ご挨拶の話(その2)
カンナの運転する車に乗って、二時間ほど。
遠すぎず、近すぎず、干渉できなくもないが、何度も干渉するには少し面倒なくらいの距離感。
叔父さんの家はそんなところにある。
ごく普通の、二階建ての一戸建てを前で車を降りる。
ハクとカンナは少し思うところがあるようで表情に硬さと緊張が出ている。
俺はと言えば、いよいよ本番だなぁ、などと思ってはいるものの、特に心がざわめくわけでもなく、実に平静である。
別に強がりでもなんでもなく、ハクなら大丈夫だろうという確信が強過ぎるだけである。
逆に、ハクは緊張してきたらしく、何度か深呼吸と咳ばらいを繰り返している。
「ん、んん。すぅ、ふう……よし。では、いきましょうか」
……。
…………。
????????
「ハクがおかしくなっちゃった……」
「おかしくなってるのはあなたもよ、カカル」
いや、だって。ええ……?
ハクの口調が生来のものではないのは、もちろん分かっている。
だって夢の中では普通にしゃべっていたし、おそらくはお義父さんの没後から意識して変えたのだろうということも推測できる。
しかし、実際に見て、聞いてみると違和感がすさまじい。
「わかってくれているものと、思っていましたが」
「まあ、ね。実際に見たことは無かったから……ビックリした」
困惑している俺に対し、いたずら気な色を瞳に含ませたハクが小首をかしげている。
カンナは呆れたように額に指をあてると、茶番は終わりにして、とでも言うようにため息を吐いた。
ハクと俺は視線を合わせ、カンナもずいぶんと俺たちの距離感がわかってきたようだ、と笑い合う。
大丈夫。これもハクだ。
「うん、大丈夫だよ。行こうか」
「そうね」「そうですね」
一度も足を踏み入れたことのない、俺の実家に、大切な人とその親代わりの人を招待することになっている。
こんなことが起きるとは、人生というものは分からないが、これからの展開なんぞ分かり切っている。
インターフォンを鳴らして数秒、向こう側とつながったのを確認して呼びかける。
「叔父さん、俺です。カカルです」
『ああ、よく来たな。鍵は開けてある。好きに入ってこい』
短い応答の後、プツリと接続が切れる。
後ろで見ていた二人にうなずいて、門を開ける。
よくある鉄のフェンスのような門と玄関の間には、雑草は全くないが、観葉植物のようなものも全くないさっぱりとした玄関アプローチ。
玄関を開ければ、灰色の髪に黒い瞳の、渋い中年の男性が立っていた。
「お久しぶりです、叔父さん」
「ああ……。久しぶりだな、カカル」
叔父さんは落ち着いた声で答えながら、眉尻にほとんど分からないほどにわずかな喜色と、少しの逡巡を浮かべる。
俺は、安心させるようにできる限り自然な笑みを浮かべて、その憂いを取り除くことにする。
「……ただいま、です」
「……ああ。おかえり」
今度ははっきりと、瞳を細めて笑みを浮かべた叔父さんに一つ頭を下げた後、横によけて空間を開ける。
後ろから出てきたハクは、丁寧にお辞儀をして、凛と輝く赤色の瞳で叔父さんと相対する。
「上倉白狐と言います。カカルさんとのご結婚を許可していただきたく、本日は参りました」
はっきりと、誤解をしようのない宣言に、叔父さんの眉がピクリと動く。
同時に、俺の心臓もうるさくなり始めたけれども、ここで無様をさらすのはいくら何でもしたくないので気合で深呼吸する。
静かに、俺の呼吸音だけが聞こえるような玄関先で、蚊帳の外だった者が一人。
「えっと、入ってもいいかしら?」
カンナが少しひきつった笑みを浮かべて声を上げたことで、玄関先の緊迫した空気がほどけて消えた。
「これは、失礼した。立ち話もなんだ、上がってください」
「失礼します」
笑顔を浮かべて来客を迎える叔父さんと、うやうやしく招きを預かるハク。
少し思わし気な視線を向けてきたハクに、大丈夫だよ、と小さく手を振れば優しい笑みを浮かべて、口元で無茶をしないでねと答えてくれる。
そんなやり取りをしている俺の袖を引いたのは、えらく気配を薄くしたカンナ。
