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九話 処刑人の仕事

「なんで……殺したんですか……?」


 少女の口から甘い言葉が漏れた。幼い声音だった。


「君に暴力を向けた。俺を殺そうとした。罪に罰を与えなければ、街の秩序は崩壊する」


 無知は罪じゃない。少女はまだ十歳前後だろう。誰かが教えればいい。


 だが――予想を裏切り、少女の紅い瞳に炎が灯った。叩きつけるように大声を出す。


「殺す必要はないじゃないですか。殺していい理由はないじゃないですか」


震えながらも紅白の槍を強く握り、キッ、と睨みつけてきた。双眸に揺らぎはない。


 ――なんなんだ、こいつは。

 

困惑した。普通、殺人者を見れば本能的に怯えるものだ。正当性のある処刑であろうと、誰も彼も俺から離れていった。


 少女は委縮せず強い語気で反論してくる。予想外の反応に驚いた。


 あの人を思い出す。処刑人の仕事をしても、村人に恐れられても、馴れ馴れしく俺の領域に踏み込んできた人。長い髪をはためかせ、図々しく近寄ってきた人。


「言っておくが、殺さなきゃ死んでいたのは君だ。生かしたまま無力化するなんて、銃を持った相手にはできない」

「それなら、私は死を選びます。人を殺してまで生き延びたくない」

「バカを言うな!」


 つい、声が大きくなった。

 秩序のために処刑人がいる。少女の気持ちは痛いほどわかるが、理想で世界は良くならない……綺麗ごとだ。


 少女は血に濡れた白の槍を抱き、目の端に涙をにじませる。


「バカじゃありません! だって、そのために私は戦ったんです。殺さないために、その上で、自分が生きるために」

「……何を」


 言いかけて、不意に少女の戦いを思い出す。

温室育ちだろうが、修練の跡が見えるものだった


 苦戦の要因は、殺意の差。美しさを追求した槍さばきでは戦えない。


――なるほど、理想論者とは少し違うか。

 ――だが。


「殺されるだけで済むと思っていたのか?」


 少女を見据えると、ビクッと肩を揺らした。


「そもそも、なぜ男たちは君を襲ったと思う。彼らは銃を持っていた。なぜ鉄パイプで君と戦ったと思う」

「それは……私が、西の生まれだからで……」

「それもあるだろうな」


 東西の確執は大きい。政府に見捨てられたこの街では、西側の人間を無条件で恨む者も少なくなかった。


 だが、本質は少し違う。


「彼らに君を殺す気はなかったよ。だから、殺傷能力の低い鉄パイプを選んだ。……よっぽどの倒錯してない限り、死体を犯す趣味はないだろうからな」

「――え」


 少女は美しい。まだ未成熟だが、気を抜けば見とれるような輝きを持っている。


 故に汚される。大人のいないこの街では、小児性愛者も多い。


 少女の顔から血の気が引いて行く。自分を抱くように肩をすぼめて腕を組んだ。


「そ、そんなわけないでしょう。死者を憶測で侮辱するなんて――」

「憶測かどうかは君が一番わかってるのではないか」

「……っ」


 言葉に詰まり硬直する。男に獣欲を向けられる恐怖など、俺には想像もできない。


「この街では誇り高き死を選べない。死よりも恐ろしいことで溢れているから、君はここに連れてこられたんだ」


 イーストエンドは、腐った匂いで溢れている。

 人の尊厳もまた、腐り落ちていた。


「……それでも、殺しちゃダメなんです。死を上回る“悪”は、この世にないんです」


 不思議な感覚だった。弱々しい苦し紛れの言葉なのに、妙な確信が伝わってくる。


 少女は、俺が思うより少しだけ頑固だった。


「強がるな。君のような小さい女の子が犯されるなんてあってはならない。殺してでも止めるべきだろ」

「それでも……それでも、殺人はダメなんです。誰かを助けるために誰かを殺すなんて、おかしいんです」


 顔をあげ、意志のこもった紅い瞳で見据えてくる。宝石のような両目があまりにも真っすぐで、たじろいでしまった。


 少女はガッ、と一歩踏み込んでくる。

殺人者に対する恐怖がないのか、下から睨みつけるように近づいてくる。


 かつて踏み込んでくれたあの人のように、俺のすぐ傍へ接近してきた。


「助けてくれたことには感謝します。でも、あなたを認めたくはない。殺人者を許したくはない。人を殺さなきゃ生きていけない世界なんて、あっちゃいけないんです」

「そうかよ」


 ……わからない。恐怖を実感しておきながら、なぜそうも断言できる。


 心がざわついた。綺麗ごとのくせに妙に力強く、処刑人としての仕事が否定された気分になる。


「この街で生き続けて、いつまでそう言えるのか楽しみだな」


 つい売り言葉に買い言葉が出てきた。相手は小さな少女なのに、大人になれず言葉が口元を滑り出していく。


「人を殺して表情一つ変えない薄情者になるよりず~~~っとマシですけどね!」

