さあ、いこう
きみがぼくに手をさしのべた。
さあ、いこう。
ある晩、きみがぼくを訪ねてきた。
「こことは違うところに行く気はないかい?」
ぼくはきみの言っている意味が分からず、ただただ、きみを見る。
「何を言っているんだい?」
だが、きみの言葉は先程と同じ。
「こことは違うところに行く気はないかい?」
きみの言う事はわからないけれど、こことは違うという言葉に惹かれ、ぼくはきみの手を取る。
すっと背景が変わる。
背景が、変わる?
そこは白い瀟洒な建物の中庭らしき場所で、周りにはうさぎの面をつけた人達が大勢いる。
白い建物の、いくつもある窓にも灯りと人影が映っていた。
その中を黒いシャツを着てネクタイを締め、白の三揃いの正装をしている、きみとぼく。
ぼくはきみに手を引かれ、その中を駆けて行く。
きみは、踊るように駆け、跳ねる。それに釣られたぼくも、側から見れば踊っているように見えるのだろうか。
ぼくは、ただただ、きみの足を踏まないようにするのが精一杯だった。きみに手を引かれたぼくは、きみに釣られて跳ねて飛ぶ。
気がつくと、さっきまでいた白い瀟洒な建物が、はるか下に見えた。咄嗟に、きみにすがるぼく。そんなぼくを、きみはけたけたと笑う。
笑う?
そこは森の中だった。
木々が茂り、薄暗く、地面も湿っている。
そんな場所なのにきみは地面に横たわり、腹を抱えて笑っていた。
「ここは?」
「さあ?」
ぼくが問うと、きみは今まで笑っていたのに、それが嘘だったような顔をし、ぼくの前に立つ。
地面は湿っているのだから、きみの背は汚れているはずなのに、汚れていなければおかしいのに、きみの背中は白いまま。
「さあ、行こうか」
そう言ってきみは、またぼくの手を取り走り出す。
ぼくたちが走り出すと、薄暗いながらも、かろうじて辺りが見えていた目の前から、光が消える。右も左も、前も後ろも、上や下さえ何も見えない、何も分からない闇となった。
闇の中だと思い、闇雲に走る。進む先を照らすように、ぼうっと光が見えた。
ふたつ。よっつ。やっつ。とお。たくさん。
木々がざわざわと鳴り、光が近づいてくる。
きみとぼくの周りを囲む、光。
光だと思っていたものは、どうやら生き物の眼で、ふたつで一対。
ぼくはとたんにこわくなる。
きみはぼくを見ると、うっすらと笑みを浮かべた。
「そこで立ち止まるのかい?」
「ぼくには立ち向かう術がない」
ぼくはきみの問いに答える。
きみは、真顔になるとぼくに問うた。
「そうなのかい?」
きみはぼくから目をそらし、近づく生き物の目を見つめる。そのままきみは腰に手をやった。
片手は腰に、もう片方の手は、腰から半円を描くように前に。
きみの手に刀が現れた。
きみは刀を構え、すっと片方の足を前に出し、走る。走り出す。きみの目の前にいた生き物も、きみに向かって走り出す。
生き物に近づいた。生き物が近づいた。
両手で刀を構え、飛び上がる。
生き物はきみを見、飛び上がる為にしゃがむ。
「やあっ!」
そのままきみは刀を振り下ろし、生き物を二つに切った。ふたつに分かれた生き物からは、赤い液体が切り口より流れ出る。
地面に広がる赤。
地面に足がつくとすぐに飛び下がり、刀を構えるきみ。
次に近づく生き物から目を離さず、きみはぼくに問う。
「その手には何もないのかい? 本当に?」
ぼくは自分の手を見る。ぼくの手の中には一振りの剣があった。
漫画や映画、ゲームの知識を総動員し、ぼくは剣を構える。
側から見れば、それは滑稽な構えだったろう。だがそれが、今ぼくにできる精一杯。
