4.今回の依頼は不潔です!
『シルヴィアさん。私が言いたいことはわかりますよね?』
引きつった口角と何故か額に見えるはずもない怒りマークが浮かんで見える事務所の秘書、兼宮廷魔術師第7師団第3席という偉い人が目の前にズンッと佇んでいた。
『綺麗な顔が台無しですよミレイさん?』
なんてからかっているとシルヴィアの側頭部に衝撃が走ると事務所の壁まで吹き飛ばされる。
『死にたいようですね。』
ゴゴゴッという効果音が付きそうな雰囲気を携えて近寄ってきたミレイにさすがのシルヴィアも命の危険を感じて、素直に謝って落ち着かせる。
『それで今回の依頼ですが本当にお請けするんですか?これはいくらなんでも宮廷魔術師としては見過ごせないものですよ?』
『そんなこと言っても面白そうな依頼はこれしかなかったんだからいいでしょうよ。それともなんですか?飢え死にしたいなら別ですよ?』
『そ、それはそうですが。』
『国王様からは今までどおり探偵として活動していいと言われているのに、それを止められては……ねぇ?』
『卑怯ですよ!そんなことを言われては止めたくても止められないじゃないですか。……それに少しは私の気持ちも考えてくれてもいいじゃないですか。』
最後の言葉が小さくて聞き取れなかったシルヴィアは首を傾げるだけ。
なんとも鈍い男である。
シルヴィアの言い分はもっともでありこのクリミナリア王国にいることは国王ひいては国民の意志でもあるため無碍にもできない。
しかし、今回の依頼はこの探偵事務所の品格、信頼が落ちてしまうのではないかという不安を払拭することが難しい依頼内容だった。
ミレイが心配するのは当然であり、この探偵事務所の一員としても不安に思ってのことだった。
それだけ危険の孕んだ依頼内容ということでもあった。
『なんでよりにもよって‘戦乙女’と呼ばれるあの方の、し、し、身辺調査など。』
『なんでそんな堅苦しい言い方をしますかね…。ただ下着調査と言えばいいのに。』
さも当たり前のように言い切るこの男は凄い。
堂々と下着を見て来いという依頼内容を請けようとしているのだから。
『なっ!破廉恥です!不潔です!最低です!女の敵です!』
『なにもそこまで言わなくても。ちなみに今日のミレイさんの水玉模様はかわいらしくて素敵だと思いますよ?』
『ふぇ?にゃにゃんでシルヴィアさんが…。』
愉快愉快といった表情でミレイの下腹部を見ているがシルヴィアはこの世の終わりとでも言い表せばいいだろうか、血の気が引いたように顔色が一気に真っ青になる。
シルヴィアは本当に楽しんでいるだけで厭らしい気持ちは全くなかった。
そして今回の依頼内容のランクは上から数えて早い三番目のB相当だと考えていた。
対象の‘戦乙女’はクリミナリア王国の宮廷騎士統括顧問という騎士の頂点に君臨している若干二十歳の美女だ。
実力的には真正面からやりあえばシルヴィアの勝率は0である。
しかし、そんなことをしていては命がいくつあっても足りない。
一分で何十回もお花畑のある場所まで意識を飛ばしたいほどの趣味は持ち合わせていない。
『よって、今回の依頼なんだがミレイに手を貸してもらいたいと考えているのだよ。』
『見られちゃった見られちゃった見られちゃった見られちゃった見られちゃった――――――――』
『あー。こりゃだめだ…。遊びすぎた。ミレイさんミレイさん?』
ミレイの意識を取り戻そうと近づいて肩を叩こうと触れる寸前に――――――――
『―――――――シルヴィアさんの馬鹿ーーーーーーーー!!』
『ッブ!!』
顔面に魔力の塊で形成されたものによって吹っ飛ばされた。
◇◆◇◆◇◆◇
『なんで私がこんなことを…。』
ぶつくさ文句を呟いていたミレイだったがきちんと仕事をしていた。
彼女は普段から真面目な女性なのだが事が事なだけに必死であった。
ミレイが何故シルヴィアの事務所にいたのは理由があった。
シルヴィアがこの国を拠点にすると決まったさいに助手を一人だけ見繕ってほしいと進言したのが事の発端だった。
そしてシルヴィアが提示した一つの条件に合致していた。
シルヴィアにとってそんな都合のいい人物はいないだろうとダメもとで提示した条件は魔法剣の扱える人物を指名していた。
魔法剣は呼んで字の如く剣に魔法を付与することのできるもの。
