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74 あなたはもう忘れたっていい

 この小さな部屋が、少女の世界の全てだった。

 学校に通えていた頃に出来た友達は最初はお見舞いに来てくれたものの、復学出来ないと分かった辺りから一人また一人と姿を見せなくなった。

 両親と姉は心配してくれたが、彼女には夢中になれるものができた。海外の刑事ドラマだ。特に「科学警察CSI」シリーズが一番のお気に入りで、スピンオフも含めた全話を覚えるほど繰り返して見た。

 喜々としてドラマの話をすると両親は笑い、姉は関連本を借りてきてくれた。科学捜査そのものへの興味も出て、おぼつかない手つきでCSIキットを扱ったりもした。


 ある日、姉の友人たちが家を訪れた。直接会うことはなかったが、彼女たちが帰り際に家の前の道で話していたことが、少し開けた窓から漏れ聞こえた。

「マイもね、妹さんの病気がなければ第一志望に行けたのにね」

 悪気のない言葉が胸を突き刺した。それでも、少女は家族と変わらない様子で接した。悲しくなるとドラマの主人公たちの活躍に慰めてもらった。彼らの奮闘を思えば薬のきつい副作用もつらい検査も我慢できた。


 それでも病気は容赦なく進行した。

 いつしか可愛らしい部屋は無機質な病室に変わり、彼女は座ることすらまれになった。やがて最期の時が訪れる。

 ベッドに縋って彼女の名を呼び続ける家族は、皆泣き腫らした目をしていた。姉は「置いていかないで」と叫んでいる。

 最後の最後まで自分は大好きな家族を悲しませるのだ。それが一番つらかった。苦しい息の下で、彼女は家族に別れを告げる。

「……お母さん、お父さん、お姉ちゃん……、ごめんね…。今度は、元気な子に、生まれるから…、それ以外、取り柄が、ない、くらい……元気、に…なる、から……」

 だから、もう一度……。何より強く願いながら彼女は目を閉じた。



 世界が暗転し、取り残されたモーリスは呆然としながらも悟った。さっき見たのは別の世界の出来事だ。あの異世界の少女の強い願いとメロディの天賦(ギフト)が何らかの作用で繋がったのだろうか。

 思いもよらず自分の天賦(ギフト)がメロディの意識の奥底を覗いてしまったことに驚きつつ、彼は納得した。元気が取り柄だと笑う彼女に。生きることを決して投げ出さない彼女に。


 胸の奥が熱くなり瞬きを繰り返していると、何かが手に触れた。顔を上げたモーリスが目にしたのは、茶と青に扇形に色分けされた虹彩――ダイクロイックアイだった。この神秘的な瞳の持ち主を、彼は一人しか知らない。

 息を呑むモーリスに、小さな掠れた声でメロディが言った。

「……怪我、されたのですか?」

 首を振る彼に、少女は不思議そうに手を伸ばした。

「でも、泣いてらっしゃるでしょう?」

 それを聞き、遅まきながら彼は自分の頬に涙が伝っているのに気付いた。安堵、喜び、気恥ずかしさ。それらで混沌状態の頭は何も考えられず、モーリスはベッドの端に突っ伏した。

 我ながら情けない限りだったが、黒髪に心配そうに触れてくるメロディの指の感触だけを今は追いたかった。




「ただいまー!」

 約一週間ぶりの帰宅に、メロディは喜色満面だった。意識が戻ってから回復は順調で、心配された天賦(ギフト)への影響もないことが判明して退院の許可が下りたのだ。


 迎えるカズンズ子爵家一同はどこか動きと表情が固い。

「突然押しかけてしまい、申し訳ありません。どうしてもきちんと送り届けたかったので」

 プランタジネット大公家の一人息子に頭を下げられ、子爵は大慌てで止めさせようとした。

「そんな、勿体ないお言葉です」

「ご令嬢には色々と助けてもらいました。当然のことです」

「いえ、それ以上に色々とご迷惑をおかけしたことと存じます」


 思わず正直すぎる返答をしてしまう父親に、メロディは一言反論したかった。だが、乳母に抱かれた双子の赤ん坊を見た時に、あっさりと優先順位は下がってしまった。

「スチュアート、ブライアン! 今日も可愛いわねえ」

 甥っ子たちの登場は場の雰囲気を幾分和らげてくれた。モーリスも興味深そうに双子を覗き込んだ。

「そっくりだな」

「泣きぼくろの位置で分かりますよ。右がスチュアートで左がブライアン」

「本当だ」


 今は留置場で絶望に囚われているハミルトン家の双子にも、このような頃があったのだとモーリスは思った。彼らがどこで踏み外してしまったのか、世界全てを憎むようになってしまったのか。判明する時は来るのだろうか。

