二十一話 セラ
「なんですか何なんですかあの人は! あ~~~~~~~~もう!」
交渉が終わり部屋を出ると小声でブチ切れた。八つ当たりをするように俺の胸をポカポカと殴ってくる。俺も相当腹が立っていたが、自分より怒っている人を見ると不思議と冷静になった。
「落ち着け。内容としては百点に近い勝利だ」
「本当ですかぁ? なんか怪しくないです? 勢いでサインしてよかったんです?」
責めるような視線で訊いてくる。
個人的に葛藤はあった。《蒸気獣》の情報を追っている俺にとって、切り裂きジャックから得られる証言は貴重だ。独占されるのは抵抗があったが、個人の感情で組織の利益を損ねるわけにはいかない。
「大丈夫だろう。変に騙して両組織の関係をいたずらに悪くはしないだろうよ」
願望に近い考えだったが、間違っているとは思わなかった。
来るときと同じくメイドに連れられて建物の外へと案内される。会話は聞こえたかもしれないが、問題ない範囲だ。
「失礼ですが、お二人は切り裂きジャックに詳しいのですか」
ふと、メイドが振り返って訊いてきた。控えめな物言いながら、探るような視線を向けてくる。
言葉の意図はわからないが、率直に答える。
「それなりに。最近はずっと追っていますし、タブロイド以上の資料もあります」
「切り裂きジャックは恐ろしい殺人鬼だと聞きます。彼女の正体を突き止めたとして、捕らえるほどの腕に覚えは?」
「もちろん。処刑人の名にかけて絶対に逃さない」
背負った斧の柄を握る。誓いを立てるように強く言い切った。
「処刑人…………ああなるほど。あなたが死神ですか……」
得心したように頷く。不名誉な形ではあるが、死神の名は広まっているのだろう。少し複雑な気分だった。
メイドは品評するように俺とソーニャの顔を見つめる。
僅かに空気が張り詰める。思案するようにメイドは沈黙したが、やがて建物の外に出ると恐る恐る口を開いた。
「少しお時間をいただけますか。会わせたい人がいるのです」
困惑したが断る理由がない。了承してメイドの後ろをついて行く。
建物の側面に回り、細い路地に入る。街灯の明かりが届かないのか薄暗い場所だった。
しばらく進んでいると、前方から誰かがやってきた。
「あれれ、お客さんですかぁ?」
「……子供?」
澄んだ声の小さな女の子だった。見た目は五歳くらいだろうか。子供用と思われるフリルたっぷりの可愛らしいメイド服を着て近づいてきた。スカートが横に広がっていたりとやや実用性に欠けるデザインである。動きにくそうに足を動かして近づいてきた。
……ずっとここで待機していたのだろうか。
ヒヤリと冷たいものが背中を伝っていく。自警団の統計上、薄暗い路地では犯罪率が跳ね上がるらしい。子供がこんな場所に一人でいてはすぐにでも誘拐されかねない。容姿の優れた女の子はなおさらだ。
蒼い目が輝き、丁寧に結われた金髪のおさげがフリフリと揺れている。
「わたしが案内します! どちらへ行きま……す……か……?」
いきなり声量が小さくなり、首をかしげる。何を見ているのかと振り向くと、ソーニャが口をあんぐり開けていた。
「あのときのメイドさん! ここのメイドさんだったんですか⁉」
互いに指をさす。ソーニャのこんな大声を聞いたのは初めてかもしれない。
「なに、君ら知り合い?」
「え~っと……実は……」
ばつが悪そうな顔をする。問い詰めてみると、歯切れ悪く以前の出会いを語ってくれた。
危ないことをするなと説教したかったが、反省しているようなので不問にした。なにより、楽しそうなソーニャの水を差したくない。ソーニャはほっと胸をなでおろし、弾むような笑みを浮かべてセラに抱きついた。
「やっぱりかわい~~~~‼」
見たことないほど目を輝かせている。少女も満足そうな顔でなでられていた。モチモチと引っ張られている頬は良好な栄養状態を想像させる。犬を手懐けるような光景だった。
……こいつもこんな顔をするんだな。
様子を見ていたメイドは微笑みを浮かべてた。
「紹介します。私の娘で、メイド見習いのセラです」
「「……娘⁉」」
俺とソーニャがメイドのそろってメイドの顔を見る。所帯じみた格好だからか華やかさはないものの、まだ幼さの片鱗が残る美貌は十代後半のものである。
メイドは照れくさそうに咳払いをした。
「初めまして! セラです!」
女の子は深々とお辞儀をする。教育が行き届いているのか堂に入った所作だった。
仕草だけで育ちの良さが見て取れる。
「昨年より母娘ともども《ホワイトシグリッド》で仕えさせていただいております。以後、お見知りおきを」
