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七話 海底蒸気都市アトランティス

戦闘が終わった路地は静かだった。吹き込む冷たい風が死体をさらに冷やしていく。


男は生きながらにして腐っていた。食われていた女の死体も刺し傷は見えない。死因は《腐敗病》だろう。


ため息をつく。この都市に来て三年が経つが、処刑屋の仕事は未だ慣れない。骨を断ち、血しぶきを浴びる感覚は三年分――千を超えるすべてを覚えている。


両肩に積みあがる屍は、重かった。


切り離された男の頭部を掴む。少ない髪がはらはらと抜けた。驚くほど軽い。頭蓋骨も腐っているのだろう。持ち帰るにはありがたい。


建物の間を抜け、拠点とは反対側へと向かう。息をひそめるように建つ協会が見えてきた。真っ白だったらしい壁は薄汚れ、神々しく光を集めていたステンドグラスは盗まれている。廃墟となり神聖さは失われているが、他の建物とは違い落書きはされていない。


神父はいない。聖堂に踏み入り、懺悔室の片側に入った。中は狭く、扉を閉めると完全な暗闇に閉ざされる。椅子に座り、ひじ掛けに男の頭蓋骨を置いた。


 手を組み祈りを捧げる。


 主よ……お赦しください。私の罪を、お赦しください……。


 祈らなければ、狂ってしまいそうだったから。どれだけ言い訳しても、殺人だから。




 × × ×




 三年前のあの日、俺は海中エレベーターからアトランティスへと侵入した。


 施錠された扉は黒の斧で切断し、内部へと忍び込んだ。無我夢中で覚えていないが、都市西部にある研究所だろう。鳴り響く警報の中、白い部屋をがむしゃらに逃亡したのを覚えている。


 しかし外に出ても行き場がない。高級住宅街で立ち尽くしたまま数日が過ぎた。途方に暮れて彷徨い、たどり着いたのがここイーストエンドだ。アトランティス東部の最果て、政府に見限られたスラム街である。


 教会を出て路地を抜けた。都市西部から流れてくる排煙により空気は澱み、灰色の霧がかかっている。今日は特に濃いのか、メインストリートに出ても道の反対側は見えなかった。


 不便な霧だが、腐敗死体で溢れる光景を見なくて済むのはありがたい。


《腐敗病》――蒸気排煙に暴露され続けた身体が、内側から徐々に細胞が変質していく病だ。排煙に暴露された期間に比例して症状は進行するため、イーストエンドでは三十を超える大人は一人もいない。


 しばらく歩くと拠点が見えてきた。メインストリートの中央。百年ほど前の雰囲気を醸し出す巨大な建物だ。入口には鷲の紋章が掲げられている。


 ブラックチャペル自警団。警察組織が崩壊したこの街唯一の治安維持組織であり、行く当てのない俺を拾ってくれた場所だ。中に入り、二階の団長室へ向かう。


“THE MURDER IN THE EAST-END”

“14th victim of jack the ripper?”


 玄関先の掲示板にはタブロイド紙が張り付けてある。切り裂きジャックの話題でもちきりだった。どの情報も質が低く、模倣犯の影響で情報は錯綜していた。本物による犠牲者は報道の半分ほどだ。


本文を読むと犠牲者は娼婦、目撃証言はなしとある。今回は本物の傾向に近い。


「あ……お、おかえりなさい……」


 掲示板を眺めていると、一人の少女とすれ違った。視線が俺の持つ生首と黒の斧を交互した後、肩をすくめて怯えるように去っていく。


 ……問題ない。処刑人としての仕事に仲間はいらない。


首を振りつつ二階に向かい、団長室をノックした。返事が聞こえてから扉を開ける。相変わらずの光景に、思わずため息が出た。


 団長室はいつも散らかっている。中央の机には書類が積まれ、床には足の踏み場がない。改造途中の《蒸気銃》などスチームガジェットから小難しい哲学書、サッカーの雑誌まで趣味は幅広い。


