戦国時代
これは伊達政宗の生涯(?)を参考にしていますが、彼の伝記などではありません。実在しない人物など多数出てきます。申し訳ありませんがご了承ください。
広大な草はら、目の前立ちはだかる巨大な城。
ここは、日本だろうか。
日本にこんな広い草はらが、まだ存在するのだろうか。
伊呂波はどうしようもなく、泣き出したい気持ちでいっぱいだった。
背中のリュックも、手に持ったスクールバックも、肩に背負った竹刀袋も、全部が全部伊呂波の心情をうつし出すかのように、ずっしりと重たい。
「ここ、どこ…」
立ち上がろうとするが、無様なことに転がってしまった。膝をすりむいてしまったらしい。スカートを何回も短く折っていたことを後悔する。
泣きっ面に蜂とはこのことか。
伊呂波はあふれてくる涙を強引にカーディガンでふいて、竹刀袋を杖にして立ち上がった。こんなことしてはいけないが、この状況では仕方がない。
ぐちゃぐちゃになってしまったマフラーをほどいて、もう一度髪をまとめて上から巻く。
なんどか頬をつねってみた。頬がひりひりした。
目をつむって、開いてみたが、広い野原にはなんの変わりもない。
風が吹くたびに、揃って草が揺れて、こんな状況にかかわらず綺麗だ、なんて思ってしまう。
伊呂波は竹刀袋から護身用に竹刀を一本取り出した。残りの二本は竹刀袋に入れたままで、わきに挟んで進む。荷物が多いと面倒くさいと伊呂波はため息をついた。
風の音とともに、ぱかぱかと音が耳に入ってくる。何の音だろうと目を凝らすと、馬に乗った鎧兜に身を包んだ男が、こちらに近づいてくるのがわかった。ぱかぱかというのは、馬の蹄の音だったらしい。だが馬などめったに見ない伊呂波には分からなかったのだ。
おかしい。絶対におかしい。
馬で街を歩くなんて…街なんかないのだけれど。
伊呂波は直感で感じだ。
逃げないと。
だが鎧兜の男が、腕をあげて、伊呂波のほうを指さした。すると後ろから兜は付けず、鎧を身に付けた男が素早い動きで馬を伊呂波の近くでとめる。
馬から人って、逃げ切れるのかな。
なんてことを考えてしまう自分は、危機感がなさすぎると伊呂波は思う。
「…お前、なんだ?」
明らかにおかしな質問。
同じ人ですけど、なんてばかな答えをするほど伊呂波は愚かではない。
なんなんだろう、この時代の差を感じさせる服装は。
伊呂波はまじまじと男を見つめた。
剣道の防具の一つである胴と似たようなものを胸につけ、手には黒光りする鉄製と思われる小手。剣道の小手は、布製だ。鉄製なんて、普通つけない。足には多分脛を守るための黒い防具が巻きつけられている。脛って薙刀の時につけるんじゃなかったっけ?と伊呂波は首をかしげた。とりあえず、動きにくそうだ。
真っ黒な髪を黒い布のようなもので止め、鋭い眼には眼光が光っているその男は、無言の伊呂波を見て、そして手に持っている竹刀を見て、顔をしかめた。
「真剣…ではないな。竹刀ごときで、身一つ守るつもりか」
真剣といわれて、思わず伊呂波は素っ頓狂な声をあげた。
「銃刀法違反で捕まりますよ」
今度は男が素っ頓狂な声を上げる番である。
「じゅうとうほういはん?なんだそれは、お前はあれか、南蛮人か、じゅうとうほういはんというのは南蛮の言葉なのか。確かに服装も変だな。なるほど、南蛮人ならば納得がいく」
目を大きく開いて、物珍しそうに伊呂波を見てくる。
南蛮?歴史で習った。外国人のことを、そういうのではなかったか。
意外と社会の歴史が得意分野であった伊呂波は、中学生のころを記憶を引っ張り出す。
「南蛮じゃないですよ、私。日本人です」
日本人、という言葉を聞いて、ますます気難しそうになった男が、腰にかけられている刀に手をかけた。
「要は怪しいことには変わりない。政宗さまの狩りの時間と心得えここまでのこのこきたのだろう。純粋で命知らずな若者は好きだが、脳のない阿呆はここで朽ち果てるべし!」
す、と静かな動作で刀をひく男に、伊呂波は動けずにいた。何と言えばいいのか、ぴりぴりとしたいやな雰囲気が、伊呂波をそこから動かしてはくれなかった。
