二十八話 図書館
待ち合わせの場所と時間を決めて別れ、街を散策していると図書館を見つけた。円柱型の小さな建物で、華やかなレンガ造りの周囲とは違い、灰色に覆われた地味な石造りである。
せっかくの遠出だが、一応は仕事の一環だ。
中に入ると意外にも人で埋まっていた。机は紳士たちで埋まり、しんとした空間に本をめくる音だけが淡々と響いている。心地いい感触だった。
当然だが、ここにいる人間はみな字を読める。その教養を娯楽にさえしていると考えると、複雑な気分だった。
隣を見ると、セラは圧倒されていた。天井まで続く本棚を見上げ、口をぽかんと開けている。
「何か読みたい本はあるか?」
「え~っと……」
周囲を見渡すとジャンルごとの案内板が天井から下がっていた。
「あっちに行ってきます!」
てくてくと絵本のコーナーへ向かって行く。小走りだが足が遅いので注意は受けていなかった。子供には退屈な場所だろうに、背中は楽しげである。
「――さて」
戸惑いつつも中を見て回るとすぐに新聞の保管場所を見つけた。イーストエンドでのタブロイドとは違い、政府の認可の下で発行されたものだ。ずらりと並んだ中から三年前のものを抜き取り、ちょうど空いた席に座って広げてみる。
「…………やはりか」
思わずつぶやいた。抱いていた違和感が形になった。
『終末の獣、現る』『最後の審判か』
三年前、海から現れ地上を滅ぼした超巨大の怪物が《蒸気獣》であり、アトランティスが作ったと書かれたものは存在しなかった。地上の人類は滅びたと事実だけが書かれており、怪物の正体は面白おかしく聖書と絡めて仕立て上げられている。
アトランティスの住人は、世界滅亡が政府主導で行われたと知らないのだ。故に、アストラルを戦争の敵ではなく災害から逃げてきた難民として認識している。
他にも、アトランティスが超高度な機関技術を所持しているのを知らない。世界を滅ぼせる《蒸気獣》など夢物語のように考えているのだろう。《機関心臓》や《猛ル花弁》などがいかに超技術を駆使して造られたのかを理解していない。
この都市の新聞は複数社が出版しているが、どれを見てもあの日の真実を書いたものはなかった。翌日には別の話題が一面を飾っており、話題を逸らしたいのか興味がないのかすらわからない。
市民に対してひた隠しにする理由はどれだけ考えても邪推の域をでなかった。
諦めて新聞を畳み、別の棚から都市の地図を持ってくる。昨年発行されたばかりだからか都市の地形や施設が事細かに記されていたが、それは西側の半分のみで、団長が列車で向かった貴族街から先はすべて空白になっていた。古い地図を調べてみても、アトランティスが海に沈む前のものにしか書かれていない。
司書に尋ねてみると、どうやら防衛の観点から一般には公開されていないらしい。当然の判断かと思ったが、すでに世界が滅びている今は外国が存在しない。市民の反乱を想定しているのではないかと勘繰ってしまった。
切り裂きジャックと《蒸気獣》の関係性を調べようと最近の新聞を持って来たが、事件が掲載すらされていない。科学系の専門書のコーナーへ向かっても《蒸気獣》に関する本は一つも置いていなかった。
調べているうちに閉館時間の合図がなったので資料をしまう。結局、研究所の場所もあの日の真実もわからないままで、心臓に昆虫の卵を産み付けられたような不快感は消えないままだった。
絵本のコーナーへセラを迎えに行くと、夢中になって読みふけっていた。座る椅子の隣には党のように本が積み上げられている。あまりの集中力に声をかけるのを一瞬だけ躊躇するほどだった。
「セラ、閉まる時間だ」
はっとして顔をあげる。きょろきょろと視線を動かして周囲の人がいなくなっているの気づくと、名残惜しそうに本を閉じた。おとぎ話の世界から現実に引き戻されたときの喪失感が表情に浮かんでいる。
――その姿が、過去の自分に重なった。
本が好きなのは、遊んでくれる人がいないから。一人ぼっちで楽しむしかないから。
物語の住人が話しかけてくれる世界だけが孤独じゃなかった。セラの寂しそうな顔が、心に突き刺さった。
やはり俺たちは同じだ。
過去の自分を導くような気持ちでセラの手を引く。
物語を打ち切ってしまい申し訳なかったが、セラは満足していたのか、外に出るとご機嫌な様子だった。
読んだ本の話を聞きつつ街を歩く。
「むむむ……」
中央広場に着くと、セラは遠くに見える白亜の城をにらみつけて腕を組んだ。
「どうした?」
「シンデレラじゃなくて、ラプンツェルが住んでるかもしれません」
「……二人ともいてもいいんじゃないか」
「――っ! たしかに!」
世界の秘密を解き明かしたかの如く得意げな表情を浮かべ、ルンルンと歩いている。冷めた返事にならないよう細心の注意を払った。
城の中にはお姫様がいるとか、池の下にはカエルがいるとか。
そんな想像力は、腐り落ちてしまっていたから。
「なあセラ。……その、なんだ。楽しかったか?」
「もちろん! 図書館すごかった!」
陰りのない笑顔だった。建物の大きさを表現しているのか、両手を大きく広げている。
切なさを覚えるほど嬉しかった。幼い日々の苦しみが、少しだけ報われた気がした。
「元気になったのならよかった」
そこでふと、道の向こうにある本屋が目に留まった。
いいことを思いつく。
「少し待ってろ」
セラを道の端で待機させてダッシュする。西側の治安がいいからできることだった。イーストエンドであればあっという間に誘拐だろう。
急いで商品を持って会計。セラの下へ戻る。一人になって不安そうな表情を隠せていなかったセラに謝りつつ紙袋を渡した。
「……なにこれ?」
「開けてみろ」
緊張した面持ちで紙袋の封を開ける。セラの両目がみるみるうちに見開いた。
「これ……絵本……」
「読みかけだったろ。お詫びのシルシだ」
遠い記憶。母に同じことをしてもらったことを思い出した。
それが唯一、両親との美しい思い出だったから。同じことをしてあげたいと思った。
「…………」
セラはじっと本を見つめ、
「ありがとう」
そっと言った。手で顔を隠してしまったので、表情が見えないのが残念ながらもこそばゆかった。
「帰ろう。そろそろ合流の時間だ」
無言のまま並んで歩く。沈黙ながら心地いい時間だった。澄んだ空気の冬風が、顔に当たって気持ちいい。
しばらく歩くと団長と合流した。
「……ふむ? 随分と仲良しさんじゃな?」
ニヤリと笑う。意味ありげな団長の視線の先を追うと、いつの間にかセラと手をつないでいた。はぐれないように無意識だったのだろう。
「ま、そういうことにしておいてくれ」
「ほ~う、それはそれは。なにより、じゃな」
からからと笑い、俺の横に並んだ。
時刻が夜に近づくにつれ、夕暮れを模倣するように街灯の光が弱まってくる。
偽物の暗がりが街の影を濃くしてゆく。熱気から解放された身体を冷やしていく風が心地いい疲労感を撫でた。
「帰ろうか。話すべきことはたくさんあるじゃろうし」
団長に連れられて帰路を辿る。人波に流されぬよう、セラの手を強く握った。




