三話 終末の予感
「おーおー、処刑人サマは逢瀬の最中ですか」
声が聞こえてぱっと離れる。振り向くと、処刑台に上ってきた先輩だった。二人の男を連れて不機嫌そうにドスドスと足音を鳴らしてやってくる。三人とも手に角材を持っていた。
三人に突っかかろうとするリザ姉の手を引く。あれは暴力衝動に支配された瞳だ。磨いていた黒の斧を持って彼らに対峙する。
「何だ。野暮用なら後にしてくれ」
「そうだなぁ……処刑人サマにとっては野暮かもなぁ。なにしろ、人殺しの直後だってのに乳繰り合うほど大切な女なんだから」
「あ、アスちゃんは――」
「いやいい、リザ姉。間違ったことは言われてない」
リザ姉を再び引き留める。処刑の後は教会で祈り続けるのが習わしだ。神父と顔を合わせて平常心を保てる自信がないので後回しにしていた。
「そうだよなぁ、俺たち間違ってないもんなあ。てめぇが人を殺したのも、アトランティスの犬だってのも」
「間違ってはない。それでどうする」
先輩たちは不敵に笑い三方から俺を囲む。血管が浮き出るほど強く角材を握り締め、衝動を押さえつけるように手を震わせている。
「――本当にわかってんのか? なぜアトランティスの味方をする。あいつらがこれ以上のさばれば、この村は終わりだ」
「俺は誰の味方でもない。ただ、正義の下で仕事をするだけだ」
「けっ、てめぇは誇り高き仕事人ってか」
吐き捨てるようにまくし立てる。
「どうやら底抜けのバカらしいな。じゃあ仕方ねえ。俺らが罪を犯したら処刑人に首を斬られる。ならば処刑人が間違ったことをしたら、俺たちが裁かないとな」
側頭部めがけて振るわれた角材をとっさに左腕で受ける。骨にまで響く一撃だ。痺れて左手に力が入らない。
「殺しはしねえよ。けどちっとばかし痛みつけないと婆さんが浮かばれないだろ」
今度は後ろからの叩きつけるような一撃を、振り返って右腕で受ける。三人目の攻撃は防ぎきれず右肩に直撃した。
「ぐっ……!」
激痛に悶えて体勢が崩れる。三人は好機とばかりに全力で殴りつけてきた。
「罪には罰を! 暴力には暴力を!」
身体のあちこちに衝撃が加わる。辛うじて致命傷は避けているが、このまま受け続ければ痛みで気を失いそうだ。
耐えるだけで事が収まるのなら……。
「ちょっとやめなさい! 恥ずかしくないの⁉」
リザ姉が割り込んできた。男たちを引きはがそうと、肩につかみかかっている。危ないからよせと言おうにも、攻撃されてうまく声を出せない。
「うるせえよ、きれいごとばかりの女は黙ってろ!」
男は強引に突き飛ばし、リザ姉が「きゃ」と小さく声を漏らして尻もちをつく。スカートは汚れ、痛そうに顔をゆがめた。
…………。
怒りがわいてくる。それだけは我慢ならなかった。
斧を握り水平に構える。殺しはしない。目を凝らしタイミングを見極め――円を描くように高速で刃を振るい、三本の角材を切断する。
「な――ッ!」
戦闘技術はないが、斧を振るう修練だけは積んできた。
三人は呆気にとられて踏み込んでこなかった。丸くした目で斧と角材を交互に見つめている。角材でも数の有利があれば勝てると思っていたのだろう。人殺しの刃の意味を知らない。
俺は斧を地に突き立て、三人を睨みつけた。
「続けるか」
問いかけるも返事はない。三人ともじりじりと距離をとっていく。
呆れた。ナイフではなく角材を持ってくるあたり最初から覚悟はなかったのだろう。
「覚悟のある奴だけがかかってこい。黒の刃で相手になろう」
三人は捨て台詞すらなく一目散に駆け出した。ちらりと見えた表情は恐怖に染まっていた。曲芸技に怯えるようでは悪党として三流だ。
処刑人から人が離れていく。歴史上、何度も繰り返された光景だった。
二人きりになり静寂が訪れる。ゆったりとした波の音がはっきりと聞こえてきた。
立ち上がったリザ姉が、何でもないような顔で言う。
「も~ヤなやつらだなぁ。アスちゃんはもっとボコボコにしてよ。舐められてるんだよ」
元気そうな声にほっとした。
「……リザ姉ってけっこう血の気が多いよな。暴力はダメに決まってんだろ」
「この意気地なしめ~。あ~あ、昔はかっこよかったのに」
「いつの話だよ」
唇を尖らせて抗議してくるも、やり返すわけにはいかなかった。
リザ姉と出会った頃は尖っていた。両親が処刑人なので正義感に燃えていたのだろう。いじめや嫌がらせを見たら駆けつけて、大人相手にも噛みついていた。
看板娘に絡む酔っ払い客を成敗したのが、リザ姉との出会いだった。その時の印象が強いのだろう。
――人殺し。
先輩の声がリフレインする。黒の斧には取れない血が付着していた。処刑人を始めてから今日まで何十人の首を斬ったか覚えていない。汚れを落とそうと必死に磨き、神さまに祈りを捧げても呪いのようにべっとりと張り付いている。
人の罪は神さまの愛によって救われると言う。俺は愛されていないらしい。
「男の子なんだから気に入らないやつはみ~んなぶっ飛ばす! くらいの心意気が必要だよ。じゃなきゃまたアトランティスのワンちゃんとか言われちゃう」
「ワンちゃん言うな」
ため息をつく。よくしゃべるリザ姉に合わせるのは大変だ。
けれど、決して不快なわけではなく……。
――ワオォォォォォォォォン!
