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71 もっとラビリンス 私に仕掛けてきて

 大公邸の司令部には劇場での異変も報告されていた。

「モルゼスタン解放戦線の構成員十三名が王立劇場に侵入、武装するも制圧。リーダーのミハイル・ゲルドフが逃走中」

「武器の受け渡しは?」

「ザハリアス総領事館から。中継したのはハミルトン兄弟と思われる。ただし、劇場に兄弟の姿は無し」


 緊迫したやりとりを、メロディとモーリスは部屋の隅で聞き入っていた。司令部の地図には、例の金庫を保管している海軍情報部の建物に様々な駒が置かれている。

「外側からは分からないように警備を固めてるのですね」

「罠を張り巡らしてるのだろう」


 固唾を呑んで見つめる二人は、やがて異変に気付いた。通信が急に慌ただしくなったのだ。

「ハミルトン兄弟がいない? 監視はどうした?」

「ブレスト通りでロストしたと報告が!」

 キャメロットの地図を見ていたメロディは部屋を出た。モーリスが続き、彼女に尋ねた。

「何を思いついたんだ?」

「あの通り、ヨーク川から一本の所ですよ」

「川で移動するとでも?」

「近くに造船所がありました。カーマイン商船提携の」


 兄弟の組織ジェニュインが隠れ蓑にしていた会社だ。可能性はあると思いつつ、モーリスは難しい顔をした。

「どうやって追う気だ?」

「あれなんか、どうですか?」

 メロディが指し示す先には飼育舎があった。空飛ぶ生き物の馴致のための場所だ。

「翼竜か…」

 期待に満ちた視線を受けて、モーリスは溜め息交じりに決意した。

「行こう、扱い方を聞かないと」

 二人は大公邸の広い庭園に出た。



 ヨーク川の岸にはずらりと船が繋留されている。船は大小さまざまで、中には改造した船で生活する者もいた。

 ある船もその中の一隻に見えた。これといって特徴のない小型船だが、中には最新機材が詰め込まれていた。

「ブレスト通り…、川を使ったか」

 船長室で呟いたのは、劇場の裏方から荷運びの労務者に変装したプランタジネット大公だった。通信係が詳細を伝えた。

「造船所から無許可で出た船があると一報が来ました。カーマイン商船です」

 大公は目を閉じた。今回の作戦では、内通者の疑惑がある者に少しずつ違う内容の情報が漏れるようにした。


 ハミルトン家の双子が向かう先にある場所を知る者、それはただ一人だ。

「そこまでするのか、母上……」

 ごく小さな声に反応したのは偏光レンズの眼鏡をかけた銀髪の女性だった。そっと彼の肩に手を触れもたれかかるのに、大公は自分の手を重ねて自嘲した。

「私もまだまだ甘いな」

そして彼は振り返り、命令を待つ者たちに告げた。

「プランS。移動する」

 街路樹に掛けられたケーブルが巻き去られ、小型船は波を蹴立ててヨーク川を進んだ。



 劇場街の裏通りに小走りで紛れ込む男がいた。細い路地を抜けあちこちの物陰で追っ手をやり過ごし、警官の姿が見えなくなるのを待つ。やがて追跡の靴音は聞こえなくなった。ザハリアス総領事館がある通りへと急ぐ彼の前に人影が立ち塞がった。銃を構えた男は、相手が女性であることに気付いた。彼女は顔を覆っていたスカーフを外した。赤毛がその肩に流れ、男は驚きの声を上げた。

「……タチアナか? 生きていたのか」


 女の方は非友好的な視線を男から外さなかった。男は懐かしそうに彼女に近寄った。

「十年ぶりか? こちらでも色々あったが、今は私が解放戦線の指揮を執っている」

「大した出世ぶりね、ミハイル。十年も敵地で潜伏した挙げ句に焼き殺されたボリスに言うことはないの?」


 いきなり糾弾され、ミハイルは眉をひそめた。

「彼が粛正されたのは命令に背いたからだ」

「命令? 誰の? どこにいるかも分からない王族の子孫? それとも内紛で殺し合いするしか能のない奴ら?」

「君が我々を侮辱するとはな。いいか、今はザハリアスに見せかけの恭順をしてでも武力を蓄える必要があるんだ」

「モルゼスタンを分割したザハリアスにね。どこまでおめでたいのよ、奴らにはあんたたちなんて使い捨ての兵隊に過ぎないのに」

「我々を汚れ仕事に使えば、それだけこちらも奴らの違法行為を知ることになるんだ」

「それで弱みを握ったつもり? あいつらは利口になりすぎた犬は面倒になる前にさっさと処分する。それも分からないとはね」


 タチアナに嘲られ、ミハイルは顔を歪めた。

「我々は必ず祖国を復興し列強どもに思い知らせてやる。安全圏から傍観して手のひら返しを続けたローディンもだ。お前はさっさと伯爵家のガキをおびき出してこい。そうすれば有利な取り引き……」

