3年生は文化祭で出し物やらないからつまんないよね。6月の体育祭が終わって、夏公演も終わったら、ほとんど夢がなくなっちゃう」

「そうなんですか」

「毎年秋に恵温祭って名前の文化祭があるんだけど、3年生は何もやらなくていいことになってるの。だから私の文化祭はもう終わっちゃったんだけど、もう完璧に不完全燃焼。こんなはずじゃなかった。だから私は、T工大を目指してるの」

 その前置きからどうしてその結論に行くかわからない。話がアクロバティックすぎてわからない。素人にもわかるように順を追って説明してほしい。という内容を、丁寧語を使って意訳してやんわり伝えた。

「ごめんね。えーと、何から話せばいいかな」

「ナツヒはね、体育祭女で、文化祭女なの。体育祭と文化祭で燃える女というか、体育祭と文化祭の為だけに高校生活を送ってるような女なの」

「そういうことよね。私、小学生の時に、映画の『うる星やつら2』って作品を見てね、文化祭に憧れたの?2人は見たことある?」

 私はある。けどかぼちゃんは首を横に振っている。あれはいいものだ。うる星やつらを知らなくても、見る価値は多いにある。

「じゃあ、ネタばれは避けるけど、あれをみてね、高校の文化祭ってものに憧れをもったの。私もこんな高校生活を送りたいって。でも、恵温はダメだった。中学とはケタ違いで面白かったけど、でも想像してたのよりもずっとレベルは低かった。これでも県内では一番もりあがってるんだけど、それでも軽音部がメインで、他はおまけみたいなもんだし。

 全国を見渡せばね、すごい高校もあるの。3年生は全クラスで演劇をやるっていう、高校の文化祭では日本一って言われてる高校とかね。ほんと、東京に住んでたらそこに通ってたと思うわ、私。

 恵温高校では、3年生は何もやらないのは決まってるのはしょうがないんだけど、不完全燃焼だわ。でもそれは1年生の時からわかっていたの。だから私は、文化祭がおもしろい大学に行きたいって思ったわ」

変わった志望理由だなぁ。

「それで調べたらね、文化祭が一番の大学ってどこだと思う?何も知らない人は学力も高いからT大だろうって答えるんだけど、東大はね、キャンパスが2つあって、文化祭も2つに分かれてるの。

でね、しっかり調べたら、ちゃんとあったの、文化祭日本一って言われてる大学がね。

 もちろん、文部省とか専門の有識者たちが『ここが文化祭日本一』とか決めてるわけじゃないし、日本一を自称してるのは他にいるのは重々承知なんだけど、今のところ、大多数の人間が共通認識として『文化祭日本一』って認識してるのは、T工業大学、通称『T工大』」

 T工大か、はじめて聞いた。

 箱根駅伝には出てないし、東京の2流大学なんだろうか?

「女池さんとかぼちゃんはまだ1年生で入ったばかりでわからないだろうけど、T工業大学はれっきとした国立大学で、医学部を抜けば、理系の中で上から2番目とか3番目のすごい大学よ」

 そうなのか、知らなかった。T○○大学ってのは、多すぎてよくわからない。

 大学の名前を箱根駅伝でしか知る手段のない私にとっては、箱根に出てない大学は無名校と同じなのだ。

「T工大もキャンパスは2~3個あるんだけど、メインとなっているのはOキャンパス。そこで開かれているのが、工大祭。ここが現在、大学文化祭で日本一の文化祭。だから私はそこに行きたいの」

 その後、柴田先輩は、T工大ってのが、文化祭だけじゃなくいろんな分野でも一流なんだと程よい熱量で説明した。鳥人間コンテストがすごいとか、学生主導の紹介冊子がすごいとか。これがさっきの錦町先輩の様な暑苦しい説明だったらT工大のステマかと疑うところだが、この先輩はそういうのはわきまえているようだ。疑問に思ったので、「参加するだけじゃダメなんですか」と聞いたら、去年すでにオープンキャンパスで参加したらしいが、文化祭は参加する側でなく、出店する側の方が100倍おもしろいと説明された。

「だけどね、T工大はさっき言ったみたいに国立でも高い方でしょう。私はね、その時では逆立ちしたって太刀打ちできるような学力はなかったの。でも、またどうでもいい大学に進学して、つまらない文化祭で失敗したって思うのは嫌じゃない?だからね、しっかり勉強を始めたの」

 なんだろうこのノリは。ゼミの勧誘マンガが始まるのか?

