40年間忘失していた僕のトラウマ
あれは、1981年(昭和56年)の事でした。
僕は遅生まれだったので、まだ9才だった頃のお話しです。
当時、父の勤めていた会社で、給料が現金払いから給与振込に変わった頃でした。
ただ、給与振込に変わったといっても、現在みたいにきっかり振込指定日に入金される事はほとんどなくて、2日遅れはいい方で4~5日遅れる事もざらにありました。
ある日、父の勤めている会社が、珍しく給料日前に給与振込をした事が1度だけありました。
とはいえ、給料日の1日前だったので、現在なら騒ぐ程の事ではありませんが、当時としては大騒ぎになったのです。
それは、ただ単に経理担当の方が振込む日を間違っただけだったのですが、早く振込まれた給与に従業員の奥さんは浮かれ気分でした。
僕の母親もその一人で、それ以来給与振込の前日から虎ノ門3丁目の交差点付近にあった銀行に、僕は何度も通帳記入(以降、記帳)に行かされる羽目になりました。
ただ、通帳に給与振込があっても、引き出し依頼書を書き、ハンコと通帳と共に窓口に出して現金を引き出すと、銀行の帰りに何かあると子供には危険なので、記帳だけを頼まれていました。
この当時、ATMはあったにはあったのですが、何せ数が少ないのでほとんどのお客さんは窓口を利用していました。
僕は母親から通帳を渡されて、虎ノ門にある銀行の窓口に何度も行きましたが、それ以降は振込指定日より早く給料が振り込まれた事は1度もありませんでした。
僕が学校から午後3時より前に家に帰り、且つ、父親の給料の振込指定日の前後だと、大抵母親から記帳を頼まれました。
小学校から午後2時30分に家に帰れる日は、自転車で銀行に行けば銀行の窓口が閉まる午後3時前に行く事が出来ます。
虎ノ門にある銀行には、だいたいいつも窓口が閉まる10分前には行っていましたが、1分前でも自動ドアの中に入ってしまえば、何とか用を済ます事が出来ました。
窓口に行くと、現在みたいに番号札カードを発券する機械がある訳ではなく、名前(口座名義人)を呼ばれた時に聞き逃してしまうといつまでも呼ばれないので、銀行の窓口の前はいつも静寂に包まれていました。
僕が銀行の窓口に行き始めてから、約3か月経った時です。
その時ばかりは、銀行に行くのが億劫に感じました。
しかし、母親に急かされて仕方なく銀行に行く事になりました。
僕が銀行の裏手に自転車を停めて自動ドアの中に入った瞬間、銀行の前に黒塗りで角ばったセダン車が停車しました。
そして、黒服でサングラスを掛けた男達がその車から降りると、トランクからライフル銃をむき出しで取り出して、銃を立てたまま自動ドアに近付いて来たのです。
それを見て、僕は素早く自動ドアの内側にあった観葉植物の後ろに身を隠しました。
黒塗りのセダンで来た男達は、どう見ても銀行強盗でした。
その数秒後に、黒服でサングラスを掛けた4人の男性が、ライフル銃を担いだまま自動ドアの前で張り付くように中を見ていました。
そして、4人の男が自動ドアを開けると、中には入らず出入口を塞ぐように立ちはだかりました。
すると、4人の黒服の男から2メートル位先にいたおばさんが、ライフル銃を見るなり恐怖に怯えて自動ドアから慌てふためいて出ようとしました。
「おっと、このまま逃がす訳にはいかないよ!」
「さっさと中に戻れよ!」
「ヒィィィィー」
「死にたくなかったら大人しくしろ!」
そう言って、右にいた男がライフル銃を構えて無理矢理おばさんを押し戻すと、その時自動ドアの前に立ちはだかっていた4人の間に人が通れる隙間が出来ました。
これはチャンスだと思い、僕は勇気を出して観葉植物の後ろから、身を低くして猛ダッシュで自動ドアの間を駆け抜けました。
その時、僕の後ろから、
「チッ、ガキか!しょうがねぇ」
と、いう声が聞こえました。
僕は、銀行を出て左側の桜田通りに逃げる事が出来ました。
「た、助かった~」
とは思いましたが、その直後に銃声が連続で轟いていたので、しばらく恐怖で手が震えていました。
この時は、銀行から直接家に帰れる気分ではなかったので、公園のベンチで気持ちを落ち着かせました。
それから30分位して家に帰ったのですが、母親には窓口の時間には間に合わなかったとだけ言って、通帳を返しました。
その後、母親が買い物に出掛けたのですが、すぐに帰ってきてこう言われました。
「あんた、自転車はどうしたの?忘れてきたんじゃない」
「あっ、そうだ…、銀行の裏に停めたままだった」
そう言って、すぐに自転車を取りに行きましたが、とても気が重かったのは否めませんでした。
ゆっくりと歩いて銀行に行くと、自動ドアのガラスの左側は粉々に割れていて、厳重に規制線が張ってありました。
薄暗くなった銀行の中を覗いてみると、床に血の跡がありました。
