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十六話 ソーニャの祈りⅡ

 切り裂きジャックの事件は終わりませんでした。生き残った子供だけで犯行を続けているのか、他に犯人がいるのかはわかりません。翌日も被害の通報を受けたらしく調査をしに行くと、やはりナイフで肉体を切り開かれた死体がありました。周囲に聞き込みをしても被害者の悲鳴を聞いた人はいません。手掛かりの一つもありませんでした。


 諦めて別件の調査に向かうと、そこでまた殺し合いが発生しました。


 どうやら切り裂きジャックの模倣犯がいると何度も通報を受けていたらしいです。模倣犯と断定しているのは、死体の損壊度合いが浅かったり、被害者の悲鳴を聞かれているなどいくつも本家と食い違う証言が出てきたからだとか。おかげで聞き込みと調査を続けた結果、犯人グループと思われる二人組の拠点を突き止めました。


古びた石造りの家屋の二階に早速乗り込むと、痩せこけた男二人が食事をしていました。アストラルさんの顔を見るなり状況を悟ったのか壁に掛けてあった《蒸気銃》を手に取りましたが、発砲する前に黒の斧で首を落とされました。二人目は最初から戦意がなく泣いて謝罪をしていましたが、アストラルさんは容赦なく斧を振りました。引き出しの中に隠してあった血濡れのナイフと二人の生首を回収し、本部に戻っても私は納得できませんでした。反省する犯人を殺す必要はあったのでしょうか。これ以上の被害を防ぐために必要だと理解しても、平然と殺すアストラルさんを受け入れられません。


さらに翌日も戦闘になりました。私と同じくらいの年の女の子が放火の犯人だと通報を受けて現場に向かい、いくつもの証言を集めて彼女のもとへ行くと、女の子はすでに狂っていたのか高笑いをしながら自分の家に火を放とうとしていました。慌てて私が抑え込むように止めましたが、女の子の不可解な怪力に押されて拘束できず、結局アストラルさんが首を刎ねて決着しました。花も恥じらう乙女の年頃なのに、この街にはびこる病気のせいか顔は三日月のように歪んでいます。リビングに飾ってあったモノクロの写真にはかわいい女の子が幸せそうな顔で家族と映っていました。


 アストラルさんの実力は本物でした。少女らに襲われたときが例外中の例外で、それ以外は危なげなく仕事をこなしています。私は役に立たないどころか守られるばかりのお邪魔虫にしかなっていません。彼の殺人に文句を言おうとついて来ているのに、守られてばかりの無力感で口を閉ざしてしまいます。無表情のアストラルさんに殺されていく光景を見るたびに、やるせない気持ちになりました。


 仕事が終わって車に乗っても心のつっかえが取れず、不機嫌で可愛くない顔をしてしまいます。いまの私は失礼な態度をとっていると自覚があっても心のもやもやが許してくれず、重くなっていく雰囲気に責任を感じてさらに落ち込んでしまいます。


 本部に帰って団長に報告すると、嫌な疲れが押し寄せてきました。どうにも体の調子が悪いです。嫌なことを忘れてもう寝ようと自室に入ろうとすると、アストラルさんが話しかけてきました。


「顔色が悪いけど平気か」


 淡白な言葉でしたが、おそらく気を使っているのでしょう。あまり平気ではありませんが弱みを見せるのがシャクだったので突っぱねます。


「いつも死んだような目をしているあなたが言いますか」

「俺はもうずっとこれだからいいんだよ。けどお前はそうじゃないだろ。ここまで静かなソーニャが続くと、ちょっと困る」

「なんですかいつもの私はうるさいって言いたいんですか」

「落ち込む必要はないってことだ。新参者なんだからできなくて当然だ。調子が悪いなら休んでもいい。別の部署に移ってもいい」


 アストラルさんは目をそらしつつ、やや言葉に詰まりながら言いました。

 もしかして、励まそうとしているのでしょうか。表情はぶきっちょなのでよくわかりません。


「……それじゃあなたを監視できないじゃないですか」

「頑固娘め……。危ない仕事だから下がっていて欲しいんだがな」


 呆れたように、そして心配そうに私を見つめてきます。

 なんとなくその瞳が優しげで、ほんの少しだけ温かい気持ちになりました。


「次こそ私の強さを証明してあげますよ」


 けれど素直にお礼を言えなくて、強がった言葉ばかりがでてきます。

 もう少し頑張ろうと思いました。






 翌日の仕事は休みになりました。本来の休みは日曜だけですが、アストラルさんが「気分が乗らない」と言って部屋に引きこもったのです。絶対に嘘だと問い詰めましたが口を割らず、暇を持て余すことになりました。


