三十九話 処刑
「……どうした、早く殺せよ」
ヨシタカが振り下ろした刀は、首を刎ねる寸前でピタリと止まった。
ほんの少し腕を動かすだけで決着がつく。それでも、その僅かが果てしなく遠かった。
薄皮一枚は切れたのか、僅かに血がしたたり落ちているものの、首と胴は繋がっていた。
シグリッドは呆けた顔でヨシタカを見上げる。
殺すべきなのはわかっていた。イーストエンドに二つの自警団があれば一つにまとまらない。現状打破のためには必要な殺しなのだと。
だが……脳裏に思い出がよぎる。
『なァヨシタカ、いつか西側に行けたら、スタジアムに行こうぜ』
約束は未だ果たされず。
ただ、腐り落ちた死だけが残った。
『へェ、いい剣術じゃねェか。オレはシグリッドってんだ。よろしくな』
『この街を救いてェんだ。手を貸せヨシタカ。てめェの力が必要だ』
胸の内が冷たくなる。この先に待つ運命は、ヨシタカの孤独だった。
ソリが合わなくても、考え方が反対でも、確実に来る冬の季節で正気を保つ自信がない。
二人はしばらく静止していたが、やがてヨシタカの顔がかすかに曇り、刀を鞘に納める。怯えるような金属音が小さく響いた。
「儂は……」
呟き、シグリッドに背を向ける。直立したまま瞑目し、難しい表情のまま動かなくなった。
「……どういうことだ」
困惑するように問いかける。
答えはない。ただ、逡巡するように刀を握る手が震えている。
シグリッドは歯噛みする。
「オレを負け犬にする気か? 茶番はいいから早く殺せ」
「ああ……ちゃんと殺す」
ヨシタカは再び刀を抜き、首筋にあてる。
そこまではいい。が、その先がどうしても遠い。分厚い盾が阻むように、ピクリとも動いてくれなかった。
今からでも手を取り合えば事態が好転するとか。殺す必要性はないとか。
非現実的な思考ばかりが邪魔をする。
思い出すのはあの地下室だ。個人があれだけの戦力をそろえたのは執念である。手段は違えどイーストエンドを救おうとした思いには違いない。
――シグリッドを殺すのが本当に正しい選択なのじゃろうか?
間違いなく有用な人材だ。手綱さえ握れば……。
「何をしているんだ、団長」
氷柱のような声が聞こえて振り向くと、アストラルが戻ってきていた。
姿を見て戦慄する。返り血をべったりと浴び、全身がどす黒く染まっていた。血の影響か腐ったような死の香りを漂わせ、死神を連想させる雰囲気である。
――ヨシタカは察した。
この瞬間に、運命が決定づけられてしまった。
「そっちはどうなったのじゃ……?」
「片付けた。二階の部隊も時期に掃討が終わる。あとはこいつだけだ」
淡々と報告する。声に温度はなく、瞳は絶対零度の漆黒で覆われていた。
戦場を駆け抜けたヨシタカでさえ初めて見る、正真正銘の処刑人の姿だった。
「早く殺そう。俺は疲れた」
「うむ……そうなのじゃが……」
「どうした」
「いや、その、なんじゃ……」
ちらりとシグリッドへ視線を向ける。
ヨシタカの表情が見えたのは、シグリッド本人だけだった。
「こいつを生かせば、有益じゃろうと思うて」
「あり得ないな。どれだけ有能であろうと、存在するだけでイーストエンドが一つにまとまらない。加えて手段を選ばない奴だ。何をしでかすかもわからない」
「うむ……」
腕を組んで押し黙る。淡々とした、けれど高圧的なアストラルの反論に押されてしまった。
「何を渋っている」
「いや……何もない。殺すとしよう」
力を込めて刀を握る。腕は震えていた。渾身の力を込めるも薄皮一枚に食い込んだだけ。一筋の血がツーっと垂れている。あと少しが押し込めない。
「ああなるほど。そういえば、団長は処刑をやったことがないのか」
アストラルは気づいたように笑みを浮かべた。
――《機関心臓》が凍り付くほどの、人間らしい殺意が宿った表情だった。
機械のように冷たいのに、生々しさが同居している。
「団長、代わってくれ。焦らすのは苦痛を長引かせるだけだ。俺がやる」
「しかし……」
「俺はプロフェッショナルだ。苦痛なく、安らかに殺してみせる」
アストラルは黒の斧を抜く。有無を言わさぬ態度にヨシタカは何も言えず、黙って刀を鞘に戻した。
……決断を放棄してほっとしている自分がいた。
黒の斧が振り上げられる。
「言い残すことは?」
「ねェよ」シグリッドは不機嫌そうに答える。
「――処刑人、アストラルが宣告する。殺人幇助の罪でシグリッドを処刑する」
その光景をヨシタカは黙って見ていた。
反論もなく、反抗もなく。世界のレールに流されるように立ち尽くしていた。
黒の軌道が弧を描き断頭する。重たい頭部がことりと前方に傾く。
傾いた頭部とヨシタカの目が合った。ぎょろりと見開かれていた。
そこで、死は不可逆なのだと実感した。
約束は、果たされず。