ただ、政宗、という名前が、なぜか引っかかる。
「…まさ、むね?」
小さくつぶやくと、男は額に血管を浮かせて憫笑する。
「政宗さまを呼び捨てするか。そこまでの阿呆が奥州にいるとは伊達の恥っ!」
政宗。奥州。伊達。
「伊達…政宗…?」
伊呂波はすっと男の近くに走り寄った。
「だて、まさむね?なに、どういうこと、平成じゃないの?奥州って…私は関西に住んでたんだよ、奥州って東北じゃないっ」
思わず馬に乗る男の手を掴んでいた。竹刀袋とスクールバックを放り出し、片手には竹刀を握ったまま。
「待って、おかしいでしょ、なんなの、何のいたずら、これ。性質悪いよ」
腕を掴まれた男はぎょっとして、伊呂波の手を振り払おうとするが伊呂波を見て、動きを止めた。
「お前…女か…?」
まさか男に見られていたのか。伊呂波は頭が痛くなるのを感じて、腕の力を弱めてしまった。その瞬間に腕を振り払われる。
「男が女の風貌など、憎き敵方を思い出す!死ねっ!」
馬から飛び降りた男が刀を振り上げて叫んだ。
伊呂波は思わず目を伏せるが、長い剣道歴が彼女の腕を動かした。
竹刀を横にして、男の斬撃をうまくいなす。細い腕が、じん、と痺れた。
骨を粉砕されそうな力強さ。竹刀がささくれる程度ではすまなさそうだと伊呂波は思った。というより、見れば竹刀は深くえぐられている。
うわ、本物の真剣かよ、なんて思いながら混乱する頭をどうにか落ち着かせようと彼女は必死だった。
伊達政宗。確か戦国時代を生きた武将。もう少し早く生まれていれば、天下をねらえたとまで言われた男。―――――の家臣なのだろうか。いま自分の目の前で刀を構えている男は。政宗さま、と言ったのだから。会話の内容的にも、強い忠誠心を感じた。
じりじりと間合いを詰めて斬る機会をうかがっているようで、伊呂波の目から視線を放さない。
剣道のルールなどあったものではなかった。まずすり足を使わないし、ときどき片手で刀を振るう。そんなのありか、なんて思うが、いま自分がいる状況でそんな言葉は聞いてもらえそうになかった。
ただ、わかるのはあの刀に斬られてしまえば自分は死んでしまうであろうということだけである。
そんなのご免だ。だが、不利なのは自分。
「…」
どうするべきか。すっと状態を動かさずに男の間合いに入った。剣先を揺らして、男を惑わせる。下から男の刀の右懐に入り込み、真剣を上にすりあげた。
そのまま頭に向かって竹刀を振りおろす。
普通の剣道のルールなれば、伊呂波の勝ちだ。
男は真剣をあっさりと離して、さっと頭を守るように腕を十字にさせた。力が弱い伊呂波では、立ち向かうことさえも無謀だったらしい。筋肉隆々と言った太い腕で伊呂波の竹刀を弾き飛ばし、手首をひねりあげる。
「…っ…!」
思わずもれた悲鳴で、一瞬男の手から力が抜けた。
伊呂波は思わずその手を振りほどいて男の脛を蹴る。かつん、と足にしびれが走って、少女は歯を食いしばった。男はのけぞり、逃げ出す伊呂波を捕まえようと走り出す。
がしゃんがしゃんと甲冑のぶつかる音と風の音だけが、やたらと伊呂波の耳に入ってくる。
重い甲冑を身につけていてもやはり男。
どんどん伊呂波と間合いを詰めていく。伊呂波は逃げながら、先にさきほど弾き飛ばした男の真剣が転がっているのを見つけた。
飛びつくような思いで刀を拾い上げ、男のほうを向く。さすがに男もまずいと思ったのか、少しずつ後退し始めた。
伊呂波は必死で、男が笑っているのに、気づくことができなかった。
だが、後ろからかすかに感じる人の気配に、思わず振り向くと背の高い青年が立っていた。
「…っ!」
思わず真剣を胴へ振りかざすが、今まで竹刀を振っていた少女に、人を切るなんてできるはずもなく。
少女の手からぽとりと刀が滑り落ちた。
その瞬間をねらってか、青年が伊呂波の手首を後ろに縛り上げる。
「…若いな、俺よりも若い。しかも奇抜な格好とくれば、外国のやつか?それにしては流暢な日本語喋るもんだ」
また南蛮といわれる。伊呂波は手首を縛られているために、青年の顔を見ることができなかった。
