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72 冷たい心じゃないはずだよ

「あそこ、あの船、甲板に『C1315』って書いてあります!」

 メロディが背後のモーリスを振り向き告げた。テラノの背中で空を飛ぶのはわくわくするが、速度を上げると風のせいで怒鳴らないと会話が出来ない。

「造船所から消えた船で間違いなさそうだな、人はいないようだから上陸してるのだろう」


 地図で見た倉庫を探そうとした二人は、下の方で黒煙が上がっているのに気付いた。

「火事……?」

 ゴーグル越しの光景を一瞬でサーモグラフに変えると、一つの倉庫内で炎が燃え広がっているのが分かった。その建物の上部の窓に不自然に張り付く人影も。

「誰かがあの窓から火を投げつけてます!」

 子爵令嬢の報告を聞き、モーリスは竜笛を吹いた。教わったとおりに旋回の指示を出すと、よく訓練されたテラノは命令に従ってくれた。音もなく滑空する皮膜の翼が不審者へと接近した。



 炎から逃げ惑う兄弟を見下ろし嘲笑っていた者が、ふと顔を上に向けた。その眼前に翼竜の翼が迫り、彼は窓に取り付けた足場から叩き落とされた。

「何だ?」

 数人が銃を取り出したが、自在に滑空する翼竜に狙いもつけられない。逆に窓すれすれを飛ばれ、避けようとして落下する者が続出する始末だ。



 その有様は当然、対岸で見物していた王太后にも知れた。

「何をしているの! 翼竜などに構わずさっさと焼き尽くしてしまえばいいものを」

 御者を呼びつけようと扇で窓を叩いたが、返答はなかった。王太后の苛立ちが頂点に達しかけた時、何の呼びかけもなく馬車の扉が開けられた。


「無礼な、何者?」

 彼女は手提げ袋から銃を取り出したが、銃口を定める間もなく鞭で叩き落とされた。痺れる手から拳銃が落ち、王太后エレノアは銀髪に黒眼鏡の侵入者を睨んだ。

 しかし、相手が眼鏡を取り払った時、厳格な貴婦人は驚きを隠せなかった。

「お前は……」

「失礼、お義母様。いきなり物騒な物を取り出されるものだから手加減が出来ませんでしたわ」


 にこやかに語りかけるのは、御者に扮した女性だった。銀髪のカツラを取り去ると見事な黒髪が現れた。プランタジネット大公妃カイエターナは男装も艶やかに義母と対峙した。

「アグロセンの王女ともあろう者が何という真似を。あのジョンの悪影響ね。人畜無害な振りで裏でこそこそ立ち回る卑しい性根の」

「あら、ご自分の我を通すために何人もの人間を死なせた方の台詞とも思えませんわ」


 カイエターナは微笑みながら反論したが、黒い瞳は怒りに満ちていた。

「さあ、王宮で国王陛下たちがお待ちですよ。あなたがザハリアス総領事館に国の極秘情報を流した証拠は押さえていますから、今頃は帝国の大使が呼びつけられて大汗をかいていることでしょうね」

「私はこの国のために、先王陛下が残した王国のためにしたのよ! おとなしいだけのアルフレッドにも何を考えているのか分からないジョンにも出来ないことをしただけ。今ならまだジュリアスを躾け直せばこの国を…」