遠吠えが聞こえた。遠くに犬の集団がいるのだろうか。いくつもの声が重なってやかましく空に響いていた。
「噂をすれば本物のワンちゃんだ~。村の近くにいたっけ?」
「最近は見てないな。《白の箱》に連れていかれただろ」
理由は不明だが、研究者たちが周辺の犬を実験動物として連れ去っている。野生の数は減っているはずだ。
雄たけびが聞こえた村の方角を見ると、カラスがバタバタと飛び去っている。飛び上がった黒の鳥は灰色の空に吸い込まれ姿をくらました。しばらく待っても遠吠えは圧を増していく。
嫌な予感がした。
「何かあったのかもしれない。村に戻ろう……リザ姉?」
話しかけるも呆けた顔をしている。視線は遠くの空を向き、口をパクパク動かして音にならない言葉を発していた。
視線の先を追いかける。
あれは――なんだ?
それを認識した瞬間、喉の奥が凍り付いた。存在のあり得なさに視覚情報が虚しく脳をすり抜けていく。
海の……中から……何かが…………。
ズズズ――と、重厚な機関音が響く。ズパァ――と、海の唸り声が聞こえる。
村の向こう、《白の箱》のすぐそばで、鋼鉄の怪物が二つの足で海底から起き上がってきた。
大きいなんてものではない。遠近感がつかめないが、高さはアトランティス高層ビルの二倍ほど。猫背の人型であるが、頭部は恐竜のような造形をしていた。両肩に搭載された砲口から蒸気を噴出している。
その姿には神秘すら感じた。
「あれは……」
動いている。《蒸気獣》の一種だろうか。
明らかに人工物だが信じられない。現在の機関技術であれほど巨大な兵器を動かせるのか。圧倒的な存在感を前に本能的に恐怖する。本気を出せば世界が滅びるという絶望的な確信があった。
「GAAAAAAAAAAAAAA――‼」
それは、大地を震わし世界の終幕を告げる炸裂音だった。音圧が心臓の奥にまで響き、息ができないほどの圧迫感を抱く。
だが、ただの警告に過ぎない。
怪物はゆっくりと手をかざす。巨体の駆動は難しいのか緩慢な動きだが、むしろ強者の余裕のようだ。村に向かって手を伸ばし、ピタリと静止する。
――手のひらが煌めいた。
目で追えなかった。辛うじて理解できた現実は、薄暗い世界すべてを包み込む一瞬の閃光と、荒れ狂う竜巻のような爆風のみ。必死にリザ姉の手を掴み、吹き飛ばされぬよう踏ん張るので精いっぱいだった。
「――‼」
叫びが轟音にかき消される。渦巻く砂塵に視界を奪われる。遅れてやってきた熱に全身を焼き尽くされてるようだ。迸る衝撃波が頭に響く。
この世が消し飛んだと錯覚するほどの爆発だった。
やがて肌に感じる衝撃が収まってくる。恐る恐る目を開けるも――目の前の光景が信じられなかった。
村と海をつなぐ道のりは丘になっている。なだらかではあるが、両地点の視界を遮るほどの高さはあったはずだ。
それが逆にへこんでいる。隕石が落ちたように、土の盛り上がりが消し飛んでいた。視界を遮るものがなくなり村の様子がよく見える。
村は明るく燃えていた。徐々に炎が覆いつくしていく。渦中は地獄だと想像できるが、遠くから見ると明々と照らされて幻想的だった。ろうそくの炎を見つめると夢と現実の境界があやふやになるように、燃え盛る故郷はすべての輪郭を溶かして非現実の世界へといざなってくる。
「GAAAAAAAAAAAAAA!」
脳を現実に引き戻したのは怪物の叫びだった。
「……冗談はよせ。なんなんだ、あいつは」
神話の存在だ。優秀な本能が勝手に恐怖してくれる。
「――世界の……終わり……?」
リザ姉が茫然と立ち尽くしたまま呟く。視線は虚空に吸い込まれたように彷徨い、口をぽかんと開けていた。
言われてみれば、怪物は終末の獣のようにも見える。
神の怒りを具現化し、人類に罰を与えに来たように思えてしまう。
――ワオォォォォォォォォン!
また遠吠えが聞こえた。胸中に渦巻く不安が加速していく。いてもたってもいられなかった。
「――ッ! 村に行くぞリザ姉」
「う、うん……」
衝動に突き動かされ、リザ姉の手を引いて走っていく。
怪物の叫びが、世界の終末を告げるものとは知らずに。