 乳児が揃って泣き出し、メロディと姉ベサニーと子爵夫人は乳母と一緒になってあやした。子爵も気掛かりそうに彼女たちを見守っている。


 平凡だが穏やかで優しい両親と姉。可愛い甥っ子たち。幸福な一家の姿が、果敢に難病と闘った少女と最後まで彼女を支え続けた異世界の家族に重なった。

 メロディの記憶を共有したことをモーリスは話していない。彼女が覚えていない悲惨な出来事もだ。

 もう手の届かない世界のことならば、愛した記憶だけがあればいい。そう考えながら彼は微笑ましい騒ぎを見つめた。


 玄関までモーリスを見送ったメロディに、彼は馬車に乗り込む直前に伝えた。

「体調が落ち着いたら屋敷に来てくれないか。母上がぜひ招待しろとうるさいんだ」

 目を瞠り、しばらく考え込んだ後でメロディは答えた。

「大公殿下から貴重なお話が聞けるのでしょうか」

「君が望むなら、父上は嫌とはおっしゃらないはずだ」

「では、お言葉に甘えることにします。今日はありがとうございました」

 向けられる笑顔に眩しげな表情で頷き、モーリスは馬車に乗り込んだ。


 自室に戻るなり、メロディはライティングデスクの引き出しから紙束を取り出した。

「さて、質問事項を整理しとかないと…」

 今回の一連の事件は部活は勿論、警察ですら手に負えないレベルの組織の関与がある。まだ推論だが、できる限りのことを聞き出したかった。



 数日後、今度は真新しい自動車が子爵家に乗り付けられ、近所に新たな話題を提供することになった。

 大公邸は物々しい司令部が撤収した後で、穏やかな姿を取り戻していた。

「鑑識課もないんですね」

 ドッド警部らが臨時に鑑識作業をしていた部屋も跡形もなかった。

「警部なら看板も引き上げていったよ」

「いつか警視庁に作る気満々ですね、師匠は」

 キャメロット警視庁にも挨拶に行かなければとメロディは考えた。


 以前のように大公妃の熱烈歓迎が待ち構えているのかと思ったが、大公への目通りは儀礼に従って行われた。

 来客用の小書斎に案内されたメロディはモーリスと並んで座り、幾分緊張気味に大公を待った。

「やあ、待たせたね」

 拍子抜けするほどあっさりとジョン大公が現れ、カイエターナ大公妃が続いた。立ち上がったメロディは、その後から入ってきた海軍の制服姿の男性二人を見て思わずモーリスの腕をつついた。


「あれって、筋肉キングさんにロバさん?」

 モーリスは無言で頷き、どういうことかと父親を見た。常ののほほんとした態度で、大公は子爵令嬢に声をかけた。

「元気そうで安心したよ、レディ・メロディ」

「来てくれて嬉しいわ」

 美貌の大公妃に微笑みかけられ、メロディはどうにか淑女らしい礼をした。

「お招きありがとうございます」

「ああ、楽にしてくれ」

 大公は片手をひらひらさせて堅苦しい礼儀を拒んだ。少しほっとした気分でメロディは再度ソファに座った。

「質問があるなら答えるよ。無論、国家機密は別としてだがね」


 わざわざ水を向けてくれたのを幸いと、メロディはメモを取り出した。

「ハミルトン家の双子は供述を始めていますか?」

「今のところは侯爵家と彼らを取り巻く者全てへの恨み節だが、飽きれば別の事も話したくなるだろう」

「彼らの動機は侯爵家への復讐なのでしょうか」

「要因の一つだな。ハミルトン家は迷信深く天賦(ギフト)の価値にこだわる傾向がある。庶子で双子、しかも与えられた天賦(ギフト)は他者の能力の消滅と増幅を分け合ったもの。当然のように忌避され本邸にも迎えられず、更に不吉として一人は母方の遠縁に預けられ、ハミルトンを名乗ることも許されなかった」


 恨み節は長引きそうだとメロディは思った。大公は淡々と続けた。

「二人が出会い、互いを兄弟と知ったのはロンディニウム学園だ。侯爵家の庶子と平民の子がそっくりだと学園内でも評判だったらしい。それで母親を問い詰め聞き出した結果、最悪の絆が結ばれたという訳だ。学園の記録に個有者(タラント)の生徒が天賦(ギフト)を喪失、または暴走させて退学した事件が何件もあった。当時の学長の怠慢だな」

 ――確かに、その時に何らかの手を打っていれば後の事件は防げたかも……、何だか閣下は当時の学長に対して既に粛正済みみたいな余裕があるけど。


 深く考えまいと決め、メロディは次の質問をした。

「卒業後は刑事と放蕩貴族を交互に演じていたのですね」

 大公は頷いた。

「他人を騙し悪事を隠蔽することが余程楽しかったようだな。リーリオニアでマティルダの天賦(ギフト)を消滅させたことに自信をつけたのだろう。その後は過激化の一途だ」


 傍聴していたモーリスが初めて口を開いた。

「ジェニュインとネイチャー&ワイルドの関係は? 集会にいた二人が海軍と言うことは、父上が潜入捜査をさせていたのですか?」

「ああ、ビル・サイアーズに捜査を命じたのだが、少し薬物の影響を受けてしまったようだね。毒物を染みこませた毛皮を舐めるなど、『D』の報告を受けて解毒薬を渡すのが間に合ったから良かったものの、本来なら降格級の失態だよ」

「申し訳ありません、閣下」

 直立不動で筋肉キングが答えた。大公はその隣に立つ海軍将校に言い渡した。

「次の任務から、君が『ビル・サイアーズ』だ」

「了解」


 粛々と拝命するロバ男を言葉もなく見つめた後で、メロディが尋ねた。

「……あの、閣下。誰がキングに解毒薬を?」

「二人組のダンサーだよ。ダンスの勘は大分鈍っていたがね」

 苦笑いする大公に、華麗な大公妃が腕を絡めた。

「そんなことありませんわ、愛しい人。昔と変わらず素敵でしたもの」

「君に褒めてもらえて光栄だよ」

 仲睦まじい夫妻に、メロディはおそるおそる確認した。

「もしかして、お二人があの時のダンサー? カジノでスカイウォークの客を助けたのも?」

「まあ、初代『ビル・サイアーズ』は私だからね」

 特大の爆弾発言に固まったのは子供たちだけだった。

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