 しかしイーストエンドに友達はおらず、街のこともよく知りません。みんな働いているので誰かを誘うのも気が引け、仕方なく一人で街を歩くことにしました。この数日で治安の悪さを思い知ったのでフル装備です。


 街は相変わらずの灰色でした。聞くところによると、どこからともなく流れてきた機関排煙が原因であり、長時間触れ続けると《腐敗病》に侵されるのだとか。


 ですが不思議です。機関工場のほとんどは西に集中しており、イーストエンドの周辺にはほとんどありません。西の空気はほとんど汚れていないのに、なぜイーストエンドだけが霧に覆われているのでしょう。また西に住んでいたころには《腐敗病》なんて聞いたことありませんでした。政府は把握しているのでしょうか。


自分の無知と性悪さが嫌になります。《腐敗病》ですっかり変わり果ててしまった人を見ると罪悪感が芽生えると同時に、醜いものに対する嫌悪のような思いも生まれてしまうのです。彼らは何も悪くないのに、救われるべき被害者なのに、醜悪に歪んだ姿に心がびっくりして目を背けてしまいます。私はそんな卑しい人なんです。


 目をそらしてはならないと自分に強く言い聞かせ、街を歩いて行きます。休息の日なのに心はぐったりしていました。


「――ガキが逃げた!」


 ふと、路地の奥から男の声が聞こえてきました。粘りつくような空気を切り裂いて怒声が響いています。


 何が起きたのでしょう。


 不吉な予感がしました。今は一人で守ってくれる人は誰もいません。とはいえこのまま見過ごすわけにもいかず、搾りかすのような勇気をもって声の方へと足を向けました。


 冷静に考えると危険な行動ですが、そうすべきだと思ってしまったのです。


 しばらく歩いていると、路地の奥から小さな女の子が走ってきました。


 思わず固まりました。


 五歳ほどであろう少女は、メイド服を着ていました。でてくてくと逃げています。どすどすと荒っぽい複数の足音が急速に迫っているのに、稚拙な逃げ方で私の方へと向かってきました。


「か、隠れてください……っ!」


 私は頭が真っ白になり、とっさに身体が動いてしまいました。女の子の手を無理やり引いて茂みの方へと押し込みます。メイド服の少女は混乱したように目を白黒させていましたが、私にされるがまま暗がりの奥へと転がっていきました。


 すぐに男たちが追い付いてきました。


「どこにいきやがった!」


 いかにも荒くれ者といった風貌の男が三人。見失ったのかきょろきょろと探しています。


 目が合いました。男たちは戸惑った様子だったので、私はメインストリートの方を視線と顎で指し示します。


「ありがとな!」


男たちは下卑た笑みを浮かべ、迷いなく走り去っていきました。怒りに満ちた足音が次第に遠ざかっていきます。完全に聞こえなくなると、私は思わず座り込んでしまいました。


 どくっ、どくっ、どくっ、どくっ――


 心臓は爆発しそうなほど暴れ、背中は汗でぐっしょりです。冷静になってみると、とんでもないリスクを冒してしまいました。アストラルさんがいたら怒られてしまいます。肺に溜まった空気を押し流すため大きく息を吐きました。


「あの……」


 茂みから女の子が出てきました。振り向くと、心配そうにのぞき込んできました。


 ――全身が痺れるようでした。


(わ……きれいなまつ毛……)


 女の子の顔が至近距離に来て、安堵や心配より先に魅了されてしまいました。

ぱっちりとした大きな瞳、弾力を思わせる白い肌、煌めくほどの眩しい金髪――

 可愛らしさの具現化と言えるほどの少女が目の前にいました。フリルたっぷりのメイド服という浮世離れした格好もあってか、現実の人間だと実感できません。


「ありがとうございます。このたびはごめいわくを……」


 申し訳なさそうな顔でぺこりと頭を下げます。私は慌てて身なりを整えて否定します。


「大丈夫大丈夫! それよりあなたが無事でよかったです」

「ですが……なにかおれいを……」


 可愛らしい顔が申し訳なさそうにくしゃりと歪みます。

 いい子なんだろうなと思いました。


「う~ん、別にいいのですが」


 恐縮そうに肩を縮めています。このまま譲り合いを続けていると男たちが戻ってきてしまうかもしれません。


 ふと、思いつきました。


「じゃあ、この近くの教会の場所を教えてくれない?」


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