第三話 冥王と別れ
門が開くと、長く薄暗い廊下が姿を見せていた。廊下にはレッドカーペットが引かれ、門の周りには騎士たちが立ち並んでおり、タナトスに何かを話しかけられたあと、一人の騎士が音もなく溶けた。
......うん、溶けたよな?
「タナトス。」
「はい?」
「今あいつ、溶けなかったか?」
「?......あぁ、溶けたんじゃなく、自分の影の中に入ったんですよ。彼らは“影の騎士”と呼ばれる冥界の騎士たちで、ハデス様の護衛やエリュシオンの管理などをしています。」
「影に入って何してんだ?」
「伝令です。今彼はハデス様に、あなたの到着と謁見の必要性を伝えに言ったんですよ。」
「なるほど。」
いかにも冥界の生き物って感じだな。
しかし、伝令や護衛を担当する騎士がいるってことは、やはりここはちゃんとした国として機能しているようだ。だとしたら、オリンポスの神々はどうなんだ?ハデスと冥界は、独立した第三勢力だったりするのかね。
自分の知っているギリシャ神話と現実を照合しつつ考え事をしていると、タナトスが俺に話しかけてきた。
「さっきの騎士が戻ってきましたよ。どうやら、謁見の準備が出来たようですので、早速行きましょう。」
「......いや、俺がいた世界......いや、少なくとも日本では、謁見なんてとうの昔に無くなった文化だぞ?俺はそのルールやマナーも知らないのに、謁見なんて出来んのか?」
「必要ありません。今回の謁見は特例中の特例です。冥界に人間界のような面倒な権力者はおりませんし、そもそもあなたは我々の中では賓客中の賓客。そんなあなたに謁見で作法を強要するのは愚の骨頂です。」
......うーん。分かるような分からんような。
つまるところ、俺には莫大な利用価値があるのに、謁見のマナーとかいうつまらんことを持ち出して、機嫌を損ねたくないってことなんだろうな。ヤバい、考えれば考えるほど面倒くせぇ。そもそも俺自身が自分の価値とやらを分かっていないのに、謁見なんかしてどうする。もし交渉事になったとしても、自分のことすら把握できてねぇんだぞ、こちとら。
そうこうするうちに、どうやら謁見の間とやらに着いたらしい。居並ぶ二人の影の騎士が大きな扉を音をたてながら開け放った。
♢♢♢
.........おお......。
真っ直ぐ前に、二つの玉座が見えた。右に座っていたのは、大きな冠をかぶり、白髪交じりの黒髪に灰色の目を持つ、体格のいい初老の紳士だった。
これが......冥王......
ハデスは一見柔和な表情を浮かべているが、その目の奥には冷徹かつ非情な冥王の本質が映っているかのようだった。側の騎士は先が二股に別れた槍を持っている。恐らくあれがハデスの武器と名高い二叉の槍バイデントだろう。しかし、座っているのに全く隙がないな。今の俺じゃ相手にもならんか?
隣の玉座には、冥府の女王であるペルセポネが座っているようだ。ハデスとは違い、血色がよく、にこやかに笑っている。が、その表情に騙されてはならない。ペルセポネも、表情こそにこやかだが、目は...うーん、何か特に緊張している感じでも、警戒してる感じでも、こちらを軽んじてるとかそういうわけでも無さそうなんだよなぁ...。冥府の女王って、こんなにホンワカしてるもんなのかね。
それはさておき、一応謁見らしいし、跪いとくかな。
「よい。そなたは我らの賓客。つまらんマナーに拘るつもりはない。楽にするがよい。」
「......ありが......とうございます......?」
ダメだ。マナーがわからん。ぜんっぜんわからん。こんなことなら生きてる時にマナー講座受けといたらよかった......。
「それより、ここではゆっくりと話すことも出来ん。奥に迎賓館がある。そこで話すとしよう。......タナトス。」
「はっ、これに。」
「神川殿を迎賓館へお連れせよ。我々は準備をするので先に行っておるぞ。」
「承知いたしました。......ささ、行きましょう。」
あ、俺の名前はデフォルトで知ってるのね。まあ、タナトスが知っててその上司が知らないってのも変な話か。
そうこうするうちに、ハデスはすでに謁見の間からいなくなっていた。どうやら迎賓館とやらへ移動したようだ。
しかし、冥王の宮殿って割には地味なんだなぁ。俺はてっきり豪華なシャンデリアやでかいハデスの彫像なんかがあるもんなんだと思ってたが、どうやら違うらしいな。相変わらず薄暗いし、装飾品もあまりない。真っ赤な絨毯は敷いてあるが、どこか寒々としてるように思える。
そうして謁見の間を見渡していると、騎士が影から急に現れ、タナトスに何かを告げ、また消えていった。タナトスはうなずくと、俺に顔を向ける。
「迎賓館の準備が整ったようです。さ、神川殿、参りましょう。」
「......おう。行こうか。」
これからどんなことが起きるのか、何をやれと言われるのか。何も分からんが、乗りかかった船だ。────楽しんでいこうか。
覚悟を決めた俺は、一歩を踏み出す。これから訪れる“面倒事”を前に、俺は、無意識にも笑っていた。
♢♢♢
迎賓館では、ハデスとペルセポネ、それに二人の影の騎士が俺とタナトスを待っていた。
「ふぅ。よく来てくれたな、神川殿。私がこの冥界を治めるハデスだ。冥王と呼ばれることもある。」
「はじめまして。こちらのハデスの妻、ペルセポネでございます。神川殿につきましては、ご機嫌麗しゅう。」
あー......。まあ普通の敬語でいいのかな?