「でも予備校通うと、演劇やってる時間がなくなるから、予備校も家庭教師もつけずに頑張ってるわ。なんとか成績も上がってきたし、2年生から理系コースに入れたし、模試の順位も上々だし。まだT工大には少しキツイ位置なんだけどね」

「柴田先輩も模試の順位はいいんですか」

「理系は上位争いが激しいから、変動しやすいけど、最高で理系1位はとってるよね」

 錦町先輩がストローをくわえながら説明する。はしたない。そういえば、いつまにかアイスティーを飲んでいる。さっきまでは熱い紅茶だったのに。

「1位は1回しか取ったことないし、その時はいっつも1位を取ってる人が入院してて休みだったの。多分、総合的にみたら私は3位。調子悪い時はもっと下かな。模試は結構いいけど、学校の成績は、体育が足を引っ張ってるからさんざんなんだけどね」

 でもすごい。錦町先輩は文系2位で、柴田先輩は理系3位。

 これで2人は演劇部の舞台に皆勤なのか。すごいなぁ。

 大皿に乗った最後のクラブハウスサンドがなくなる。

 それにしても2人ともよく食べる。

「ごちそうさまでした。先輩たち2人とも良く食べますね。私、これから夕飯なんで、少しだけでしたけど」

「あぁ、私たち2人とも同じ劇団行ってて、これからその練習だから、これぐらい食べておかないと持たないの」

 え?アマチュアの劇団も行ってるの?

「先輩たち、2人ともアマチュア劇団でも練習してるんですか?」

「そうそう、ほら、今2人だけだから、あまり練習できないし、顧問の先生はいるけど、毎日いるわけじゃないし?だから向こうのワークショップ行って、そっちでも舞台にでてるの。そっちの舞台は皆勤じゃないけど、なるべく出るようにしてる。向こうの劇団は、常時ワークショップを開いてるって体裁だから劇団員じゃない人が参加するのが楽なのよ。一応、ワークショップって言ってるけど、実質、向こうの劇団の練習に交じってるようなもんだし」

 え?ということは?

「錦町先輩と柴田先輩は去年、どれくらい舞台やったんですか?」

 2人とも成績は申し分ない。

 そこで錦町先輩は指折り数えだした。

「恵温の演劇部で春・夏・夏休み・秋・文化祭・冬で6公演。それから、市内の合同発表会が1回。ワークショップやってる方の劇団で、私はセリフのないモブを合わせて5回だから、合計12回かな」

