十一話 死を想え
ソーニャが割り振られた部屋は俺の隣だった。部屋に積もった埃を二人で掃除していると、むっつりしていたソーニャが口を開いた。
「私は、あなたの仕事を認めていません」
見ると、雑巾で床を拭いていた。神経質なほど丁寧に磨いている。
掃除が始まってから一度も目が合っていなかった。
「私は、人殺しなんてやりませんよ」
軽蔑するような言葉だが、そこまでトゲはなかった。むしろ彼女自身が苦しんでいるように聞こえた。
「別にいい。最初から処刑屋の仕事をやらせるつもりはない」
腹が立つどころか、むしろほっとしていた。
けれど、どんな顔をして言えばいいかわからず、背を向けたまま返答をする。
「処刑屋は市民に恐れられるものだ。ソーニャがするには、少し可愛すぎる」
ソーニャはぴたりと手を止める。
「……バカにしてます? それとも口説いてます?」ぶきっちょに言った。
「事実だ。ちびっ子が街の見回りをしても犯罪の抑止にならない」
「やっぱりバカにしてますよね!」
振り向いて「しゃー!」と威嚇してくる。子猫のようだった。
「私だって強いんです! 戦えるんです! 小さいからって侮らないでください!」
「……少なくとも街の見回り中は喋らない方がいいだろうな。声が幼すぎて舐められる」
「ひ、人が気にしてることを~~~~っ!」
騒がしく嚙みついてくる。不満はわかるが、処刑屋の仕事に連れて行きたくなかった。
危険な仕事だ。殺し合いが日常となり、リスク管理を見誤ればすぐに死ぬ。自分一人でも精いっぱいなのに、仲間を守れる自信はなかった。
……俺は、リザ姉を守り切れなかったのだから。
それに、この仕事を続ければ殺人から逃げ続けるのは不可能だ。いずれ殺す時が来る。無垢な少女に……リザ姉に似た少女にそんな罪を背負わせたくない。
罪人は俺一人で十分だ。
「ソーニャは何もしなくていい。戦う必要なんてないんだ」
こんなちびっ子に命をかけさせるのは間違っている。
素晴らしい提案をしたはずなのに、ソーニャは唇を尖らせた。
「私にごくつぶしになれと? この私に?」
「イヤイヤ尽くしでお前は何がしたいんだ」
「人殺しは認めませんけど、あなたとは絶対に違うやり方でしますけど、だからといって仕事を放棄したくはありません。助けてもらっておいて、拾ってもらっておいて、借りを返さないほど恥知らずではありません」
「難儀だな……」
律儀なくせに頑固すぎる。認めないなんて失礼な宣言をするくせに、それ以外の筋を通そうとする。いっそ完全に俺を嫌って離れてくれれば楽だったのに。
「あなたが大雑把すぎるんですよ。例えばほらここ!」
いつの間にかすぐ後ろに来ていたソーニャが、びしっと壁の一点を指す。
「汚れが全く落ちてません……力任せにこすっても汚れが広がるだけですよ」
「どうせ汚れるから一緒だ」
窓を開ければ排煙で汚れた空気が入り込んでくる。部屋を清潔に保つのは不可能だ。
「そのたびに掃除をするんです。すぐに汚れても、何度でも」
ぴしゃりと言い切る。母親が子供に諭すような口調だった。
思わずため息をつくと、じと~っとした目で睨まれた。
「……あなたの部屋は綺麗です?」
「もちろん」
「これ終わったら掃除をしましょう。私の掃除を手伝ってくれたお礼も兼ねて」
「綺麗って言ったよな」
話を聞いていない。汚いものだと決めつけて、強引に話を進められる。
「なんですか見られたら困るものでも?」
「そりゃ一つや二つは」
ソーニャは「え……」と俺の目を見つめ、みるみるうちに顔を赤らめた。
キッ、と眉を吊り上げ、しっぽを踏まれた子猫のように声を荒げる。
「い、いかがわしいものですか⁉ 人には見せられないあんなものやこんなものが⁉」
「なんでいかがわしいもの限定なんだよ!」
「騙されませんよ。部屋の汚れは心の汚れ。ちょっとチェックしてきます!」
「あ、おいこら!」
すたすたと部屋を出て、隣へと向かって行く。
慌てて追いかけると扉の前で固まっていた。
「……入ってもいいでしょうか」
背中を向けたままおそるおそる訊いてくる。感情のままに部屋の前まできたが、踏み込むのは彼女の律義さが許さなかったらしい。ドアノブを握る手が震えている。
ダメだ――と、言う直前にふと気づく。