「ちょ~っと待ってくれぬか? いま片付ける」


 書類の向こうから情けない声が聞こえた。


 バタバタと手を動かして書類をずらし、顔をのぞかせる。仕事に追われているのか参ったような表情だった。


団長の名はヨシタカ。この街では珍しい東洋人の顔つきだが、ほりが深く歴戦の戦士の印象がある。実際、祖国では武士という騎士階級だったらしい。


「アストラルじゃったか。仕事は……ああ、なるほど」得心したように頷く。

「巡回中に偶然見つけた。まあ、ただの《腐敗病》患者だろうな」

「……かなり進行しておるな」


 生首の目はどす黒く、顔の輪郭も三日月形に歪んでいる。症状は末期だろう。


 ここまできては助からない。


 団長は苦虫を嚙み潰したような顔をした。


重くなる部屋の空気を振り払うように、俺は事件発生の場所や生前の様子までを報告する。ヨシタカは書類に記入を始めた。政府へ提出する嘆願書の一部だ。


ブラックチャペル自警団は、実質的にイーストエンドの自治組織となっている。堕ちた街が寸前のところで崩壊を免れているのは自警団の成果だ。が、それでも貧困は変わらない。政府の助けが必要だった。


「なるほど。報告感謝するのじゃ」


 団長の両腕が素早く動き、書類を記入していく。かすかな機関駆動音が聞こえてきた。


 書類の隙間から見える団長の両腕は、鋼鉄製である。


《腐敗病》で腐り落ちた四肢の代替品だ。


「そうだアストラル、今朝のタブロイドは見たか? また切り裂きジャックの被害が出たそうな。あれはどう考える?」

「本物の可能性が高いだろうな。犠牲者も証言も傾向が一致している」

「やはりか。となれば、これで推定七人目の被害者。自警団としてはいよいよ本腰を入れなければならなくなってきたのう」


 うーん、と腕を組み難しい顔をする。

 葛藤するように宙をにらみつけていたが、やがて息をついた。


「そこで相談なのじゃが――アストラル、お主に切り裂きジャック処刑の依頼を頼みたい」

「……俺に? 構わないが、対策チームを作った方が効率的じゃないか」


 意外な依頼だった。広い街で特定の一人を追いかけるのは難しい。単独行動の俺は不向きだ。指名手配犯は人海戦術が基本である。


「報告から考えるに、相当危険な相手じゃ。お主の実力でなければどれだけ追い回しても殺されるだけじゃろう。……それにひとつ、奇妙な報告があった」


 団長は俺を見透かすような目をした。


「――切り裂きジャックは、鋼鉄の獣を連れている」

「……まさか」

「ただの噂じゃよ。じゃが、お主にとってはまた違った意味があるじゃろう?」


 団長には少しだけ事情を話している。


 鋼鉄の獣――間違いなく《蒸気獣》だ。最先端技術の結晶にして至高の戦術兵器。イーストエンドに存在するのは不自然だ。情報が本当ならば西の研究所か軍部が関与している。


「わかった。今までの調査資料をくれるか」


 例の研究員の手掛かりはなく、途方に暮れていたところだ。藁にもすがる思いだった。


資料を受け取りざっと目を通す。

 事件発生箇所のまとめを見ると偏りを発見した。


「やっぱり《ホワイトシグリッド》本部の付近に集中しているな」

「……じゃな」


 団長は複雑そうに言った。


 切り裂きジャックは主に娼婦を狙い、殺人の目撃証言がない。現場の隣人でさえ、被害者の悲鳴が聞こえないらしい。


「……大体は理解した。明日から取り掛かってみる。じゃあ、俺はこいつを埋葬してくるよ」


 状況から考えて、嫌な推理が浮かんでくる。邪推で空気が重くなる前に生首を掴んだまま踵を返す。部屋を出ようとすると、背中に声をかけられた。


「ありがとう。いつもすまぬな、アストラル」


 俺は振り向かないまま足を止めた。


「処刑屋……お主にしか任せられぬが、損な役回りじゃろう。辛くなったらいつでも言うがよい。お主は少し働きすぎじゃ。頼りになりすぎるのも考え物じゃな」


 俺の仕事はただ一つ。罪人の処刑だ。


 警察とは違う。殺すことしか能がない。

 殺し屋とも違う。金で動くほど堕ちていない。


 負担の大きい仕事だった。いつ自分が殺されるかもわからない。殺人の感触も消えない。孤独の運命は免れない。


