政宗の過去
この話は伊達政宗の生涯(?)を参考にしていますが彼の伝記ではありません。
実在しない登場人物など多数出てきます。
申し訳ありませんがご了承ください。
「政宗さま、よろしいのですか」
小十郎こと片倉景綱が、遠慮気味に言った。
胴着袴という姿で弓道に勤しむ政宗は、曖昧に返事をする。
「いいだろ、害はなさそうだ」
そういう訳ではなく、と小十郎がため息をついた。
「解ってるよ、目立つなって言いてえんだろ。俺だってばかじゃない。ちゃんと考えてある。…しかし変な奴もいたもんだな。未来から来たんだと」
くくっと笑いながら弓をひき、放つ。
すぱんっと激しい音を鳴らして、矢は的へ、まっすぐにささった。
政宗は今年で19になる。
もっと、自分が早くに生まれていたならば。
武田信玄、上杉謙信と肩を並べ、天下を統べる織田信長に堂々と立ち向かっていくことができただろう。
だが、今は問題が山積みである。
兵士が足りないために、戦はしづらいのである。
無駄死にされても困るだけだ。
「政宗さま、違うのです。某が言っているのは――――――」
「愛のことか」
びくっと弾かれたように小十郎の表情がひきつった。
「本当にめんどくせえな、母上も、父上も、あいつも」
伊呂波の姿を見て、嫉妬に燃える愛の瞳を思い浮かべて、政宗は肩をすくめた。
「最初はあんな風でなかったんだがな。いろはのことを、愛には言うな」
御意、と頭を下げて小十郎が頭を下げた。
愛とは、政宗の正室である。政宗13歳のころに、11歳の愛を迎え入れた。そういえば、あと二月も経てば愛も16歳になる。祝いの品を考えるのも面倒くさくて、政宗はため息をついた。去年は黒い茶器を贈ったが、気に入ってくれずひどく不快な顔をしていたのを覚えている。
(愛は、ない)
そんな風に思いながら、政宗は縁側へと腰をかけた。
愛に、愛はなかった。
愛おしいなんて感情はなく、むしろあまり近づきたくないという感情を抱くほうが多い。
機嫌のいい時はすり寄ってくるが、眼帯をとった政宗を見るのをひどく嫌っているのは一目瞭然であった。
10歳で元服した隻眼の政宗に、するするとすり寄ってきて、いつのまにか政宗の両親に気に入られていた彼女は、今も時々政宗に会いに来る。
それが政宗はひどく不愉快だった。
政宗の右目は、疱瘡にかかり失明した。
確か、疱瘡にかかるまでは、母は政宗に対して過剰すぎるほど甘かった。優しくて、いつもそばにいてくれた。
梵天丸と、呼ばれていたころの話である。
政宗が疱瘡にかかり、見舞いに来てくれた母は政宗の姿を見てさっと顔を青ざめた。本当に、真っ青になって、今にも倒れてしまいそうで。
「どうか、しましたか、母上」
政宗が心配そうに母に手を差し出すと、母は政宗の手を振り払って退いた。
はたかれた腕が、じんじんと痛かった。
まだ、政宗はその頃、鏡を見ていなかったため、自分の姿がどんなものか、知りはしなかったのである。
「母上…?」
不思議に思って母を見つめると、忌々しいといわんばかりに母は去って行った。
見舞いの品は、無残に庭に転がっていた。
「鏡…っ鏡をみせてっ…!」
泣きわめく政宗に、父輝宗は震える手で鏡を息子へと渡した。
鏡を見た瞬間の政宗は、ひどく狼狽していたという。
「母上は、梵天が、こんな姿になったから、嫌いになってしまったの…?」
血管の浮いた飛び出た右目。ぶらりぶらりとつり下がっているのは分かっていたが、こんなにも醜いとは思ってもみなかった。
「梵天は、母上に捨てられたの…?」
政宗はよろよろと立ちあがり、頭巾を持ってこさせるとそれを頭に巻いて、すごすようになった。動くことも、しなかった。
母来てくれなかったが、父は毎日のように見舞いに来てくれた。
「そろそろ、外に出てみないか、梵天丸」
