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四話 人類の火葬

 これは夢だ――


 全力疾走で朦朧とする意識に逃避の思考が入り込む。


 痛む心臓だけが現実への感覚をつなぎとめていた。振り返って怪物を見ると、動きは緩慢だった。巨体には相応のエネルギーが必要なのだろう。赤ん坊ほどの速度で、けれど着実に動いている。


「もう……これ、なんなの……⁉」


 現実が心の許容量を超えたような、泣き出しそうな声だった。

 俺の頭も真っ白だ。現実が高速で流れていく。


 しばらくすると村が近づいてきた。


 悲鳴はあまり聞こえない。代わりに犬の咆哮が埋め尽くしていた。

犬型《蒸気獣》の殺意に満ちた声である。


 混沌を見て、逃避的な思考が現実につなぎとめられた。


 村は殺戮ショーの会場になっていた。建物のほとんどは倒壊。視界を妨げるものは地に落ち、見晴らしがいい。風にあおられて迫る炎がニンゲンを焼いている。地獄の最中に、犬型の《蒸気獣》がメインストリートだけでも十匹以上解き放たれている。


蒸気機関の超出力によって疾走し、逃げ惑う村人の背中に襲い掛かる。一度食いつかれたら終わりだ。肉を裂かれ、腸を咀嚼され、骨をかみ砕かれる。生きたまま餌となって声にならない悲鳴を上げていた。内臓を引っ張り出された男の、縋るような視線が俺に向く。


 村人の反応は様々だった。往来で膝をつき天に向かって祈る者、悲鳴を上げて西へと走る者、物言わぬ肉塊になった者、フラフラと彷徨うように歩く者……。


潰れた家の残骸から赤い液体がしみだしてきていた。石畳の道にじわじわと広がっていく。家族だろうか、横腹を食われながら瓦礫の前に座り込み、鮮血に浸りつつ源流に向かって優しく語り掛ける人の姿が見えた。


「戦え! たたかうんだーっ!」


 遠くで戦闘が起きている。村人たちが金属農具を持って《蒸気獣》相手に突撃している。


ただの大人では敵わない。一人ずつ食い殺されて血の海となっていた。


 人類の叡智をかき集めた最先端技術の結晶が《蒸気獣》なのだ。


 戦うのはやめて逃げろと叫びたくとも、覆いつくすような断末魔にかき消される。


悪夢をさまよっているようだった。


「なんなの……これ……ねえ……なにこれ……?」


 リザ姉が絞り出すように呟く。直視できないのか視線定まっていない。


「――ガルルルルルルルルルル……」


 殺意を感じて振り向くと、背後から犬が近づいていた。口元から蒸気を噴出し、光る赤い目をこちらへ向けている。


 目が合った。数秒後に死が訪れると理解した。


「リザ姉、伏せろ!」


 瞬間、獰猛な牙が目前へと迫る。蒸気機関の動力をフル稼働した弾丸のような疾走だ。


 背負っていた斧の柄を握り、そのまま犬へと振り下ろす。


 牙と刃が交差した。痺れるような痛みとともに、金属音が響く。


 だが――両者の体重が違いすぎた。高速の刃も鋼鉄の突進には敵わない。つばぜり合いで押し切られ後方へと体勢を崩す。


「この――」


 尻もちをつく。倒れこむ俺に牙が追撃してきた。内部の機関によって吐き出された生ぬるい蒸気が顔に当たる。犬は炎のような熱を持っていたが、俺の身体は凍り付いたままだった。


 抵抗できない死を覚悟する――


「やっ!」


 リザ姉が珍妙な掛け声とともに、犬の側頭部を蹴り上げた。女性の蹴りで鋼鉄の身体はびくともしないが、犬の演算機関を惑わすのには十分だったらしい。一瞬の硬直ができた。


 渾身の力を込めて斧を握り犬の口元へと差し込む。力任せで鋼鉄は砕けないが、《蒸気獣》は自律型の殺人兵器だ。内部の演算装置は繊細で複雑な作りになっている。


 内部から衝撃を与えれば――


 確かな手ごたえ。赤い目が光を失い、犬の機能は停止した。


 重い機械を振り払って立ち上がる。止まっていた呼吸を再開すると、心臓が痛いほど拍動していた。じわじわと生の実感が湧きあがってくる。


「リザ姉、大丈夫か」

「う、うん……でも……これって……」


 深呼吸をして顔をあげる。数秒目を離しただけで地獄は加速していた。炎は広がるのに、悲鳴は小さくなっている。


「《白の箱》から解き放たれたんだ。事故か事件かはわからねえけど」


 自律型を制御する演算装置――階差機関の歴史は浅い。世界一の技術を持つアトランティスであろうと暴走させてもおかしくないだろう。


「くそ……研究員たちは何をしている」


 問いただしたくとも姿が見えない。それが答えなのだろう。

 目の前が真っ暗になっていくようだ。


「みんなは? ねえ、みんなはどうなってるの⁉」


 涙目で虚空に問いかけるも喧騒に飲まれて消えていく。

 村の中へと駆けだそうとするリザ姉の腕をとっさに掴んで引き留めた。


「ダメだリザ姉。深くまで入り込んだら戻れない」

「でも中にはパパとママだって、常連のみんなだって……」


 声が小さくなっていく。うつむく頬に一筋の涙が流れている。不可能だと理解してしまったのだ。


 どうにもならない。犬と戦って確信した。ヒトの手ではあの数の《蒸気獣》に勝てない。せめて大切な人だけでも守り抜くべきだ。


なのに『逃げよう』の一言が出てこない。足が動いてくれない。手に持つ黒の斧が錨のように両の足を釘付けにする。


 ――オマエハ、ショケイニンダ。

――オマエハ、ショケイニンダ。

――オマエハ、ショケイニンダ。


 幻聴が聞こえた。魂の奥底から脳内に響く冷たい声だ。冷たい銃口を押し付けられるような強迫観念が全身を満たし、体温を急激に下げていく。


 暴れていた心臓が落ち着いて行く。呼吸は整い、雑然としていた脳内は見事に掃除された。視界が色を失っていく。


 苦しみはない。俺の中をただ使命だけが満たしていく。


 俺は――


「先に逃げてくれ、リザ姉」


 斧の柄を握る。村の惨劇から目をそらさずにじっと観察する。


「アスちゃんは……?」か細い声で訊いてくる。

「俺は処刑人だ。悪を断罪するのが仕事だ。この光景は、この地獄は、悪だ」


 感情を凍り付かせたはずなのに、リザ姉の顔を見られない。殺戮兵器に立ち向かうことより恐ろしかったのだろうか。


「待っ――」

「ごめん、リザ姉」


 声を遮って、渦中に突撃した。


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