理論的には誰にでも扱うことはできるがシルヴィアは更にそこから魔力を固定化したまま体外に放出できる人物と限定した条件を提示していた。
そもそも魔力を体外に固定化したまま放出していられることは理論上できないとされているが稀にできる人間が存在している。
そういった貴重な人材は大国にほとんど集まっておりクリミナリア王国のような小国が抱えていることはない。
偶然にも存在していた人物がいることにシルヴィアは歓喜していた。
それ程珍しいことなのだ。
さらにそれが見目麗しく二十歳とのことでシルヴィアは歓喜から狂乱することになった。
そして、ミレイが呼び出されたが、本人が預かり知らぬ所で事がトントン拍子に進んでいたことに唖然とする。
ミレイは宮廷魔術師の位はそのままということは理解できたが給金が全てシルヴィアの依頼報酬の中から出来高として支払われるということには愕然とした。
国を救ってくれた英雄と仕事ができる事に喜んでいた自分に夢を見すぎだと言ってやりたかった。
世の中そんなに甘くないということをまざまざと見せ付けられた。
しかし、有名なあの探偵魔法使いの助手として選ばれたことには変わりはなく、この国の恩人でもあるのだ。
失礼のないようにと気持ちを落ち着かせてご対面となったときは彼女の胸は早鐘を打っていた。
整った目鼻立ちはわかるが彼の眼を見た瞬間に今まで男性に持ったことのない気持ちが彼女に宿っていた。
何処までも黒く、そして冷たい眼に魅了されていた。
現実的にはそんなことはありえないと思っていただけに自分が男性にこんな気持ちを抱くとは思っていなかった。
彼の雰囲気がそう感じさせているのかとも思っていたが、彼と行動することでそうではないことがわかった。
それがなんなのか初めはわからなかった。
けれどもいつもふざけた態度や口調からは想像もできないような冷たく、心の臓が鷲掴みにされたようになることがあった。
それは大抵彼が気分を悪くしたときだった。
依頼がとんでもなく出鱈目なものや煙草がなくなってしまった時の気分を悪くするような種類のものではなく、理不尽な世界を垣間見たときだった。
長期の依頼として一月程国を離れていたときにそれが一度あった。
内容はクリミナリア王国を離れて隣国の貴族の家に奉公している娘の様子を見てきて教えてほしいとの事だった。
現地に赴いていざ様子を見に行こうと館を訪ねる道中で貧困の差がありありと目についていた。
それはまだ良かった。
そんなことは世界を見てきた彼にとってはどうすることもできないことであると納得していたことだった。
そして、館の中で働いている彼女を見つけ動向を調査書類に書き込んでいった。
そこまでは誰でもいそうな田舎から奉公しに来ている田舎娘といった印象だった。
しかし、依頼主の心配するようなことは起きていないと思っていたが最終日の休日の日に事が起こった。
彼女は貰った給金を手に薬を闇市で買っていた。
それを見たシルヴィアさんの眼はとても冷たかった。
まるで自分自身さえもあんな人に向けてはいけないような眼でいつも見られているのではないかと錯覚してしまうくらい衝撃的なもので、その場で震えながら身を小さくして涙を流してしまっていた。
それを彼は優しく抱きしめてすまないと何度も謝っていた。
漸く落ち着いた私を気遣いながらクリミナリアに帰って来て彼はどう依頼主に報告したのかは聞いていない。
ミレイは気まずいからといったことで聞けなかったのではなく、その後のことを聞くことでまたあの眼で自分が見られてしまうのではないかという恐怖で聞けなかった。
そんな事があった数日後に無理して事務所に居続けることはないとシルヴィアから告げられた時はドキリとした。
仕事は完璧にこなし何でもできそうな彼から考えまで読まれていることに。
そんな話をしている中で彼は、いつもの彼でおちゃらけたようになんでもないような態度だった。
そしてわかった。
最初に彼と、探偵としてあったときの彼がどうしてあんな眼をしているのか。
この世界のあらゆる理不尽な事が大嫌いなのだと。
人一人ができることなど限られているのにどうしてそこまで怒ることができるのか。
でもそれが彼らしいとも矛盾した考えを持ってしまっていた。
あの時どうしてあんなにも魅了され惹かれたのか。
傲慢な人だとも思った彼が、彼女の抱く気持ちが漸く解決した瞬間でもあった。