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三十七話 蒸気兵器

 ――やはり、昔ほど身体は動かぬな。


 紙一重の攻防が続くと衰えを実感した。間合いが近ければ回転する花弁に切り刻まれ、遠ければ《蒸気衝撃》の餌食になる。極限状態で、動きのズレがもどかしかった。


《腐敗病》を患って十年近く。両腕は鋼鉄に置換され、腐り落ちた内臓は手術で代替の機関が埋め込まれている。


 身体の出力が落ちれば攻め手に欠ける。戦闘技術があるので負けはしないが勝てもしない。攻防は停滞していた。


 シグリッドが攻撃の手を緩める。不気味な態度に警戒を強めるも、攻撃の意志がないのは萎えたようにため息をついた。


「本気でやれよ」


 責めるような口調だった。興を削がれた責任をとれ、と言わんばかりの。


 ヨシタカは自虐の笑みを浮かべる。


「これが全力じゃよ。衰えてしもうた」

「とぼけてんじゃねェ。その心臓を動かせっつってんだ」


 ヨシタカの胸を指さす。正確には、その奥にある鋼鉄の心臓。《猛ル花弁》にも劣らぬ機関兵器を。


 長年の付き合いがあるので手の内は知られている。厄介なものだ。


「それともなんだ。オレとの殺し合いは起動する価値もねェと?」

「まさか」

「ならさっさと起動しろ。命をかけて剣を振れ。今のてめェには魂を感じないんだよ」


 シグリッドの意図がわからなかった。


 起動すれば圧倒的にヨシタカが有利になる。わざわざ攻撃の手を緩めてまで促す理由がなかった。


 ヨシタカの自滅が狙いだろうか。今の攻め手に欠ける状況が続くよりはマシだと判断したのかもしれない。


確かに埒が明かない。このまま続けばヨシタカの体力も尽きる。


 だが……。


「変わんねェな」


 攻撃的な、けれど郷愁を帯びた声音だった。


 ヨシタカの人格を作り上げる魂の一部が揺さぶられたようで、思わずシグリッドと目を合わせる。過去と現在が重なったような、不思議な感覚に陥った。


シグリッドは決別の日と同じ表情をしていた。見上げる者の憤怒の炎だ。


『こいつらは、てめェが殺したんだ』


 あの日の言葉を思い出す。


 最終的に二人が決別したのは、シグリッドの恋人の死が原因だった。


 とある薬物中毒者がヨシタカにドラッグを没収されたことで精神に異常をきたし、自警団に乗り込んで無差別殺人を行ったのだ。被害者の一人がシグリッドの恋人だった。薬物の扱いを巡って二人の間でくすぶっていた火種が爆発するには十分なきっかけだった。


 あれから数年が経ち、関係は修復するどころか深まっていくばかり。


 もう歩み寄る信頼も体力もない。


 リスクをとってでも、決着をつける時だ。


「そうじゃな。覚悟が足りなかったかもしれぬ」


 ヨシタカは自嘲的な笑みを浮かべ――


 ――ブルン!


 鋼鉄の心臓を、起動した。


 全身が熱を帯びていく。ガコン、ガコンと機関駆動音が響き、口から蒸気を吐き出した。内臓までもが蒸気機関となっており、余剰の蒸気を口から吐き出せるのだ。


 それは《猛ル花弁》の比ではない。全身の六割を蒸気機関なのだ。フル稼働すれば、鬼神の如き出力となる。


 だがその代償に、腐りかけている体はさらに蝕まれていく。本来であればとっくに死んでいるところを機関の力で強引に生き延びているのだ。その上さらに出力を上げるなど想定されていない。


「がはっ……」


 内臓を棍棒で殴られるような痛みが走る。実際、凄まじい速度で損壊しているのだろう。


「いいねェ。命をかけろよ」


 煽るような口調だが、シグリッドに笑みはなかった。ぐっと見開かれた瞳で真っすぐに睨みつけ、警戒するように観察を続けている。


体内の痛みは続き、口からはどす黒い血が溢れてくる。こらえきれずに不純物だらけの黒い液体がコップ一杯分ほどぶちまけていた。


 生死の境を飛び越えていくようなものだ。ただでさえ残り少ない命の灯が、暴風雨によってかき消されようとしている。

 

だが……それでも無理やり笑みを作った。


「《機関心臓エンジン・ハート》――起動」


 駆動音が加速する。地の底で反響する大型獣の唸りのような声だ。両肩の排気筒からどす黒い空気が噴射される。


 人体から排出されていいものではない。


ヨシタカには破滅への階段を全速力で駆け抜けていく足音が聞こえていた。


「存分に罵るがよい。その代わり、首はもらい受けるぞ」


 負荷で痙攣する腕をゆっくりと動かし、腰に差した刀の柄を握る。


 居合の構え――


 瞬間、シグリッドの纏う余裕が完全に消えた。強張った顔つきで威嚇するように《猛ル花弁》の高速回転を再開し、蒸気圧縮を始める。出力を上げたのか、風切り音がここまで聞こえてきた。


