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三十二話 罠

 時刻は正午。《ホワイトシグリッド》の本部へ向かうと、玄関口にメイドが待っていた。


「お待ちしておりましたヨシタカ様、アストラル様」


 堅苦しいほど身なりを整え、丁寧にお辞儀をする。美貌の奥に隠された緊張感が増しているように感じた。


 メイドの奥にそびえたつ《ホワイトシグリッド》本部からは、戦場の香りがした。巨大な建物が大口を開けて獲物が飛び込んでくるのを待っている。


 これから起こるのは食物連鎖の理か、小さき羽虫の反逆か……。


「行こうか。案内を頼む」


 余計なおしゃべりをする余裕はなかった。


 中に入り、一階のロビーへと通される。


 部屋に足を踏み入れると、思わず感嘆の声を漏らした。


 広々とした円形の空間だった。中世を思わせるトーンの装飾が施され、中央には剣を掲げる戦女神の彫刻が置かれている。視線をあげると部屋は吹き抜けになっており、三階までの廊下が見えた。


 最奥にあるソファにシグリッドは腰かけていた。ゆっくりと立ち上がり、覇気のない目をして近づいてくる。


「来たか……本当に、来やがったか……」


 足取りは重い。自分の目を疑ったが、落胆しているような態度だった。


 ……どういうことだ?


 獲物が罠にかかった人の反応ではない。警戒心が高まっていく。シグリッド自身は薬物を服用しているという噂もあるし、精神が不安定になっているのだろうか。


「切り裂きジャックを捕らえたとなれば来ないわけにはいかぬ。ヤツは今どこに?」

「ありゃ嘘だ。当たり前だろ」


あっさりと白状した。団長は僅かに眉根を寄せたが、心の奥では理解していたのか、それ以上の動揺は見られなかった。

 

シグリッドは口端を吊り上げる。


「てめェも嘘だって気づいてただろ。なんで来たんだよ」

「お主は無意味なことはせぬよ。罠だとしても、何かしら意図がある」

「はっ……」


嘲るように笑った。しかし、その笑みは団長ではなく、虚空に向けられていた。


「意図……か。まァそうだな。嘘をついて呼び出したのには、二つ理由がある」


 シグリッドは再び盗聴器に視線を向けた。


「一つ目が、てめェらを逃がさないため。つまり罠だ」

「……」


 団長は黙ったまま腰の刀に手をかける。ほんの僅か重心を落として姿勢を整えた。


「そう構えるな。今すぐ殺しあおうってワケじゃねェ」

「よく言う」


 背中の斧を握って言い返す。


 が、高まっていく緊張感をまるで気にせずにシグリッドは続けた。


「二つ目が提案だ。

――《ホワイトシグリッド》はアトランティス政府に宣戦布告をする」


「……話が見えぬ。唐突にどうしたのじゃ」


 突然の宣言に、団長は困惑の声を漏らす。


 理解できないわけではないが、信じがたいものがあった。シグリッドの正気を疑い目を合わせるも、瞳は燃え盛るような熱で覆われている。


「ヨシタカも手を貸せということだ。このクソッたれな都市を、ぶっ潰すんだ」

「……」


 団長はじっとシグリッドへと視線を送る。まるで、目を合わせれば理解できるとでも言わんばかりだった。


「先に釘を刺しておくが、嫌とは言わせねェ。断ればこの場でぶち殺してやる。戦うかこの場で死ぬか。二つに一つだ」


 シグリッドの体表から殺気がゆらめく。獣が牙を見せるような、むき出しの闘争本能が刃のように首元にあてられていた。


 嫌でも警戒レベルが引きあがる。五感が鋭敏になるのを自覚しつつ、ヒートアップしかけている場を少しでも鎮める。


「自分が何言ってるのかわかってんのか、シグリッド。戦争ってのはそう簡単なもんじゃないぞ」

「だろうな。胸糞悪ィが、西側の兵力は世界最高レベルだ。下手すりゃイーストエンドが崩壊するほどの損害が出る」

「わかっていながら……」

「それは、今の状況と何が違ェんだ?」


 激情を宿した瞳ににらみつけられて、僅かに息がつまる。

 理屈の上でも、感情の面でも押し切られてしまいそうな空気があった。


「《腐敗病》の蔓延で市民はくたばり、母子感染でガキはみんな奇形に生まれ、作物は育たねェからメシはない。《嘆きの門》にさえぎられ、逃げることすら出来ない。そのくせ政府のヤツらはなんにも動かねェんだ。五年後にはみんな仲良く地獄に落ちてるぜ?」