「私も演劇部の6回と合同発表会で1回、あっちの方では2回役者で、4回スタッフ。役者としては9回かな。もうちょっとやりたかったかな」

 化け物か。

 この2人を別次元の高校生に感じる。

「いつ勉強してるんですか?」

「授業中にしっかりやって、あとは予習復習を1時間ぐらいかな」

「毎日やることが絶対条件ね。テスト期間のワークショップない日は3~4時間はするけど、やれない日は1時間だけ。それだけよ」

「授業始まる前だから、まだよくわかんないだろうけど、それでもなんとかなるもんよ」

「はぁ」

 確かに授業が始まる前なのでどうとも言えないが、1日1時間の予習復習だけで学年2位3位がとれるものなのか。ますますわからなくなってきた。

 ちょうど、お茶を飲みきったところで、スピーカーから蛍の光が流れ出した。

「もうすぐ6時だね。じゃあ、かぼちゃんは入部ってことでいいのかな?」

「はい」

「女池さんも、気が向いたら演劇部に来てね。裏方も足りないから大歓迎なの」

「はい」

 柴田先輩はそれほど勧誘にガツガツしてなくて良かった。錦町先輩だったら帰らしてくれなかっただろうに。

 柴田先輩はてきぱきとお会計と片づけを済ませて、かぼちゃんを連れて店を出た。

 私もお母さんが待ってるから、早く帰ろう。とした時に、錦町先輩が耳元でつぶやいた。

「大丈夫、あなたは痛い人だってことを気にしてるようだけど、私やナツヒだって、十分痛い子だから、痛い子がもう1人増えたってかまわないわ」

 それだけで終わった。

 よくわからない人だ。

 その日の〈倫敦夜曲〉での出来事はこれで終わった。


    *        *        *


 〈倫敦夜曲〉で夕食を終え、後輩2人に見送られて、朋輩と2人でバスに揺られている。

 未経験者とはいえ、新入部員1人が入ったことは嬉しいが、少し悔しさが残る。

「女池さんが入ってくれなかった事が悔しいの?」

 人の心を読むでない。

「彼女、昔はすごかったの?」

「すごいなんてもんじゃなかった。完璧に憑依ができる子だったよ。時間をかけてキャラクター設定を構築するようなタイプじゃない。役作りに時間がかかるタイプじゃなくて、一瞬で入れるタイプ。それが小学生でできるようなタイプよ。10年ちょっとの人生なのに、他の人生をすぐにインストールできるぐらい想像力とバッググラウンドがあるのよ」

「でも、それぐらいの子なら、この業界にいたらたくさんいるじゃない?」

 それぐらいの子と申したか。

「うーん、あの子の憑依は別格なのよ。年上の子役や大人たちから見ても神がかり的な。

 あのね。本人も気にしてるみたいだから、あまり他言しないでほしいんだけどさ、彼女、多重人格をよそおってたのよ。双子の妹だか姉だか。マナミとミナコって言ってね。

 演劇をやるときだけは、ミナコってキャラに入れ替わるんだけど、それが完璧に入れ替わるもんだから、私も当時小学校4年生から6年生ぐらいだったからさ、多重人格って本当にあるんだって信じてたもん」

「それは気にするわねぇ。強烈な厨二病だもんねぇ。熱くて設定に夢中になってる内はよくても、冷めちゃった後が反動で何もできなくなっちゃいそう。

 でもそれぐらいだったら、たくさんいるじゃない。役者って変わり者が多いから。

 アカリだってそうじゃない」

 言ってくれる喃。

「私も、マナカナのどっちが本物の性格だか知らなかったんだけど、マナちゃんの方が表の性格だと何もできないよ。もしもミナちゃんの方が表の性格だったら、大戦力だったのに……」

 それに、ミナちゃんが演技をしているところは何度となく見てきたけど、マナちゃんが演技をしたところなんて一度も見たことがない。もしかしたら、もしやしたら、マナちゃんがまた演技を始めた途端、すぐにミナちゃんが戻ってくるかもしれないけど。現実的には、ミナちゃんが過去に重ねたキャリアも含めて、マナちゃんに引き継がれていく物だとは思われる。

「それにしても、今日のロンドンでの勧誘は説教くさかったねぇ。やりすぎじゃない?」

「あぁ、あれはね、マナちゃんだからやったの。

 私も子役出身だから解るんだけどね、子役って年上への依存率がとても高いのよ。

で、いまいち自発的に考える思考力は同い年よりも低くって、年上がそばにいないと、何をしていいかわからないって悪い癖があるのよ。

いつも年上ばかりに囲まれているし、そういった環境でスタートしてきたからね。

それから劇団の中で重鎮が誰なのか判断する能力に長けてるの」

「じゃあ、それを突っぱねられたってことは、部長のアカリが重鎮として認められてないってことじゃないの?」

 こやつ、日本刀で三枚おろしにしてくれようか。

「あぁ~、元子役を口説くにはちょっと説教くさい方がいいって、里中センセも下山監督も言ってたのになぁ」

「それを鵜呑みにしてすぐ真似するから、アカリは後輩に暴走キャラだって思われるのよ」

 この142センチ、頭頂部を肘掛にしたろうか。

しまった、「ろうか」は方言で、時代劇口調じゃなかった。反省反省。

「女池さん、入ってくるといいね」

「本当ね~。男役にしたらはまりそう」

 バスのアナウンスが目的地に着くことを知らせる。降車ベルを押し、流れる景色を見つめる。2年生秋の大会には出られなかった。もう今年は発表会も大会もない。夏休み前の夏公演が、私たち2人の引退公演になる。その前に廃部の危機だけは脱しないといけない。