 王太后は不自然に言葉を途切れさせた。急激に自由を失っていく中で、異国からの大公妃を睨み上げる。対照的にカイエターナは冷静そのものだった。

「運がいい方ね。アグロセンなら利敵行為を働いた王族など即刻地下牢に永久幽閉ですのよ」

「……お前、ごときが、何故……」

 床の拳銃に手を伸ばそうとした王太后はがくりとうなだれた。強力な麻酔薬を塗布した針を彼女の首から引き抜き、華麗な大公妃は静かに答えた。

「こんな事、あの人にはさせられませんもの」

 頭を一振りし、黒髪を後ろに束ねると、カイエターナは馬車の扉を閉めて御者台に乗った。ちらりと向こう岸で見える倉庫に目をやると、彼女は王宮に向けて馬車を走らせた。



 倉庫の火災はいよいよ危険な状況になっていた。

「あれって、何か貴重品でもあるのですか?」

「もしかしたら、バックランド文書に関係する物かも」

 メロディはサーモグラフ映像を思い出した。

「中に人がいました! 二人!」

「あの兄弟か?」

「そうなら助けますか?」


 少し考え、モーリスは肯定した。

「生死を問わないなら、潜伏先が分かった時点で建物ごと破壊してたはずだ」

 大公の容赦のなさをさらりと説明され、メロディは笑うしかなかった。

「それなら、隣の建物の屋根に下ろしてください!」

「何をする気だ?」

「消防の放水の目印です!」

「危険だぞ」


 渋るモーリスを説き伏せ、メロディはテラノを煙の上る倉庫に隣接した建物へと旋回させた。

 身軽に屋根に降り、大公邸の飼育係が渡してくれた非常用の信号灯を取り出す。

「暗くなってきたしここより大きな建物は多いから、これで消防車の目印になれば」

 手持ち全部の蓋を開け、発火する筒を次々と屋根に置いた。端まで進むとテラノが迎えに来た。

「手を伸ばせ!」

 モーリスに抱えられるようにして再度騎乗すると、熱煙を避けて翼竜は上昇した。


「中の人はどうやって助けるんですか?」

「これで空気を吹き飛ばして一時的に消火する」

 モーリスが用意していたのは小さな四角い箱だった。

「熱や衝撃で爆発する液体だ。まだ骨組みが無事そうな場所は?」

 もう一度サーモグラフで倉庫内部をスキャンし、メロディは一角を指さした。

「あそこが比較的無事です! そう遠くない場所に兄弟もいます!」

 テラノは大きく旋回した。



 地上の消防隊が空に鮮やかな色の煙が上るのに気付いた。

「あそこが現場か、急げ!」

 真新しい消防自動車がサイレンで野次馬をかき分け進んだ。



 炎にあぶられるように逃げ惑うハミルトン兄弟は、天井に火が達する前に何とか脱出しようと必死だった。比較的頑丈な区画に辿り着き、煙から気管を守っていると、突然爆音がした。壁の一部が吹き飛び、一時的に炎も撤退した。

「今だ、走れ!」

 二人は最後の力を振り絞って破損部から外へと転げ出た。


 ようやく燃える倉庫から遠ざかった彼らの前に黒い大きな物が降り立った。頭部に長い突起を持つ翼竜、テラノだと兄弟はすぐに気付いた。騎乗する者が味方でないことにも。

「カーター警部、ミスター・ハミルトン。これまでですよ」

 メロディに降伏勧告され、彼らは戦意を復活させたようだった。

「どこまでも邪魔をする気か…」

「助けて恩を売った気か? バックランド文書が焼失したところで、俺たちが掴んだ情報で王家が権威失墜しても笑っていられるか?」


 意味が分からないメロディとモーリスに、ハミルトン家の双子はそれぞれナイフと銃を取り出した。一触即発の状態は、不意に照らされた眩い光で一変した。

「武器を捨てろ!」

 警備艇のサーチライトが彼らに集中した。艦船用の消防艇も出動し、川からの放水を始めている。上陸した水兵が銃を手に彼らを取り巻いた。


 一瞬視線を交え、兄弟はおとなしく武装解除された。メロディは尚も火の勢力が衰えない倉庫を心配そうに眺めた。

「あの中に金庫があるのでしょうか」

「伯爵家のボヤ程度とは規模が違うな」

 耐火金庫が謎の文書を守ってくれることに賭けるしかなかった。


 やがて、キャメロット警視庁からの護送車が双子を収容した。

「モーリス殿下、大公殿下は警視庁で事情説明をされています」

「分かった」

 竜笛を取り出すモーリスにメロディが尋ねた。

「帰宅されますか?」

「ここまで来たんだ、警視庁で父上に経緯を聞きたい」

 複雑そうな顔をする子爵令嬢に、彼は笑いかけた。

「大丈夫だ。今度は追い出されたりしないはずだ」

「……はい」

 レンガ造りの建物へと、大公の息子はテラノを飛び立たせた。



 警視庁は突然の大捕物に大混乱だった。

「留置場が足りない? いいからとにかく部屋を空けて警備を立たせろ!」

 刑事課長が息を切らして怒鳴った。

「記者連中は一人も通すな!」


 怒鳴り声を来賓室で聞きながら、プランタジネット大公は苦笑した。

「大変な時にお邪魔して申し訳ない」

「とんでもない、大公殿下のご助力のおかげで、現役刑事の犯罪などという不名誉が雪がれます」

 より重大な証人になる者は極秘裏に海軍情報部に移送した後なのだが、大公はおくびにも出さなかった。

「こちらとしても、内通者のあぶり出しという作戦の性格上、連絡が後回しになってしまったのを一言詫びておきたくてね」

「は、恐縮であります」


 身を縮める警察長に、地味で平凡な大公は鷹揚に頷いた。窓の外に大きな影がよぎるのを見て、彼は席を立った。

「さて、話を聞きたさに息子も来たようだ」

 メロディはモーリスに着いて数ヶ月ぶりに警視庁の正面出入口をくぐった。被疑者到着に備えた警官が駆けつけたロビーは騒然としていた。


 その中に、ライトル伯爵とその長男を見つけ、メロディは意外そうに彼らに駆け寄った。

「伯爵、ジャスティン様もここに?」

「大公殿下が、この子を隠していた片割れが捕まったと連絡をくださって」

 ジャスティンは無言で出入口を見つめていた。やがて、遺体を収容した車が到着し、外でカメラのフラッシュが花火のように焚かれた。担架の数は二桁近く、負傷者がよろめきながらそれに続いた。


 自暴自棄に陥っている集団の中に、全く違う空気をまとった者がいた。赤毛の中年女性だった。

「……母ちゃん」

 小さな呟きがジャスティンの口から漏れた。思わず女性の方に近寄ろうとした少年は、警官に阻止された。

「下がってください」

 その前を女は無言で通り過ぎた。六年間息子として育てた少年に目もくれず、まったく表情も変えずに。ジャスティンは立ちすくんだ。

 ゆっくりと俯く彼の肩に、そっとメロディが手を掛けた。

「……あなたを守るためですよ」

 微かに少年は頷いた。


 外の騒ぎが一段と大きくなった。

「着いたようだな」

 モーリスが小声で言うと、それを合図にしたように正面扉が開いた。トヴァイアス・ハミルトンとネイサン・カーターが連行されたのだ。


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