「これは酷い惨事になったんだな!」
しばらく呆然としていましたが、自転車を取りにきた事を思い出し、銀行の裏手に回り込みました。
そこには夜間金庫があり、その右横には外階段があって、踊り場を2ヵ所通り抜けると2階にある非常口へと繋がっていました。
夜間金庫の左側が駐輪場でした。
停めてあった自転車の鍵を外していると、外階段の2階部分に設置してある誘導灯が、
「ジー、チカッ、チカッ、ジー、チカッ、チカッ、チカッ…」
と、フリッカ(点滅)していたのです。
僕は意味もなくそのフリッカを見続けていました。
しかし、途中で我に返り、さっきまでの出来事が噓だったかのような気持ちになり、自転車に乗って帰りました。
翌日になると、昨日の銀行強盗の事件が新聞に載っていました。
記事によると、死亡したのが4名でその中に女性が1人含まれていました。
まさか、あの時のおばさんが…、
とも思いましたが、今となってはどうしようもない事でした。
この頃の銀行強盗は極めて凶暴で、威嚇射撃の後に動いた人は問答無用で射殺されていました。
一番被害に遭うのが多かったのは、札束をを運んでくる人と、強盗犯のバックにお金を詰め込む人でした。
当時は、現在の刑事ドラマのような、血を見ない銀行強盗なんて存在しなかったのです。
銀行強盗が逃げられるタイミングであれば、警察官であっても容赦なく撃ち殺していました。
僕が通っていた銀行は、内部の整理と自動ドアの修理の為に営業再開に10日程要しました
銀行の営業が始まり、僕が通帳を持って窓口に行くと、子供にもいつも笑顔で対応してくれたお姉さんがいませんでした。
その銀行ではお姉さん以外は、子供の客ををぞんざいにあしらっていました。
なので、お姉さんはどのお客さんにも人気でした。
僕はいつもお姉さんがいた窓口に近付くと、そこには化粧っ気のない若い女性が座っていました。
通帳を渡して記帳してもらうようお願いすると、その方は目の下のクマが酷く今にも泣き出しそうでした。
すると、後ろにいたおばさんが嗚咽しながら言いました。
「ううっ、かわいそうに…」
「ここにいたお姉さんは銀行強盗に射殺されたのよ…」
「あの子は何も悪い事をしていないのに…」
「銀行強盗が出て行ったと思ってお姉さんが動いたら、バーンって音がして…」
「あああぁぁぁー」
「シュン、シュン、シュン…」
それを聞いて、周りにいた銀行員もお客さんも悲しみに堪え切れずに泣いていました。
嗚咽していたのは、あの時自動ドアを出ようとして銀行強盗に押し戻されたおばさんでした。
「僕があの時見た床の血は、もしかしたらお姉さんのだったのか?」
そう思った時、僕は急に気持ちが悪くなりました。
家に帰ってからは平静を装っていましたが、その日の夜からずっと同じ夢を見る事になったのです。
夢の中の僕は、銀行の夜間金庫の横にある外階段を、何度も何度も上り下りしていて非常口に入っていこうとするのですが、その度にドアノブにも触れられずに下りて行くというものでした。
その夢では、外階段の2F部分にある誘導灯が、激しくフリッカしていました。
それを、僕は1ヵ月以上も見続けましたが、
「もうこの事は忘れる、忘れる、忘れる、忘れる…」
と、自分に何度も暗示をかけて、何とか同じ夢から脱却したのでした。
しかし、あるアニメを観た時に、その時のトラウマを思い出してしまったのです。
それは、ソードアートオンラインⅡに登場する浅田さんという女性が、子供の時に母を守ろうとして銀行強盗から拳銃を奪い、その勢いで強盗の男を撃ち殺してしまうシーンでした。
そのアニメでは、浅田さんはそれ以降拳銃を見ると事件を思い出し、PTSDに悩まされるようになるのですが、自分の子供の時のトラウマだった銀行強盗に遭遇した事と、銃、撃ち殺す、といったキーワードがもろに当て嵌まってしまい、今頃になってモヤモヤしながら嫌な過去を思い出したのです。
現在では、銀行には防犯体制も整い、そうそう銀行強盗が成功しないようになっていますが、かつてはライフル銃を持って入店してくる凶悪な銀行強盗がいた事も忘れてはならないと思いました。
そこで流れた血があったので、現在の防犯体制が築けたと言っても過言ではないでしょう。
よく、刑事ドラマで見かける銀行強盗が、
「手を挙げろ!」
というのは実際にあったのですが、その状態から少しでも動いた人は無差別に射殺されたのです。
銀行強盗の立て籠もり事件というのがたまにありますが、この当時はただ単に強盗犯が逃げ遅れて警察に囲まれたというのが多かったです。
最後に、かつて銀行強盗に射殺されて亡くなられた方々には、心よりお悔やみ申し上げます。
今回のお話は以上になります。
数ある小説の中から、当方の小説をご拝読頂きまして誠にありがとうございました。