かぼちゃんは入った。

 せめてあと2人。

 あと2人がほしい。


    *        *        *

 

 昨日に引き続き、今日も私は部活動を回って入りたい部活をチェックする。

 午後にあった採血検査の絆創膏をはがす。これがあるとうっとうしい。

 かぼちゃんはさっさと演劇部の方に行ってしまった。休み時間中もまだ部活を決めてない女子を勧誘していたようだが、成果は今のところ上がっていない。

 今日は1人で華道、書道、茶道を回ってみようと思い、南校舎を中心に詮索していた。

 グラウンドからは「バッチこーい」という野球部のかけごえと「さっこい」というソフトボール部の声が聞こえるが、さっこいとはなんだろうか?また日常の謎が増えた。

 華道と茶道は曜日交代で和室にて行われているとの張り紙があり、今日は華道の体験入部ということが書かれている。他にも1年生が4人ほど和室前の廊下でたむろしている。

 今日はここにしようか。体験入部希望者は名前を記載するよう記帳用紙がある。

 ちょうどクラスと名前を書き終えたところだった。

「真奈美ちゃーーん!」

 廊下の奥から太い声がする。

 かぼちゃんだ。

 南校舎の反対側から私を呼んでいる。よく私がここにいるってわかったな。背が高いせいで目立ったかな。

 かぼちゃんは全速力でかけてくる。何事だろう。どうしたのと声をかけて、近づく。他の子もただ事ではないとかぼちゃんを注視する。

 肩をゆらし、息を切らせながら走ってきたかぼちゃんは、ブレーキをかけないまま私の手を掴むと

「大変なの、部室まで来て。本当に大変なの」

 とまくし立てた。

 圧倒的な剣幕におされ、右手を掴まれたまま2人で部室に向かってダッシュしていた。あぁ、華道部の体験入部に名前を書いてきたのに、消すヒマもなかった。

 

