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食事を終えた俺達は、街の中央広場で一服していた。
酒場で出された食事は意外にも、向こうの世界で見られる食べ物と相違なかったし、ソーセージなんかはあっちよりも旨かった。
お金どころか、所持品がパジャマとパンツしかない俺に、マリーンは同情して、食事を奢ってくれた。
借りをまた作るのは嫌だったが、他に術もなく、借金という形で好意に甘えた。
「ハジメはこれからどうするの?」
酒場から続いていた他愛ない会話の最中に、マリーンが言った。
俺も頭の片隅で、ずっと考え続けていたことだ。
この世界で、これからどうしたらいいのだろうか?
「分からない…どうしたらいいんだろ…」
「故郷に帰ったらいいよ!なんなら連れてってあげる!」
マリーンはとても優しかった。
だが、未だに"俺が帰れない事"を理解していなかった。
「故郷はね…遠すぎて帰れないんだよ」
「遠いってどのくらい?山の向こう?海の向こう側くらい?」
「違うよ。もっとずっと遠いんだ。例えるなら、あの太陽くらいに遠いんだよ。目に見えるのに、触ることすら出来ない程ね」
優しく、分かり易く異世界の概念を説明したつもりだ。
「そっか…それって帰れないってこと?」
「そうなっちゃうかもね」
俺は、少しとぼけて答えた。
「故郷に帰れないのは…寂しいし悲しいことだよ……」
その言葉は、マリーンが自分自身に言い聞かせている様にも感じられた。
俺は寂しいのだろうか?寂しがってるだろうか?
いきなりの異世界に、困惑していないと言えば嘘になる。
しかし向こうに戻っても、俺を待ってくれているのは、つまらない日常だけだ。
そんな世界に戻れない事が、果たして寂しい事なのだろうか。
よく分からなかった。
「いつかは帰れるさ!そんな気がするんだ」
その言葉はマリーンに対して、言ったつもりだ。
自分が元の世界に帰る姿は、さっぱり想像出来なかった。
「そっか…なんだか私もそんな気がしてきた!」
「帰れるよね、きっと!」
「でも、ハジメ。帰るまでどうするの?」
いつのまにか逸れた話題が、また最初の話題に巻き戻った。
俺は妙案が浮かばぬままだ。
「もし良かったら、ハジメが故郷に帰れる時まで一緒に旅する?」
「一緒に行っていいの?」
マリーンが、冗談で言ったのかを確かめる。
「勿論!どうせ私一人だったし、一緒に旅する人が欲しいなって思ってたとこなの」
心臓がどきりと、他人にも聞こえてしまいそうなぐらい大きな脈を打つ。
こんな経験は初めてだった。
期待感が抑えきれず、鼓動を早めていく。
俺が、異世界で、旅をする?
かつて憧れたファンタジーの世界。ゲームの中の主人公を羨んだ記憶が蘇る。
俺は、あの主人公のように、なれるのか?