「……っ! この街を何も知らないくせに偉そうなことを言うなちびっ子!」


 つられて俺も声を荒げてしまう。少女を前にすると凍てついた心が乱される。


 何も知らないくせに……。


「ちびっ子っ……⁉ 誰がちびっ子ですか誰が!」


 カンカン、と白の槍を地面に突き立て憤慨する。


「理想ばかり語って何もしないガキのことだよちびっ子!」

「ガキじゃないもん! 私、強いんですよ!」

「負ける寸前だったじゃねーか! 助けてもらったくせに突っかかってくるとはずいぶん強気だなちびっ子!」

「卑怯! この薄情者の卑怯者! そんなのお礼を言うしかないじゃないですかありがとうございます!」


 深々と頭を下げ、上目遣いで俺を睨みつける。気は強いくせに律儀なやつだ。


「偽善者になるくらいなら卑怯者で結構! 卑怯さでちびっ子を助けられるなら一向に構わん。怪我無くて良かったなちびっ子!」

「ちびっ子じゃありませんけどお気遣いありがとうございます! 感謝だけはしてますよ人殺しですけど!」


 少女は顔を赤くしながらも優雅に頭を下げる。西側では相当な地位だったのか、洗練された気品ある所作だった。罪人用の黒の服が、貴族のためのドレスに見える。


 だがすぐに顔をあげ「べー」と舌を突き出してくる。


 生意気なちびっ子め……。


 腹が立ったが、律儀な少女に怒鳴り続ける気力はなく、悔しさをぐっと飲み下す。


「では失礼します。正式なお礼はまたいつか」

「その時まで生きてたらな。あ、帰るなら曲がって右をまっすぐ行った方が安全だぞ」

「どーもご丁寧に!」


俺の横を通り過ぎると、確かな足取りで去っていった。もう震えはない。


背中を見送ると、一気に疲れが押し寄せてため息が出た。


不思議な奴だった。相手は子供なんだから、あんなに怒る必要はなかったのだ。冷静に諭せばよかった。後悔が押し寄せて、脳内の反省会が活発になる。


しばらく考えて答えにたどり着く。


……そうか、あいつが踏み込んできたからだ。


目の前で人を殺したのに、少女は怯えず近づいてきた。臆せず意見してきた。説教してくれた。


その姿は、俺の一番大切な人に似ていて……。


激情にブレーキがきかなくなったのも、しゃべりすぎて肺が温かくなったのも、心が凍り付いた三年前から一度もなかった。凍てついて機能停止していた内臓が熱を帯びている。よくもかき乱してくれたものだ。


途端、少女の行方が不安になった。温室育ちの少女が独りで街に放り出されて助かるとは思えない。行く当てもなくさまよい続け、弱ったころに男たちの餌食になる未来が容易に想像できた。


「――ああもう、どこまであいつは……」


 俺の心を乱せば気が済むんだ。


 身体は動き出していた。自己満足なのはわかっている。強烈な不安を打ち消したいだけなのだ。


 少女が消えていった路地へと走る。時間が経っていないからかすぐに追いついた。


 暗闇の中、銀の髪が揺れている。小さすぎる背中が小刻みに震えている。腐臭のする街の中で、少女が独り立ち尽くしていた。


「おい、ちびっ子!」


 少女が振り向くと目が合った。濡れた紅い瞳が、ガス灯に照らされて輝いている。

 美しいと思った。


 やっぱり、強がってただけじゃねーか。


「なんですか……お礼はまた今度って……」

「いや、今すぐに貰うことにした」


 震える少女の手を取る。冷たいものの、分厚い皮膚に覆われていた。槍を振り続けた人間の手だ。


「な、なに⁉ やっぱりあなたも……? 軽蔑しますよ!」


 何を勘違いしたのか、さらに涙をにじませて叫んでくる。

 零れる涙はやっぱり綺麗だった。


「違う。お前は俺のところに来い。どうせ行く場所はないんだろ?」

「ま、まさかその対価として私の体を……⁉」

「ちげーよアホ! 自警団で面倒を見てやるってことだ。飯と風呂くらいはある」

「あなたと暮らすんですか⁉ 無理です身の危険を感じます!」

「あ~もうめんどくせえ! 自警団には人がたくさんいるから大丈夫だ。それに、お礼をしてくれるんだろ。素直に言うことを聞け」


 少女は不可解そうに俺を見つめた。しばらく考え込むように黙っていたが、やがて眉根を寄せて、


「なぜ、あなたがそんなことを……?」


 言い訳を考えていなかった。理由なんてない。個人的感情であり、一時の気の迷いだ。急いで方便を考える。


「……そうだな、今の自警団で戦える奴は少ない。お前の槍の腕があれば助かる。だから、契約だ」

「でも……私、黒の汽車に連れてこられたんですよ? 西側の人間ですよ?」


 窺うように潤んだ瞳で見上げてくる。


 少女の心配はもっともだった。彼女は犯罪者。信用する方がどうかしている。


 だが……。

 処刑人としての直感が告げていた。


「構わん。すべて俺がなんとかする」


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