 生徒自治棟の前でスピードを落とすと、ようやく事態を説明しだした。

「突然、執行部の人がやってきて、部室を明け渡すように、って通達してきたの」

 はぁ。

「でもその言い分がおかしいの。で、取り巻きがすごく多いんだけど、こっちは3人しかいないの。酷いでしょう」

 それで私を呼んだのか。とても傍迷惑なものだ。とは声に出して言えず、とりあえず状況だけは見ておこうと2階へあがると、L字の曲がり角で、すでに人だかりができている。

 野次馬だ。それもちらほらなんてレベルじゃない。結構な数がいる。

 その隙間をぬって曲がってみると、もうギュウギュウで部室まで行けない。

 そして品のないヤジが飛び交っているが、これはみんな演劇部を攻撃してるのはすぐにわかった。「出て行け、へたくそ!」「今時ロミオとジュリエットなんて誰が見るんだ!」

「俺らが払った税金を、なんでお前らみたいな部活に使わせなきゃならないんだ」

 なんだこいつのヤジは。うるさい。服装でわかる。腰パンにアクセサリー、染めた髪、いかにも不良なのばかりが集まっている。みんな軽音部の奴らだ。

 通して下さい、通して下さいと人垣をラッセルしながら部室にたどりついた。

 部室前の廊下に、見覚えのある黒い長髪の女が立っていた。執行部の女だ。この前の〈バンド〉でレフティのベースをやっていた奴だ。

正面に錦町先輩と柴田先輩もいる。執行部の後ろに丸っこい男子が2人ついてきている。

 誰がどうみても険悪な状況だ。この状況を友好的な話し合いだと主張する奴は、ぜひとも眼科を受診していただきたい。話はすでに深くまで進み、何の話題かわからない。

「彼女たちは?」

 黒髪が私たち2人を一瞥すると、錦町先輩に聞いた。

「1人は入部する1年生。もう1人は、昨日部活見学に来た子です」

 そう、と言って私たちを睨む。初対面で睨んでくるとは、どんだけ攻撃的な女なんだ。

 笑えば美人なんだろうが、キツネのような三白眼はとても冷たい感じがする。

「確認しておきたいんだけど、現部員は2人だけなのよね?」

「そうです。でも新入生が1人確定していますし、もっと入るかもしれません」

「それは百も承知です。そんなことを聞いているのではありません」

 とげのある言い方だった。

「去年の活動実績、見たんだけど、公演は6回やっているみたいだけど、大会には出てないみたいね」

 わざとらしく長い髪を手でなぞる。

「高演協と高文連の催す会があるでしょう?こっちだって調べましたからね」

 この専門用語はわからない。こうえんきょう?こうぶんれん?

「総合文化祭演劇発表会と関東大会の予選のことですか?」

「そうよ。県大会に出れないならわかるけど、地区大会にも出ていないってのはどういう事?」

「部員が2人だけで、満足いく舞台ができないと判断したので、地区大会は欠場しました。でも当日の受付や搬入業務はやりました」

「そんなことは評価の対象にはならないわ。つまり、やる気がないってことよね」

 随分と高圧的な態度だ。

「結論を言います」

 いきなりだな。これまでどういった議論がされてきたのかがわからない。

いや、そもそも議論だったのかもわからない。この雰囲気なら、ただ一方的な通達を大人数でけしかけて押しつけているだけなのかもしれない。

「部室は変更になります。ここはゴールデンウィーク明けから、新しい部活が入ります。

 コンピューター同好会が部に昇格するのと同時に旧放送部部室を、ソーシャルゲーム制作同好会が部に昇格するので旧演劇部の部室を与えることになります」

「随分、急ですね。で、我々はどこにいけばいいんですか?」

「ありません」

「「はっ?」」

 錦町部長と柴田先輩が同時に言う。そりゃ誰だって「はっ?」と言いたくなる。

「活動もしていないたった2人しか部員がいない部活の為に、貴重な部室は提供できません。だいたい、生徒自治棟のキャパはもういっぱいなんです。ただのダベリ場として部室を提供しているわけではありません。やる気のない部活からは部室は返してもらいます。別に廃部を命じているわけではありません。後の活動はどうぞお好きに。学校側に教室借用届を書けば、教室はいつでも利用できます」

「そういうことを言ってんじゃねぇよ」

 柴田先輩が声を荒らげる。昨日のイメージとは全く違う。こんな汚い言葉使いもできたのか。

「なんだよ、一方的に言ってきて。部室が足りないなら、軽音部の部室を分けてやりゃいいだろ。自分らだけ3部屋も独占してるっておかしいだろ、普通!

それにコンピ同好会とソシャゲ同好会には3階の部室があるじゃねぇか!」

「だから言ったでしょう。部に昇格にあたって、こちらに移動することになります」

「じゃあ今の3階のコンピ同好会とソシャゲ同好会はどうなるんだよ」

「軽音部の楽器管理室になります。これは決定事項です」

 つまり軽音部が3階4部屋を全部占領することになるわけか。

「そんな勝手な言い分が通るわけねぇだろ!」

「ここは生徒自治棟で、この部屋は我々生徒会執行部が管理しています。そこに間借りしているのがあなたたちであって、この部屋の持ち主は私たちです」

「だからそんなことを言ってるんじゃねぇよ」

 怒るのもしかたない。この言い分は相当おかしい。

 それからこの長い黒髪の高飛車女は、軽音部が部員拡大していく一方で、軽音部の部員の楽器をおくスペースが足りないという事情を説明した。楽器には高価な物も多く、盗まれたら一大事とのこと。その為、今後は毎朝、登校したら鍵がかかる部屋に楽器を預けて施錠するといった対策を取るらしく、その為、立地条件がいい3階の1部屋をしっかりと施錠できるように業者に来てもらって改修する、その段取りはもう終わっていてキャンセルできない。