「はじめまして。えー......神川颯介です、はい。よろしくお願いいたします。」
「ふむ、よろしく頼む。早速だが、なぜ君は冥界にいると思う?」
「え?」
............えーっと、死んだから...?いやでも、ただ死んだだけで死神や冥王が直接動くか...?なら、俺は死んでいない?......とすると......俺が人を殺しすぎて冥界のブラックリストに載ったとかか?......いや、あまりに非現実的だろう。何せ、毎日とんでもない数の人が死んでいるんだから。......いや待てよ。
「......ハデス様。」
「......どうしたのかね?」
「ハデス様は、俺の仕事を知ってらっしゃいますか?」
「もちろん。」
なるほど、なら話は早いな。
「......俺に、誰かを殺せと?」
そういうと、ハデスが一瞬だけ、愉快そうな色をその瞳に映した。
「うむ、それに近い。......が、私の口から直接、君がここにいる理由を伝えることは出来ん。それに、この冥界ではよく分からんかもしれんが、もう夜だ。今晩はこの城で、ゆっくり過ごされるといいだろう。」
......え、夜なの?そういえば、確かに少し眠い気はして...してないなぁ。なんでだろうなぁ。......この体、ホントに俺のなのか?
......まあいいや。
「では明日、またこの迎賓館に来ればよろしいですか?」
「そうだな。ここに来てくれ。明日、君は私とともに、我ら神々の本拠地。オリンポス山に向かう。」
オリンポス山......か。言い伝えによれば、ギリシャ神話の神々がそこにいて、世界を治めているという。まさか、そんなとこに行くなんて、な。
「オリンポスに?」
「ああ。......そなたに用があるのは、我々全員だからな。」
「......全員.......ですか。」
うーん、何かきな臭くなってきたぞ。
♢♢♢
その後、話が終わると、タナトスによって城の一室へ案内された。キングサイズのベッドとサイドテーブル、タンスしかないが、ホテルのスイートルームくらい広い。どうやら今日はここで休み、明日の朝にオリンポスへ向かうらしいが、いかんせん足りないものがある。
「......腹は減らんが、飯は食いたいなぁ。」
そう、俺は旨い飯を食うのが大好きなのだ。
殺し屋が飯に拘りを持つことを不思議に思う人ももちろんいるだろう。だがよく考えてほしい。俺たち殺し屋は任務中にはまともな飯を食えない。どころか、飯を抜かざるを得ない時だってある。もちろん、大勢を相手取ったりする派手な戦闘の前は出来るだけ食うようにしているが、調査中なんかはなかなか飯にありつけない。となると、食える時に出来るだけ旨い飯を食いたいと思うのは必然のことではないだろうか?
