二十六話 機関心臓
団長が倒れたという報せを聞いて寝室へ向かうと、意外にもケロッとしていた。
《腐敗病》が進行している団長はよく体調を崩すのだ。倒れるのも一度や二度ではないが、その度に心配になる。
専属の医者いわく《機関心臓》の不調が原因らしい。
腐敗病が進行している団長は四肢の一部にとどまらず、内臓をも機関に置換している。《機関心臓》はその一つだ。本来は腐り落ちた心臓の代替装置だが、出力をあげれば戦闘力の向上も見込める超技術の結晶である。
しかし高性能な分だけ不調も多い。元気そうな団長を見ると、思わず安堵のため息が出た。
「大丈夫かよ。倒れた心当たりはあるのか?」
心臓の不調は大抵負荷が原因だ。
「う~む、最近は忙しくてのう。睡眠を削ったのがまずったか」
周囲を見渡すと机の上には書類が山積みになっている。寝室にさえ仕事を持ち込んでいるらしい。そういえば、ここ最近の団長は四六時中机に向かっていた。わかりやすい原因を見て脱力感に襲われる。
「寝ろ。自警団のトップが死ねばこの街はどうなる」
「むぅ……儂にしかできぬ仕事じゃからのう」唇を尖らせる。
「俺ができる分はやっておく。団長が死ねば結局仕事は片付かないだろう」
今の自警団はイーストエンドを代表する組織になっている。西側と東側をつなぐ役割として仕事量は膨大だった。
俺も自警団に入って四年目のベテランである。机上の書類を見ればある程度のことは理解できた。
「儂がくたばったらアストラルが次の団長をすればよい。儂はお主を指名する」
「……なに言ってんだ」
仕事にとりかかろうとすると、不意に団長が妄言を吐いた。
自警団の中で最も団長が似合わないのは俺だ。人を束ねる力どころか、まともに人と関わる努力すら放棄している。恐れられるべき処刑人が務まる仕事ではない。
「一番適しておると思うのじゃがのう」
「《腐敗病》で目も腐ってきたのか?」
「消去法じゃよ。団長は難しい仕事。感情より理性を優先するべき場面があまりにも多い。務まるのはお主ぐらいになるものじゃ」
……言いたいことはわかるが。
イーストエンドで生き抜くには何を捨てるかの判断が重要だ。感情に流されず全体の利益を追求できる精神力は必要だろう。
ある意味、俺はその条件を満たしている。
「儂はそろそろ死ぬ。そのとき、自警団の未来を担えるのはお主しかおらぬよ」
「よしてくれ縁起でもない。まだ三十を過ぎたくらいだろう」
否定するも、団長の優しい表情を見ると察するものがあった。
「イーストエンド基準では大往生じゃよ。ただでさえ儂の《腐敗病》は末期。《機関心臓》の稼働制限もそろそろじゃろうしな」
理解していたが、改めて言葉にされると複雑な思いがあった。
内臓を置換するほど進行しているのだ。あの《機関心臓》はあと何回拍動できるのだろうか。
言葉にならないため息が冷たい空気の中に溶けていく。肺の奥に氷塊を入れられたような冷たい痛みがあった。
「……疲れて弱気になってるんだよ。とにかく寝ろ」
団長は納得いかなそうに抗議の声を漏らす。
だが疲れが蓄積していたのか、数分もしないうちに瞼が陥落した。
寝息すら聞こえてこない、死んだような眠りだった。
仕事量は膨大だった。
自警団は名の通りイーストエンドの治安維持を目的に設立されたが、事実上の統治者である。西側から受けた支援の分配や現状の調査など仕事は多岐にわたった。加えて、機密情報が多く人には頼れない。
とはいえ、期限までに終わらせなければ街が崩壊する。太陽の届かないこの都市で農作物が育つのは西側の特殊な施設だけだ。食糧支援を受けられなければ全員が飢え死にする。焦燥感が身体を突き動かし、気づけば朝になっていた。
「うっそだろおい……」
俺ができる仕事だけを選んでこれなのだ。まだ書類の山は半分も減っていない。
冷静に考えればこれを一人で片づけようとは思わないだろう。それでも団長が誰にも頼らなかったのは……多分、他人を信用できなかったから。
俺に仕事を任せてくれたのは、どういうわけかわからないが。
疲労でぐったりと椅子にもたれかかっていると、朝を告げるチャイムが鳴った。次第に建物が騒がしくなってくる。
しばらくすると、慌ただしいノックとともに団長が俺の部屋へとやってきた。
「すまぬ! うっかり八時間も寝てしもうた!」
「アホかもっと寝とけ」
睡眠の様子は健康と言い難いものだった。少なくとも一週間は休養が必要なはずだが、団長は怠惰だったとでも言わんばかりの表情をしている。
「仕事は……む、意外に進んでおる……?」
団長は机の書類を手に取り、高速でチェックしていく。鋼鉄の指先が目にもとまらぬスピードで動いていた。
強化された身体能力が事務仕事に使われている……。
一通り確認すると、団長はほっとしたように無言で頷いた。
「俺ができる者に限られるが、進んでるってわかっただろ。早く寝室に戻れ。まだまだ顔色は悪いぞ」
「う、うむ……」