 しかし、コンピューター同好会もソーシャルゲーム制作同好会も人数が増えてきたので、新しい部室が必要となり、その代わりに部室没収の命を受けるのが、去年活躍していない演劇部と、大会実績がなく放送室を常日頃から使っていて部室が不要な放送部ということになった。

 そこまで聞いて、今度は錦町先輩が冷静に反論した。

「去年の大会実績がないのはその通りですが、それは3年生が受験に入って、夏公演を最後に引退したからです。一昨年までは普通に大会に出ていました」

「知りません。それからこれは決定事項です」

 取りつく島もない。取り巻きは歓声と拍手で沸いている。

「到底認められる物ではありません。でしたら、我々のように毎日活動している部活ではなく、部室をただの物置として利用している部室の荷物をまとめて、スペースを作った方が効率的ではありませんか?」

「却下します。それを考えるのは生徒会執行部です」

 もう考える気もないということか。「立場をわきまえろ」と野次が飛ぶ。うるさい。

「つまり、我々には決定事項を覆す方法はないということですか?」

「そうです」

「去年は6回の公演をしていますし、それぞれ合同発表会にも参加していることに関しては?」

「考慮しません」

 酷い言い方だな。もう反論の方法がないじゃないか。

「ではお聞きしますが、コンピューター研やソーシャルゲーム制作部の大会実績は?」

「……」

 そこで高飛車女の口が止まった。後ろの2人も黙ってしまっている。そんなの関係ねぇとの野次はおさまらない。だがにらみ合った両者は無言だ。

「大会に参加していないなら、そちらの2団体の部室を没収すればいいでしょう?廃部というわけじゃありません。教室借用届を出して好きな教室で活動すればいいじゃないの」

「うちらはそれでもいいんだけどさ」

 気の弱そうな後ろの男子生徒が誤って口を滑らせた。

 女は振り返って、後ろの男を睨みつける。錦町先輩は勝ち誇った顔で、

「じゃあ、もう帰ってもらっていいかしら?そちらもそう言っている事ですし。こちらは勧誘に忙しいのです。こんな大人数で押しかけられても迷惑です」

 ピシャリした威厳ある態度でその場での議論を辞めようとした。しかし、「待ちなさい」と、まだ争う姿勢を見せる。

「ではゲームをしましょう」

「は?」

「ゲームの勝敗で、部室を賭けましょう。それなら納得していただけるかしら」

「何、わけのわからないことを言ってるの?」

 ごもっともなご意見で。この長髪バカ女は頭のねじが2~3本飛んでいるとしか思えない。

「それぞれの代表の部活で勝負して、決めるのです」

「バカじゃないの?トランプとかじゃんけんで部室の存続を決めるの?それともプレステ?セガサターン?」

 柴田先輩、セガサターンは古いよ。

「バカはそちらです。人の話は最後まで聞きなさい。あなたのような若者がいるせいで、我々の世代はゆとり世代ではないのに、ひとくくりに『ゆとり』と呼ばれるのです」

 この女はゆとりコンプレックスの塊なんだろうか。

「勝敗は、来場者数で決めましょう。それなら文句ないでしょう?」

 来場者数勝負?つまり演劇部の公演と、コンピ同好会かソシャゲ同好会のパフォーマンスの来場者勝負をするってことなのか?随分アバウトだな。

「ゲームってのは、参加意思はそれぞれの参加者にあるはずです。強制参加のゲームはゲームとは言いません。私たちは参加しません。お好きにどうぞ」

「では部室は没収です。これは決定事項です」

 話は平行線どころじゃない。どんどん悪化している。

「これは譲歩しているのです。来場者ゲームに参加しなければ、その場で即刻部室は没収。これは生徒会執行部の決定事項。ゲームに参加して勝てば、部室はそのまま。負ければ没収。ね、簡単でしょう?猿でもわかるし犬でもわかるわ」

