指はきみの心を語る
そのひとの指は、ふわふわと羽のようにうごく。かろやかに、でも的確に、少し骨張ったすらりとした指が、ひとつひとつの言葉をつむぎ出してゆく。
わたしの視線は指先に、そして指とともに柔らかく無音で開いたり閉じたりする唇に吸い寄せられている。
わたしは、彼の声を聞いたことがない。
きっかけは、一枚のハンカチだった。
「あの、落としましたよ」
後ろから声を掛けても、そのまま早足気味に先を急ぐ彼を不思議にも思わず、わたしは拾ったハンカチを持った手と反対の手で、彼の肩を叩いた。
「これ、あなたのですよね」
日差しに少し目をしかめながら振り向いた彼は、軽く目を見開くとニコリと微笑んで、わたしを片手で拝むようにしてからハンカチを受け取り、ジーンズの後ろポケットからスマホを取り出した。
そのまま何度か画面をタップすると、クルリとわたしに向けられた画面には、ネコが両手を合わせてぺこりとお辞儀をしているスタンプと、
『ありがとうございます。ぼくは耳が聞こえないもので、画面で失礼します』
という文字が並んでいた。
「ああ、そうだったんですね。落としたところがちょうど見えたので…って、聞こえてないか」
同じようにスマホにテキストを打ち込もうか一瞬迷っている間に、また素早く画面に触れて向けられた画面には、
『大丈夫です。人の唇を読んで、大体の会話は理解できます。拾っていただいて助かりました』
受け取ったハンカチを丁寧にポケットにしまい、軽く会釈をして駅の方に立ち去る彼の後ろ姿を、その場に立ち止まってぼうっと見送ってしまったのは、彼がいわゆるイケメンだったからでも、耳が聞こえないということに驚いたからでもなく、スマホの上をするすると動く指が、わたしの心を思わない角度で撃ち抜いたからだと気づいたのは、人混みの中に彼の姿が消えてしまってからだった。