表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/41

五話 死

「逃げろって言ったのに。危険だぞ」

「バカじゃないの⁉ 一人で行かせるわけないでしょうが!」


リザ姉は後ろからついてきた。手のかかる弟の面倒を見るように叱ってくる。


「私は、アスちゃんの隣にいるんだよ。自分でそう決めたの。あなたの隣が、世界で一番安全なんだよ」

「……仕事の邪魔はするなよ」


 地獄に逃げ場はなかった。斧で道を切り開くしかない。


研究所ならば《蒸気獣》の暴走に備えて制御装置があるはずだ。村の中央を最短距離で突っ切る。


 意志力を試される道だった。瓦礫の下から聞こえるうめき声。内臓を食われつつも助けを求めて伸ばされる手。それらすべてを振り切る必要がある。


「リザ姉、よそ見するなよ。立ち止まったら死ぬと思え」

「わかってるよ……」


 リザ姉は悲劇から目をそらすようにうつむき、耳を塞いで走った。彼らを助けても意味がない。


「GAAAAAAAAAAAA……」


怪物は先ほどの攻撃でエネルギーを失ったのか、手をかざしたまま動いていない。終末のラッパのような唸り声をあげていた。


《白の箱》は白の直方体だ。北の広大な土地を利用しており、俺の家の何十倍も広がっている。箱の最奥からは海底都市アトランティスに向かって長いエレベーターが伸びているらしい。無機質な白の外壁は、来る者すべてを拒むような圧があった。


 門番はいない。玄関扉の鍵を斧で破壊して中に侵入した。リザ姉は戸惑っていたが躊躇する余裕はない。ガス灯に照らされた白の廊下を突き進んでいく。不気味なほどの一本道に、コツコツと足音が響いている。


 この構造はおそらく……。


「おやおやアストラルさん。よくぞ生きてくださいました」


 廊下の向こうに研究員が立っていた。白衣のポケットに両手を突っ込み、恍惚とした笑みを浮かべて歩いてくる。その態度ですべてを察した。


 すべてこいつらの仕業か……。


 怒りはなく、むしろ心は凪いでいた。冷静に事実だけを見つめられている。


「説明しろ。何がどうなっている」


 問うと、研究員はぱっと笑顔を輝かせた。母に褒められたくて絵を描いた幼児の表情だった。


「海の怪物を見てくださいましたか。かの《蒸気獣》は我らの悲願にして最高傑作。世界を調停する新たな暴力――リヴァイアサンでございます」


 両手を広げて宣言する。白の廊下に高らかに響いた。

 使命感がさらに増幅される。


「なぜ村を攻撃する。すでに大半が火の海だ」

「我らが聖女様からのお達しです。アトランティスの叡智を結集し世界を滅ぼせとおっしゃいまして」

「……」


 アトランティスにおいて、聖女は政治のトップだ。その言葉は都市の意向と考えていいだろう。世界一の蒸気都市が最先端の技術を動員してローニア村を潰しにかかっている。


「こんな横暴が許されるとでも。大虐殺だぞ」

「ちっちっ、甘いですね。これは“世界を調停する新しい暴力”です。今ある世界は滅び、新たな世界が創造される。誰に許される必要もないのです」


 自信たっぷりに言う。無茶苦茶だが、この世界にリヴァイアサンを上回る暴力があるとは思えない。どれだけ暴走しても止める術がないのだ。


「ちょっとあなた、いい加減にしなさいよ!」


 横で見ていたリザ姉だが、我慢の限界に達したのか声を張り上げた。研究員に臆せず近づいて行く。


「自分は安全な場所からニタニタニタニタと! 罪悪感はないの⁉ 力のあるなしが問題じゃないのよ」

「罪悪感、ですか。あると言えばあるでしょう。ないと言えばないでしょう」


 詰め寄ろうとするリザ姉の手を引く。吊り上がった目で抗議してきたが、リザ姉を先に行かせるわけにはいかない。俺は一歩前にでる。


「そこをどけ。奥に制御システムくらいはあるだろう。従わないのなら罪人とみなしその首を落とす」

「ふむ、素晴らしき威勢。ですがそれが勇気か無謀かは、力によって決まるのです」


 不敵に笑い、白衣のポケットから手を取り出す。仕込み銃でもあるのかと警戒して斧を構えたが、その手は廊下の壁にかざされた。


 ――ガコン。


 その動作がスイッチだったのだろうか。天上から歯車の駆動音が聞こえた。


「来なさい、我が研究所のセキュリティシステム」


はっとして見上げると、天井の二つのハッチが開いていた。前後に一つずつ。テーブルほどの大きさの穴が開き、何かが降ってくる。


ズドン、質量を思わせるものが地面に着地した。鋼鉄の犬たちだ。前後に三匹ずつ、地面に降り立ち赤い目で俺たちを睨みつけている。


一本道の特権、挟み撃ちだ。


その手は読めていた。ここまでも道が露骨すぎだ。


着地の硬直の間に疾走して距離を詰める。自律戦闘システムが俺を敵と認識し、鋼鉄の体が駆動した。動き始める前に斧を振るい赤い眼を破壊する。わかりやすい弱点だ。前方三対の眼を破壊する。