 この女には何を言ってもダメなのだ。つまりこの高飛車女は猿か犬以下なのだ。もちろんキジ以下だ。唐辛子とワサビ入りのきび団子を胃袋に詰め込んでやりたい。

 しかしだ。生徒自治棟の中のことは全て生徒同士の話し合いで決めることになっているから、先生たちは頼りにできない。たとえ生徒総会で議題にあげても、多数決だったら生徒会執行部と軽音部側が圧倒的に有利だ。そんなことは入学して5日の私でもわかる。

「仮にその勝負をするとして、演劇部は当然、演劇の公演をします。が、それも準備が必要です。最低でも2ヶ月。その間に、そちらのコンピューター同好会かソーシャルゲーム制作同好会は何か準備できるのですか?そもそもカウントの方法は?カウント対象者は?そんなアバウトな条件で飲めるわけないでしょう?」

 ここでまた後ろの2人は渋い顔をする。私は2ヶ月でコンピューターやソーシャルゲームで何かを作れるかどうかわからない。が、今の顔を見る限り、2ヶ月では無理なのだろう。これで勝負も流れるかな、と思った矢先だった。

「だったら、両同好会の代行は軽音部が行います。軽音部のバンドの公演と演劇部の劇の公演。同じ日付の同じ時間で開場。来場者は恵温高校生徒のみ。それならシンプルでいいでしょう」

 無茶苦茶だ。演劇部とコンピューター同好会、ソーシャルゲーム制作同好会との話が、いつのまにか軽音部が出ることになってきた。この怒涛の展開、超展開というか、わけのわからない論理的展開、もはや一寸先も見通せない。というか、向こうは最初からこうするつもりだったのか。だから軽音部が大量に押し寄せているのか。まぁ、錦町先輩もこんな変な提案には乗らないだろう。生徒総会か何かを通して、正式に抗議すれば時間稼ぎにはなる。このゲームだとか部室交代の件は後回しにできるだろうし、うまくいけばこの部室も存続できるかもしれない。部員が増えて、県の発表会に出れば活動も認められるだろう。そう思ったが甘かった。

「わかりました。受けて立ちましょう」

 え?受けちゃうの?受けて立っちゃうの?何、この超展開?2人のやり取りが斜め上を行き過ぎていて、もう私の頭ではついていけない。正直、わけがわからないよ。

「ただし、条件が2つあります。

 第1に当日の来場者に、それぞれの部活の部員は来場者にカウントしないこと。

 第2に、こちらが勝ったら、以後3年間はこの部室は移動しない、没収しないと確約すること。

 それで異論がなければ、そちらのゲームに乗りますよ」

 錦町部長、本気か?

「もちろん、それで異論ないわ。日付は追って伝えます。ちゃんとルールも文章で掲示します」

 そして長髪黒髪高飛車ゆとりコンプレックスバカ女は勝ち誇った顔をした。

「はっきり言うわ。あなたたちは負ける。負けた後に、みじめな言い訳をしないでよね。こちらのあることないこと誹謗中傷を広げるようなら、あなたの両親も含んで、民事訴訟で訴えます。ツイッターやラインだけでなく、口頭での伝聞も禁止します」

