3 予定外のお客様からのご相談
片付けはリューイのおかげもあってだいぶ進んだ。もともとそんなに大きな家でもないけど、手助けがあるのと無いのじゃ大違いだ。うむ、すっきりである! 仕事道具や材料が元の位置に収まって実に心地よい。
「なんだか、前より居心地が良いぐらいな気分」
「前が散らかりすぎなんだよ」
リューイはゴミのたまった箱の溢れ具合を見てため息。失礼な、とは思うものの忙しくて掃除ができていなかったのは事実だ。
「あー、まぁ……。ここんとこ忙しくてたもんで」
「面倒くさがりなのは前からだしな」
「そんなわけ……いやまぁ、それもそうだけさ」
「とりあず今日は帰る。非番だけどこんな時間だしな」
言われて窓の外へ目を向けると、遠くの雲が橙色に染まっていた。
「そっか、今日はありがと」
「なんかあれば呼べよ」
リューイは、またな! と言って扉を閉めた。
途端に部屋がしんと静まりかえった。隙間風の音が大きくなり、整理されて道具棚に吊るされている工具たちがなんだか冷たく見える。部屋が冷たい、それに広く感じる。父さんのいない家は、足りないものだらけに思えた。
リューイを呼び戻そうか。一人でいるのは今、ちょっとだけつらいかもしれない。
その時だ、カラン、カランと扉の鈴の音を鳴らす。
リューイが戻って来たのかと思って玄関を見る。そこには男の人が立っていた。痩せ気味でちょっと姿勢が悪い。髭と髪は短く刈り揃えられて一見さっぱりしているけど、どこか怪しい。
玄関にお休みの看板を吊るしていたはずなのだけど。
「あ、ごめんなさい。今日はお店やってなくて」
「そうなの?」
修理屋は明後日までお休みの予定だ。今日と明日は片付けでお店の再開のための準備のつもりだった。道具が揃っていれば外に出て仕事できるのだけど、そうすると家の中がいっこうに片付かないから。
「明後日からなら仕事受けますよ」
「お構いなく」
お構いなく、と言われてもな。今日は休みなのだけど。
男の人は店の中をぐるっと見回すと、どかりと椅子に座った。
「あの……」
「ずいぶんきれいに片付いたね」
「今日と明日で片付けと予定していたので」
「ねるほどね。いいね、さっぱりして気持ちがいい」
口ぶりから察するに以前も来たことがあるらしい……でも覚えがない。父さんが対応していたのかな? そうだとしても今は帰ってほしいところではある。でも知り合いとなると無下にするわけにもいかないとこだ。
「ライデルさんは、いないのかな?」
どうやら知り合いってことで間違いないみたい。
「父は亡くなりました。先日の一件で」
男の人は目をまるくして驚き。それから思い出したかのように、残念だ。と口にした。でも悲しいとかって雰囲気ではなくて、なんだか違和感がある。口調的にいなくなって悲しいって意味の残念じゃなくて、物がなくなって残念……みたいな。そんなことは無いと思うし、我ながら失礼。
「君はここの人? 父ってことは娘さんかな?」
「ええ、娘です」
「私の名前はルイドー。きみの親父さんとはちょっとした知り合いでね」
「そうだったのですか」
「葬儀はいつ」
「今日の午前中に。合同葬儀です。空の遺体袋を沈めました」
「……困ったな」
ルイドーは顎の短い髭をぞりぞりとさすりながら何か考えているふうだ。私はとりあえず、お茶をだすことにした。さっきリューイと休憩に飲んだお茶がまだ残っている。
「どうも」
ルイドーはお茶を一口。目を細める。
「君に言わないとならないことがあってね。こんなときだってのにね」
「なんでしょう」
なんだか良い話題ではなさそうな雰囲気。
「君のお父さんは借金を抱えていてね」
「借金……ですか。それはどれくらいの……」
「沢山」
「沢山って……」
「そうだなぁ」
私はおそるおそる尋ねる。
「この家一件くらいの……ですか?」
「いや、もっとかな。この家がたくさん買えるほどのね」
たくさん……。
怯んでいる私にルイドーは鞄から一枚の紙を取り出してテーブルに置く。その紙は少しだけ色がくすんでいて、ゼロがたくさん並んでいた。思ったよりも沢山。
「一、十、百、千、万……」
これはきっとなにかの間違いに違いない。数えるのが嫌になって止めたところ、私の心を読んだかのようにルイドーが言った。
「これは正式な書類で。なにも間違いはない」
「でも、お店の経営だって別に傾いてたりとか……」
「そのようだね。でも借金は借金。そしてきみのお父さんは連帯保証人さ」
ルイドーが書類のある場所を指さす。『ライデル・トラポルト』少し丸みのある書き方はまさしく父さんの筆跡だ。
「えー? いや、うーん……。えぇ!?」
「そんなに驚かなくても」
「驚きますよ! こんなの突然見せられたら誰だって驚きます!!」
声が大きくなる。ルイドーがすこし体を後ろに引いた。
「そうだなぁ」
ルイドーの声からは少しも同情するような気配が感じられない。とりあえず相槌しましたって雰囲気だ。
父さんは何をやったわけ、連帯保証人? こんな額をどうして?
