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三十六話 子供部屋

 セラを追って奥の部屋へと踏み込んでいく。無防備な背中に斬りかかりたかったが、思いのほか足が速くて追い付けない。見失わないように速度を上げて追跡していると、突き当たりの部屋にたどり着いた。


 少し、戸惑った。


 そこは子供部屋だった。


 部屋はパステルカラーで溢れ、楽しげな色彩が洪水のように飛び込んでくる。白い壁は躍動感のある落書きで氾濫しており、陰鬱なイーストエンドにおいては異界の様相だった。


ぬいぐるみで埋め尽くされたベッド。乱雑に絵本がしまわれている本棚。大きなクジラが描かれたカーテン。


おもちゃ箱の中に入り込んでしまったと錯覚するほどだった。

 

セラの足が止まる。表情の見えない背中は隙だらけにも見えたが、俺はこの部屋に誘い込まれたのだ。罠を考えると下手に攻撃できなかった。


「処刑人さん……」


 振り向いたセラの顔には悲哀が張り付いていた。


 思わず騙されそうになる。端正な顔つきが痛ましく歪む様子は本物にしか見えなかった。


 騙されるな。あれは、切り裂きジャックだと。


「どうした。最期に言い残すことはあるのか」


 セラは氷漬けにされたように固まった。魚のようにパクパクと口を動かして、途切れ途切れの言葉を作る。


「…………仕方なかったんです」

「だろうな」


 彼女が殺人を好むわけではないとわかっている。僅かながらも同じ時間を過ごしたのだ。


 セラは両足をさする。

「この足のせいで、ママはずっとお金がなくて……。この街に売られてきて……」

「娼婦になるか、殺人鬼になるかの二択しかなかったってとこか」


 こくんと頷く。何となくの推測はできた。


 メイドは西側に住んでいたが、奇形に生まれたセラの手術で金がなくなり、イーストエンドへと売られてきた。買い取ったのは政府とつながりのあったシグリッド。選べる仕事は売春婦か殺人鬼の二択――まあ、こんなところだろう。


「だから……その……」


 俯いたままもじもじと。おねだりをする子供のように。


 媚びるような態度を前に、俺の心は凍り付いていく。


「その先は言うな。虚しいだけだ」


 突き放すように言うと、セラは大きく目を見開いた。


「前にも言ったが、思いを言葉にするのは難しい。安易に言葉にすると安っぽい感情の型にはめてしまう。セラにどんな事情があろうと、イーストエンドではありふれた悲劇の一つだ。ありふれた悲劇に紋切り型の感情が加わってしまうと、何もかもが薄っぺらいものに成り下がる」


 ありふれた悲劇であろうと、その中を生きるのは人間だ。感情の一つ一つが特別なもの。抱いた悲しさを否定しようとは思わない。


 けれど、言葉にすれば”辛い”の一言で終わる。


 処刑人という仕事上、多くの裁判を見てきたが、被告人は皆同じことを言うのだ。それぞれの事情、それぞれの思いがあるはずなのに、薄っぺらい言葉だけで訴えられてしまう。


「セラが何を訴えようと俺はセラを嫌いにはならない。正確に言えば、セラに対する感情は何も変わらない。話すだけ無駄だ。最後に言い残すことだけを話せ」

「……………………」

 

セラの視線が変貌する。この世ならざる悪魔を見るかのような、恐怖と嫌悪が入り混じった突き刺すような瞳だった。


「……うそつき」


 ぱら……ぱら……。


 セラの表面から何かが崩れ落ちていく。化けの皮か、人間としての尊厳か。俺にはわからないが、きっと大切なものだろう。イーストエンドの霧にさらされ続け、腐敗しきっていたのだ。


 人は追い詰められると攻撃性を帯びる。処刑人としてよく見た光景だった。


 ぽとり、ベッドの上から一つのぬいぐるみが落下する。


「うそつき! 首ちょんぱしないっていったじゃん!」

「無実であれば、という条件付きだ。常識で考えろ」

「痛くしないっていったじゃん!」

「痛くはしない。断頭は人道的な処刑方法だ。苦痛の前に死ねる」

「……っ! ひ、人殺しだよ!」

「お前がな」


 人を殺した罪は、死によってのみ償われる。


 等価交換。わかりやすい法則だ。本意でなかろうと事情があろうと殺人は殺人。仕方がないで済ませては世界の秩序が崩壊する。


 ため息をつく。いい気分ではなかった。こんな胸糞の悪い仕事は、さっさと終わらせるに限る。


「もういいか? セラも疲れただろう。さっさと終わらせようぜ」

「このぉ……っ!」


 セラは涙目になっていた。殺意の具現化のような視線で俺をにらみつけ、腰を落としてナイフを抜く。


 俺は黒の斧を握った。


「処刑人、アストラルが宣告する。連続殺人の罪にて、切り裂きジャックを処刑する」


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