「行くよ」
きみの声が発せられると同時に、ぼくは走り出す。
きみも走る。
「やぁ!」
「たぁ!」
きみは刀で生き物を切り裂いていき、ぼくは生き物を剣で叩き切って行く。ある程度向かってくる生き物を切り捨て、ぼく達と生き物の間にある空間が広がった。
ざっと周りを見たきみは、生き物の数が少ないところを探し、ぼくに進む方向を示す。
「二時の方向。行くよ!」
きみとぼくは駆ける。数の少ない二時の方向に向かって、力いっぱい走った。生き物を蹴散らし、切り捨て転びそうになりながらも、走り進んだ先は、崖だった。
きみは、たたらを踏んで立ち止まる。
ぼくはきみのその行動を見て慌ててスピードを殺し、止まる。
きみはぼくを見る。ぼくもきみを見る。
二人の視線があい、ぼく達は笑みを浮かべる。
「せーのっ!」
ぼく達は崖を飛び降りた。
高い高い崖から飛び降りたぼく達は、なかなか地面に到達しない。落下途中できみはパラシュートを開く。
ぼくは、きみを二度見すると、きみはふんわりと笑う。
「できるよ、きみも」
きみがそう言ったすぐ後に、ぼくは背中を空に引っ張られた。
ガクン。
思わず上を見るぼく。
ぼくの上では、パラシュートが綺麗に開いていた。
落下スピードが急に抑えられ、ぼくはゆっくりと、蒲公英の綿毛のようにふわりふわりと落ちていく。
きみも、ふわりふわりと落ちている。
ぼく達は顔を見合わせ、笑い出す。
はじめは小さくふふふと。次第に大きくけらけらと。
パラシュートは風に流されながら、ふうわりふわりと落ちていく。それさえも面白く、ぼく達は腹を抱えてげらげらと笑う。
ぼく達が大笑いしていると、いきなりパラシュートの綱が切れた。
急速に落下していく、きみとぼく。
とすんと着地したところは砂ばかりで、砂以外は何も見えない。
きみは立ち上がるとぽんぽんとからだや服についた砂を払い、ぼくに手を差し出した。
「大丈夫? もう行けるよね? 一人で」
その、きみの言葉で、ぼくの周りは闇へと変わる。
「無理だよ。見えないもの」
「大丈夫だよ。そおっとそおっと目を開けてごらん?」
きみの言葉に励まされ、ぼくはゆっくりとまぶたを開ける。
でもぼくは、やっぱりこわくて目を閉じた。
「ダメだよ。きみがいないと」
「そんな事ないよ。きみは、きみだけの力でここに、ここまで来れたんだよ」
「違うよ。きみが手を差し出しくれたから。きみが引っ張ってくれたから、ぼくはここまで来れたんだ」
ぼくがそう答えると、きみは困ったように笑う。
「違うよ。きみはぼくの手を払いのける選択もあったんだ。だけどきみは、ぼくの手を取り進むことを選択した。きみの意思で、きみの力でここに来ることができたんだ」
きみはそう言うけれど。
「やっぱり違うよ。きみとだから、ぼくはここまで来れたんだ」
ぼくは答える。
「きみとなら、ぼくはどこまでも行けるだろう」
「そう? なら、安心したよ。きみは一人でいけるね」
きみの言葉をぼくは否定する。
「いいや、きみとだから、ぼくはここまで来れた。きみとだから、ぼくはどこまでも行けるんだよ。きみはぼくだ。ぼくの希望で理想がきみなんだ!」
そうしてぼくは閉じていた眼を開けた。
「お母さん、ごめん」
眼を開け、一番はじめに目にしたのは、白い天井。すこし顔を横に向けると、ぼくの手を握っている母。
今のぼくは、母にそう伝えるのが精一杯だけど、前に進む為に閉じそうになる眼を開けた。
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