 二つの機関音が周囲を満たす。邪魔するものはなにもない。世界を押しつぶさんとするような大気の重さが、二人だけの異界を作り上げていく。どこかでバサバサと鳥が逃げていく音が聞こえてきた。


 僅かな静寂――


刹那、無音の接近とともに武士の刀が閃いた。

 

人類の限界をはるかに超えた神速。首を刎ねたと幻視するほどの一振りだったが、しかし花弁にさえぎられ、飛び散る火花が周囲を照らす。空に響く轟音は少し遅れて空間を満たした。


「ぐッ……‼」


 シグリッドがよろめく。二枚の花弁が本体から切り離されて宙を舞っていた。重心が乱れ、アンバランスな遠心力に吹き飛ばされまいと堪えている。


 だが致命的な隙だ。武士の刀がくるりと反転し、再び横なぎに襲い掛かる。


 ガッ――‼


 鋼同士が交錯する。シグリッドは何とか花弁で防いだものの、受け止めきれずに吹き飛ばされ地に転がった。


「クソ――でたらめな剣術しやがってジジイ!」


 屈辱そうに顔をゆがめ、人の理を超えた小さな武士を見上げる。たった二撃で理解させられてしまったのだ。


 高速回転する鋼鉄のエネルギー量は、建物に押し付けるだけで簡単に倒壊させてしまえるほど凄まじい。人間の肉体をベースにしている攻撃が上回れるはずがない。神速の出力に血管や筋線維が耐えられるはずがない。


 しかし現実として、ただの刀が蒸気機関の最高傑作を上回っている。


 語り継がれる神話の如き光景だ。周囲で待機していた者は荘厳な絵画を前に圧倒されるように、固唾をのんで見守っていた。


「認めるかよ……死にかけのジジイが、いつまでもこの街を仕切ってんじゃねえ!」


 怒りを叩きつけるように咆哮する。それは猛る怪物の気迫だった。


 団長が神話の戦士だとすれば、シグリッドは人類の到達点だ。左手に持つのはこの世すべての技術を結集して作られた最高傑作。人類の文明、その叡智を証明するのかのごとく立ち上がる。


 神話だろうと関係ない。英雄の物語に抗うように、定められた結末を打破するように、悪役は左手をかざす。


 しかし、折れた花弁でこれ以上の蒸気充填は不可能だ。たった一発を放てば終わる。弾丸が一発では駆け引きの余地も少なく、戦況の行く末は明白に思えたが――


「接続変更。我が魂を土壌とせよ」


 ――シグリッドはさらに賭けのチップを上乗せした。


 ヨシタカは驚愕のあまり叫びそうになった。


 合図とともに、展開されていた二枚の花弁がしぼんでいく。腕の周囲にぴったりと収まり、ただの鋼鉄に戻った。断続的に続いていた蒸気駆動音も小さくなっていき、《猛ル花弁》は停止する。


 だが、それは隙ではない。ヨシタカは腰を落として刀を握り、険しい顔つきでじっと彼を観察していた。首筋には大粒の汗が流れていく。


「シグリッド……お主、本気なのじゃな」

「なに、てめぇと同じステージに上がっただけだろ」

「延命臓器として作られた儂の心臓とは本質が違う。お主のそれは完全なる兵器。負荷の調節など考慮されておらぬぞ」

「どのみちやらなきゃ死ぬんだ。後のことなんて知ったことかよ」


 シグリッドの燃え盛る瞳には現在イマしか見えていなかった。


 それが機関を魂に接続させるということ。


 曰く、魂には質量がある。その核融合エネルギーを取り出すことで得られる動力は凄まじい。


 当然、魂から力を取り出すなど神に対する冒涜だ。原子を一つ失うだけで、その人を形成する大切なものが欠落していくらしい。


 シグリッドは嬉々として禁忌に踏み込んでいく。神の定めた運命に、物語に、挑戦状をたたきつけていく。


 魂との接続に成功したのだろう。虚空から動力を引き出したかのように、突如《猛ル花弁》が唸りをあげる。充填したエネルギーを押さえつけるように鋼鉄の腕がガタガタと揺れていた。


「――ガハッ!」


 直後、シグリッドが吐血した。黒い血の塊が床を濡らす。しばらくすると収まったのか、シグリッドは顔をあげた。


 口元は、三日月形にぐにゃりと歪んでいた。


 その姿は、流行の怪奇小説に出てくる怪物そのものだった。


「せっかく男に生まれたんだ。命がけで戦うのが醍醐味ってものだろうよ」


 怪物は嗤う。

本能的に恐怖した。彼は人間を超えたのか追い出されたのかはわからないが、定義から外れてしまったのだと理解する。


 人の理性から逸脱する――即ち狂気である。


 すべてが腐り落ちていくこの街で、また一つ価値あるものが壊れた。


《猛ル花弁》が軋む。想定出力限界を上回る力に鋼鉄が悲鳴をあげる。


 されど怪物は気にも留めない。限界とは超えるものだろうと嘲笑う。


「行くぜ極東の戦士。人類の叡智――その果てをとくと味わいな」


 暴走機関と化し震える左手をかざす。制御が難しいのか右手で二の腕を抑え、慎重に狙いを定め、


 ゆらり、ある瞬間を境に《猛ル花弁》が静止した。


 ――敵わない。


 瞬時に理解する。例え神速の剣を持っていようと、鋼鉄の如き肉体を持っていようと関係ない。アレはそんな次元ではない。


 砲口を中心に空間のゆがみが見える。左腕に宿る”何か”が周囲の空間そのものを捻じ曲げたのだ。現在の人類が扱う物理学の限界を超えた現象である。

 