ソーニャが性的な要素に過敏になるのは仕方ない。俺という男を見極めようとしているのだろう。身の潔白を示さなければ安心して暮らせないかもしれない。
「……わかった。見られたくないものはあるけど、掃除の手間を省けるなら我慢する」
実際、リザ姉の頭蓋骨は人に見せたくなかった。あれを見て怯えなかったのは団長くらいだ。大切な人に無遠慮な視線が刺さるのは気分が悪い。
けれど、仕方がない。
「では遠慮なく」
躊躇なく扉を開け、図々しく中へ踏み込んでいく。視線は刑事のごとく無遠慮だった。
「ふ~ん、意外に片付いてるんですね。もっとゴミ屋敷を想像してました」
「そもそも物がないんだよ……って堂々とベッドの下を覗くな」
ソーニャは床を這いつくばる。躊躇いのないスムーズな動作だった。
「アストラルさんはベッドの下派ではない……となると、タンスの裏でしょうか」
「俺の名誉のために言っておくが、ポルノ本はないからな」
アトランティスの法律ではポルノグラフィティーの販売は禁止されている。この街が無法地帯だが、自警団が罪を犯すわけにはいかない。
……欲しくないと言えばウソになるが。
「信用できませんよ。まったく、男ってのはリスみたいにやらしいものを集めるんですから」
立ち上がり、ベッドの周囲を漁っていく。掃除でもてきぱき動いていたが、それ以上に素早い捜索だった。始めて入る部屋なのに、隠し場所になり得るところを丁寧に一つずつ潰していく。
「……なぁ、なんか楽しんでないか?」
後ろ姿を見てそう思った。疲れを感じさせない動きといい、やけに弾んだ声といい、嬉々としてポルノを探しているように見える。
「まさか」作業の手を止めずに言う。
「ちなみに、もしポルノが見つかったらどうするんだ?」
「もちろん没収です。アトランティスでは禁止されてるんですから」
「…………なるほど」
やらしいもの、と忌避しながら燃やすとは言わない。
思ったより図太い性格らしい。暴漢に襲われそうになったばかりなのだが……。
「なんですかその生暖かい目は」
視線に気づいたソーニャが唇を尖らせる。
「別に。満足したならさっさと戻るぞ」
捜索の手がそろそろ奥のタンスに差し掛かる。布で隠されたそれが見つかってしまう。ある程度は仕方ないと割り切っているが、できれば触れてほしくなかった。
「待ってくださいあと少しな――え?」
無情にもソーニャは諦めず、とうとう布を引っ剥がす。
むき出しになった白いそれを見つけると、忙しない動きがピタリと止まった。
「これって……?」
皮膚が剥がれて三年経った頭蓋骨は相応の劣化が見える。付着した血は拭ったものの、イーストエンドの空気に触れてポツポツと汚れが染みつき、排煙に触れた箇所は朽ちていた。どれだけ大切に扱っていても、客観的に見て恐ろしい形をしている。
それでも、俺の大切な人なのだ。ソーニャの反応は複雑だった。
「触れるなよ」
感情を押し殺して言う。
自分でもおかしいとわかっていたが、どうしても手放せなかった。リザ姉のいる場所が俺の帰る部屋なのだ。何もかも壊れてしまったこの世界でも、リザ姉がいれば独りではないと思える。部屋は自分の心模様を描くと言うが、その一番大切な場所にすっぽりと収まるのは彼女以外にありえなかった。
だが、死の世界へと飲み込まれていくように、髑髏は日に日に朽ちていく。完全に壊れた時、何を原動力に生き抜いていくのか自分では想像できなかった。
「誰の、髑髏なんですか」
肺がつぶれたような声だった。視線が頭蓋骨の持つ引力に吸い込まれ、静止画のように動かない。リザ姉から放たれる死の気配が部屋を覆いつくし、ソーニャが持ち込んだ快活な勢いを飲み込んでいく。
「……処刑屋の仕事ってのは、こういうものなんだよ」
質問を無視して適当に答える。ソーニャの踏み込みに悪い気はしないが、そこだけは話が別だ。二人だけの絶対領域であり、何人たりとも立ち入らせてはならない。
「なんで、そんなに悲しそうなんですか」
「……もういいだろ。戻って掃除をやろう」
弱みを見せたくなくて、硬直するソーニャを置いて先に部屋を出る。静かな廊下で息を吐き出した。
あの反応を見るに、多分、ソーニャは実感したのだろう。
『死を想え』――その言葉の意味を。




