三十八話 プロフェッショナル
切り裂きジャックの種は既に割れている。視覚と聴覚を封じるミストと機動力を生かした連続奇襲攻撃だ。
予想通りセラは腰からスプレーを取り出してミストを展開した。狭い子供部屋に灰色の霧が満ちていく。何も見えないし声が音にならない。二度目でも不思議な感覚だった。
だが、それ以上の手品は何もない。さらに今回は足手まといもおらず、敵はたった一人だけ。警戒すべきは子供部屋に仕掛けられた罠だけだが、それも存在しなかった。
切り裂きジャックの強みは既に消え去っている。
予め用意していたゴーグルをポケットから取り出して装着する。技術班のアドバイスで譲ってもらったものだ。もちろん、ただのゴーグルではない。右側に小型の演算装置がついており、ガラス部分に蒸気の流れを映し出してくれる。
元々は蒸気機関のメンテナンスに使用するものなので、戦闘に耐えうるものではない。耐久性に不安はあるものの、蒸気の流れがわかればセラの位置も把握できる。
「そこか」
「~~~‼」
側面から近づいてくるセラを斧で迎撃する。ナイフで弾かれるも、セラの体勢を崩した。チャンスだが追撃はカウンターの隙を与える。これは殺し合いではなく処刑だ。俺がリスクをとる必要はまったくない。
一手ずつ、チェスのように追い詰めていけばいい。
再び別の方向から突撃してきた。迎撃。今度はナイフで弾けなかったのか、肉体をえぐる感触があった。骨の細さからして右手首だろう。
セラはパターンが一つしかないのだ。ミストで姿を隠しての突撃。拳銃による牽制もなければ、手榴弾による奇襲もない。初見で殺しきることに特化している。
殺し屋とはいえまだ子供。研鑽の時間を考えれば手札の少なさは当然のことだった。
同じ攻撃を、同じように対処すればいい。セラが動かなければこちらから仕掛ける必要はない。
まずは右手首。その次は右腕の腱。肩口。左足の付け根。脇腹。右腿のパーツ。
機動力があるので致命傷は与えられないが、じわりじわりと削っていく。
「この……このォ……‼」
ミストが薄れてきたのかセラの声が聞こえ始める。ダメージを与えるごとに動きのキレは落ちていた。息切れも激しく、今にも泣きそうな声で何かを叫んでいる。
右耳。側頭部。腎臓。尻。アキレス腱のパーツ。
次第に隙が大きくなってきた。俺が少し踏み込めば首元を直接狙えるほどに動きが鈍くなっている。ミストもそろそろ効果が切れ始めているのか、音のこもりがなくなり、セラの姿がぼんやりと見えるようになっていた。
それでもセラは突撃の手を緩めない。俺の首を掻っ捌こうと、何度も何度も攻撃してくる。全身に血の香りを漂わせ、今にも崩壊しそうな表情で、鬼神の如き執念を刃に宿らせて。
……もう、やめろよ。
実力の差は歴然。おとなしく諦めれば、苦しむ間もなく処刑するのに。
俺にいたぶる趣味はない。決着は見えているのだからら、痛みをこらえる必要はなくなったのに。
やがて制限時間が訪れて、霧が晴れる。
視界が戻って驚愕した。満身創痍だろうとは思っていたが、セラは動いているのが不思議なほどに死に体だった。
まず、顔が二割ほど抉れている。右耳から頬にかけてが黒い血で覆われており、うっすらと割れた頭蓋骨が見えた。断面からとめどなく流れる血が邪魔なのか、必死に拭っている。
胴体もボロボロだった。右足が破損しているからか片足立ちでバランスをとり、ナイフを持っていた右腕は完全に機能停止している。脇腹から背中にかけてが切断されており、腸や腎臓が破損しているのが見えた。
その姿には恐怖すら抱く。執念だけで立ち上がっていた。
「セラ、もういいだろう。終わりにしよう」
語り掛けるも、ゆっくりと首を振る。
「いやです……わたしは……死ぬのは……」
「もう痛いだろう。非人道的な処刑は俺も好きじゃない。受け入れてくれ」
「いやなんです!」
思いが爆発したように叫ぶと、がふっと血を吐いた。ドバドバと溢れて止まらない。見えないだけで消化器官へのダメージも大きのだろう。