「ねえ、大丈夫でしょうね」
「少なくとも、カナさんが心配するようなことは起こらないかと。叔父さん、かなりハクのこと気に入ってましたよ」
「……信じるわよ?」
「はい。俺って結構、人を見る目があるみたいですから」
カンナはいぶかし気にしているものの、あまりコソコソと話しているわけにもいかない。
一応、人を見る目に関してはハクからのお墨付きなので、信じてもいいと自分では思っている。
一足先に入っていったハクと叔父さんの後を追いかければ、応接間らしき部屋に入った。
無地ながらも高級感のある黒い机が一つと、それを挟んで柔らかそうなソファが大小一つずつ。ついでに急ごしらえに用意されたであろう、不似合いな椅子が一つ。
「どこでも座ってください、お茶を用意します」
叔父さんはそう言うと、奥へつながる扉へ向かう。
とりあえず、俺は椅子に座ることにする。
どうせ高みの見物になるのだから、少しくらいは良いだろう。
そんな俺の考えを見透かしてか、ハクは大きなソファに片側を開けて座る。
カンナが呆れたような目線をしているので、少しだけ事情を説明する。
「俺がハクの隣に座ると、ダメージがでかすぎますんで」
「ああ、例の……」
ハクからちゃんと話は伝わっているみたいで、一応納得してもらえた。
確かに恋人が隣に座らないのは変な話だが、これについては叔父さんもおおよそ分かってくれるだろうし、仕方のないことでもある。
これからハクがさっきのような宣言と告白を行う以上、かなりの確率で戦線を離脱することになるだろう。
そういう意味でも扉に近い位置にある立ち上がりやすい椅子はうってつけなのである。
「お待たせしました。粗茶ですが」
「いえ、お気遣いなく。こちらこそ、つまらないものですみませんが」
戻ってきた叔父さんからも反応はなく、質素な湯飲みに入れられた緑茶を机に並べる。
ハクもそれにこたえて、手作りクッキーを差し出す。
先ほどまでの緊迫感はすでに無く、和やかな雰囲気を出し始めているあたり、俺の心配は杞憂だったかもしれない。
カンナもそんな雰囲気を感じたようで、ほっと安堵の表情を見せている。
「カミクラさん、でしたか。シロコさんとお呼びしても?」
「はい、かまいません。親しい仲の、カカルさんなどには、ハクと呼ばれています」
「なるほど、白だからですか」
「ふふ、そうなります」
ほんのりと、暖かくにじんだ空気。
……何も思わないはずがない。
叔父さんとハクは、段々と俺の話を主にし始める。当然だろう、そういう場なのだから。
時折カンナにも話がふられて、ハクがいかにいい子なのかを力説する。
その姿はお母さんと言うよりも、近所の親しいお姉さんだ。本人は、それを苦笑いしながら肯定するだろう。
……考えたことがある。結婚式の会場を。ハクとともに立つウェディングロードを。
ハクが楚々と笑う。いつも通りの和服。今日は落ち着いた薄紫の地に、両肩と背中にワンポイントがついていて、足元にはきらびやかに花がちりばめられている。
……やっぱり、ハクが着るなら白無垢だろうか。なら、神社での式になるのかな。
叔父さんが優しく笑みを浮かべる。知らない表情だ。いや、叔父さんについてなんて、何も知らないのだ。
……両親か。
「ところで、カカル」
思考を深めかけたところで、叔父さんから声をかけられる。
「……ん、なに? 俺からもハクについて語った方がいい?」
少し下げていた視線を上げれば、心配そうなハクの視線。
良くなかったな、と自省をこめて少し強めに頬に力を入れる。
「いや、それには及ばない。十分に、お前にはもったいないほどの女性だと分かった」
「それはよかった。じゃあ、後は結婚についてくらいじゃない?」
声は震えていなかっただろうか。こんな時くらいはシャキッとしていたいのだが
叔父さんは一つ咳ばらいをすると、言いづらそうに口を開く。
「まあその、なんだ。せめて結婚はお互いに責任が取れるようになってからだな……」
あ、やべ。




