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一話 処刑人アストラル

 十三階段を上ると、人で埋め尽くされた中央広場を一望できた。広場には村のほぼ全員が集まり、怒号が飛び交っている。


 歩くごとに木製の処刑台がギシギシと音を立て、不安定に揺れる。何百年も補修されながら使われている年代物だった。


「あたしの死神はあんたかい」


 老婆は処刑台で膝をつく。落ち着いた態度だ。両手をきつく縛られてうっ血しているが、苦しむそぶりは見せない。


「しくじらないでおくれよ。痛いのはやだからね」

「問題ない。それが俺の仕事だ」


 頷く。処刑人は殺し屋でも警察でもなく、裁きを代行する道具である。感情に任せて斧を鈍らせては三流だ。


 ――イワーノヴナを開放せよ!

 ――卑劣なアトランティス人め!

 ――不当な裁判をやり直せ!


 広場からの怒号が耳を打つ。千を超える声は大地を震わすような圧力だった。木製の処刑台が振動し、足元がぐらぐら揺れている。


 右手の斧に視線を向ける。磨き上げられた黒の斧は俺の無表情を反射していた。

ほっとする。感情のコントロールは完璧だ。


 ――アトランティスに魂を売った英雄殺しめ! 恥を知れ!


 小さな村だ。村人のほとんどが知り合いだからか、容赦ない言葉を選んでくる。


 だが、殺人犯を処刑するのが俺の仕事だ。


「恨むなよ」


 小さくつぶやくと、魔女のような顔がこちらを向いた。


「少なくとも恨むのはあんたじゃあないよ。あんたが断つのは罪であって、あたしの生命じゃない。殺人犯のように思うのは筋違いってもんさ」


 かっかっか、と愉快そうに笑う。呼吸も苦しいのかひゅーひゅーと浅い息を繰り返している。裁判で見かけたときよりも手足がずっと細く、身体のあちこち痣ができていた。


 悲劇に酔っているように思えた。


「嬉しいのさ。断罪されれば人殺しでも天国に行けるんだろう」


 思わず老婆の顔を覗き込むと、澄んだ目で天を見上げていた。


 葛藤していると、処刑台の下で警官が手刀を振り下ろすような合図をした。

 深呼吸をして雑念を払う。高鳴る鼓動を抑え込み、ポケットの十字架を手に取り目をつむった。


 ――せめて、苦しませない。


「てめぇ……っ! 本当におれたちを裏切るのか!」


 台の下から叫びが聞こえた。見ると、やせた男がよじ登ってきている。教会学校の先輩だ。俺を指さして睨みつけてきた。


「なあアストラル、なんで婆さんを殺す。てめぇだって婆さんの事情は――」

「知っている。彼女が殺人犯であることも。殺人犯には死刑が妥当であることも」


 関係ないのだ。

 老婆の孫が事故で殺されたことも、その死に対してアトランティスが責任をとらなかったことも。


 罪には罰が必要だから。

 ただ……それだけ。


「わかってねえ! てめぇは機械みてえに何も考えず――」

「――先輩、その線を越えない方がいい」


 斧を振るい、詰め寄ろうと近づいてくる先輩の足元に曲線を刻む。

先輩の声も足もピタリと止まり、窺うように目を合わせてくる。


「下がれ。線を超えれば反逆とみなし――この場で首を斬り落とす」


 凍り付いた。人ならざる異形を見るような目だ。恐れが伝染したのか広場の怒号がしぼみ、場が急速に冷え込んでいく。


『悪い子は処刑人に首を斬られるぞ』


 ローニア村では幼少よりそう言い聞かされる。刷り込まれ続けた畏怖が村人の口をつぐませた。


 くそぅ、と悔しそうに処刑台を降りていく。俺はその横顔から目をそらした。

 深呼吸をして心に立つ荒波を無理やり沈めていく。動揺していてはプロの仕事を果たせない。心を凍てつかせて老婆を見据える。


「処刑人、アストラルが宣告する。汝の罪を赦そう。殺人の罪でアリョーナ・イワーノヴナを処刑する」


 構えた黒の斧がやけに重い。五歳のころから十年近く斬首の修行を続け、身体と同化したはずの相棒が手に馴染まなかった。


 磨かれた黒の斧に老婆の細首が映る。断罪の斧は座り込んだ老婆より巨大だ。力が抜けてしまい持ち上げるのが精いっぱいで、震える両手では狙いをつけられない。


「最期に言い残すことは?」


 作法に従って質問をする。角度的に老婆の顔は見えなかったが、安らかな表情だと推測できた。


「ないよ。家族はもういないからね。けどまあ……そうだね。最後の最後に、あたしが罪“人“になれたのはあんたのおかげだから、礼を言っておくよ」


 理由はわからないが、その言葉で手の震えが収まってきた。

 悲しくはない。感情が差し込んでは刃が鈍るから。


「――執行!」


 警官が叫ぶ。合図に合わせて俺は仕事を遂行した。

 生命の感触は恐ろしいほど何もなかった。ごとっ、と頭蓋が地に落ちる音が響く。処刑台の前方にどくどくと血の海が広がっていく。黒の刃からぼとぼとと粘り気のある赤が垂れていた。


