八話 黒の汽車と白銀の少女
ポ――――――――――――――――
翌日、街中を徘徊していると、汽笛の音が聞こえてきた。
黒の汽車がやってきたのだ。目を凝らすと、深い霧の向こうから二つのライトを照らして近づいてくる。
プシュー、ボッ、ボッ、ボッ、ボッ。
もくもくと煙を上げて、蒸気の音が接近してきた
ほんの少しの同情と、抑えきれないやるせなさがわいてくる。
黒の汽車は、《嘆きの壁》の向こう――西側の裁判所を始発とする片道の車輛だ。西から東に人を運ぶが、その逆はない。
罪人を連れてくるのだ。途中で逃げないよう、すべての扉にチェーンロックをかけて。
西の裁判所では、イーストエンドへの流刑は死刑よりも重いらしい。
ひどい話だ。何も罪を犯さないままこの街で生まれ、この街で死んでいく人もいるのに。
「……行くか」
放ってはおけない。新しい住人はトラブルの種だ。今日の仕事を繰り上げて駅へと走っていく。嫌な予感がした。急がなければ、致命的な遅れをしてしまうような。
たどり着くと、駅の周辺は妙に活気づいていた。近所の男たちが集まり、興奮気味に何かを探し回っている。砂漠で一滴の水を奪い合うような必死さだ。
駅を見ると、黒の汽車はとっくに到着していた。蒸気機関の再充填が完了し、汽笛をあげて西側へと帰っていく。
――そういうことか。
納得する。どんな罪人が来たのか理解した。
一足遅かった。焦りに駆られて走り出す。一刻も早く“彼女”を見つけなければ……。
裁判所はこれを見越して流刑を科したのだろう。趣味が悪い。
イーストエンドは広い。積もる焦りが俺の足を突き動かす。絶対に見落としてはならない。もしかすると、今も路地の裏で……。
――こ、このぉ、卑怯者!
ふと、遠くから幼い女性の悲鳴が聞こえた。光明が差した嬉しさと、声の幼さへの絶望が同時に胸を満たす。複雑な思いを飲み下して叫びの方へ向かった。
見つけた。彼女は細い路地にいた。数人の男に囲まれて、袋小路に追い詰められている。
――瞬間、俺の呼吸は止まってしまった。
長い髪をはためかせ、彼女は舞っているようだった。小さな身体で大きな槍を、踊るように振るっている。オレンジのガス灯に照らされて、銀の髪が光を放つ。白の槍が描く曲線と彼女の舞は黄金比となり、神話の戦女神を思わせる至上の芸術品のようだった。
息が止まる。僅かに使命感を忘れ足が止まる。何年かぶりの感動で放心していた。
戦い――殺し合いをしているとは思えなかった。
金属音で我に返る。彼女の槍さばきは優雅だが、男三人には不利だった。鉄パイプと打ち合ううちに、じりじりと奥の方へと押し込まれている。
「おい、何をしている」
背負っていた黒の斧を手に取り、声をかける。
男たちは振り向いた。俺に気づくと目を見開き、身体をこわばらせる。
「ちっ――死神かよ……っ! こんな日についてねぇ……」
三人とも《腐敗病》の進行は中程度だろうか。髪が抜け落ちやせていた。鉄パイプを握り締め、警戒するように構えている。
「質問に答えろ。何を、していた」
「……ちょっと遊んでいただけ、と言ったら?」
「偽証は許さん。罪を重ねるのなら、その首を落とす」
路地に冷たい風が吹く。冬の空気が肌を刺す。
金属音のない路地は静かだった。
「上等な獲物の狩りをしていた、と言ったら?」
「未遂でも罪は重い。拘束して連行させてもらおう」
「けっ、さすが死神サマだな」
自嘲するように笑った。強張った筋肉で鉄パイプを握り締め、憎しみを込めた瞳で睨みつけてくる。言い訳はできないと悟ったのだろう。
