バツなし彼女の事情
学生時代、よく呑んだ店で待ち合わせをした。
金髪を無造作に結った女性が、荷物をいくつも抱えて席に着いた。
「待った?」
ブラウンの髪の優しげな顔の女性が「ううん」と首を振る。
「たくさん買ったねぇ。里帰りの準備?」
言いながら、木の板に貼られたメニューを、金髪の方に向けた。
―― 後から入ってきた金髪、アリスが主人公のお話です ――
とりあえず、ビールで乾杯だ。
「そう、甥っ子も姪っ子もいるからね。
冬期休暇の直前で混む前に、買っておきたかったんだ」
アリスは喉の渇きを癒やしてから、少し荷物の位置を変えた。置いた椅子からはみ出して、ウェイトレスの邪魔をしてはいけない。
「今日、僕ちゃんたちは?」
アリスが顔を上げて、尋ねる。
「旦那が見てくれてるの。
彼、食事も作ってくれるんだけどね。帰ったら、台所の掃除が大変だろうな」
ブラウンの髪のドリーが苦笑いをした。
「あはは。
旦那の教育は諦めて、僕ちゃんがもう少し大きくなったら、家事ができる子に育てる?」
大学で同級生だった男を思い出す。早く帰ってきてくれと半泣きでなければいいが……まあ、たまにだからドリーと飲むのを許してもらおう。
「そうだね。それがいいかも」
ドリーの笑顔を見るに、先ほどの言葉は愚痴と言うより、のろけか。
「あんたは、どうなの?
まぁ、言われるの嫌だろうけど……結婚とか」
水牛のカプレーゼを口にする。
チーズとトマトとバジル、それにオリーブオイルと塩。シンプルだが、実にいい。
「ええ~、三十歳過ぎて、職場の人も言わなくなったのに~」
冗談めかして、言い返す。
まあ、友達として心配してくれているんだろう。真面目に答えるか。
「お貴族様の次男をスペアにするって、あるじゃん。長男に何かあったときの予備」
「知ってるけど……?」
「あたしもスペアなの。
姉は水利権を持っている豪農に嫁いだ。妹は村長の息子に。
万が一、彼女たちが出産で死亡したら、子育てすると言ってあたしが乗り込むの。――んで、我が家は『嫁の座』をキープする。そのための予備。
幸い、二人とも無事だし、甥も姪もすくすく育ってるけどね」
アリスは、何てことはないという風情で、プレゼントの山を軽くなでた。
「え、ひどい」
ドリーが白ワインをデキャンタから注ぎ、グイッと飲んだ。
アリスも自分のグラスに注ごうとして、少しこぼす。
庶民の酒場にはテーブルクロスなど敷いていない。袖で擦らないように気をつけようと、ほろ酔いの頭で思う。
「いやいや、田舎で勢力を広げるための、立派な戦術だよ。
せっかくいい家と縁続きになったのに、後妻の座を敵対派閥に取られて、孫が虐待されるとか普通にあるから」
田舎の「暗黙の了解」というものは、結構怖いのだ。利害関係が絡めば、見て見ぬ振りもする。
「ひえぇ。貴族の世界と変わらないじゃん」
「そうそう。人間、どこでもやることは一緒だね」
しょっぱいサラミの乗ったピッツァの、チーズが伸びる。
「じゃあ、そろそろ、結婚とか考えてもいいんじゃない?」
ドリーが上目遣いで、慎重に訊いてきた。今日のドリーは、いつになく絡んでくる。
「どうだろなぁ。妹はまだ子どもを産む可能性も、なくはないだろうし……」
最近は一つ、懸念事項が増えた。
「実家は兄が継ぐんだけどね。兄嫁が、気が強い人でさ。
あたしを介護要員にするつもりで、見合いを断ってるのかも。
年齢的に、後妻ばっかりだけど。そんで、たぶん、嫁ぎ先でも介護要員」
「うわ~、最悪」
「でしょ? 都会みたいに、介護派遣協会がないんだもん。身内でなんとかするしかないの」
「あんた、それでいいの? 自分の人生は?」
今日のテーマは、これか。
私の人生が根無し草に見えて、心配なのかな。
「今、楽しんでるよ。自分で稼いで、好きなもの着て、好きなもの食べて。
田舎でこんな格好してたら、すぐに陰口たたかれるね。『膝小僧が出てる、けしからん』って、信じられる?
食事だって、男連中が食べた後に女衆だし。
お風呂だって、独身寮で好きに入れるのは天国よ」
赤ワインをボトルで注文してから、ドリーが言った。
「……あんたの男の趣味が悪いの、もしかして、結婚できないから?」
「あはは。そういう面もあるかな。
一生を共にするなら見る目が厳しくなるんだろうけど、あたしはそのとき楽しければ良いから」
「そうだよね。さぼりまくって留年するような男、あたしは絶対に嫌だわ」
うんうん。ドリーの旦那は堅実で、優秀だったよ。
「大きな夢を語ってて、可愛かったけどね。
そのわりに、特に何もやっていないから、人恋しいときに呼べばすぐ来てくれたし」
「暇だっただけじゃん」
ドリーの彼氏(今の旦那)は課題で忙しくて、彼女は寂しいのを我慢していた。
それでも、お互いに時間を作る努力をして、今がある。
それは端から見ていて、素敵だなぁと思うのだ。
「……そうとも言う。
相手が結婚とか言い出さないっていう安心感は、あったよ。密かにね」
もし言いだしても「自分で稼いでから言って」と逃げることができたから。
「まともで誠実な男なら、将来のことまで考えるよ」
まともな男に目を向けろとドリーに言われたことがあった。
もしかしたらアリスが気付かないだけで、誰か候補がいたのだろうか。
「そうなったら、あたしの場合は困るからさ」
アリスは「まっとうな暖かさ」が苦手だ。
こうやって、ドリーを通して「まっとうな世界」に触れるのは、たまにでいい。
毎日接することになったら、眩しすぎて息が詰まって……ストレスでため息が出るだろう。
たぶん、私はまっとうな男となんか、暮らせない。「その他大勢」が、ちょうどいい。
「もっと、自分を大事にしてよ」
「あはは、ありがと」
「聞け~。人の話を、真面目に聞け。このおバカ!」
「んふふ、大好きよ」
「んもぉ~!! 反省してる?!」
「あははは」
ピッツァの耳が冷めて硬くなった。
アリスはそこに蜂蜜をかけて、ワインで流し込む。
人生を諦めている? 環境を受け止める? 思考停止?
大事なことは、明日も定時に起きて、仕事に行くことだ。
そして、たまに笑えれば、上等。




