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手土産の話

「クッキーを焼いたのじゃ」


がたーん、ごろごろ。

昼ごはんが終わって数時間、おやつの時間にリビングの床に転がる俺。

そして、盛大に転げまわった俺の姿に呆れたような視線を向けるハクは、オーブンから取り出したであろうトレーをミトンもなしに持っている。

何とも奇妙な絵面、だがしかし、こちらにだって言い分がある。


「ハクが、お菓子を作ってるなんて……!」


俺はわなわなと震える声で驚きを表現しつつ、信じられないという目で見つめる。

それに対してハクは軽くため息をついて、少し苦々し気に口の端をゆがめたが、すぐに気を取り直し、うっすらと自信をにじませた笑みに変わる。

自身の作ったクッキーによほどの自信があるのか、それとも、ただお菓子を作るだけでも自らのために動いた事実で安心させようとしているのか。

どちらとも言い切れないが、ひとまずは話を聞いてみてもよさそうだ。


「挨拶の時に何も持って行かぬのも無作法じゃろう。ゆえ、わしなりに考えたのじゃ」


「ああ、なるほど。ハクらしいと言えばらしいね」


しゃらりと姿勢を正した俺に対し、当たり前のことを話すかのように何の気負いもなく叔父さんへの挨拶の話を始めるハク。

確かに、挨拶をしようと言うことで先日から準備を進めているわけだが、不可解な点はいくつも残っている。

ハクが尻尾を揺らすのを眺めながら、少しだけ思考を整理した後、軽い質問から入る。


「なんでクッキーを?」


「軽くつまめるもののほうがよいじゃろう。サンドイッチでは不相応だと思うのじゃが」


「いや、わざわざ手料理なんだなって」


正直なところ、答えの分かりきった質問ではあったものの、それだけに重要なことでもあった。

ハクは、困ったように眉を下げると、少し頬を染めた。

言わないとだめか、と聞かれているような気がするが、言わなくていいなら聞きもしないのが俺たちの間の暗黙の了解である。

じっと、彼女を見つめれば、観念したように一つ息を吐いて目を伏せた。


「心配、しておるじゃろう。わしがおぬしを想うておるかと、わしがどのような人柄かと、わしがふさわしい能力を持っておるかと。……おそらくは、ずっと心配だったのじゃろう」


「……うん、多分ね」


噛み締めるように、激情を抑え込むようなハクに、断言はできなかった。

同時に、自分ならそうだと想像するハクの想いに、心があったかくなる。

だから、彼女に寄り添うように、目の前にひざまずく。

俺が彼女の頭に優しく触れれば、熱を含んだ瞳がこちらに向けられる。


「だからこそ、ハクなら大丈夫。絶対に、叔父さんも認めてくれるよ」


叔父さんがどんな風に彼女を見るかはわからない。でも、それを断言するのは難しくない。

だって、こんなにも俺のことを想い、慕い、気にかけてくれる人を否定することなんてできるわけが無いのだから。


「安請け合いじゃな」


「俺らしいでしょ?」


「ふふ、そうじゃな……。それが、おぬしじゃ」


頭に乗った手を優しくつかんで、頬に摺り寄せるハク。

それを見て、不意に実感してしまうのは、この先。

胃の不快感を飲み下して、それでも湧き上がる不安に、わざわざ蓋をすることはない。


「大丈夫じゃよ。わしは、いつまでも待っておる」


ふわりと腰に巻き付いた尻尾と、凪いだ湖面のような赤い瞳。

だって、こんなにも簡単に、湧き上がった不安がほどけていく。

変わらずに居られたら、と思うことが無いわけではないが。

普通の恋人関係と比べれば、その頻度は明らかに少なく、むしろ生き急いでいるかと思うほど変化し続けて見えるだろう。

その先が怖くなるたびに、こうして互いを確かめて、それだけで済んでしまうから。

親指で頬の輪郭をなぞれば、ハクは嬉しそうに赤い瞳を細める。


「大丈夫だよ。俺には、ハクがついてるから」


「うむ。わしにも、おぬしがついておる」


くすくす、と笑い合って、その意味を確かめもしない。

言葉足らずでも、見当違いでもなく、ただハクと俺との間にはそれだけで分かることがある、というだけ。

たった数か月前の俺では考えられなかっただろうが、今はこれがすべてだ。


「いい報告ができそうだねぇ……。それが、叔父さんにとっては一番の手土産なのかも」


「そうか。よい人なのじゃな」


「うん。確かに、最善を選ぶことは無かったけれど……。次善を全力で尽くしてくれた人だから、尊敬できる人で、感謝してる人だよ」


ハクがその狐耳を立てると同時に、俺も手を放す。

話が長くなりそうだ、と察したらしい彼女は、トレーに乗ったままのクッキーを一つ手に取った。

同じように椅子に座りなおした俺も、ハクの手作りクッキーを一ついただく。

ほろりとした柔らかい生地に、素朴な甘さ。バターの香りも砂糖の量も控えめな、なんとも質素なクッキーだ。

カロリーも糖分も控えめな、味よりも食べる人の体のことを第一に考えて丁寧に作られたクッキー。


「思うたよりも、薄味じゃな」


「でも、これでいいと思うよ。ハクの優しさは伝わると思う」


叔父さんも、そういう人だったから。

心の中で、そんな言葉がこぼれる。

甘さは無いけれど、その裏には確かな信念と、祈りと、……愛情があった。


「人間味が無い、とカンナは言うておったが」


「そりゃあね……。普通はできることじゃないと思うよ、親から捨てられた子供を放置するなんて」


「……なるほどのう。それは、次善じゃなぁ」


「でも、偽善じゃない。ってね」


上手く言ったつもりか、とハクが笑ってくれたので饒舌のかいはあった。

まったく、必要のないことばかり言ってしまった。

誰よりも俺を見ているハクが、その意味をはき違えるはずがないのに。

その行動を、今さらに説明する必要もないというのに。


「おかげで、覚悟が決まったのじゃ」


「……ん?」


俺が少しばかり思考にふけっていた間に、ハクは見たことが無いほど真剣な表情になって、その視線で俺を真っすぐに射貫く。

これから決闘にでも行こうかと言わんばかりの真剣さに、息をのんでハクを見つめる。


「何も隠すことはせぬ。おぬしを愛する者同士、きちんと任せてもらうのじゃ」


柔らかく、静かな、それでいて芯の通った、凛とした決意表明であり、宣戦布告。

強い意志を宿した赤い瞳、何色にも染まらない純白の髪、人ならざる狐の耳。

どこまでも魅力的な彼女は、やはりその心持ちまでも、俺をとらえて離さないらしい。

俺は真っ赤になった顔をそっとそらして、淡く濃密なクッキーを口の中に放り込んだ。


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