「しかしこんな細腕でよくぞまあ俺の部下の斬撃に耐えられたな」
怖かった。
この状況でなくて、真剣を握った瞬間の自分が。
腰が抜けて、そのまま倒れこんでしまう。
伊呂波の意識は、そこで途絶えた。
*****
目に映ったものすべてが、異質といってもよかった。ただ広すぎる畳の部屋に、離れたところにリュックとスクールバックが置いてある。
竹刀と竹刀袋だけが、そこにはなかった。
丁寧に敷かれた布団に、横たわっていた自分はどうもつかまってしまったらしい。
身なりにはなんら変化はない。マフラーも乱れてはいるが首に巻いたままであった。
伊呂波は痛む頭を上体ごと起きあがらせて、立ち上がった。
スクールバックの中から水筒を取り出して、お茶を飲もうとしたが、古いにおいがしてやめた。
リュックを背負い、スクールバックを掴む。
ここから逃げ出さないと、死ぬよりほかはない気がした。
真剣を振り回す男の姿が鮮明に蘇ってぞっとした。
殺されるのはまっぴらごめんである。
本当に理解できない世界だ。少なくとも、平成ではなさそうだ。考えられるのは戦国時代。だが、あり得ない。そんなことあっていいはずがない。
こんなことがおこるのは、本や漫画やゲームの中だけで十分だ。
伊呂波がふすまに手を翔けると、向こう側に人がっているのがわかって思わず退いた。激しい頭痛が走る。どこかで頭を打ったのだろうか。
「…おお、起きたみてえだな」
眼帯の、青年だった。あの時、伊呂波の手首を縛りあげた青年と声が一致する。
右目を黒い眼帯で覆い、それでも片方の前は二つの目の分の鋭い眼光を宿している。
胴着袴といった姿で、前の鎧兜の姿ではなかった。
「ここ、どこですか」
無意識に反抗的な態度になる。
隻眼の青年は、じっと伊呂波を見つめていた。
「…お前、なんであんなとこにいた?」
そう問われて、伊呂波はただ、知らないとだけ答える。
「…知らない、知るわけないでしょ。私がここにいる理由なんか、私にもわかんないもん」
そっぽを向いてやった。
「…お前、武田のもんだろ」
突然そう言われて、伊呂波は青年のほうを振りかえってしまった。
「どうしてそうなるの?!何武田って!武田信玄とでも言ったらほんとに怒るから!これ以上悪ふざけはやめてよ!なに、伊達政宗の次は武田信玄、その次は上杉謙信でも来るの?」
ふっと笑ってやると、青年の腕が伸びてきた。
触るなっと思わず身をすくめると、その手が伊呂波の頭に乗る。
「政宗さま、か、おやかたさま、とよべ」
「っ…!…ばかばかしい…もうやめてよ、わかんないよ、そんなこと言われても…なんなの、武田とかなんとかって…」
突然涙腺が緩んで、ぼろぼろと涙があふれ出した。
「男が泣くんじゃねえよ、武田のもんなんだろ、情けない」
驚きと呆れが混じった声音で言われて、伊呂波は青年をにらみつけた。
「武田じゃないってば!私はちゃんと島崎って名字もあるの!」
武田武田言わないでっ、とだけ言うと、顔を覆って泣き続けてしまう。
あと、男じゃないもん。と小さく言うと、青年の動きは止まってしまった。
「男、じゃないのか…?」
「そうだもん、私、女だもん。さっきからなんだよ、武田とかさあ」
ああ、駄目だ。喋ったら涙が止まらない。
ぐっと唇をかみしめた。
「…あー…そうか、悪かったな」
気まずそうに頭をかいて、それでも青年の目は鋭いままだった。
「…だが、女だからと言って武田からの忍を逃がすわけにはいかねえ」
彼がそういうと、あいたままのふすまから一人の見慣れない男が入ってきて、伊呂波の竹刀袋を青年の隣に置いた。
「…?」
伊呂波が首をかしげると、青年が伊呂波に問う。
「これは、お前のだな?」
こくりとうなづく。
「じゃあ、この風林火山の字はなんだ?」
でかでかと書かれた風林火山の文字をこつん、と長い指で青年は叩いて見せた。
「…そんなの…私なりの座右の銘…」
はっと伊呂波が口をふさいだ。
風林火山は、武田信玄の数多くある名言のうちの一つ。
『疾きこと風のごとく、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し』。