 広場は静まり返っていた。



 × × ×



 もくもくと、排煙が空へと昇っていく。


 煙は雲を形成し、空のすべてを覆っていた。ローニア村に陽は差さない。蓋をされたような薄暗さだった。


「おぉ、アストラルさん。どうもありがとうございます。これであいつも浮かばれるでしょう」


 枯れた花壇に腰を掛け血の付着した斧を磨いていると、鼻の高い白衣の男が笑顔で話しかけてきた。胸元には汽車の紋章がついている。アトランティスの研究員である証だ。舌打ちしたくなる気持ちをこらえた。


「仕事をこなしただけだ。それで、老婆の死体はどうする。規定では教会で追悼の後に土葬となっているが」

「汚らわしい死体など、吾輩たちもいりませぬ。若い女なら使えたのですが」


 下卑た笑いに吐き気がした。中途半端に生えた灰色の髭が歪む。死を侮蔑する態度だった。


 男は俺の不機嫌を察したのか、さらに愉快そうに笑った。


「おや、あなたは死体がお好きな紳士なので? 老婆の骸に執着が?」

「黙った方がいい。この村で侮辱罪は禁固三年だ」

「ふふふ、ブラックジョークはお気に召しませんか。田舎者は血の気が多いですな」


 男が部下に指示を出す。少年の死体を持ってこさせた。


 切り裂かれた腹に内臓は見えない。解剖書で見た胃、小腸、大腸あたりがごっそりと消えており、辛うじて隙間から肝臓の一部が見えるくらい。全身の肉は食い荒らされ骨が見えていた。


 老婆の孫だ。唯一の肉親だったらしい。


 アトランティスの研究員は、村のすぐそばに《白の箱》と呼ばれる研究所を建て兵器を開発している。


 開発している兵器の一つ、《蒸気獣スチームビースト》の暴走によって彼は殺された。蒸気機関による犬型自律兵器が研究所を抜け出し、少年を食い散らしたのだ。激怒した老婆が《白の箱》に乗り込み開発者の一人を殺害した。


「こちら死体はどうしましょう。できれば吾輩が頂戴したく。貴重な実験サンプルなのですよ」


 兵器を人に試せる機会は少ない。彼等にしてみれば嬉しい事故だろう。


「肉親はすでに死んでいるから俺が口をはさむ権利はない。勝手にしていいが、丁寧に扱えよ。死者を雑に扱ったら罰が当たる」

「ふふふ、ありがとうございます」


 忠告が耳に入った様子はない。ニタニタと部下に死体を運ばせていた。

 罪のない少年が、死してなお身体の内部を蹂躙される。


 屈辱だった。


「お疲れ様です皆さま。無事、執行されましたね。一時はどうなるかと」


 後方から聞こえた声の主を見ると正装の神父だった。教会学校の先生だ。一仕事を終えて安心したのか微笑みを浮かべている。


「おぉ神父さん」


 神父は研究員に近づいて何かを話している。話は聞き取れないが、神父が頭を何度も下げていた。村のトップである彼でも立場は弱い。アトランティス人に逆らえる者はいなかった。


 情けない。


 話が終わり研究員たちが帰っていく。神父は彼らが見えなくなるまで頭を下げていた。


「神父」


 ふがいない態度に文句を言おうと後ろから声をかける。


 振り向いた神父は俺の怒気に気づいたのか、諭すように目を合わせてきた。


「アストラル。あなたの仕事はなんですか」

「……処刑人だ」


 処刑人に感情は必要ない。理屈に従って罪を裁くのが仕事だ。


「今回の判決は間違っていましたか」

「間違ってはいない。だが正しくもない」

「アトランティスを怒らせないためにも彼女の死刑は必要でした。それを罪と言うのなら、罪を犯さなければ生きられない人間の業と言えるでしょう。だからこそ人は救われるために祈るのです」


 教会学校で何度も教えられたことだった。処刑人が十字架を手放さないのは、祈りにより人を殺す罪から救われるためだ。


 ……どうにも納得できない。


「あんたはそれでいいのか」


 神父はうつむいた。


「私には……これが精いっぱいですよ」


 悲痛な声は空に消えていく。恩師の輪郭は、やけに小さく見えた。

 曇り空を仰ぎ見る。


《白の箱》から立ち上る排煙は、分厚い雲を形成していた。


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