勇者に憧れた事は無かった。
勇者はいつだって、他人の為に旅をするのだ。世界を救う為に。
でも道中の旅にはいつだって憧れた。数々の街を、山を、森を、海を、仲間達と越える姿は輝いていて、どんな時でも楽しそうだった。
その旅券が今、俺の目の前にある。これからの苦難や、困難、その先の感動に導いて行ってくれる、世界に一枚しかないチケットだ。
俺に選択肢は無かった。断る理由が浮かばないのだ。
「一緒に行く!」
一言で充分だった。抑えきれない期待が、その言葉には詰まっていた。
「そうと決まれば、装備品を買いに行こう!」
俺はマリーンに連れられて、数件の工房をまわった。当然の如く重ねられていく、返せる当てのない借金。
当分の間は彼女に雇われる形で、雑用などを引き受け返済に充てる事で互いに合意した。
多数の工房が、中央広場から十字状に伸びる四つの路地に沿って、店を構えている。
職人の街とだけあり、甲冑や武具、装飾品から果ては獣用の首輪まで、取り扱いの幅はミーミアリアの空のように広かった。
購入したのは革鎧、ブーツ、鉄剣の三点。
必要最低限の最低限といった感じで、革鎧やブーツの下はパジャマのままの、とても間抜けな格好だ。
しかし、人々の刺さるような目線は格段に減った。この世界の価値観は、俺には理解不能なものだと思い知った。
その後も多くの店をはしごした。
マリーンの購入品は多かったが、謎の黒赤色の石二つを除けば、その殆どか日用品だった。
荷物はしっかりと俺が抱え、彼女の後ろを子アヒルの様に歩いた。
「これで最後の店だよ。ついて来て!」
そこは朝食をとった酒場だった。
店内に入ると、マリーンが筋肉隆々タンクトップ姿の中年に話しかける。
どうやら店員か店主のようだ。
彼との会話はすぐに終了し、テーブルで食事をとっていた立派な髭の、これまた中年の男性の元に案内された。
その髭の男性が此方に視線を向け、口を開いた。
「君達が依頼を受けてくれるのかね?」
「はい。私はディアナの加護を受けた魔術師です。戦いは得意中の得意分野ですよ!」
マリーンが右腕をぶんぶんと振り回しながら、自信たっぷりに言った。
「ほぉ。それは心強いですな」
その口振りには、感心の念が含まれていた。
「分かりました。では貴方方にご依頼します。二時に街の東出口にて、お会いしましょう」
「分かりました、では又後で会いましょう」
会話は淡々と終わり、俺たちは宿に戻った。
この街を今日の午後二時に出発する事は先程の会話から、容易に想像がつく。
今聞きたい事はただ一つだけだ。
「依頼って、何?」
「さっきの髭さんを、平原にいるモンスターから守るんだよ!」マリーンが揚々と答えた。
護衛の依頼だったのか。だから戦得意宣言か。なるほど。
彼女の拳の強さは、俺が保証しよう。あの拳ならモンスター位、赤子の手を捻るも同然だ。
マリーンは、宿の床に無造作に置かれていた背嚢を手にとった。
その背嚢に今日購入した品物を詰めていく。
「マリーン。それは俺が背負うよ。」
「別にいいよー。そんな重たい物じゃないし」
「君が良くても俺は良くない!君には、沢山の借り(借金)があるからね」
買い物の時にも荷物に関して同じ遣り取りをしていたが、その時は今よりも長く渋っていた。俺が頑固だと、理解してもらえたのかもしれない。
彼女は渋々と、その不恰好な袋を俺に手渡した。
瞬間腕が沈み、危うく地面に叩きつけかける。苦労して、なんとか背中に移した。
子像をおんぶ紐で背負っているような気分だった。
これを片手で手渡ししたマリーンが何者なのか、凡人の俺には及びもつかなかった。
重量級になった俺と怪力少女は、宿を後にし集合場所へと歩を進める。道中、マリーンが古びた懐中時計を取り出し時間を確認した時、二つの腕は一時四十分を差していた。それから十分もしない内に、街と平原との境界線に辿り着いた。この場所が、依頼人の指定した集合地だった。
その地点から、街と逆方向を真っ直ぐ見据えてみる。
地平線の彼方まで広がる無辺の大地が、薄緑のペンキで均一に塗りつぶされていた。
この広大な大地を踏み、超えて行く事の無謀さを視角情報から感じ取る。
しかし心臓は強く脈打ち、思考は乱雑になり、全身を興奮が支配している現在、この大地に圧倒され気持ちが縮こまる事は無かった。
これから旅が始まるのだ。
時には悲しい事や、辛い事もあるだろう。もしかすると、悲劇ばかりかも知れない。
それでも乗り越えて行くんだ!
その先にはきっと享楽が、感動が待っているはずだから!
待ち受けている全てに、期待が膨らんだ。
依頼人と合流し、俺は新天地の青き果てへ、小さな一歩を踏み出しす。
それは途方もない長旅の、第一歩でもあった。
この一歩が無ければ、何も始まらなかった。それは小さな一歩、大きな一歩。