 事実だけを広げただけでも、こいつらはねつ造だと騒ぎそうだ。

 高校生ながらに民事訴訟だとかを口にするとは、この女はプロのクレーマーなんだろうか。

「うるさいわよ、学年ビリ」

 その言葉を放ったのは、柴田先輩だった。次の瞬間、黒髪の右手が柴田先輩をビンタした。

 ――――かに見えたが、その右手を錦町先輩がブロックしている。一瞬の出来事だった。

 今の動きは相当訓練された動き。

 もしかして錦町先輩は殺陣をやっている?それも相当に。

「お引き取りを」

 錦町先輩の威圧感もすごい。あの身長で上から睨まれたら、普通の女子は太刀打ちできないだろう。ふん、と言って女は髪で円弧を描きながら振り返る。

 振り返る動作自体もよく訓練されているように見えるが、演劇的な洗練された動作ではない。もっとなんというか、安っぽいドラマの登場人物みたいな動きだ。

 私の横を通り過ぎる。

「あなた、演劇部に体験入部したの?それは時間の無駄よ。この部活は7月で廃部にしてやるわ」

 先ほどは部室がなくなることは廃部とは違うと言っていたくせに、すぐに廃部をにおわせた発言をする。

「こんなクズみたいな部活、金輪際、恵温高校には作らせないわ。演劇なんかやっている奴らはクズしかいない。軽音部以外の部活はみんな潰してやる。あんたたちなんかに1円でも私たちのお金は使わせない」

 恨みごとか。躁鬱の激しいヒステリックな女にしか思えない。

 ヒステリック――それしか彼女を表現する言葉が思いつかない。

 取り巻きにも撤収を命じる。モブたちはまるで勝者のように各々に奇声をあげて霧散する。最後尾にいたヒステリックは、一度立ち止まると、振り返って、また発狂する。

「演劇なんてのはね、現実逃避なのよ!

 若い情熱を、なぜ自分の姿のまま発揮することを拒否するの?

 なぜ、自分を偽って、他人を演じて表現するの?

 そんなに自分が嫌いなの!

 なら死んで人生をやり直したらいいんじゃないの!

 死ねばいいのよ!」

 この暴言は、聞き捨てならない。再び振り返ったその後ろ頭をナグリでなぐってやろうか、ちょうどここにガチ袋とナグリがある。ナグリを手に取った。

「――――マナちゃん」

 痛い。何かが私の右肩を万力のような力を締め付けられている。痛い。肩を掴んでいたのは錦町先輩の手だった。気付くと強烈な万力パワーはすぐ消えた。ナグリを奪われる。

「ごめんね、私たちの代わりに怒ってくれているのは、わかるのよ。でも、手荒なことはしないで。暴力だけはダメよ」

 錦町先輩の声はやさしかった。柴田先輩の目は赤く充血している。泣いてはいない。だが、泣くのは時間の問題だろう。

「かぼちゃんが呼んでくれたの?ごめんね、マナちゃんまで巻き込んで。体験入部の途中だったでしょう」

 昨日みたいに、舞台やろーぜ、とは言わない。

 やさしい瞳で見つめるだけ。

 でも、私が次に何を言うかわかっているんだ、この先輩は。

 私も、次に何を言うか、わかっている。

 今の女は許せない。

 演劇はもうやらないと決めた。

 だけど、あの女は許せないという、こんな強い思いはひさしぶりだ。

 いや、初めてかもしれない。

 権力を振りかざすから?

 違う!

 演劇をバカにされたから?

 違う!

 理屈はわからない。わからないけど、感情として、感覚として嫌なんだ。

 とにかく何もかも、嫌なんだ、あの女が。

 理屈なんてどうでもいい。

 このまま演劇部には知らん顔して、演劇部が部室没収なり、廃部なりになるのを遠くから眺めていることはできる。

 でもあのヒステリー色の脳細胞をフル活性化させた女が勝ち誇った顔をみたら、私は一生後悔する。

 だったらどうするか?

 あの女の言う事なんて聞いてやるもんか。

 あの女の思い通りになんてなってやるもんか。

「私も、演劇やります!」

 明確なビジョンだとか目的意識なんてクソ喰らえだ。

 まじファック!

 今の私は、あのヒス子の口にクソを詰め込む為ならなんだってやってやる。

 2人がありがとうと言う前に、私はかぼちゃんの手を引いて走り出していた。

「どこ行くの?」

「1人、入部しそうな奴に心当たりがあります。そいつを連れてきます」

 そして私は愛宕を捕らえる為に全速力で走り出していた。


参考文献:

新潮文庫「ロミオとジュリエット」シェークスピア作:中野好夫訳

「おくのほそ道」松尾芭蕉

「平家物語」

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