「…見られるのは、いやだ」
「…梵天丸、閉じこもっていては、家は継がせられぬぞ」
「こんな家、いらぬ。竺丸に、継がせばいいだろう」
母は、政宗が疱瘡にかかってからすぐ、弟を生んだ。竺丸と呼ばれていた。
いらぬ子になったのだ、政宗は。
「…お前は、賢い子だ。俺はそれを、知っているぞ」
頭をなでる輝宗は優しかったが、どこか冷たいような気がしてならなかった。
ある日、輝宗は政宗の世話係に、小十郎、伊達成実が選ばれた。
陰気になってしまった政宗に、10歳年上の小十郎は一緒に縄跳びをしようと誘ったが、
「右目が揺れるからいやだ」
とかたくなに断り続けた。
「体を動かすと片目が揺れる。今にもちぎれそうで痛い」
ぎろりと睨みつけてやると、小十郎も成実も無理に体を動かす遊びに政宗を誘うことはなくなった。
だがある日、めそめそと泣く政宗を、突然小十郎が後ろから羽交い絞めにした。
「そのような性格では、伊達家は滅亡の道をたどるまで!申し訳ありませぬっ!」
「…っ!なにをするっ…!おい、成実、小十郎を止めろっ!」
成実を呼ぶが、彼は暗い眼をしてじっと政宗を見ていた。
「成実っ!」
名を呼ぶと、彼はゆっくりと上を向いた。
「…あなたさまの未来のためっ…!伊達の未来のためっ…!…奥州の未来のためっっ!伊達成実、無礼承知、追放承知っ!失礼しますっ!」
ぞくりと、悪寒が走った。
刀を抜いた成実が、走って刀を振りかぶる。
激しい痛みが右目を貫いた。
ぎゅっと、小十郎の腕に力がこもる。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
悲鳴を上げる政宗を、後ろから小十郎が抱きしめた。
「痛いでしょう、痛いでしょう、しかし我慢してくださいっ…!痛みは時が過ぎれば去るのですからっ…!」
「ああああああああああああああ離せえええええええええええええええええ」
涙が出たのか、血が出たのか。それすら解らない。
血で汚れた刀を、丁寧に腰に治めて成実はゆっくりと政宗に近づいてきた。
「梵天…」
上を向くと、左目には血で汚れた成実の顔が鮮明に映った。
「…っっお前っ…よくもっ!」
右目を抑えて立ち上がるが、痛みのあまり、うずくまって叫んだ。
叫べば痛みが去るわけでもないが、初めて心からの悲鳴を上げた。
だが、長い時間叫んで、泣いている間に、痛みもだいぶと引いて彼はよろよろと立ち上がった。
「…梵天は、帰る」
走っても、跳ねても、右目が揺れることはない。
政宗は自分の体が軽くなったような気がした。
無理をしてはなりませぬ、と小十郎が強引に政宗を抱きあげて屋敷へ帰った。
それから一週間、政宗は右目の痛みと戦うことになったが、彼の陰気な性格はその時から一変した。
それで、今の政宗がある。
今でもたれた右目が切り離された時のことを思い出すと、体中にぞくりとする痛みが走る。
(…片目を愛してくれるものなど、いない)
政宗はそっと自分の見えない目に、眼帯の上から触れながらそう思った。
愛もそうである。
彼女は政宗を愛しているといった。
それが本当かうそか、解るのは愛だけだが、政宗は思わない。
彼女の態度を見ていると、そう思わざるを得ないのである。
政宗は大きくため息をついて、未来から来たと言ってのけた伊呂波のことを考えた。不思議な少女であった。
小柄で、うちまきの茶色の髪の毛は、とても珍しい。
あの少女が出した光を発する「携帯電話」というもの。あの子は政宗の持っていない知識を豊富に持っている。
(天下を取るのは、この俺だ)
織田信長を打ち負かすのはこの俺だ。
武田信玄、上杉謙信を打ち負かすのはこの俺だ。
猛々しい気迫を出しながら、彼は笑った。
天下を取るためならば、利用できるものはしつくすのみ。
「天下は、すぐそこだ」