問題はここから。後方の三体がリザ姉に容赦なく――


「アスちゃん任せたよ!」


 ――杞憂だった。リザ姉は俺のすぐ後ろをついてきていた。


俺が前方の三体を即座に潰すと信頼し、俺の隣が最も安全だと判断し、躊躇なく一緒に突っ込んできていた。


 笑みが浮かんだ。リザ姉と位置を入れ替わり、後方より襲い掛かってくる三体に相対する。


 無我夢中で斧を振るう。思考が加速し犬の動きがスローモーションで見えた。緩やかに流れる世界で確実に急所を狙っていく。

「はアッ!」


 恐れはない。釣った魚を捌くように淡々と三匹を仕留められた。冷静に対処すれば何とかなるものだ。


「ふむ、さすがかの有名なローニア村の処刑人。では次です」


 研究員は間髪入れず壁に手をかざした。ガコン――天井から駆動音が響き、また犬が落下してくる。今度は前後に五体ずつ。二十の赤目が獲物を捕らえ、虎視眈々と隙をうかがっている。


「――ッ、この野郎」


 毒を吐く。想定外の事態に判断が遅れ、着地硬直の隙を逃した。戦力差は十倍。まともにやりあえば数の差で押し切られる。


 撤退しかない。大振りで犬を怯ませ、出口へと強行突破するのが現実的だ。倒してもさらなる援軍が来ては意味がない。リザ姉を守りながら戦うのは不可能だ。


「リザ姉、逃げ――」


 ――ショケイセヨ。

 ――しょけいせよ。

 ――処刑せよ。


 …………。


 瞬間、頭の中で声が響いた。


脳内でうごめく何かが逃亡を許さない。首元にナイフを突きつけられているような恐怖だった。やまない残響が、前を向けと脅してくる。


『仕事を果たせないお前に、何の価値があるのか』


 逃げたら村人は全滅なのだ。迷っている間にも刻一刻と死んでいく。


 そうだ……逃げるわけにはいかない。


 俺は処刑人。悪から村人を守るのが仕事だ。


「――正面突破だ」


 掛け声とともに二人して走り出す。恐怖している暇はない。一秒でも早く惨劇を食い止める。そのためだけに、無我夢中で斧を振るった。








 俺に戦闘技術はない。敵との間合いや駆け引きは知らない。


 できるのは、斧を振るうことのみ。それだけが修練を積み重ねた俺の仕事だ。


 慣れない運動に肺が痛む。命の駆け引きをする非現実感に頭がぼんやりとする。途切れない極限の緊張状態に内臓がかき乱されていく。


「うおおおおおおおおおおおお!」


 全力だった。全身を駆け巡る衝動に突き動かされ、限界の先の能力を引き出すしかなかった。


「ほう。中々にお強い。素晴らしき人間の命の輝きですな。――では、追加」


 だが、研究員が壁に手をかざせば援軍が投入される。倒したはずなのに、どんどん数が増えている。隣からリザ姉の「なんで……」と聞こえてきた。


 勝てない……。


 心の隙間に絶望が滑り込む。


「くそっ――」


 ――動揺してしまった。集中がわずかに欠けてしまった。


 たった一つのミスだった。後方の援軍に気をとられ、犬のフェイクに引っかかり、大振りの斧が空を切った。


 一瞬の隙だった。そして、致命的な緩みだった。


 一匹の犬が俺の横をすり抜け、リザ姉へと向かっていく。声を上げても機械の耳には届かない。プログラムに従って大きく口を開け、腰を抜かした獲物の腸をめがけて突進する。


 リザ姉と視線が交錯する。瞳の奥は恐怖に染まり、「助けて」と口が動いていた。


それでも俺は何もできず。甲高い悲鳴が痛々しく響き、



 がぶ。がぶがぶがぶ。



 踊り食い。


ガジガジ、骨が露出していく。

グチャグチャ、腸がはみ出していく。

ピチャピチャ、血だまりが広がっていく。


機械は嚙み切った肉を飲み込めない。べちょっと吐き出している。


「アす……ちゃ……ん――」


 原形をとどめている頭部がわずかに動く。瞳はぎょろりと見開かれ、口はパクパク動いている。


 目が合った。おとぎ話の挿絵で見た青空のような瞳は、死に瀕してなお美しかった。


 直後、牙が頭部を切り裂いていく。優しい顔が切り裂かれていく。


 大好きだった人が、何より大切な人が、蹂躙されていく。


 なのに助けられない。飛び掛かってくる犬の対処に追われ、伸ばされた手を掴めない。わずか数メートルが果てしなく遠かった。


「リザ姉から離れろ――っ!」


 真っ白な頭で意味もなく叫ぶ。心と体が切り離されていく。筋肉の限界を超えて斧を振るう一方で、現実を見ないよう感情が胸の奥へと閉じこもっていく。目の前の光景なのに、窓の外から眺める鑑賞者のようだった。


 景色がどんどん遠くなっていく。深海に沈みゆく中で水面を見つめる気分だ。息ができない。抵抗すら許されずどんどん落ちていく。


 そこから先の記憶はない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