......まあ、そんなわけで、今の俺は欲求不満なのだ。余談だが、食欲には第一次欲求的なそれと、より高次的なそれがあると思う。主に俺の欲求は後者だな。ま、だからこそ満たすのに苦労するのだが。
「......この先、旨い飯にありつけるんかねぇ...。」
その機会に恵まれればいいがなぁ......。
そんな風に、今自分が置かれている状況も気にせず、ベッドに横たわりながら考え事をしていたが、眠気が襲ってきた。肉体に疲労感は全く感じなかったが、思いの外精神的な負担が大きかったようだ。いつもの、寝ながらでも警戒をする癖はそのままに、俺は意識を手放した。
♢♢♢
「ふわぁ......あぁ。......ん?」
ああそうか、俺、冥界に来てるんだったな。......あぁ。目が覚めた感覚があるってことは多分これは現実だな。昨日までは夢の可能性も捨てていなかったんだが......。どうやらその線は、完全に消えたようだな。
寝ぼけ眼を擦りながら、懐の短剣を確認する。いつ何が起きても対応できてこそ、一人前の殺し屋なのだ。
すると、コンコン、とノックの音が聞こえてきた。どうやら誰かが俺を起こしに来たらしい。
「......起きているぞ。」
キィーッと扉が音を立てて開く。
「おはようございます、神川殿。ご機嫌はいかがでしょうか。」
タナトスだ。
「おう、なかなかだ。」
「そうですか。それでは、迎賓館に参りましょう。そこでハデス様よりお話があると思います。」
「わかった。」
そうだ。今日は、俺についての話を聞くために、オリンポスに行くんだったな。少しイヤな予感がするが、まあ仕方ない。俺自身が自分のことを分かってない以上、オリンポスでどんな扱いを受けようと、行かないという選択肢はないだろうからな。
迎賓館へ着くと、すでにハデスは到着していた。ペルセポネと何か話し込んでいたが、俺が来たと分かるとすぐにこちらへ顔を向けた。
「良い朝よな、神川殿。」
「...そうですね。」
うーん、いい朝なのか?薄暗い冥界には当然、太陽の光が差さないので、いい朝かどうか以前に朝かどうかが判別できないんだが。んー、ま、それを言うのは野暮だろう。
「さて、それでは早速オリンポス山へ向かおう。」
おっと、ここで気づいたことがある。オリンポス山ってどこにあるんだろう。噂では、空よりも遥か上に位置すると聞くが、地球の空の上に広がっていたのは宇宙であって、決してオリンポス山なんかじゃなかった。
仮にここより上だったとしても、俺は空なんか飛べないし、場所が分からないんならなおさら論外だ。どうやって行けと言うんだ?
「それではこちらへ来たまえ。オリンポス山へは転移魔法陣を用いてしか行けぬゆえ、それがある部屋へ行かねばならん。私が案内しよう。」
転移魔法......こりゃまたすごいな。
「はい。」
俺とハデスはその場でタナトスとペルセポネに別れを告げた。ハデスとペルセポネはすぐに会えるが、俺が次にタナトスと会えるのはいつだろうな。短い時間だったが、タナトスには色々助けられた。
「タナトス、案内役ありがとな。」
「いえいえ。お礼を言われるほどのことではありません。」
「......ふっ、そうか?......じゃあ、行ってくるわ。」
「......はい。......さようなら。」
そう言ったタナトスに一瞬、寂しそうな、悲しそうなそんな表情が浮かんだ。俺は、彼が俺にどんな印象を抱いていたのかすら知らない。実際、たった二日しか付き合いがないわけだし、これから会うこともあるかどうか......。そんな関係でしかない俺が去るだけで、そんな顔をするのか。
いや、違うな。あれは俺への特別な感情があるというわけではないんだろう。タナトスは単に、つまらないのだろう。あいつはとんでもなく長い時間の中、毎日変わらず死神としての役割を果たしてきた。レウケーがそうだったのかは知らないが、あいつは今の生活に刺激を与える何かを欲しているんだろう。
昨日も思ったが、アイツは幸せなのかね...。
ま、俺には分からんな。どうせ俺は、いずれ死に行く人間なんだから。
......はぁ。面倒臭ぇな。
「おう。......またな。」
タナトスが一瞬、目を見開く。
「......はい。」
おぅ。我ながら柄でもないなぁ。
そんなことを思っていると、
「さあ、行こうか。神川殿。」
そう言いながらハデスが部屋を出たので、あわてて俺も追いかける。どうやらこの廊下の先にその部屋はあるようだ。
少し歩くと、目的の部屋についた。扉を開けると、すぐにそれと分かる、特徴的な魔方陣らしきものがあった。
「さあ、この上に乗りたまえ。」
「......はい。」
さあ、いよいよだ。俺は何のためにここにいるのか。確かめさせてもらおう。
俺とハデスが転移魔法陣に乗る。その瞬間、眩い光が、俺の視界を奪った。
個人的にはタナトスとの描写に少し納得がいってないので、「こうしたら?」みたいなアドバイス等あればぜひよろしくお願いします。