「……すごいな」
皮肉な呟きが漏れた。
野暮な衣装をまといつつもなお上品さが滲み出ている。本来は上級貴族に仕えるような人だろう。泥中の花のようにこの街では特異だった。
どこから金がでているのだろうか。
東洋出身のヨシタカがリーダーの自警団では質素倹約を是としている。シグリッドがその方針に反発しているのは知っていたが、彼女を雇うほどの贅沢趣味は不自然に思えた。
「お客様――いえ、処刑人アストラル様。あなたの実力を見込んで頼みがあります」
メイドは愛おしそうに我が子の頭をなでる。冷たい美貌の奥に、母親の顔が滲み出た。
「これから《ホワイトシグリッド》は切り裂きジャックとの戦闘態勢に入ります。組織の者は積極的に狙われるでしょう。事件が解決するまでの間、この子を預かってくれないでしょうか」
「……なるほど」
切り裂きジャックの事件は《ホワイトシグリッド》本部の周辺で多発している。他の地区に比べて危険度は数段上だろう。
ソーニャと出会ったときも危ない目に合っていたという。この街は子供一人では歩くことすらできない。かといって家に閉じ込めておくのも難しいだろう。
「もちろん報酬は弾みます。この子の世話にかかる出費もすべて負担します。無茶なお願いであることも重々承知ですが……どうか引き受けてはくださらないでしょうか」
メイドは深く頭を下げる。事を理解していない娘の手を握り優しく包み込んでいる。
「《ホワイトシグリッド》ではなく、あなた個人の依頼ですか」
「はい。シグリッド様は大変面目を気にされるお方。あなた方に借りを作ったと知られれば叱られてしまいます」
わざわざ路地に移動したのはそういうわけか。
当然だが、組織に属する人間にもそれぞれの思惑がある。
「親のひいき目ではありますが、セラは可愛らしい子です。しかしこの街でそれは罪。複数の組織がセラを誘拐しようと計画しているとの噂も聞きました。突然の襲撃をシグリッド様に助けていただいたこともありますが、《ホワイトシグリッド》が紛争状態になればそれも難しくなります」
ちらりとセラを盗み見る。罪になるほどの可愛らしさは誇張表現ではなかった。
それは俺が守るべきもののように思える。子供の笑顔すら守れない大人になりたくはない。
だが、組織としては難しいものがあった。
「……申し訳ないが、見送らせてください」
「えっ」
先に反応したのはソーニャだった。信じられない、といった風に非難の視線を向けてくる。
「なんでですか。アストラルさんは何が不満なんですか。セラちゃんはこんなに可愛いのに何がダメなんですか!」
「可愛いのは関係ないだろう」
「ありますよ! もし断ってセラちゃんが死んじゃったら後悔しないんですか。助ければ良かったと思わないんですか」
ソーニャが熱弁する。余程気に入ったのだろうか。
言い分はわかるが感情だけで仕事はできない。
「雇われの身とはいえ、セラは《ホワイトシグリッド》の人間だ。自警団の内部に入れるのは難しいだろう」
「は~~~? そんなしょーもない大人の事情でセラちゃんを見捨てるんですか⁉ セラちゃんも怖いところにいたくないですよね?」
セラはちらりと母に視線を向ける。メイドが頷くと同じように首を縦に振った。
「はい! お客さんといっしょに行きます!」
「ほら~セラちゃんもこう言ってますよ」
……行くと宣言しただけで、行きたいとは言っていない。
少女がワガママを言える街ではなかった。
「色々面倒なんだよ。情報漏洩でもしたらどうする」
「バカなんです? セラちゃんがすると思いますか常識的に考えて」
まあ……それはそうなんだが。
さすがに無理のある理屈だった。この街で過ごしていると猜疑心が強くなりすぎる。真っすぐなソーニャの瞳に射抜かれて自分の言動を恥じた。
「もう一つ理由がある」
「なんです」不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「……俺は子供が苦手だ」
ソーニャが目を丸くする。あまりに幼稚な理由に呆れたのだろう。
だが、セラを受け入れたくない一番大きな理由だった。
無邪気さが苦手なのだ。醜く汚れた俺の心が光に暴かれるようで辛くなる。
ソーニャは苦笑した。
「じゃあ私が面倒を見ますよ」
「犬猫じゃないんだぞ。そんな軽々しく……」
「それでも構いません。アストラル様、どうかお願いできないでしょうか」
静観していたメイドが再び頭を下げる。セラも不安そうな目を向けてくる。
三つの視線が俺に集中し、いたたまれない雰囲気が出来上がる。
俺は渋々頷いた。