青年がやっぱりな、とため息をつく。
「違う…っ聞いて…伊達…政宗…さまっ、違うの、私はこんな世界知らないっ…!」
身を乗り出して青年に言うと、青年は自嘲するように笑った。
「俺をばかにするのもたいがいにしとけ。武田のおっさんも俺だからこんな女をよこしたんじゃねえだろうな」
片目に鈍い光が宿ったのを見て、伊呂波が立ち上がった。
「どけて」
その一言に、青年がひどく驚いた表情をする。
「どけて、ください。私、帰ります」
どこに?なんていう野暮な自問はしない。
「風林火山は、確かに武田信玄が作ったんだろうけど、私はただそれを―――――そんなふうになりたいから、竹刀袋に縫ってもらったの。他に特別な意味なんてないの」
それの何が悪いの、と言わんばかりに唇をかみしめる少女に、青年は笑った。
「どけるわけねえだろ。お前は明日には洗いざらいぜんぶはかせてやるよ。伊達は必要があるとき、鬼と化す。父輝宗と俺は違う」
「そんなこときいてないっ。竹刀袋返して。それ、私の目標だから」
半ば強引に竹刀袋を取り上げて、外に出ようとすると政宗が強く伊呂波の腕を掴んでとめた。
「離してっ!私は武田信玄の顔すら見たこともないんだからっ!なんなら武田信玄の悪口でも言って見せようか?!私は信玄がどんな人なのかすら知らないんだけど!」
ふんっと鼻を鳴らすと、政宗は疲れたように隻眼を半開きにして伊呂波を見ていた。
どうやら伊呂波が信玄の『悪口』を言うのを待っているらしい。
しばらく沈黙が続く。
「…」
「…」
「…あの、武田信玄ってどういう人なんですか」
嫌味を言おうにも本人を知らないのだから何とも言いようがない。
政宗は知らないうちに伊呂波の手首をつかんだまま座り込んでいて、もう片方の手で頬杖をついている。
伊呂波がじっと政宗の答えを待っていると、政宗が伊呂波の竹刀袋を取り上げた。突然のことだったのであっさりと奪われてしまう。
「ちょ、返してください」
長身の政宗が、長い腕を伸ばして近くにいた臣下と思われる男に竹刀袋を渡した。
「女だから、言い訳だけでも聞いてやる。男だったら即打ち首だったがな。感謝しろよ」
座れ、というように腕をひかれて渋々伊呂波は腰を下ろす。
竹刀袋を受け取った男は、黒く長い髪を一つにくくり、右肩に垂らしていた。深い緑色の着物を着、きっちりと正座をしている。肩幅は広く、腕は筋肉が盛り上がっていた。華奢―――――とまではいかないが、細身の政宗とはちがう。なんとなく、逃げることはできない、とみせしめられている気がして、不愉快だった。
「名は?」
「…伊呂波。島崎伊呂波」
「いろは、か。確かに女の名前だな。で、なんでそんな格好をしていやがるんだ?」
「…そんな格好とか言われても、この格好別段珍しくもないですよ」
「…丈、短くないか」
「スカートですから。短いほうが可愛くないですか?」
「…よくわからんな」
あっさり切り捨てられて、伊呂波は軽く頬を膨らませた。
「時代劇かなんかですか、これ。伊達政宗に武田信玄、完璧歴史上の人物じゃないですか」
ふう、とため息をつくと、政宗がこつん、と伊呂波の額を小突く。
「呼び捨てするなっつってんだろ。俺は天下をねらえる天下人だ。年が若いからといって、天下あきらめる理由にはならねえ。それともなんだ、お前も片目を愚弄するか」
なんだが拗ねているような口調で、伊呂波にはそれがおかしかった。
「あはは、臣下でもない私が、あなたのことをおやかたさまって呼ぶの?」
「それがいやなら政宗さまでいい」
「じゃあ政宗さま。あのね、違うの。私多分、この時代に生きてない」
そういうと、政宗が口をぽかんと開いていた。
「ううん、いいかた悪いですか?私、平成で生きてたの」
「へいせい?なんだ、それ?」
「うまく言えないけれど、私は政宗さまよりももっともっと遠い未来で生きてたの」
「こいつ、頭がおかしいようだ。小十郎、もういい、充分だ」
「待って、証明して見せようか」
伊呂波が隣に置いたスクールバッグの中から、ケータイを取り出した。
