8 人生いろいろ、じゃないものの方が少ない
ロビーでカーター警部と鉢合わせした重大犯罪課捜査官ラルフ・ディクソンは、課に戻り自分のデスクでひと息ついた。
「どうしたんだ、ラルフ」
彼の上司で重大犯罪課長ユージーン・ギャレットがいつもと違う空気をまとわりつかせている彼に尋ねた。
「刑事課のカーターがくだらない計画を立てているようでしたので、忠告しただけです」
課長は端正な顔をしかめた。
「刑事課の奴らなど放っておけばいい。どうせこそ泥や街娼の取り締まりしか能の無い連中だ」
犯罪捜査に特化した天賦を持つ個有者のみで構成された重大犯罪課員が笑った。ディクソンは忌々しげに言った。
「それが、どんなツテを使ったのか、プランタジネット大公の息子を引き入れていましたよ」
王族の名を出され、重大犯罪課はざわめいた。一人沈黙していたギャレットが課内の動揺を鎮めた。
「大公殿下の息子はまだ学生だ。たまたま興味を持っただけだろう」
彼の言葉に場は収まり、捜査官たちはそれぞれが抱える事件の捜査に出て行った。一人残ったギャレット課長は窓の側に立った。
ガラス窓からは、警視庁から出て馬車に乗り込むモーリスとメロディの姿が見えた。
キャメロットフェスティバルへの参加について、王太子たちにはモーリスが、ノーマとジャスパーにはメロディが説明することになった。平民二人組は、キャメロットにおける最大の夏祭りに参加できることに驚き喜んだ。
「へー、じゃ、キャメロット警視庁と一緒に出るんだ」
「刑事課のカーター警部が新しい捜査手法として指紋に注目してくれたの」
「警視庁って個有者が多いんでしょ?」
「みたい。殺人とかの重大犯罪は個有者だけの課が受け持つって聞いた」
「その人たちも何かやるのかな」
「どうかな。警視庁の広報担当の人たちが中心になるみたいだし」
「だよなあ」
異世界の記憶でも警察と市民との交流目的の行事があった。専用車両や音楽演奏を披露し、子供たちには犬が人気だった。
「警察犬っているのかな」
「犬? 警察に?」
不思議そうなノーマに、慌ててメロディは誤魔化した。
「どこの国か忘れたけど、犬を犯人の匂いを追跡するのに使うって」
「軍用犬みたいなものかな」
ジャスパーも首をかしげていた。
――あれも優秀な血統を育てていったから使えるんだっけ。なかなかすぐに結果なんか出せないよね。
自身を納得させ、メロディはモーリスの方を見た。どうやら王太子は乗り気のようで、当然メアリ・アン・フィリップスも彼と行動を共にする気のようだ。そうなるとジョセフィン・マールバラ公爵令嬢も引き下がれない。
すでにおなじみになってしまった王太子を巡る口論を素通りさせ、メロディはフェスティバルのことを考えた。
――殿下が顔を出すと警備も大変だろうな。
警視庁の人に申し訳ながっていると、そこにモーリスが歩み寄った。
「ジュリアスたちは参加する方向で予定を調整する。君たちの方は大丈夫か?」
「はいっ」
ジャスパーが直立不動で答えた。モーリスは頷き、メロディに相談した。
「指紋を採るだけでは地味だが、君がやったように紙から指紋を採って誰が触ったか当てるのはどうだろう」
「クイズ形式ですね。それなら五人くらい協力してもらえれば出来そうです」
メロディも同意した。紙とインクとローラーとガラス板、それに拡大鏡があればいいのだし、その場の成り行きに任せることも出来る。
「あ、王太子殿下はあまりホイホイ御自身のサイン入り指紋をばらまかないでくださいね。特にご婦人には」
子爵令嬢に釘を刺され、ジュリアスが言葉に詰まった。マールバラ公爵令嬢が全面同意の顔をする横で、メアリ・アンがむくれた。
「私がジュリアス様のお側にいるんですよ、他の人なんかによそ見するわけないのに、ひどいっ」
「あーはいはい、フェスティバル中にバトらないでくださいね」
紛争地帯から距離を取り、他の部員たちは細かい打ち合わせをした。
「当日の服装はどうする」
「制服でいいんじゃないですか、学園にも話は付いてるし」