 ミハイルは最後まで話せなかった。タチアナが薄刃のナイフを一閃させ、彼の喉がぱっくりと切り裂かれたためだ。

 驚愕の表情で、解放戦線の指揮官はポンプのように溢れ出る血を必死で止めようとした。喉を押さえたまま彼はぐるぐると回り、やがてピルエットもどきは転倒で中断した。


 赤毛の女は顔色一つ変えず、男が息絶えるのを眺めた。背後から制服の警官が駆けつけるのを見て、彼女はナイフを地面に放った。

「こいつはモルゼスタン解放戦線の指揮官とやらのミハイル・ゲルドフ。持ってる武器はザハリアスの気前のいい領事様が恵んでくれたそうよ」

 タチアナは気怠げに髪を掻き上げながら彼らに説明してやった。路地の向こうで、劇場から帰る客たちの馬車や自動車が連なって走るのが切れ切れに見える。彼女は昂然と顔を上げ、警官に微笑んだ。

「あたしが殺した。連行すればいいわ」



 そこは、ヨーク川の岸に並ぶありふれた倉庫の一つだった。警備員の巡回すらない一角に辿り着いたトヴァイアス・ハミルトンとネイサン・カーターは川岸に上がり、用心深く周囲を見回し倉庫の裏口に回った。

 レンガ造りの建物は古く、裏の出入口は木製だった。しかし施錠は予想以上に頑丈で、少々揺さぶったくらいではびくともしない。

「当たりのようだな」

「こんなボロ倉庫に鍵だけは厳重とはな」

 彼らは弾丸から取り出した火薬を紙にくるんで鍵穴に詰め、マッチで点火した。小さな音がして鍵は外れた。

 中から人が出てくるかと警戒したが、しばらくしても物音一つしない。二人は倉庫内に侵入した。



 ヨーク川対岸にひっそりと停まる馬車があった。紋章を布で覆い一般的なものを装っているが、その仕様と繋がれた馬の見事さからただ者でないことは明らかだった。

 一人の男が馬車の側で跪き、報告した。

「陛下、ネズミが二匹、餌につられました」

 窓のカーテンがわずかに開き、喪服姿の老婦人が顔を見せて頷いた。男はすぐさまその場から消えた。

 侍女も連れずに馬車に乗っていた黒ずくめの貴婦人――エレノア王太后はオペラグラスで倉庫を見つめた。



 侵入した倉庫は外観の古さとは裏腹に内側の構造は頑丈で、細かく仕切られ迷路のようになっていた。

「面倒だが、迷路なら壁伝いに歩けば…」

 ネイサンが言いかけた時、笛のような音がした。二人がぎくりとして立ち止まると、彼らの前で仕切りが動き壁を作った。

「蒸気でランダムに稼働する仕掛けか?」

「くそっ、これだと時間ばかりがかかる」

 いまいましげなトヴァイアスにネイサンが提案した。

「仕切りは天井までは届いてない。外壁の窓沿いに通路があるから、あそこから一人が指示すれば目的の場所に行けるはずだ」

「そうか、頼んだぞ」

「分かった」


 双子ならではの即断即決で二人は別れた。倉庫全体を見下ろす位置に付いたネイサンが兄弟を誘導した。

「次を右だ、それからまっすぐ、いや、壁が移動したからすぐに左へ!」

 閉じる間際の壁をすり抜け、トヴァイアス・ハミルトンは息を切らして汗を拭った。その前に、四方を塞いだ仕切りがあった。

「ここか…」

 背後に可動壁が迫ってきたが、彼はにやりと笑い、横に飛び退いた。これまで辿ってきた跡に黒い粉が線を引いている。その端に、窓際からネイサンが火の付いたマッチの束を投げた。


 黒色火薬が次々と爆発し、仕切りの壁を吹き飛ばした。残った仕切りの陰から出てきたトヴァイアスが様子をうかがう。

 可動壁の合図となっていた笛音は、気の抜けたような掠れたものになっていた。仕切りはぴくりとも動かない。そして、中央の瓦礫から見えるのは丁重に鎮座された金庫だった。

「……こいつか」

 兄弟の側に来たネイサンが感慨深げに呟いた。幾多の手段を使って得ようとした情報が、この中にある。


「徹底的に調べるのは後だ。今はこいつを船に運ぶ手段を…」

 言いかけて、トヴァイアスは急に振り向いた。

「どうした?」

「今、窓の外に何かが」

「窓?」

 不明瞭な外の景色しか映していないのにと思っていると、影が動いた。それは素早くガラスを打ち破り、何かを倉庫内に放り投げた。兄弟には届かない場所に落ちたガラス瓶を、彼らは馬鹿にしたように眺めた。床に割れた瓶が爆発的な炎を吹き出すまでは。

「何だ、あれは!」

「くそっ、こんなこと連絡には…」

 動揺する間にも火炎瓶は次々と投下された。それはすぐに木製の可動壁に燃え移った。



 対岸から見物していた王太后は口元に酷薄な笑みを刻んだ。

「そうよ、全て燃えてしまえばいい。忌まわしい天賦(ギフト)持ちも、あってはならない記録も全て」

 満足げな彼女の視界を何かが横切った。鳥ではない大きさの飛行体だ。

「あれは……!?」

 ローディンには生息しないはずの翼竜、テラノが倉庫の上を滑空していたのだ。

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