電波は思った通り、通じていないが、たまっていた電源で、画面は明るく光っている。
それを見た政宗が、ゆっくりとケータイに手を伸ばしてきた。
「…?」
ボタンを押すと、光を発したままケータイの画面が変わる。
その瞬間、びくっと政宗の肩が揺れて、思わず笑いそうになってしまう。
「これはなにに使うんだ?」
「電話とかメール…って解んないですよね。んと、遠い人と、お話ができたりするんです」
ふ、と政宗の口元が緩んだ。
「遠い場所にいる人間と話ができるのか。それは便利だな、そんなことができるならば負け戦などせずに済みそうだ」
どこか、さみしげな笑いだった。
「確かに明かりがついているのはすごいと思うが、それでなんだ。それのどこが未来から来たという発想につながる?ん?言ってみろ、いろは」
「ん…そう言われてみればつながんないですね…」
むう、と唇を尖らせた少女を見て、政宗は手を伸ばした。
その手に頭をなでられる。
「お前、おもしろいな。うそを言っているようにも到底見えない。しばらくここにいろ。お前といれば、楽しめそうだ」
話は終わりだ、と言わんばかりにその場に寝そべり始めた政宗に、伊呂波がちがうっと叫ぶ。
「違うの、私、元の世界に帰りたいんです、政宗さま、何か知りませんか…」
懇願するように言うと、政宗は知っているものなら教えてやるが、知らないものを教えることは俺にはできないと言い捨てて、違う方向を向いてしまった。
「小十郎、いろはに一部屋くれてやれ。客人として扱ってやれよ」
は、と小十郎と呼ばれた竹刀袋を預けられた男が、立ち上がって伊呂波に近づいてくる。
「いろはさま、竹刀は謀反武具になるので、お返しするわけにはいきません。どうぞこちらへ」
落ち着いた動作で、伊呂波を奥にいざなう小十郎は、大人っぽく見えた。リュックとスクールバックをさりげなく持ってくれたのは、彼の優しさだろう。
しばらく長い廊下をただ歩く。
墨で絵の描かれふすまの前で、小十郎は立ち止り、中へ伊呂波を入れてくれた。
庭の風景が見える、広い部屋だった。
「食事は私が持ってきます。…今政宗さまは目立ってはいけない。あなたのような異国のものが伊達家にいるとわかれば、珍しがって人が集まるでしょう。それは絶対にあってはならない。信長に目をつけられてしまえば、伊達家は危ないのですから。できるだけ目立たぬように、外出も控えてください」
ぺこり、と頭を下げて、小十郎は出て行ってしまった。
伊呂波は広い部屋に一人取り残されて、やっと息を抜いて座り込むことができた。
リュックとスクールバックをひっくり返して、中身を確認する。
なんとなく、直感的が、元の世界にはなかなか帰れそうにもないと伝えていた。
それらからは電池式のケータイ電話の充電器。かえの電池は9本ある。それから生理用ナプキンと、ブラシ、ティッシュ、風邪薬と頭痛兼腹痛、生理痛に効く薬。香水の入ったポーチに小さな手鏡、髪ゴム、シャンプー、リンス、ボディーソープ、タオル、歯ブラシ、など。歯磨き粉はないが、贅沢など言ってられない。
買い物に行っている日にこの世界に来てよかったと思った。ナプキンがないと思うと、ぞっとする。
他にもちまちましたお菓子などがポーチに山のように入っていた。
ひとつ、口に放り込むと、ほうっと息をつく。
いろいろと、問題が山積みであった。
ナプキンやシャンプーなどがあることは有難い。部屋は綺麗にしてあるが、平成のように毎日お風呂に入ったりはできるんだろうかと伊呂波は疑問に思った。
「お母さん、心配するかなあ」
16歳少女島崎伊呂波行方不明なんてテロップのはられたニュースが報道されるところを思い浮かべて、伊呂波は微笑した。
ばかばかしい。これが夢であることを祈る。マフラーをほどいて、服のしわを整えた。ブランケットを膝に引いて、そのままもう一度眠る。
きっと、次起きた時はもう、悪い夢はさめているだろう。
朝にはお母さんがクロワッサンを用意してくれていて、隣には砂糖をたくさん溶かしたミルクティがおいてあって。
きっと…――――――…。
続きどうしよう…(笑