メロディが面倒くさそうに言うと、メアリ・アンが反対した。
「私、ジュリアス様のために可愛い服を用意したのに、ひどいっ」
「上に白衣着るからわかりませんよ。一張羅がインクで汚れてもいいんですか」
「そんなあ…」
なおもブツブツ言っていた銀行家の娘は、旗色が悪いとみるとあっさりと多数意見に従った。
この変わり身の早さは見事だと感心しながら、メロディはカーター警部に渡す計画書のメモを取った。
三日後、モーリスと一緒にキャメロット警視庁に来たメロディは、入り口付近に貼られた沢山のポスターの一枚に目を留めた。
「情報求む。ジャスティン・クリストフ・ライトル。失踪時四歳六ヶ月。髪はブラウン、目は黒色……」
記載事項を読み上げる彼女を見て、モーリスも興味を持ったようにポスター前に立った。
「ライトル伯爵家の令息誘拐事件か。まだ見つかってないのだな」
「懸賞金が引き上げられたんですね。これって、お金目当ての偽情報が多そうな気がしますけど」
「それでも、無いよりましだと思っているのだろうな」
子供を奪われたのだ。親はどんなことをしてでも取り戻したいと考えて当然だ。異世界での悲惨な事件が浮かび、メロディは首を振った。そこに第三者の声が加わった。
「私も覚えてますよ、殿下。もう六年になるか」
いつの間にか二人と並んでいたのはカーター警部だった。常の胡散臭い笑顔は消え、真剣な痛ましそうな表情をしていた。
「領地のお屋敷から連れ去られて身代金が要求され、金を渡そうとしたら受け取り役が殺されてそれっきり。親御さんは諦めきれないんですよ」
「誘拐の生存率は発生後二日を超えると急激に下がると異世界の統計で出てました」
警部は何度も頷いた。ポスターの中で、愛らしい幼児は汽車の玩具を手に嬉しそうに笑っている。
キャメロットの下町、ホワイトマーケット地区。犯罪大通りと呼ばれるガズデン通りを中心に、生きるためなら違法行為も厭わない貧困者たちが群がるスラムで、一人の少年がくすねた小銭を数えていた。彼の足元には垂れ耳の小型犬がうずくまっている。
「ジャック!」
スラムのスリ仲間が彼を呼んだ。
「ジェンキンズさんが呼んでるぜ」
「何だよ、これからひと仕事あんのに」
「いいから早く行けよ」
ぶつくさ言いながらも、少年は小銭をポケットにしまうとスラムを牛耳るギャングの幹部の元に出頭した。
「俺に何か用なの?」
ジャックを迎えた入れ墨だらけの大男は、気味が悪いほど上機嫌だった。
「待ってたぜ、兄弟」
脚の長さが不揃いな椅子に少年を座らせると、ジェンキンズは用件を切り出した。
「こいつを見たか?」
彼が差し出したのはライトル家が出した広告ポスターだった。ジャックは憮然とした顔で答えた。
「俺、字なんか読めねえって」
「まあ、よく聞け。こいつはな、息子を誘拐された気の毒なお貴族様が情報をくれたら金を出すって言ってんだよ」
「それが何の関係が?」
「年頃も、髪や目の色もお前と同じだ」
「あ? 俺んちは飲んだくれの親父と街娼崩れのお袋がピンピンしてんだぜ」
「そいつはどうでもいいんだよ。いいか、お前を連れてきゃ伯爵様のお屋敷に入れるんだ。そうすりゃ、どんなお宝がどこにあって入りやすそうなのはどこか丸わかりじゃねえか」
「押し込みの偵察かよ」
うんざりしたジャックにジェンキンズは幾度も頷いた。
「そういうことだ。大丈夫、ちっと小綺麗にすりゃそれなりに見えるって」
冗談じゃない、偽物として捕まったら牢屋か良くて施設行きだとジャックは内心罵った。だが、この幹部が呼び出した時点で既に計画は動き出していることも悟っていた。無力な子供に拒否権など無いことも。
とぼとぼとねぐらに戻りながら、少年は幾度も溜め息をついた。
「何か、面倒なことになっちまったな、マディ」
小さな犬は不安そうに鼻を鳴らした。
夕暮れの中、キャメロットの中心部を華やかなガス灯が照らす。ホワイトマーケットではそこかしこに貧相な灯りがともり、見えない未来におののくように揺れていた。