「あなたは……いったい……?」
銀髪の少女が茫然と呟く。宝石のような紅い瞳が路地の最奥で輝いていた。
「アニキ……こいつ、ほんとに強いんスか?」
奥の男が訝しむ。視線は黒の斧に集中し、さぐるように観察していた。戦闘に不向きな獲物が不気味なのだろう。恐怖しつつも警戒できない。困惑するような態度だった。
「こいつの実力を知る悪党はみんな死んだよ。だから、死神」
「その呼び名は好きではないがな」
処刑人は代行者だ。死を司る者とは全く違う。
「でもっすよ、アニキ――人間なら、これで死ぬっスよね!」
不意を突くように、子分面の男が腰の《蒸気銃》を抜く。早撃ちを想定した拳銃だ。銃口は俺の心臓に向き、付属の圧力メーターが振り切れんばかりの勢いで回る。圧縮蒸気によって加速した弾丸が音速を超えて放たれる。
それより早く、俺は羽織っていた黒の上着を前方に広げて盾にする。防弾素材が組み込まれた特注品だ。三発の銃弾をすべて防いだ。
「なっ!」驚愕の声が聞こえる。早撃ちに自信を持っていたのだろう。予期していなければ上着を広げる前にやられていた。
彼は若すぎたのだ。技術はあっても、殺気を隠すような老獪さはない。
「バカ野郎! 下手にヤツを刺激したら――」
中央の男が慌てて諫めるも、すでに致命的な隙。腰のサブマシンガンさえ警戒すれば接近は容易だ。
情状酌量の余地はない。
男たちはやけっぱちな表情で《蒸気銃》を構える。本気の殺し合いに鉄パイプでは無謀なのだ。ケンカから殺し合いへとステージをあげる。
一歩遅い。俺は上着を展開した瞬間には疾走している。銃を構える前に、斧の間合いへと接近した。男の顔がみるみる恐怖に染まっていく。
「処刑人、アストラルが宣告する。自警団の名の下に、貴様らを処刑する」
「く、クソッたれが――ッ!」
距離をとろうと男たちがのけぞるも、俺はさらに踏み込み斧を振るう。
まず、一人。目を見開いたままの生首が落下していく。
返しの刃で二人目を斬る。もちろん、俺が狙うのは首元だけ。処刑で罪人を苦しませてはならない。
「し、死神! この女がどうな――」
三人目の男が少女の頭部に拳銃を突き付ける。人質のつもりだろう。
この距離ならば銃より斧が速い。脅し文句を言い終わる前に三人目も処刑した。刹那の攻防に断末魔さえ響かない。べちゃっ、と肉塊が血だまりに倒れていく音だけが、殺し合いの終わりを告げていた。
見慣れた死の光景。日常となった惨劇の風景だ。
路地はしんと静まり返る。金属音もない。銃声もない。粘度の高い血が地面を濡らす音がやけにはっきりと聞こえた。強烈な腐敗臭に鼻が曲がりそうになる。
少女を見ると、長い髪のあちこちが赤く濡れていた。呆然と立ち尽くし、虚ろな目で転がる死体を見つめている。小さく震える両手の振動が、血だまりに浸された白の槍を伝って波紋を広げていた。
「怪我はないか」
「平気……です。ありがとうございます……」
血や泥はついているが、目立った外傷はない。痛がるそぶりもないのは安心した。
「でも……なんで……」
ぽつり、呟く。そよ風にさえかき消されそうな弱々しい声が、路地の静寂の中では聞こえてしまった。
次の言葉を予想して、心の中で嘆息する。
少女は身なりがいい。罪人らしく服は簡素な黒一色だったが、彼女が纏うだけで品格を感じた。立ち姿は一本芯が通っており、《腐敗病》に侵されていない肌は白くきめ細かい。
西側で大切に育てられたのだろう。その美しさはイーストエンドで浮いていた。
「なんで……殺したんですか……?」