逃走の判断すらすでに遅い。後悔する思考の隙間さえない。


 シグリッドが格闘しているのは物理の限界。


叡智の果て、その先にたどり着かんと手を伸ばす――


「出力限界突破……《蒸気衝撃》――ッ!」


 叫びとともに一撃は放たれる。音を置き去りにする速度で、空間のゆがみを引き連れて無防備な戦士に襲い掛かる。


 白い化物――


 弾丸のごとく進撃する化物は刹那の間に周囲すべてを埋め尽くし、世界を焼き尽くすほどの熱量と、鋼鉄に迫る密度でただ一人の戦士を飲み込んでいく。


二十世紀となり人類の戦争は機関兵器により行われるものになった。その最高傑作を前にして生身で立ち向かうという前提からおかしかったのだ。圧縮された蒸気の質量で身体はバラバラとなり、追い打ちをかけるように熱が骨ごと焼き尽くす。



――それが、通常の人間であればの話だが。



不意に、シグリッドの燃えるような瞳が見開かれた。


 周囲を埋め尽くす白の中、一つだけ蒸気の流れが不自然な点があった。


圧倒的質量で我が道を突き進む白の化物が、食らいつくせていない特異点があった。


首をかしげている。その結果は彼の脳内演算と一致しなかったのだろう。不思議そうに目を凝らし、白の中を見つめている。


「なんだ……あれは……」


視線の先では、河川の分岐点のように、蒸気が二方向へ別れている。


まるで……真っ二つに斬られたかのように。


彼もその意味を徐々に理解していったのだろう。


「……バカな。ありえない」


 否定し首を振る。


 だが、関係ない。常識に抗うように、その音は次第に大きくなってくる。


「ありえないだろう。ふざけるな。まさか……まさか――ッ!」


 さらに目を見開き、驚愕の叫びを漏らす。


 無理もない。その音が聞こえてしまうのだ。


 彼の首を討つであろう数秒後の死神――その、声が。




 ――命をくべる心臓(エンジン)が、白の中で唸りをあげる。




 白が晴れていく。濃度は次第に下がっていき、霧の向こうにぼんやりとした人影が見えてくる。


「ありえない? ――何をぬかしておる。人類の叡智に限界がないのなら、人類の肉体にもまた果てはないじゃろう」


 諭すような、けれど力強い声だった。


 白の向こうのシルエットが、刀を上段に構える。動きに澱みはない。生命の息吹たる心臓は暴れるように動いている。


「――覚悟はできたかシグリッド。お主に、人類の技巧を見せてやろう」


 シルエットが亡霊のように消えた。否――そのように見えるほどの速度と滑らかさで接近していた。鋼鉄の刃が音もなくシグリッドのすぐそばまで迫っている。


 シグリッドは音なき声を漏らす。武士の横顔は、絶対零度の冷たさを帯びていた。


 これが、戦いにすべてを捧げた人間がたどり着く境地なのか。


 すべてを出し尽くしたシグリッドに防ぐ術はない。とっさに身をよじらせるも、彼の前では遅すぎる。


神速で描かれる鋼の軌道――空間ごと切り裂くような一撃は、無感動に《猛ル花弁》を斬り落とす。


あまりに美しい太刀筋だったからか、金属音すらしなかった。


「ぁ――――――――」


 悲鳴はない。心が折れたような声だった。彼の目からは急速に光が失われ、闇の底に飲み込まれていく。重力に従って体が崩れ落ちていく。


 胴体の尻もちと《猛ル花弁》の落下は同時だった。重たい金属音が響く。


 ヨシタカの攻撃に《蒸気衝撃》のような派手さはない。ただ上段の構えから接近して振り下ろしただけ。真似事なら子供でもできるだろう。

 だが、その”普通”を極限まで極めることで必殺の技術へと昇華している。一切の無駄を削ぎ落した超絶技巧。洗練された一撃はため息が出るほど美しく、一つの芸術作品のようだった。


 武士は茫然とする敵を見下ろす。一切の感情が見えない機械のような無表情だった。


「儂の勝ちじゃ、シグリッド。その首、もらい受けようか」


 再び上段に構える。淡々とした所作からはかつての仲間に対する感情などまるで感じなかった。


 二人の目が合う。凍てつく眼差しと虚無の瞳。シグリッドは抵抗しようとしなかった。言葉も震えもなく、振り下ろされる一太刀を運命として受け入れている。


 ふと……形容しがたい感情がヨシタカの胸を満たした。


 だが、既に賽は投げられている。


 シグリッドには最期の言葉すらなく、刃が振り下ろされる――


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