「きっと騙されたんだろうね」
「騙された? 誰にです」
「この人にさ」
ルイドーの指が動き、もう一つの名前を指し示した。『メレー・ランゲト』乱れがちな筆跡で書かれている。
「この人へ、ちょっとした有名人でね。あちこに金を借りて、借りて、借りまくって、たまに返しては、を繰り返した人なんだよ」
「それでもどうやったらこんな額に……」
「そういう才能があるんだろうね。人を騙して金を借りるっていう。やられたよ」
「父さんはこのメレーって人に騙されたって言いましたよね。いったいどうしてそんなことに」
「それは知らないな。こっちも被害者ってことなんだが、返してくれるなら別に深くはつっこまないしね。ただ、あんたの親父さんがいい人だ。みんな知ってる。そこをあの男に目をつけられたんだろうさ」
父さんは優しい。誰にでも親切だし、困った人がいると誰にだって手を差し伸べられる人だ。それでちょっとしたトラブルに巻き込まれるってことは何度があったらしいけど。でも私が知るのはいつも終わった後。父さんはいつも人の心配をするくせに、人に心配されるのは避けていた。隠していたものが今目の前に現れている。
だとしても限度ってものがある。こんなゼロが大量につくなんておかしいよ。第一にここに来る前に行くべきとところがあるよね。そのメレーって詐欺師のとこにさ。
「もちろん行ったさ」
ルイドーはおもむろに煙草を取り出し、火をつけた。煙草の先が夕暮れで暗くなり始めた部屋で赤く、小さな熱を放つ。ルイドーは天井に向けて煙を吐き出す。
「返済の相談に言ったのさ。そしたらその人、なんと部屋で死んじまってた。頭から血を流してね。部屋はかなり荒れ放題だったから、きっと先日の竜巻のせいだろうね。残念だよ」
「そんな……」
ルイドーが煙草の煙越しにこちらを見る。顔には一見柔らかな笑みが浮かんでいるものの、眼はどこか深く冷たい。人が死んだことに残念だと、ルイドーは言った。父さんとメレーという人に対して。でもそのどちらからも悲しさも憐れみも感じられなかった。いっさいの情のない眼をしている。事務的な笑みだ。
「つまり必然的に、こちらもここに来ざるを得ないってことだよ、お嬢さん」
君が払うんだ。ルイドーはそう言うためにここに来たのだ。メレーが払えないなら父さんが。父さんが払えないのなら君が、と。
さっと頭の中に冷たいものが通り過ぎる。考えがぐるぐると周る。そしてかっと頭も体も熱くなる。これからどうする? あんな額なんて一生かかっても返せるかわからない。そんなものをこれからずっと?
「ハハ、混乱するだろうね。わかるよ。同情する」
同情なんて微塵も思ってないなど隠すそぶりすらない。この人の中にあるのは必要なところに金を貸し、そして返してもらう。それだけだ。
「正直に言ってしまうとね。あんたも、あんたの親父も、はなから返せるなんて思っちゃいない。だが方法がないわけでもない。今日はそれを相談しようと思って来たのさ」
ルイドーの口の端が微かにゆがむ。方法があると聞いて、それはきっとまともなもじゃないのだろうと思う。とはその時は微塵も思っていなかった。だって、頭の中はどうしよう! でいっぱいだったから!
「一回で全額返金。けれいにチャラ。やることは単純。たったそれだけ」
「……それってなんです」
「運んでほしい物がある」