だが、どこかもどかしそうに腕を組んだ。
「どうした? 不備でもあったか」
「いや――もう少し早く、お主に任せればよかったのかと思ってのう」
苦笑いをする。寝起きだからかテンションが低く、蓄積する疲労を隠しきれていなかった。身に着けている鉄面皮が、ほんの少しだけ剥がれたような気がした。
「お主の言う通り今日は休もう。実のところ、頭が割れそうなほど痛いのじゃ」
「だろうな。死人の表情だ」
団長は書類を置き、フラフラとした足取りで扉へ向かう。
その途中、思い出したように振り向いた。
「……と、その前に一つ。明日は西側への出張が必要なのじゃ。ついて来てくれるか?」
「俺がか?」
団長は月一回ほどのペースで西側に行く。イーストエンドの窓口としてお偉いさんとの話し合いが必要なのだ。
「まず通行許可がないだろ」
《嘆きの壁》の向こう側へ行くために四苦八苦している。それが出来れば苦労はしない。
「大丈夫じゃよ、お前も何度か見たじゃろうが《嘆きの壁》の検問所は意外に警備が薄い。一回くらいなら目を盗んで通過できるじゃろう」
「薄いか……? 本当か……?」
通過できる検問は狭く、常駐している警備員に加えて腕の立つ騎士団員も複数名いる。全員の目を逃れるのは至難に思えた。
「そこまでして何をしに行くんだ」
「お偉いさんとの話し合いじゃよ。イーストエンドへの支援物資は日に日に少なくなっておる。交渉が必要じゃ」
「なぜ俺も? 同席は出来ないだろう」
「アストラルには儂の後を継いでもらわねばならぬ。今のうちに西側の様子を知っておいてもいいじゃろう。ちょっとした旅行じゃな」
当然とばかりに言われて複雑だった。
あの発言は本気だったのか?
「俺は団長なんて――」
「とはいえ西側には行きたいのじゃろう。真実を確かめるために」
「……」
見透かしたように笑う。
俺が戦うのはこの街を守るためではない。自分の仕事はこなしているが、団長と志を同じくしてはいない。
「それに、切り裂きジャックから《蒸気獣》の音がしたと報告したじゃろう。怪しいとは思わぬか」
「まあな」
切り裂きジャックと政府の関係性を探るのは一つのアプローチだ。
「で、どうやって検問を突破するんだ」
渋々と諦めた俺を見て、団長はにっこり笑った。
「儂が芸で周囲の注意を引く。その隙に突破すればよい」
「……ちなみにどんな芸が?」
「腹踊りじゃよ。こう、腹に色を塗ってな――」
団長は腹をだし、ベッドの上でぽんぽこ踊る。
そこは団長の身体でも数少ない鋼鉄に置換されていない場所だった。
「却下だ。仮にも自警団のトップがみっともない」
痴態である。
団長は不満そうに唇を尖らせた。
「むぅ、ならばこれはどうじゃ」
部屋を飛び出し、数分後に戻ってきた。
手には真っ黒の服を持っている。一見すると小さいが、伸縮自在の材質らしく、全身をすっぽりと覆うものだ。
「迷彩す~つじゃ。これを着て儂の鞄の中に入ってしまえばいい。手荷物検査はあるが、息をひそめておけば見つからんよ」
「さすがに無理があるだろ。というかそれはどこから用意したんだ」
人間ほどの大きさのものが入っていたらさすがに怪しすぎる。触って確認されたら終わりだ。
「やらずに無理と言うものではない。とにかく一度着るんじゃ。この服は隠密行動にも適しておる」
「却下だ。そんな格好で見つかったら街中を歩くだけで通報される」
「団長命令を聞けないと? せっかく西側を見る好機だと思うのじゃが」
「……卑怯な」
屈辱だったが、チャンスを逃すのは惜しかった。大きなため息をつきつつ珍妙な服を受け取る。
服の上から袖を通して全身を覆ってみる。ぴっちりと身体にまとわりついたが、運動の妨げになるような感覚はなかった。薄いわりに生地は風を通さず悪くない。機能性は抜群だった。
「ぐ……実用性はあるのが悔しいな……」
部屋の鏡を見るとなんともマヌケな姿だった。ビシッとポーズをとってみてもへんてこだ。処刑人としてのイメージが崩れそうなものだが……。
その時ふと、部屋の扉が開いた。
「アストラルさん、起きてます? そろそろ行かないと遅刻です――」
瞬間、空気が凍り付いた。
恐る恐る扉の方を見ると、起こしにきたであろうソーニャが直立不動のまま固まっている。持っていた鞄を地面に落とし、ぽかんと口を開けて俺を見ていた。
「よ、よお。おはよう」
「……何やってるんです?」抑揚のない声だった。
「何って……隠密潜入の訓練?」
恐る恐る言うと、ソーニャは俺の全身をくまなく観察して、
「今日はお休みにしましょう。疲れてるんですよ」
蔑んだ目を向けたまま病室の扉をそっと閉じた。
「ああっ! ちょっと言い訳をさせろ! これは真面目にやってるだけだから!」
慌てて部屋を飛び出して追いかける。「こないでください!」と叫びながら逃げ回るソーニャを何とか捕まえて事情を説明したが、あまり納得していないようだった。騒いだせいで集まる視線が痛かった。




