1 まずはじめのこと
『竜歴1086年 11月1日』私の物語を語るのにはずせない日付だ。この日は誰の心にも深く刻まれている日でもある。なのでここから話そうと思う。
あの日は晴天だった。青い空はいつもよりも澄み切っていて、はるか下の地上の様子だって良く見えるほどだ。寒いけど気持ちのいい日だった。
午前の仕事は、ドアがうまく開かないって内容と、排水管の詰まりの修理、あとは小物なんかの修理依頼って内容だったかな。それでひと段落、父さんと昼ご飯はどうしようかって話しながら、居住区の主用通路を歩いているときだった。私は小苔虫の串焼き屋にいて、父さんの方はとういうと、通路を挟んで反対の出店にいたところだ。
その時、足元の王竜ズメイが、すっごい大きな鳴き声を上げた。まるで雷のようで、心臓も体も建物も揺らす咆哮だった。ズメイはときどき鳴くことがある。でも、細く澄んだ金楽器のような声でこんなものではない。たまにしか鳴かないから、ついここは王竜ズメイの背中にある街だってことを忘れそうになるほどだ。
ズメイは一か月前より南に進路をとっている。北はしばらく寒くなるから暖かい方にってことで。
通路の先にはズメイの頭がある。見上げると、その先に巨大な黒い柱があった。柱にみえたものは地上からまっすぐと天に伸びる巨大な……あれは大竜巻だった。それも二つ。
ズメイの咆哮を耳にするときは危ない時だってことは皆わかっている。ズメイの咆哮は回避行動前の緊急警報だ。周囲の人がざわめき、次の瞬間には混乱と悲鳴に包まれた。完全な不意打ちだ。
「ラキ! 体を固定しろ!」
父さんが通路の向かいから大声をあげる。父さんのそばに駆け寄ろうとしたけど踏みとどまった。主要通路の真ん中には、こうした非常事態のためにフックをかけて体を固定するための鉄柵がいくつも設置してあるのだけど、人が殺到していて混乱状態だ。とても近づけない。
「父さん!」
「急げ! すぐに動くぞ!」
私は不安から、父さんのところへすぐに駆けだしたい気持ちを抑え、安全帯からフックを伸ばして近くの鉄柵に引っかける。父さんも動作を終えていたのが見えた。
警報が出たのは、竜巻と接触するわずか数秒前だったので、今思えば間に合ったのはかなり幸運だったのかもしれない。周りの人たちも、王竜を守る騎士たちも、そして王竜自身すらも直前まで竜巻に気づけていなかった。
「父さん!」
「大丈夫だ! 大丈夫! まずはじっとして、やりすごしたらご飯を食べよう!」
父さんは笑う。何を言っているのだこの親父は。緊急事態だってのに、ご飯を食べよう。だなんて。今思えば父さんは、私を安心させようとしていたってことだ。
王竜ズメイが行動を開始した。巨大な主翼と副翼の四枚を懸命に羽ばたかせ、体を大きく傾けながらの緊急回避だ。街と多くの住民を乗せ、空を飛ぶ超巨大な竜であっても大自然の牙は鋭く恐ろしい。直撃すれば無事ではすまない。
床が急速にありえない方向に傾き始める。ズメイが緊急回避行動をとるとはすなわち、その背にある建物も人も全てが影響を受けるということだ。床はこう配を増して、壁のようにそそり立つ。体が宙に浮く。
体が浮くあの感覚は今思い出しても怖い。足が投げ出されて床がなくなって、重力が落ちて来いと引っ張っているかのようだった。腕と安全帯だけが私と街をつなぐ唯一の手段っだった。
悲鳴が聞こえた。それは頭の上から聞こえ、足の方へと消えていった。フックを繋げられず、間に合わなかった声。物が何かに当たって砕ける鈍い音。何か固いものが柵を叩き、振動が腕を伝う。
私にできることといえばただ、目をつぶって鉄柵にしがみついて、どうか無事でありますようにと、物が私にも父さんにも、誰にも落ちてきませんようにと願うことだけだ。
数分か数十秒か。正確な時間はわからないけども、あの時はとても長く感じられた。
風はごうごう巨大な獣のように唸り、猛烈な勢いであらゆるものを飲み込み。建物の屋根や壁がはがれ、物が吸い込まれ、たくさんの声が消えていく。すぐそばで二匹の獰猛な風の獣が荒れ狂っているようだった。
二対の巨翼。大河よりも太い尻尾。背に街を載せ、私たちを乗せて空を飛ぶ王竜ズメイ。彼が決死の回避行動を終えたとき、私はただただ放心していた。床が元の位置に戻っても。しばらくは動くことはできなかった。
足の裏に地面を感じて、やっと終わったんだと気が付いて、後方に目を向ける。長大な尻尾の先に黒い二本の竜巻を見え、消えていくところのようだった。最初から竜巻なんてなかったかのような静けさがあたりを包む。
「終わった……?」
あの時の市場には奇妙な静けさがあった。あの時の誰もが感じただろうと異様な静けさ。
誰かが立ち上がり、大声を上げる。
「こっちだ! 挟まれている人がいる!」
声に引っ張られて、そちらを見ると人が荷物と壁との間に挟まれ身動きが取れなくなっていた。血が出ている。
「父さんは? 父さん!」
父さんを呼び、通路の向かいに顔を向ける。でも返事はなく、姿もなかった。
警報が出たとき、たしかに父さんは安全帯からフックを伸ばし、手すりに繋いでいた。ご飯を食べようって言っていた。
でも、そこにはもう、父さんはいなかった。お昼を買おうとしていたお店、鉄柵、父さん。全て竜巻に飲み込まれたあとだった。