何とか息を整えて言葉を続ける。
「わたしは……死にたくないんです」
「誰だってそうだ。セラが殺した娼婦だってな」
「……」
きっ、と睨まれる。そんな殺意に動じていては処刑人は務まらない。
「みんな同じなんだよ。誰だって死にたくないし、殺したくない」
「わたしはまだ、祈りおわってない……このままじゃ、天国にいけない……」
再びセラは咳き込んで血を吐いた。出血の総量が尋常ではない。いつ死んでもおかしくはなかった。
心の中で自嘲する。これだけ殺した俺とセラは、どれだけ祈っても天国には行けないだろう。
そんなのわかってる。でもどうしようもなく怖くて、焼け石に水と知りながらも祈り続けるしかなかったのだ。
結局、俺とセラは同じだった。決して赦されないことに救いを求めて、祈り続けていたのだ。
――不意に、後方から足音が聞こえた。
敵襲かと身構えたが、馴染みのある音である。振り向くとソーニャがこちらに向かってきていた。
「これは……」
子供部屋に入るとソーニャは絶句した。あの楽しさが詰まった空間は僅か数分で地獄の様相に変貌していた。あらゆる壁にどす黒い血が飛び散っており、家具も散乱している。ベッドの上に整列していたぬいぐるみたちは血の池に溺れ、どれも無残な死骸と化していた。
「――ぁ」
セラの姿を見ると、絶望したような呟きを漏らした。
見ればわかる。もう助からないのだと。
憐れむような表情だった。無念そうに目を伏せているが、唇をぐっと噛みしめて口を開きはしなかった。
本当に犯人なの、とか。嘘なんだよね、とか。
無駄な言葉は発しなかった。言いたいことはたくさんあるだろうに、色んな言葉を飲み込んでいた。
仕事に私情を持ち込むのは許されない。それだけの話だった。
「ソーニャさん……」
縋るようにセラが言葉を絞り出す。
「助けて……」
ナイフを手放してよろよろと近づいてくる。瞳が濡れているような気がするが、大量出血で判別できない。蜘蛛の糸を掴むかの如く、手を伸ばして片足ジャンプで接近してきた。
ぺちゃ、ぺちゃ、と血が音を立てて滴り落ちる。
べちゃ、べちゃ、と傷口からはみ出た腎臓が転がり落ちる。
ソーニャはそっと目を伏せて、
「ごめん」
一言だけで、拒絶した。
セラはバランスを崩して地面に倒れる。血の池がトクトクと広がった。黒い液体がべっとりとまとわりついている。
「なんで……やだよ……なんで……」
かすれた声で問いかける。風前の灯火だった。
ソーニャは背負っていた槍の柄を握る。
「私は自警団の一員だから。アストラルさんのパートナーだから。このイーストエンドを守らなくちゃいけないから。だから――セラちゃん、あなたを裁きます」
一歩前に出て槍を構える。先端は倒れたセラへと向けられていた。
……さすがにそれはまだ早い。
一線を越えてしまったらソーニャの精神が持たない。慌てて制止し、代わりに俺がセラに近づく。
「もう一度聞こう。最期に言い残すことは」
黒の斧を罪人の首筋にあてる。
ありふれた死刑囚と同じく、小動物の断末魔のような声を発した。
「やだ……やだ……やだ……やだ……やだよ、やだよ、やだよ、やだって! いやだ! いやだよ! いやだ! いやだ! ぜったいいやだ! 助けてソーニャさん! いい子にする! もうしないから! ぜったい約束するから! だから助けて! いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!」
バタバタと暴れる。皮肉なことに、助けを求めて叫ぶほど身体は死に近づいて行く。
もう、誰であろうと助けられない。
俺の仕事はあと一つ。彼女を楽にすることだけだ。
黒の斧を振り上げる。
何度も繰り返してきた動作だ。絶対に苦しませない。
セラは暴れているつもりだろうが、もう四肢がピクリとも動いていない。おかげで狙いを定めやすかった。
せめて――安らかに――
彼女の罪を、一刀のもとに洗い流した。




