二十五話 祈り/回顧
夕食の時間になったのでセラを呼びに行くと、部屋はもぬけの殻だった。同室のソーニャに聞いても行先を知らない。慌てて二人で探していると、庭のベンチに腰かけている姿を発見した。
「セ――」
呼ぼうとして、止める。
ロザリオを手に、手を組んで祈りを捧げていた。目をつむって静止する姿は、妙にサマになっていた。
イーストエンドでは既に信仰が廃れている。街の教会は荒れ果てており、聖職者はみな西側へと逃げ出した。祈りを捧げる人間は珍しい。その姿は幼いながらも儚さと美しさが同居していた。
……だからこそ不安になる。祈りとは基本的に弱い行為だ。何かが満たされないから、欠落しているから、それを埋め合わせるために神に希う。
しばらくして目を開けるとこちらに気づいた。やや気まずさがありながらも俺たちは近づく。
「敬虔なんだな」
「……?」
首をかしげる。言葉の選択を間違えた。小さい子とのコミュニケーションは難しい。
悩んでいると、ソーニャが微笑んで言った。
「真面目に祈っていてえらい、ってことです。セラちゃんにはきっと神さまの祝福がありますよ」
元が教会関係者だからか自然な言葉だった。母のような温かさで頭を撫でる。
セラはほっとしたように目じりを下げた。
「パパに会いたいですから」
言葉の意味がわからなくて戸惑う。父なる神のことを言っているのかと思ったが、それならパパなんて軽い言い方はしない。
セラは俺たちの疑問を察したのか、訝しむように目を細めた。
「ずっとずっとお祈りすれば、いつかパパに会えるって言ってました。天国にいけば、会えるって」
「……」
ああ、俺のバカ野郎。
セラに視線を向けられたのに、俺は笑顔を作れなかった。
本当ならばすぐに「そうだな。会えるといいな」と返さなければならなかった。言葉に詰まってしまったせいで、不自然な会話の隙間が生まれてしまう。
それで何かを察したのか、セラの顔に陰りが差す。
「祈り続ければ、きっと、セラちゃんも天国に行けますよ」
ソーニャの励ましが空虚に響いた。
戸惑ったようにセラは視線を泳がせていたが、すぐに陰のある笑顔を浮かべた。どこか理性の欠けたような仕草でロザリオをぎゅっと握りしめ、懐かしむような瞳で手元を見つめていた。
盲目的な、悪い意味で信仰心に満ちた眼差しだった。
セラの姿を憐れに思いつつも、同時に親近感を抱く。
俺たちは同じなのだ。戻らない大切な人のために祈り続けている。多分、たくさんの寂しさや辛さを押し殺しながら。
違うのは罪の重さだ。間違いなく俺は地獄に落ち、天国のリザ姉には会えない。一応は祈り続けるが、心の奥では無理だろうと諦めていた。イノセントなままのセラが羨ましかった。
冷たい風が吹く。空虚な洞窟に吹き付ける寒風のようだった。
「早く部屋に戻ろう。夕食の時間だ」
むなしさに耐えられなくて場を終わらせる。セラは「ですね」と立ち上がり、てくてくと水道へ向かって行った。
二人になると、ソーニャはぽつりと切り出した。
「力になりたいです、私」
「そうか」
「多分、同情ですけど。セラちゃんは昔の私なんです。寂しくて、辛くて、祈るしかなかった、幼いころの私なんです」
ソーニャにちらりと視線を向けるも、背けられて表情は見えなかった。彼女の声音は在りし日の母親を想起させた。
自分が何をしたかったか、何をしてほしかったかを思い出す。
「じゃあ一緒にいてやれ。それだけでいいだろ」
「……私もそう思います」
ソーニャはコクンと頷いて、セラを追って足を速めた。
× × ×
闇に飲み込まれそうな感覚と共に、団長ことヨシタカは跳び起きた。
呼吸が荒い。胸に埋め込まれた偽物の心臓――《機関心臓》が大きく拍動している。
時刻は深夜三時。書類仕事の途中で眠っていたらしい。団長室に立てかけられた時計がチクタク、チクタクと時を刻む。
底冷えする冬の夜は機関暖房のないこの部屋では堪えるのか、全身が震えている。急いで上着を着るも内臓まで冷え切っているようだった。
寒い夜だ。ふと窓の外を見ると、空に黄色い円形のものが浮かんでいるように見えた。満月かと思ったが、海底都市から見えるはずがない。ただ街灯が光の加減でそのように見えているだけだった。しかし不思議なことに、じっと見つめていると次第に頭が倒錯していくような感覚に陥った。昔から月の光は人を狂わせると言われているが……。
「――ガフッ」
突如、身体の奥から熱いものがこみ上げて何かを吐き出した。手にべったりと赤いものが付着している。
全身が激痛に襲われた。思考が冴えない。《腐敗病》で蝕まれていく身体に鞭を打った仕事が良くなかったのか、臓が動くたびに内臓が蝕まれ、機関の熱で身体が内部から焼き尽くされていくような感覚がある。
「はは……」
自嘲する。極東で戦場を駆け抜けたヨシタカにとって死は恐怖ではない。だが、つまらない病気で部下を残して逝くのは無念だった。
現在のイーストエンドを取り巻く状況は厳しい。人口を養えるだけの食料はなく、依然として犯罪率は高いまま。政府からの援助はないどころか、この街を潰そうとしているのではないかという噂まで聞こえてくる。
そんな状況で、死ぬわけにはいかなかった。
最悪の場合、西側との戦争も選択肢に入る。
そして、最悪の分岐点は、すぐそこにまで迫っている……。
「いや……何をバカなことを」
首を振る。自警団が武装したとて、西側には世界最高戦力を持つ騎士団に加え、最新の機関兵器も勢ぞろいしている。そのような戦いに挑めるはずがない。武士として生まれたせいか、血の気の多い選択を好む傾向にあった。
だが。状況を打開する一手は必要だ。本当は、切り裂きジャックを相手にしている時間などないのだ。
歯噛みする。激痛で動かない身体煩わしかった。
無力感に苛まれて大きく息を吐いた。考えすぎてしまうこんな夜は、無理に眠らない方がいいだろう。枕もとにあったラジオを最小音量でつける。ガガ――ガガ――という音とともにサッカーのトーク番組が流れてきた。昼にあった試合の振り返りだ。
……不意に、憎たらしい顔が脳裏に浮かぶ。
サッカー番組を聞くようになったのはシグリッドの影響だった。彼に誘われてサッカー中継を聞いているうちに、すっかり詳しくなってしまった。
袂を分かってからもサッカー中継を聞く習慣は抜けない。
『なァヨシタカ、いつか西側に行けたら、スタジアムに行こうぜ』
……在りし日の約束がリフレインする。イーストエンドにサッカースタジアムはなく、観戦したことはなかった。
番組を聞いてるうちに昔のことを思い出し、胸がきゅっと痛んだ。シグリッドと出会ったのもこんな寒い夜だったからだろうか。目元が僅かに滲んだ。しかし現実に引き戻されて辛くなる。
『へェ、いい剣術じゃねェか。オレはシグリッドってんだ。よろしくな』
極東からこの都市に来たばかりで独りだったヨシタカに声をかけたのはシグリッドだった。
『この街を救いてェんだ。手を貸せヨシタカ。てめェの力が必要だ』
「ガハッ――」
孤独が内臓をすりつぶすかのように、押しとどめていた血が再び口からあふれ出す。
同時に視界が黒く塗りつぶされていく。
――マズイ。誰か…………。
胸中で助けを呼ぶころには、意識が闇に飲み込まれていた。