 それは、怒りだった。


 淡々と語る言葉から、隠しきれない”憤怒”が滲み出ている。


 ――熱い。


 しばし圧倒される。この街すべてを焼き尽くすほどの激情が、彼の瞳で渦巻いていた。感情を叩きつけるように早口でまくし立てる。


「そんな時にてめェら自警団は何をした? 犯罪者の取り締まり? バカかよ。もっと他にするべきことがあんだろうが。なぜてめぇらはこの状況を受け入れるんだ。オレたちが野垂れ死んでる間、西側の貴族は紅茶を飲んで文化人を気取ってんだ。アホくさいとは思わねェのか。西の町並みをてめェも見たんだろう」


 白亜の街を思い出す。整えられたメインストリート。教養人でにぎわう図書館。肺が喚起するほどの清浄な空気。


 ……ああ、確かに。あれは悪だ。


 嫉妬のどす黒い炎が胸の内をチリチリと焦がしていく。よくない感情だと理解しつつも抑えられない醜い性質だった。炎が燃え移るように、シグリッドの炎に引き込まれていく。


「今が最後のチャンスなんだよ。これ以上イーストエンドの腐敗が進んだら戦えねェ。西側の貴族をぶっ殺し、この街を脱出する。シンプルな話だろ」


 団長は迷うように視線を下げる。


 シグリッドの言い分は間違っていない。イーストエンドは袋小路に迷い込んでいる


 しかし――


「勝ち目がないだろう。賭けにすらならない。完膚なきまでにゼロパーセントだ。五年後に死ぬとしても、今自殺することないだろう」


 人はどうせいつか死ぬ。生まれより定められた運命だ。だがそれに絶望して自殺をしてはすべてが虚しい。タイムリミットが早まったというのは、今この瞬間に人生を終わらせる理由にはならないのだ。


 シグリッドは不敵に笑った。


「勝ち目はある。戦力はある。あの野郎に一矢報いる刃は、ある」


 宣言すると、ロビーの中央に設置されている戦女神の彫刻に近づく。


掲げる剣をとり、くるりと反転させて台座に突き刺した。

 

――途端、振動とともに彫刻が台座ごと横にスライドし、下から階段が現れた。


「地下室……⁉」


 一瞬、何がおきたか理解できなかった。心の中で否定するも、目の前に現れたのだから受け入れざるを得ない。


 アトランティスは海底都市だ。都市を覆う強化ガラスや地盤に脆弱性が生じれば即座に水圧で崩壊する。危険なので法律で地下を掘るのは禁止されているし、やる技術を持つ人もいない。


「ついてこい」


 呆然としたままシグリッドの後ろをついて行く。狭い階段の両側は鋼鉄で覆われた無機質な場所だった。コンコンと壁を叩いてみても、音を吸われるように反響しない。


 階段を降りて地下室に着くと、そこもやはり灰色の金属に覆われた天井の低い部屋だった。かなり広い。上の建物の面積より大きいのではないだろうか。圧迫感はありつつも見渡す限りにチェストが並ぶ倉庫になっていた。


 圧倒される。技術的なあり得なさと施設の巨大さにしばし言葉を失った。


「戦争に必要なものはここに貯蓄している。あっちが武器庫、こっちが食糧庫だ。この二年間、ずっと蓄えてきた」

「これは……一体、どうやって集めたのじゃ……? いかにお主が麻薬を扱っていようと、これほどは……」


 団長が呆気にとられるのも当然だろう。組織としての力量が違いすぎる。

 申し訳ないが、自警団とは雲泥の差だった。


「契約だ。政府の研究員と取引をしてんだ」

「研究員……?」


 ふと、一つの顔が思い浮かぶ。


 世界を滅ぼした《白の箱》の男だ。リザ姉を殺した張本人。絶対に裁かなければならない悪。


「政府の犬が接触してきたんだ。何でも、イーストエンドでしか入手できない実験材料があるっつってな。それを渡す代わりに金をむしり取ってるってワケだ。この地下室も、あいつらに作らせた」


 納得する。最先端技術を扱う研究員の技術ならば、地下室を作るのも可能だろう。最先端技術を扱う場所からすれば、これほどの金を投資したとしても些事だ。文字通り桁違いの金が動く場所である。


 ――点と点がつながったような気がした。


 昨夜の推理が補強される。脆弱な妄想が、論理へと形を変えていく音がする。


 ……そういうことかよ。


 毒づく。まだ不明な点ばかりだったが、一応のロジックは組みあがった。


 わからない。もしこれが真実だった場合、自分がどんな感情を抱くべきなのか想像できなかった。


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