 けれど、俺にしかできない仕事だ。


「俺は俺の仕事をしているだけだ。団長には団長の仕事があるように、俺には泥をかぶる仕事がある。それだけだ」


 団長は俺を救ってくれた。行き場のない俺に手をさし伸ばしてくれた。

 今度は俺が役に立つ番だ。


「じゃが……それではあんまりじゃろう。いつまでたっても、お主は……」


 言葉をにごしたが、言いたいことはわかった。孤立する俺を心配しているのだろう。団長に対しても壁を作る俺に対し、距離感を探るように言葉を選んでいる。


 俺は背を向け続けた。

処刑人が親しまれては恐れられない。抑止力になれなくなる。


「そうだ、これから食事に行かぬか? 向かいの通りにうまい飯屋が――」

「いや、悪いな。殺したばかりで食う気分じゃないんだ」


 拒絶すると、ヨシタカはわかりやすく肩を落とした。


 心が痛んだ。気遣いを無碍にするのは苦しい。


「……失礼する」


 埋葬所へと向かった。



 × × ×



《腐敗病》で変性した身体は身元がわからない。数も膨大なので、自警団が勝手に埋葬していた。


 自警団本部の裏手にある埋葬所は広くない。膨大な遺体の埋葬は難しく、頭部だけを埋めていた。残った胴体の処理は想像に任せる。


 埋葬すると時刻は十八時を過ぎていた。海底都市に日光は届かず、昼夜関係なく明るさは変わらない。しかし夕方になればメインストリートのガス灯は消灯する。薄暗くなると、それだけで心がかき乱された。


 三階の自室に戻り、黒の斧の手入れをする。血が付着しては切れ味が鈍るのだ。一振りで首を落とせなければ苦しませる。


 磨き終わるとようやく一息付けた。団長には強がったが、この仕事の負担は大きい。命を扱う覚悟は半端ではすぐに押しつぶされる。けれど、助けを求められない。


 俺は独りでいるべきだから。

ずかずかと土足で踏み込んでくるやかましい幼馴染は、もういないから。


 不意に胸が苦しくなり、縋りつくようにタンスにかぶせてあった布をとる。


 中にはリザ姉の頭蓋骨。

以前はむき出しで机上に置いていたが、同僚に怖がられたので隠していた。処刑人を続けていると、どうも感覚がズレてくる。


「なあ、リザ姉……俺、少しだけ苦しいよ」

 

彼女の前では素直になれる。胸の窮屈さが解消される。目をつぶれば今でも無遠慮でからかうような声が聞こえてくるようだ。


「少しだけ、くじけそうになるよ」


 奴を処刑するためこの都市に乗り込んだが、三年間で進捗はなかった。目の前の仕事に目一杯で、研究員の居場所さえつかめていない。


都市の中心を縦断する《嘆きの壁》に阻まれて西側へ通行できないのだ。

スラムを含む東側と、王城のある西側。国が管理する研究所は西側にある。なのに、そこまで行けない。行ける手立ても見つからない。


 袋小路な未来を想像してうなだれていると、不意にノックの音が聞こえた。


「あのー、そろそろ夕食が――ひっ!」


 返事をする前に扉が開かれ、少女が顔をのぞかせる。リザ姉を見つけると小さく悲鳴を漏らした。慌てて「ご、ごめんなさい!」と扉を閉める。見てはいけないものを見てしまったような拒否反応だった。


「夕食はいらないよ。みんなにもそう伝えてくれ」


 扉越しに言う。怯えさせないようにできるだけ優しく。

 処刑人がなれ合う必要はないが、リザ姉を拒絶するような反応は胸につっかえた。


「そうですか……。あ、あの、その、ごめんなさい!」


声が上擦っていた。逃げるような足音が遠ざかっていく。


独り部屋に残される。静かな部屋に、俺一人。


リザ姉は喋らない。無遠慮な声は、もう聞こえない。


逃げる場所はない。帰る場所もない。この殺風景な部屋が、俺が唯一滞在を許された場所だった。


ふと寒さを感じ、クローゼットから黒の上着を取り出す。日の光が差さず、天候の変化がないアトランティスだが、やはり夜になると気温が下がる気がする。


「いや……違う」


 壁にかかるカレンダーを見て思い出す。


 そうか……どうりで寒いわけだ。




 今年も冬が、やってきたのだ。


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