ポケットのコイン
年の瀬。裕美の家では大掃除で朝からバタバタと忙しかったが、昼を過ぎて、日もだいぶ傾いたころには粗方終わった。
「何か食べましょうか。お茶入れて」
裕美の母が言う。
「お夕飯前だけど」
「ちょっとくらいいいでしょ。スコーンあったでしょ。あれと紅茶にしましょう」
母はキッチンに向かった。
裕美はリビングから外を見ると、西に傾いた日差しの木漏れ日が長く伸びていた。それを見ながらソファに座ると、部屋の隅に段ボール箱が一つ置かれているのに気が付いた。
「お母さん、この箱は?」
トレイにポットとティーカップやスコーンを持ってきた母に裕美が尋ねた。
「あら、仕舞い忘れてたのかしら」
裕美がそれを開けると、男物のシャツやズボンが入っていた。
「これ、お父さんの?」
「違うわ。お兄さんのだ。渡しそびれてそのままだったっけ」
「お兄さんて、伯父さんの?」
「そう。裕美が生まれる前、ちょっとだけここに住んでたことがあるの。一年も居なかったけど。ああいう人でしょ、住所不定っていうか、どこに住んでるのか良く分からないから送れなかったのよね」
「住所不定って……」
裕美は母の言葉に苦笑いした。裕美の伯父は若い頃からあちこちと旅をしていた風来坊とでもいうような人だった。今も結婚もせず、独り身だった。
裕美は箱から拾い上げたコートを広げてみた。ツイードのハーフコート。色はブラウン。
「まだ綺麗ね。裕美が着てみたら?」
「ええ……」
と言いつつ、立って袖を通した。裕美が着るとミドルコートくらいになる。
「いいじゃない」
「そうかなぁ」
まんざら悪い気もせず、裕美はガラス戸に映る姿をみながらポケットに手をいれた。
「ん?」
指先に固いものが当たる。取り出してみると、銀色に光る硬貨だった。
「なあに?」
「硬貨みたい。えっと、シックスペンス? 1900年。古いものみたい」
「あら、銀貨じゃない」
「高いものなのかな?」
「電話してきいてみれば? ついでにこの服どうするかも聞いてみて」
「えー……」
妙な成り行きから裕美は伯父に電話することになった。
裕美の伯父は、裕美から電話をもらって、すっかり忘れてしまっていた銀貨のことを思い出した。
※ ※ ※
二十代頃の伯父は、イギリスへ向かう外国の商船にコックの見習いとして乗り込んでいた。そこでの生活は忙しく、旅行気分などでは居られないものだったが、遠くへ行ってみたいという望みは叶った。
船にはいろんな国から乗り込んでいたが、そんな中、イギリス人の年の近い船員と仲良くなった。伯父には少ないメニューのありきたりの食事にしか思えなかったが、この船は、今まで乗ったどの船より飯が旨いということを言っていた。
その男は、国にフィアンセがいる、という話を良くしていて、写真も見せてもらった。
「皇太子妃と同じ名前だよ。月みたいに、淑やかで綺麗な娘さ」
写真を見た伯父の評価はちょっと異なるものだったが、余計なことは言わずにおいた。
イギリスのブリストルに船が到着し、自由時間が貰えた伯父は、下船して街を散策することにした。イギリス人の船員はこの街の生まれで、市街の中心部まで車で案内してくれた。
「街をもっと案内してもやりたいが、今日は予定があるんだ」
「いや、ここまで連れてきてもらっただけでもありがたいよ」
そこで船員と別れて、初めての街を散策してみた。イギリスに来るのも初めてであり、珍しいものばかりだった。寺院の巨大な尖塔など見て歩いたが、意外と坂の多い街だった。教えてもらった店で食事をしたが、言われているほどイギリス料理も不味くはないな、と伯父は思った。
日も暮れて、夜になり、晩飯を食べたところで外へ出た。良く晴れた日で、空には月が明るく輝いていた。
伯父は、ふと通りを歩く人の中に、イギリス人の船員の姿を認めた。
「おい、どうした、一人か?」
伯父が話しかけると、男はぼんやりと顔をあげた。赤い顔は酔っているようで、どこか元気のない陰鬱な顔をしていた。
「やあ」
男はそれだけ言って、ポケットに手を突っ込んだ。その手が何かに触れたのか、ちょっと顔をしかめた。
「これをやるよ」
男は、つかみ取ったものを親指で伯父の方へ弾いた。伯父はとっさにそれをつかんで、掌をひろげてみると、銀貨が一枚。
「もういらなくなったんだ。それはお前が使うといい」
そう言って、男はくるりと背を向けて去っていった。男の背中を、煌々と輝く満月が照らしていた。
※ ※ ※
『そのコイン、そんなところにあったんだ。伯父さんが結婚できなかったはずだよ。服は適当に処分してもらっていいよ。コインは、裕美ちゃんが靴の踵に入れるものが必要になったら使うといい』
電話で伯父は裕美にそれだけ伝えた。
裕美は伯父から言われたことが良く分からなかったが、調べてみると、イギリスでは結婚式で花嫁の左靴のなかに6ペンス銀貨を入れると幸せになると考えられて、それが日本にも伝わって、同じようなことをする人も居るらしい。
――結婚式なんて、ちょっと考えつかないな。
少し寒かったが、裕美は外に出た。良く晴れた初冬の夜。今日は満月で、東の空にゆっくりと昇ってくるところだった。
――教会で式をあげるとも限らないし。
そう思って、白無垢姿を思い浮かべて、ちょっと照れくさくなった。
ポケットから、コインを取り出す。それを月にかざして、重ね合わせてみた。そうすると、銀色のコインが輝いてるように見えた。




